17.リア (後編)
中央、世界樹からほど近い丘の上、そこに生える一本の樹の下で、私とシエルリーゼはぼーっと座っていた。
シエルはあの後自警団に入り、日々忙しく訓練を続けている。今はその休憩中らしい。
「帰ってこねーにゃね……」
シエルは遠くを見ながら呟く。無論誰がというと、数ヶ月前に森を飛び出していった友人が、である。
「シエル、最近そればっかりですね……」
「だってにゃー……、あの騒がしいのがないと一日が始まらねーっていうかにゃー……」
「まあ、それは分かります……」
リアが行ってしまってから数ヶ月の時間が過ぎた。あれからリアから一切の連絡はない。そもそもリアは魔法があまり得意ではなく、使える数少ない魔法は攻撃にしか使えそうにない。森の中なら"ライン"といった、いわゆるテレパシーのような魔法も使えるが、森から外に出ると範囲外である。
「無沙汰は無事の便りともいいますよ」
「それ、エルフには通じねーにゃ……。人間の世界でなんかあっても誰もこんなところに便りなんか送ってくれねーにゃ……」
「それもそうですね……」
二人してため息をつく。やはり友人といつでも会えないというのは寂しいものだ。
あの日まで私達三人はいつも一緒にいたのだ。いなくなってから初めて気がつく事はあまりにも多い。
正直リアの騒がしさや強引さを苦手と思ったことも会ったが、逆を返せば底なしの明るさと常に
引っ張ってくれる積極性だ。私もシエルも何度もそれに助けられたことはあっただろう。
それが突如なくなったのである。リアは私やシエルが持っていなかったものをたくさん持っていたのだと、嫌でも実感させられる。
「てめーは今から"運命"探しにゃ?」
「ええ、まあ。流石に私も"運命"に会いたいなと思いまして」
寂しさに耐えかねたのか、シエルの方から話題を変えてくる。とはいえ私自身この話をし続けても
気分が落ち込みそうなので、シエルの話に乗ることにした。
実際焦りはないが、流石にそろそろ自分の"運命"に出会いたいものだと思う。生まれて十二年、ここまで運命がいないというのは、エルフとしてはかなり遅い部類なのである。
「なんでまだ出会えねーんだろうにゃー」
シエルはそう言うと草原に寝転がり、私はというと"運命"を探すために起き上がる。
「まあ焦らず探してみようと思います」
「ま、これだけ待たせてるんだからきっとすげーのに出会えるにゃー、頑張れにゃ」
そう言うと、立ち上がった私に向けてシエルが右手の拳を突き出してきた。
「はい、ありがとうございます」
そう返事をして私は左手の拳を合わせる。シエルなりに激励してくれているのである。
まずは"運命"をと思い、私はシエルと別れて歩き出した。
・・・
・・・
シエルと別れ数十分が経った。
そもそも”運命”というのは探して見つかるものではないと言われている。シエルも朝起きたら枕元にいたらしい。
だが、居ても立ってもいられずに日々探し歩いているのである。
「うーん、もうちょっと森の外に近いところまで行ってみたほうがいいのでしょうか」
のんびり散歩気分で森の中を歩く。
焦りはない。だがリアは夢を叶えている、シエルも自警団に入り毎日忙しい日々を過ごしている。私はというと、悠々自適な”運命”探しである。実際焦りはない。だが、なんとなく友人たちに置いていかれてしまったな、と考えてしまい、胸をチクリと刺されるような感覚になることがあるのである。
「あっ……」
そんな折、小さな声が聞こえた。ここは中央にかなり近い場所だ、エルフがいるのはおかしいことではない。だが、その声に聞き覚えがあったのである。
「え、リア!?」
後ろから聞こえた声に思わず身体を固くする。即座に振り向き駆け寄るが、間違いなくそれはリアであったのだ。
「え、久しぶりじゃないですか! 森まで来てたら連絡してくれたらよかったのに」
「えへへ、驚かせたくて」
そういって笑うリアだが、なにか違和感がある。どうも元気が無いような気がする。それに、エルフにとって大切な存在の姿が見えない。
「あれ? リア、"運命"はどうしたのですか?」
「えっと……ね、今ちょっといなくて……」
「?」
エルフにとって"運命"は森の外で生きる上での生命線だ。もちろん何らかの事故で死亡することも無いではないが、あまりあることはない。
とはいえモグラのような視界外にいくような"運命"ではないし、精霊のように不可視になる能力があるようにも見えなかった。明らかに不自然ではある。
「えっと、シェリーは? シェリーにも会いたいな!」
私が訝しんでいると、そう言って私に抱きついてくる。その見た目や声色、仕草まで間違いなくリアのもので、私は考えすぎかと思い直す。
「えっと……。はい、では行きましょうか」
「うん! うん!」
ぴょんぴょんと付いてくるリアを横目に、私はリアと共に中央――世界樹の下まで走る。
「いつ帰ってきていたのですか?」
「うーんと、さっき!」
走りながらそんな他愛もない会話をしばらく続けていると、すぐに中央――、世界樹までついた。いつもなら、ここで訓練をしているはずである。
実際何人かのエルフがそこにいる。シエルの姿を探すと、他の自警団員のエルフと模擬戦をしている姿をすぐに見つけることができた。
「シェリー!」
「はっ、リア!? にゃっ!」
模擬戦中にもかかわらずリアに気を取られた結果、思いっきり殴り飛ばされていた。
「リ、リア、邪魔しちゃ駄目ですよ……」
「えへへ……」
力なく笑うリアに、やはり違和感を感じる。この少女はこんな笑い方をしただろうか。"運命"が見えないことと合わせて考えると、やはり胸がざわめく。
シエルは相手に手を引かれて起き上がると、その二人はこちらに向かって歩いてくる。
「リア、いつ帰ってきたにゃ!?」
「さっき、だよ!」
「にゃー……、帰ってきたなら連絡くらいよこすにゃ……、森の中なら"ライン"は届くはずにゃ……」
シエルはがっくりと肩を落とす。
そんな私達の様子をにこにこと見比べているのは、さっきシエルと手合わせをしていた人物であった。
「えーと、シエルリーゼさん。この方々は誰なんですかね。お友達さんですか?」
そう声をかけてきたのは先程までシエルと手合わせをしていたエルフであった。ぶかぶかな貫頭衣で体の線は分からないが、ずいぶん小柄だなというのが第一印象であった。あと、貼り付けたような笑顔が特徴だろうか。どうも思考が読めそうにない。
「あー、えっとフィリーとリアにゃ。たまに話してる友達にゃ」
その紹介に、小柄なエルフは合点がいったという風にぽんと手をたたく。
「ああ! あなた方がフィリーさんとリアさんですか。お噂はかねがねきいておりますよ。ワタシはクルルクと申します、森に住んでいたら今後会うこともあるでしょう、以後お見知りおきを」
そう言ってクルルクと名乗ったエルフは笑顔のまま、握手を求めてくる。私とリアはその手を握って挨拶をする。
「一度お話してみたいと思っていたんですよねー! あ、リアさん、少し気になることがあるので一緒に来てもらっていいですかね?」
「ん? んー。わかった」
「あ、お二人はちょっとだけ向こうに行っておいてもらっていいですか? この方と大切なお話がありますので」
そんな事を言いつつクルルクさんはリアの右手を引き、世界樹の方へと歩いていく。残された私とシエルはお互い顔を見合わせる。
「まああの人はいつもああいう感じにゃ……、ちょっとって言ってたしすぐ終わるにゃ。じゃあ向こうに行くにゃ」
そう言ってシエルは私の腕を引いてくる。
先程クルルクというエルフも離れておいてくれと言っていたし、私もそうしようかと思ったところでふと我に返る。
「って、なんでここを離れないといけないのですか?」
「ん? あれ? 確かにそうにゃ、なんでにゃ?」
「私に聞かれましても……」
確かにクルルクさんにはちょっと向こうに行っておいてと言われたが、ここなら会話も聞こえない、わざわざ離れる必要もないのではないだろうか。
確かに二人はなにか話しているようだが、どういう話をしているのかは全くわからない。
「あ、こっち来るにゃ」
既に話は終わったようで、クルルクさんがこちらへと歩いてくる。
そのままシエルになにか耳打ちすると、飛ぶように走り去ってしまう。周囲で訓練をしていたエルフも、気づけばいなくなっていた。
「シエル、あの人はなんて?」
「にゃ? うーん、なんか変なこと言ってたにゃ。人間が攻めてくるから出動だーとかなんとか」
「人間が攻めてくる?」
帝国の人間が森に攻めてくることはあるらしいが、まだその場に出くわしたことはない。あまり実感がわかない。
「うーん。そう言ってたと思うんだけどにゃー。でもまあちょっと行ってくるにゃ」
「あ、はい」
そう言い残し、シエルは魔法を使って何処かへ消え去ってしまった。あとに残されたのは私と世界樹の下にいるリアだけだ。
「えっと、どうしましょう……」
クルルクが行ってしまった方向とリアの方を見比べ、リアの方へ行くことへ決める。
何故か樹の下から動かないリアの方へと歩いて行く。と、リアは無表情でこちらの方を向く。
そして、力ない笑顔をこちらに向けると、涙を流すのだった。
「リア……? 何があったんですか! 話して下さい!!」
こんな表情をさせて、ようやくリアの身に何かがあったことに確信を持てた。
だがそれは多分――遅すぎたのだ。もっと早く、出会った時点で確信を持つべきだった。
辺りには何処からやってきたのか、エルフが何か作業を初めていた。それに対して私は一切気に留める
ことなく、リアの体を揺する。
「リア!! リア!?」
「わたし……」
リアがそう言った直後だった。周囲に雷が落ちたかのような轟音が響き、同時に衝撃波がに襲われる。
「くっ……<クロノス・シェル!>」
吹き飛ばされる直前、リアと自分の周囲に防壁を張る。対象の周囲に時間が止まった膜を作り出す魔法である。膜の中にいる限り、音や衝撃波、魔法の類は届かない。私が咄嗟に使える数少ない魔法であった。
だがそれにしても、一体何が起きたというのだ。帝国の攻撃が来ると言っていたが、これがそうだとでも言うのだろうか。だが結界がある、破られた気配はない。
そういえば世界樹の周囲で作業をしていたエルフたちはどうなったのだろうと、そんな考えが不意に頭をよぎる。
確認しようと辺りを見回すが土煙がひどい、周囲の様子が全くわからない。
「フィリー……ごめん、ね?」
その声の主に顔を向ける。顔を向けると、涙を流し続けるリアの姿があった。
リアは涙を流しながらも、寂しげに笑っていた。そして手のひらに何かを載せている。
それは赤熱する魔力の塊であった。
「それ、は……?」
その魔法を私は知っている。他でもない、リアの魔法であった。
魔法の名前は<コンプレッション・ボム>、圧縮魔力爆弾。単純に魔力を圧縮した球体を投げつけ、それが対象にぶつかると同時に魔力が拡散、爆発するものだ。
だが何故こんなところで――。そう考えると同時、リアがこちらの目を見て話し出す。
「"さいごに"あえて嬉しかった、よ? その防壁、もう一回だよ? シェリーをよろしく、ね?」
「リア!?」
そう言って、へらと笑うと、その圧縮された魔力の塊を、飲み込んだ。
直後正面のリアから増大する魔力を感じ、反射的に呪文を唱える。
「っ……! <クロノス・シェル!>」
眼の前で爆発が起こる。
防壁で守れた私には、音も、衝撃も届くことはない。だが、ただ確実に一つ分かったことがあった。
「あ……あ……」
リアが、死んだ。私の目の前で、自らの魔法によって弾けとんで、死んだ。
「なん、で……」
思考がついてこない、何があって、どういう理由でリアは自爆なんてしたんだ。
防壁の中で泣きながら震えていると、頭の上に影がさした。誰かが私の近くに来たのである。
「だ……れ……?」
顔をあげると、そこにいたのは先程知り合ったばかりのクルルクさんであった。
・・・
・・・
「いやー危なかったですねぇ。間一髪間に合いました」
土煙が晴れた後、クルルクさんは私の隣に座ってそう切り出してきた。
樹の周り、見える範囲には何人かの人間の死体が転がっていた。クルルクさんが言うには、魔法でエルフに化けてここまで近づき、樹を爆破して折ろうとしたとのことだ。
樹が無くなればエルフは生まれない。エルフを滅ぼすには確かに最も良い手段とも言える。問題は――。
「あの人達は……どうやって、ここまで……?」
外からここまで来るには結界の迷宮を抜けなくてはならない。人の足なら十日はかかる工程であり、外側から結界に触れると結界の外まで飛ばされる。たまたま歩いてここまで来られるとは思えない。
「ふーむ……」
それを尋ねると、クルルクさんは一瞬逡巡する。が、すぐにいつもの笑顔に戻りこちらを向いて口を開く。
「そりゃ裏切ったんでしょ、リアさんが。あ、いや別に好き好んでそうしたわけじゃないと思いますよ? ただリアさんには動きをトレースする魔法が埋め込まれていました」
裏切りという言葉に胸が締め付けられるような気分になった。それでもなんとか聞き返す。
「トレース?」
「至極単純明快な探知系魔法ですね。魔法を施された対象の位置や移動経路を把握する魔法です。単純に無くしたくないものに予め施しておくのが一般的ですね。あとは例えば捉えた獲物に施した上で開放して、巣の位置を見つけ出した上で一網打尽にする、みたいな使い方がされますかね」
「それが、リアに?」
「ええ、そういうことです。それがあればリアさんが移動した経路を着いていくだけで結界を抜けられます。とても合理的ですね」
確かに合理的だが、いくらなんでもそんなものを付けて帰ってきたら本当にエルフに対する裏切りである。リアがそんなことをするとは思えない。
「でも、リアはそんな悪い人間に使われたりするような子じゃないです」
保身のために、悪人にエルフを売るようなことは絶対にしないだろう、そう信じたかった。
だが、クルルクさんは事もなげに、あまりにあっさりと言い切る。
「んー、でもあの方、多分拷問されてましたよ? 更に精神操作の魔法の残滓もありました」
「は……? 拷問……? 精神操作……?」
どれほどエルフを憎んでいればそれほどの事ができるというのだろうか。
もしも人間がそれをしたというのならば、とても許せることではない。
だがそんな話を、クルルクさんは一切表情を変えることなく、笑顔でただ淡々と話し続ける。
「ええ、先程言ったでしょう? 魔法が埋め込まれてましたって。リアさんに施された魔法の気配はあの方の体内から感じました。魔法陣が必要な術式ですので、腹を割かれて臓腑に刻まれたんじゃないですかね。麻酔なんてしてもらえてるとは思えませんが」
「そん……な……」
「魔力を吸収して自動的な治癒を阻害する魔法の気配もあったので、縫合箇所も最低限の血止めしかされてないでしょう。常に激痛を伴ってたと思いますよ」
想像を絶する苦痛のはずだ、その上で魔法による精神操作。きっと最後まで折れなかったのが簡単に想像できる。
私はもはや体の震えが止まらない。しかしなお、クルルクさんは笑みを浮かべたまま話し続ける。
「なんで、そんな笑ってられるんですか……」
「ええ、あまりにも悪趣味すぎて、怒りなんてとうに通り過ぎました。まあワタシも人のことは言えませんしね」
そう言って、何処から取り出したのか大きめの石のようなモノを放り投げる。
それは、人間の頭部であった。
「今思えば、一人か二人くらいは残しておくべきでしたねぇ。感情的になりすぎました、ワタシも精進が足りませんね」
そう言って辺りを見回す。その視線の先にいるのは木の周りで死んでいる人間たち。十人はいるだろうか、もしかしなくても、この人間たちを全員屠ったのは――。
「クルルクさんが?」
「ええ、一人残らず、ワタシが」
自分が殺した、と。事もなげにクルルクさんは言った。
リアと話していた時、周りでなにか作業をしていたのは、エルフに化けた人間だった。
リアに何かしらの術を施していた者もその中に混じっていただろう。許されることではないが、怒ったところでそれをぶつける相手はもうこの世にいない。
「ま、あちらさんは元々はエルフが蒔いた種と言い張ってますが、数百、数千年前のことなんていい加減許してほしいもんですねぇ」
苦笑いを浮かべつつ、そんなことを言ってくる。
そもそもこうしてエルフと人間の仲が悪いのは、大昔エルフが人を狩っていたかららしい。何故そんなことをしていたのか、今となってはわからないし、"運命"というシステムが出来る前の話なので、本当にあったことなのかさえ証明できる者もいないのが実情である。
それはさておき、恐らくこの人間達は南の帝国の兵だろう。北の王国との緩衝地帯になっている森を影響下に置きたい、そのためにはエルフを殺さなくてはならない。
そのために、大昔の出来事を大義名分として使っているのだろう。
「何にせよ、帝国に行くということはこうなる可能性があるということです。フィリンシアさんも、努々(ゆめゆめ)忘れないようにすることですねぇ」
そう言って立ち上がると、クルルクさんはゆっくりと何処かに歩いていこうとする。
「どちらへ……」
「ん? ああ。族長殿に報告へ。あとシエルリーゼさんにも教えてあげませんと」
「まって、下さい……、シエルには言わないでほしいです」
リアがこんな目にあったことを知ったら、あの直情的な友人は一人で帝国に乗り込んでしまうかもしれない。いや、間違いなくそうなる。確信が持ててしまうのである。
そうなったらリアと同じ目に合うかもしれない。そんなこと、させる訳にはいかないのだ。
「いいんですか? そうなったらあなた、友達を見捨てた薄情者のエルフになっちゃうかもしれないですよ? ――大丈夫ですって、ちゃんと誤魔化すところは誤魔化しますから」
あたりを見回すと先程の爆音を聞いてか、他のエルフも集まってきている。この場に私がいたことはすぐに広まってしまうだろう。
それにさっきシエルもリアと会っている。リアが死んだことをシエルに隠すのは無理だろう。
そうなったらシエルと今の関係を続けていくことは、きっと出来ない。
だとしても――。
「私は、リアのためにも友人に嘘はつきたくないんです」
死の直前、涙を流しながらも、リアは笑ってシェリーを頼むと、シエルを頼むと言ったのである。ならば、私はリアの願いを叶えなくてはならない。
もしシエルが森を飛び出そうとしても、私が止められるくらいに、今度は私が友人を守れるくらいに。それまでこのことは私が背負うと。今この瞬間に決意を固めたのである。
「……わかりました。けど族長殿には伝えておきますからねぇ? ワタシと族長殿はあなたの味方です、立場上あまりあなたに肩入れすることは出来ませんが、精々頑張って下さいな」
そう言って背中を向けると、手をひらひらと振りながら、クルルクさんは今度こそ何処かへ行ってしまう。それを、私はただ一人見送ることしか出来なかった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
貫頭衣を身に着けたエルフは、ゆっくりと森を歩いていた。
あの時、確実にリアと呼ばれたエルフは精神操作を受けていた気配があった。だが、それはシエルリーゼさんに出会った時点でその気配はかき消えたのである。
もしあそこでその気配が消えていなければ、確実にその場で自分がリアさんの首を刎ねていただろう。
多分、フィリンシアさんに出会った時点で自らの意思をある程度取り戻し、シエルリーゼさんと出会った時点で完全に魔法に打ち勝ったのだ。元々エルフは魔法に対する抵抗が人間よりは高い。だがかといって、一度掛けられた魔法に打ち勝つのは並大抵なことではない。
「友情ってやつですかねぇ……」
初めて話したエルフだったが、もっと早く知り合いたかったと心から思った。
リアさんの中に埋め込まれていた魔法は三つ。一つは位置のトレース、二つ目は精神操作。そして三つはフィリンシアさんには魔力を吸い取り治癒を阻害するものと説明した。
だがそれは本当の効果の副次的なものでしかなかない。
三つ目は周囲の魔力を片っ端から吸い尽くし、臨界を超えた時点で炸裂する自爆魔法だった。
魔力の吸収速度はとんでもない速さであり、近くにいると世界樹の直下でなければ他の魔法を使うことが出来ないほどであった。
だからこそ、わざわざ樹の下に誘導したのである。
そのことに、私は勿論リアさんも気づいていた。時間は殆ど残っていなかった。その上でワタシ自身の手にかけるために、リアさんとワタシは樹の下へリアさんを呼び出した。
だが、そこに連れていく過程でリアさんが精神支配から完全に解き放たれていることに気づいたため、数言だけと会話を試みることにしたのである。
「んー、なんていうかあなた、その身体で大丈夫なんですか? 何ていうか、辛くないんですかね?」
口調は変えない。この話し方しかワタシは知らない。
「えへへ……、多分もうすぐ死んじゃう、ね」
そう言って腹部に手を当てる。服の下にはきっと大きな傷跡があるのだろう。それでもワタシは笑顔を貼り付け続け、その上で再度尋ねた。
「それでいいと?」
「うん、最後にフィリーとシェリーに会えて、よかった、よ」
そう話すリアさんの顔には陰りが見えた。僅かながら苦痛と、そして何より寂しさが見て取れた。
「その魔法、もう爆発しますね」
リアさんの身体が無理やり吸い続ける魔力はそろそろ臨界点に達しようとしていた。そろそろ限界だ。だがあの二人がこちらを見ている。眼の前のエルフも、あの二人の前で殺されることを望みはしないだろう。
「(さて、どうしましょうか……)」
などと柄にもなく迷っていると、微笑みながらリアさんが口を開く。
「大丈夫だよ、発動しないから」
ただ純粋に、そう言った。ただ、楽観的なのではない、ただ自分の手で死のうとしている。表情からはそれが明白であった。
「あなたは、それでいいのですか?」
泣きそうな顔で微笑みを浮かべるエルフに、ワタシは思わずそう尋ねてしまう。そう言うと、リアさんは目をこすった後、こちらを向く。
「嫌だよ、嫌だけど……うん、今まで、楽しかったから!」
そんなワタシにあのエルフはそう言って、ニカっと笑ったのである。
そこまでの決意があるのなら、ワタシがこれ以上無粋な真似をすることはないだろう。ならば、ただその舞台を整えるのみ。
「何か、ワタシに出来ることはありますか?」
「えっと……それじゃあ――」
その後話したのはそれからの段取りであった。
まずはシエルリーゼさんをこの場から引き離す、理由はフィリンシアさんが話した理由と同じであった。
その後リアさんの魔力を逆探知して追いかけている人間を全て抹殺する。そして、仲間のエルフにフィリンシアさんの周りを爆撃してもらう。当然二人を傷つけないように慎重に、だ。
すると、フィリンシアさんはきっと魔法で防壁を作る。その後、その防壁の中で再度リアさんとフィリンシアさんを隔絶するように防壁を作ってもらい、リアさんが自爆する。
すると、被害は最小限で済むだろう。万が一リアさんが躊躇ったとしても、被害が一人増えるだけだ。樹には影響はない。出来ればそうならないことを祈るが――。
「あ、そうだ……、シェリーには見てほしくないな……」
シェリーとはシエルリーゼさんのことだろう。
自らの死を見られたくないというのは分からないでもない、だが何故シエルリーゼさんは名指しで拒まれているのだろうか。
「それは何故?」
「うーん、だって帝国の方に飛んでいっちゃいそうだから」
「あはは、それは困りますね」
リアは困ったかのような笑顔を浮かべる。ワタシも笑顔を貼り付けたまま、話を合わせた。
その話をした頃にはリアさんは心身ともに限界だった、リアさんとの別れはもう避けられないだろう。
ならば、その別れを邪魔させる訳にはいかない。
「一応聞きますが、フィリンシアさんは大丈夫なのですか?」
「うん、フィリーは強いから」
再度、力なく笑顔を浮かべる。
それを聴いてワタシはリアさんから離れた。
再度リアさんの精神が乗っ取られる前に、精神操作の魔法を使っている術者を殺さなければならなかったのである。
「あなたの言ったとおりになりましたね」
結果、リアさんが立てた作戦の通り、被害は最小限に抑えることが出来た。リアさんが躊躇うことなく自らを犠牲にした結果である。
ワタシとて同胞が目の前で死ぬのを見るのは好きではないが、友人が目の前で死んだフィリンシアさんとしては、相当に堪えるものとなっただろう。
「ご友人を裏切ってはいけませんよ? フィリンシアさん」
一度だけ世界樹の方を振り向き、そう呟く。
「そうだ、シエルリーゼさんの心も鍛えないとだめですねぇ……」
いくらなんでも友人二人に『一人で帝国に乗り込みそうだから』などという理由で、蚊帳の外に置かれるのは、見ていていささか情けなく思う。
そんなことを考えながら、事の顛末を族長に報告するため、森をゆっくりと歩くのであった。




