16.リア (前編)
「……飲むにゃ?」
「はい」
木の器に水差しで水が注がれる。それにフィリーがゆっくりと口をつける。
俺たちは今、世界樹のウロの中にいる。ここがシエルリーゼの家らしい。
ウロと一言で言っても、あまりのも巨大な樹のなので、中は人が十人は入れそうなくらいには広い。そこにクローゼットやベッド、テーブルなどの家具が置かれている。
部屋の中は意外と整理もされていた。言葉遣いが変だったり乱暴だからいって、雑な性格というわけではないらしい。
ドアに付けられた小窓からは、木の頭が海のように広がっていた。それもそのはずだ、この場所はこの森で最も高い樹の、かなり上部であった。高さで言うと三百メートルはあるだろう。
「今夜だけはてめーの言い分、ちゃんと聞いてやるにゃ」
「はい」
眼の前で膝を立てて座る少女は、言葉遣いこそ乱暴だが、その言い方に今までのような棘はない。
「形はどうあれ助けられたからにゃ……。てめーの口から聞かせろにゃ。何については、言わなくてもいいにゃね?」
「はい。リア――フレリアのことですね……?」
「そうにゃ。あの日、何があったにゃ? 全部話せにゃ」
リアというのは一度聞いたことがある。フィリーとシエルリーゼの共通の友人で、昔亡くなったエルフらしい。
しばらく間が空く。フィリーの緊張が伝わってくるように感じた。
「リアが、人の国に憧れを持っていたことは知っていますよね?」
その言葉を皮切りに、フィリーは話し始める。友人が死に、正面にいるエルフとの友情が断たれる原因になった時のことを。
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「フィリー、フィリー! おきて! おきて!!」
「ん……何ですか?」
どうやら眠ってしまっていたらしい。あまりにも気持ちのいい天気だったとはいえ、不覚である。
私を起こしたのは――、この落ち着きの無さはリアだろう。
起きようとするが身体を起こすことができない。どうやらリアは私のお腹の上に跨って座っているようだ。
「みてみて!! "運命"!」
「ふぉる……、えっ!?」
思わず声を上げてしまう。確かにリアの腕の中には小さなリスのような生き物が抱えられていた。
"運命"とはエルフのパートナーである。存在意義は色々とあるが、エルフが生きていく上では必要不可欠な存在であった。
"運命"の強さは基本的に単純なサイズに比例する。
そういう意味では、リアの抱きかかえている"運命"は、それほど強いわけないのは明確なのだが、リアの『夢』を考えると、この方が都合がいいかもしれない。
「じゃあ、行ってしまうのですか?」
祝福する言葉を言うのを忘れ、思わずそんなことを口にしてしまう。
リアの夢は人間の国に行くことであった。"運命"が見つかった今、彼女は森の外に出ることが出来るのだ。
仮に"運命"が巨大だった場合、確かに強いだろうが人間の国だと目立って仕方ない。
元々エルフと人間はあまり仲がよいとは言えないので、目立たないで済むならその方がいいだろう。
そんなことを考えていると、リアは大きく首を横に振る。
「んーん! まだ行かないよ! だってシェリーにも言わないと!」
シェリーというのは友人のシエルリーゼのことである。
私はシエルと呼ぶが、リアはシェリーと呼んでいる。シェリーという呼び方はあまり好きじゃないと言っていたが、リアとしてはそれが言いやすいと言って引かない。シエルも最初は嫌がっていたものの、最近では諦めているようだ。
「フィリー! いこっ!」
そう言って立ち上がり、腕を引いて起こされる。そして走り出した先、暫く走った先にあるのは中央、世界樹の方角――シエルが住んでいる場所の方向であった。
シエルは世界樹のウロの一つ、かなり高い場所に住んでいる。シエルは自分の魔法で上り下りは楽だろうが、こちらから行く分には面倒で仕方ない。
隣を見ると、リアはなぜか思いっきり息を吸っていた。
「(あ、まずい)」
『シェリィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!』
とっさに耳を塞ぐも、その上からでも聞こえる爆音が鳴り響く。魔法で声量をブーストしているらしい。危うく鼓膜が破れるところだ。
辺りには同じように耳をふさぐエルフ達の姿が見えた、中には気絶している者もいる気がするが、目に入れないようにする。
「うるさいわ! 貴様いつもいつもいい加減にせんか! フィリンシア、貴様も止めろ!」
周囲の被害を見渡していると、いつの間にか背後にいた族長様に小突かれながら怒られてしまった。
なんというか理不尽である。私だって鼓膜は大事だというのに。
「まったく……。見どころがあるやつが入隊したと聞いて、自警団の詰め所に向かっていたらとんだ災難だ……。私はもう行くぞ、もう二度とそんな大声出すなよ?」
そう言って族長様は踵を返し、何処かへ行ってしまう。
族長様がどこかへ歩き去って行った後、気づくと眼前に一人の人影が現れた。
「わたしまで白い目で見られるからやめてほしーにゃ……」
頭を掻きながら、眠そうな表情で眉間にシワを寄せる彼女がシエルリーゼである。この友人の得意とする魔法は"視界内への瞬間移動"といったものだ。その魔法の性質上、森全てを見渡せる樹のかなり上の方に住んでいる。
それよりも一つ、気になったことがあった。
何故か最近、この友人は語尾がおかしい。具体的には”にゃ”という語尾がついている。最近まではそんなことはなかったのだが、最近そんな語尾を付け始めたのである。
「まだその喋り方なんですか?」
「……。てめーがわたしの喋り方に『話し方、ぶっきらぼう過ぎません?』とか言うから工夫してやってんのに……」
眼の前の友人は小声でそんなことを呟く。
そういえば一度、そんなことを言ったことを思い出す。この友人はそれを律儀に気にかけていたらしい。別に気にしなくていいと言おうとしたが、小声で言うくらいなのだから多分聞かれたくはないことなのだろう。
私は聞こえなかったことにしておいた。なによりその方が面白い。
「なにか言いました?」
「なーんでもねーにゃー」
一応尋ねるが、シエルはぷいっと顔を背けてしまう。言葉遣いが変わったからか、そのぶっきら棒な態度にも愛嬌を感じる気がする。
「で、わたしを呼んだのはなんでにゃ?」
「そうだ! シェリー! シェリー! みてみて!」
そう言ってシエルの眼前に向けて抱えあげたはリアの"運命"である。金色と焦げ茶の毛並みをもったリスのような小動物であった。
「これ! これ! わたしの"運命"!」
「ほー。ちっせーにゃー、でもおめでとうにゃね。もう行くにゃ?」
マジマジと見つめながら言う。リアが人里に行きたいと言っていたのは、私達の中では共通認識になっていた。
"運命"が見つかればエルフは森の外に出ることが出来る。その最も大きな理由は、本来エルフが森の中でなければ得られない魔力を、"運命"を通して得ることが出来るからである。
「うん、シェリーにも挨拶できたし、今からいこっかな!」
その辺に散歩に行ってくるとでも言うかのように、旅立ちの宣言をした。
「あなたはいつも思い立ったらすぐ行動ですね」
「ん? フィリーが遅すぎるんだよ! ほんとはみんなと行きたかったんだけどなー」
少しだけ寂しそうな表情を見せるが、それに私は首を横に振った。
「私はそもそも"運命"がいませんから。仮に"運命"が見つかったとしても、私は正直人間の国に行くのは少し怖いです」
「わたしもあっちの世界に興味はねーにゃー……、わたしも森がいいにゃ」
シエルは欠伸をしながら言う。ちなみにシエルも"運命"と既に契約をしていると聞いたのだが、いまだにそれを見たことがない。殆どのエルフは積極的に"運命"を他のエルフに見せようとはしない。どんな"運命"かは分からないが、友人といえどそれを詮索するのはマナー違反である。
「なんにせよ、たまには帰ってきてくださいね」
「うん! じゃあわたしは行くよ! またね!」
数少ない例外であるリアに、精一杯の微笑みと共に言う。
リアもまた、満面の笑みでそういうと、森の南側に向かって駆けていった。何度もこちらを振り向いて両手を振りながら、いつもどおりの太陽のように眩しい笑顔を振りまきながら走り去っていく。
それを見ながら私はシエルに向かって声を掛ける。
「行っちゃいましたね。でもきっとすぐに会えますよね」
定型文とも言える、当たり障りのない会話だったと思う。が、シエルはなぜか眉間にシワを寄せて難しい顔をしていた。
私の言葉も届いていないようで、返事も返ってこない。
「シエル、どうかしましたか?」
「にゃ? あっち、帝国側だからちょっと気になっただけにゃ」
「え? あ、確かに……」
帝国はエルフと仲が悪い、というよりは敵と思われている節がある。四十年以上前に帝国とは大きな戦争があったのだ。その時は北にある王国と共に打ち勝ったのだが、その後も帝国は森へ兵を差し向け、幾度も小競り合いが起きている現状であった。
そんな国にエルフが行って大丈夫なのかと不安に思う。暫くその方向を眺めていたシエルリーゼだったが、ため息を一つつくとくるりと樹へと向き直る。
「とはいえ確かに帝国の方が人が多くて面白いものも多いかもしんねーにゃ、それにリアなら多分上手くやるにゃ」
「だといいのですが……。まあ、でもそうですよね」
「にゃ。じゃあわたしは二度寝するにゃ、起こされて眠いのにゃ……」
そう言うや否や、シエルリーゼは目の前から一瞬にして姿を消す。便利な魔法だなぁと常々思っているが、今はそんなことを妬むような気持ちにはなれない。
「(無事でいて下さい)」
リアの走り去ったほうへ向かってそう祈る。
彼女の人当たりの良さは私達が一番良く知っていると思う。きっと人間の国でもうまくやるだろう。
けれど、どうも胸騒ぎが止まらないのだ。
きっと何も起こらないだろう。また何ヶ月かしたら、いつものように笑いながら帰ってきてくれると、その時はそう思っていた。
――その時感じた悪い予感は数カ月後、現実のものとなるのだが。
後編は本日17時にアップします。




