14.夜は深く、壁は厚く
天頂には満月。まるで俺がこの世界に来た日のように、それは輝いていた。
違う事があるとすると、輝く月は二つあり、周囲には森が広がり、そして眼前には異様に黒い騎士がいることであろう。
眼前の黒い騎士は中段に剣を構える。睨み合うこと数秒、先に沈黙を破ったのは眼前の黒い騎士であった。
「来ないのかい? 来ないならまたこちらから行くけれど?」
不思議そうに、こちらに尋ねてくる。
見た目にそぐわないあまりにも軽薄な物言い。だが、その動きに一切の隙はない。その問いに当然フィリーは何も応えることはなく、ただ時間が過ぎていく。
「そうか。じゃあ、先に僕から行かせてもらおう」
黒い騎士は、何故か構えていた剣を下ろす。それと同時フィリーが俺を抱えて後ろに跳んだ。
素人の俺にさえ、眼前の男の気配が変わったことがわかった。剣を構えることはなく、ただ泰然たる態度で一歩をこちらに踏み出してくる。
一歩、ただ一歩とこちらに歩を進めるたびにプレッシャーが高まる。
先に死線を察知したのはフィリーだった。
「っ……!?」
フィリーが再度、二メートルほど後ろに跳び下がる。刹那フィリーの眼前を剣が掠めた。
先程まで十メートルほどの距離があったはずだ、にもかかわらずそれだけの距離を瞬間的に詰めてきたのだ。
「おい、今の動きなんだ!? 見えなかったぞ!?」
「わかりません! 魔法か何かで補助しているのかも……! くっ――!」
飛び退いた距離をさらに詰める斬撃。それを再度間一髪でフィリーは避ける。再度の追撃はなく、立ち止まった黒騎士からフィリーは再度五メートルほどの距離を取る。
これ以上後ろには下がれない、背後にはシエルリーゼがいる。
騎士の装備は異様に目立つ黒光りしたフルプレート。そしてフィリーの背丈と同じくらいの刃渡りがあると思われる大剣。
その重さは数十キロに及ぶだろう。少なくとも軽装のフィリーに比べ動きづらいはずだ。なのにその動きには重さを感じさせない。フィリーやシエルリーゼを初めて見たとき、その身のこなしに驚かされたが、直線の動きで言えばこの男の方が速いかもしれない。
「避けたか。いい勘をしているね」
「遊んでいるのですか……? 再度追撃していればあなたの剣は私に届いていた」
「かもしれないね、でもすぐ終わっても楽しくないだろう? もう一度言うがこれは八つ当たりなんだ、せめて遊ばせておくれ」
「くっ……」
フィリーはそれ以上言葉を話さず、ただ腰を落とし黒騎士を睨む。
その様子を見つめる黒い騎士は何を考えているかわからないが、しばらくして再び剣を構えた。
「死ね、とは言わないさ! 精々後ろのエルフを守りながら逃げ回ってみせてくれ!!」
緊張を露骨に口に出すフィリーに対し、騎士はただ明るく、本当に単なる”八つ当たり”だとでも言うことを示すかのように、一歩ずつゆっくりとこちらに歩を進めてくる。
もはやここは死地である。あの黒い騎士はその気になれば瞬きする暇さえなく、この約五メートルの距離を詰めてくるだろう。
その黒い騎士は、異様に黒い鎧を着込んでいるいる以外特段特徴があるわけでもない。身長や体重は少なくとも、もともとの俺の背格好と大差ないだろう。
精々俺がいた世界で言うところの中肉中背といったところだ。
だが、それでも、嫌でも理解できてしまう。あいつの周囲にあるのは"死"だと。
「あいつやべぇな……」
「分かってます……!」
そんな”分かりきった”ことを口にしてしまった俺に対してフィリーは静かに言う。
背後には傷ついたシエルリーゼがいる、フィリーにとっては未だ大切な友人なのだ。それだけで、ここに居座るには十分な理由であると理解できた。
「ふっ……!」
黒い騎士に向かってフィリーが走り込む。振られた剣を避け、フィリーが背後に回り込んだ。そして鎧に右足を叩きこむ。相手がフルプレートの鎧を着ているとはいえ、魔力を込めた打撃である、エルフの身体能力も考えると鈍器で殴られたのと同じだろう、当たればとても無事に済むとは思えない。
が、それは"当たれば"の話である。
「おっと……、それで終わりか?」
「くっ……!」
黒い騎士は左足を軸に半回転して拳を避けると、その勢いのままフィリーにカウンターで拳を叩き込む。フィリーはそれを間一髪で避けるものの体勢を崩し、受け身を取るとその勢いのまま黒い騎士から離脱する。
決してフィリーが遅いわけではない。だが、体術でも騎士の方が上に見える。
「はっ……くっ……。直線の速さだけではない、と……。あなたは本当に人間ですか?」
「ふっ、ははは。ああ、人間だともさ。さあ、それで終わりかエルフの小娘」
肩で息をするフィリーに対し、余裕を見せる黒い騎士、ヴァルドルフ。俺はフィリーに尋ねる。
「大丈夫か!? なんか考えはあるのか?」
「なくはないです。これで駄目ならどうしようもありませんが……やってみましょう」
そう言うとフィリは指を天に掲げ、叫んだ。
「陽光よ立ち昇れ!! <タイム・ワープ・ミラー!>」
フィリーが指さした先、そこに突如、太陽が現れた。若干モヤがかっているように見えるが、現れた太陽は周囲を昼のように照らす。
俺と同じくそれを見上げていた黒い騎士はこちらに向き直り、剣を下ろして尋ねてくる。
「過去に見えた風景を映す魔法か……。"それ"で僕に勝てるとでも?」
「出来ることはしたいと、そう思ったのです」
「――そうか、期待しよう」
昼の太陽を空に移したのだろう。俺には意図は分からないが、眼前の騎士はそれを看破したようだ。
再度剣を下段に構えこちらを見据える。今度こそ来る。
「フィリー!」
「はい!」
フィリーも拳を構え、真っ直ぐに敵を見据える。
直後、眼前にいた黒の騎士が姿を消す。文字通り、一瞬で消えたのだ。
「そこっ!!!」
次に黒い騎士が現れたのは俺たちの背後であった。先程よりも圧倒的に速い。
瞬足どころではない――フルプレートを着ているにもかかわらず、音よりも速く接近してきた騎士の一撃。
それをフィリーは一切動揺することなく、最小限の動きだけで避けきったのであった。
明確に、フィリーも速くなっていた。フィリーは躱した勢いのまま、反撃に移ろうとする。
「明るければ強くなる、か。単純だなぁ君たちは」
フィリーは自分のことを半分植物だといっていた。そういう意味で、日光があったほうが能力が向上するということだろう。
だが騎士の側にもまだ余裕がある。むしろ、反撃に転じたフィリーの勢いを利用してカウンターを打ち込んでこようとする。
「くっ……!」
フィリーはまともに有効打を与えることが出来ない。黒い騎士の実力は以前底が見えず、圧倒的な実力差を楽しんでいるようにさえ見える。
「さあ、反撃してきてみなよ!」
フィリーが作り出した太陽、というか光源によってフィリーの能力が向上しているが、それでもなおフィリーが押されている。ぎりぎりの所でさばいているが、それでも敵のほうが明らかに速いのである。
「くっ――! <クロノス・シェル!!>」
「無駄!!」
ついにフィリーはその大剣に捉えられる。フィリーは苦し紛れに魔法で防壁を作るが、黒い騎士はそれに構わず剣を叩きつける。そのたった一撃で、パリンというガラスが割れるような音と共に防壁が弾け飛んだ。
ただ剣の軌道はわずかに逸れ、辛うじてフィリーは再度騎士の間合いから離脱する。
「防壁を簡単に破ってくれますね……」
「防壁なんかに頼ってはいけないよ。次は無いと思ったほうがいい」
あえて外してやったのだと言わんばかりの口ぶりであった。
ここまで簡単に破られるとなると、初めにシエルリーゼを守るために作った壁も信用できない。
フィリーとしては引けない理由が増えたことになる。だが騎士の猛攻は止まらない。その後僅か十秒後、再度騎士の剣がフィリーを襲う。
「っ……。<エア・スラッグ!>」
フィリーが呪文を叫ぶと、その効果によるものか、辺りを衝撃波が襲う。黒い騎士は後ろに跳び、俺達と距離を取る。が、それと同時、フィリーが片膝をついた。
「くっ……」
フィリーの脚を見ると血が流れ、地面に血溜まりを作っている。
黒い騎士の剣がフィリーの脚と捉え、かなり深く切り裂いたのである。
脚の血管は動脈のなかでも、かなり太く重要な血管だと習った記憶がある、このまま放置はまずい。
「(だからって俺に何が出来る!?)」
俺の姿は埴輪になってしまっている、自由に身体を動かすことさえできない。
フィリーが動けないことを悟ったのか、漆黒の騎士がこちらに近づいてくる。勝利を確信したのか、それとも興が冷めたのか、先ほどまでと比べ物にならないゆっくりとした足取りで、こちらに向かってくる。
フィリーはそれに対して何も出来ずに、ただ黒い騎士へと視線を向け続ける。
「……。終わりかい?」
「……、くっ」
脚を斬られたフィリーは動くことが出来ない。最初のように、一歩、また一歩とゆっくりと黒い騎士は歩を進めてくる。
「(どうする、何が出来る……!)」
俺はフィリーと契約した。俺にも魔法が使えないのだろうかと、自分の中に意識を向ける。
「……ん?」
その時、頭の中に浮かんだのは一つの魔法陣だった。
円の中に無数の幾何学模様が浮かぶ。恐らく一つ一つの模様には意味があるのだろうが、その意味は俺にはわからない。
俺はその魔法陣に深く意識を向ける。そうすると"何か"が出来るような感覚があった。
何が出来るかがわからない、だがその感覚に俺は従い、手を伸ばした。
「っっ!!? ――ぁああああ!!!!!!」
その瞬間、自らの中で何かが膨れ上がった。
自らの中から何かが噴出する、それは俺の殻を突き破るかのように湧き上がる。だが、幸いというべきか、そのエネルギーには逃げ場があった。つまり、俺の眼と口の穴である。
そこから漏れ出したエネルギーは一筋――と言うにはあまりにも太い赤い光となり、真っ直ぐに黒騎士を襲い、直撃した。
「――」
だが騎士はそれを剣で切り裂いた。光線は消え、辺りには再び静寂が戻ってくる。ただ、黒い騎士は歩を止めていた。
「やはり"それ"が君の"運命"だったか」
「……」
黒騎士は直立のままそういう。特に何かダメージを負わせた様子はない。ただその口調には先程までの不自然な明るさはもうなかった。フィリーは無言で騎士を睨み続けている。
俺はと言うと、今起きたことが理解できずにいた。
いや、端的にいうと『穴という穴からビームが出た』という言葉に尽きるのだが、何故そんなものが出てきたのかが全く分からない。
「……むっ」
こちらへ視線を向けていた黒い騎士が後ろに跳ぶ。直後、騎士がいた場所の地面が割れた。
「あは、惜しかったですねぇ」
その声が聞こえたのは樹の上。その声には聞き覚えがあった。フィリーと契約する直前、族長の横にいた女性である。その声の主は、フィリーと騎士の間に降り立つと、黒い騎士の方を真っ直ぐに見据える。
「さあ、今度はワタシの番です。精々楽しませてくださいな」




