三
目の前に闇が覆われていた。
何も見えない代わりに、ザザッっといった雑音が耳に響く。
無意識に耳を澄ませる。何が起きてるのか、状況を知るためだ。
「──せ」
声が聞こえた。
だが、何を言っているのかは分からない。
──何?
声が出せなかった。
口は動くのに、声が出ない。何も言えないなら聞くしかない。仕方なく、耳を澄ませた。
「──こ…せ」
相変わらず何を言っているのか分からない。だけど収穫はあった。
1人じゃない。声が複数聞こえる。しかも、ミンナ同じ言葉を話してる。
もう一度耳を澄ました。
「「殺せ!! 殺せ!!」」
──聞いてはいけない。
そう、思った時には遅かった。
カノルはとっさに目をつむり、耳を手で覆った。
「カノルー!
カノル起きてー!!」
呼ばれて目を開くと、とんがった耳に整った綺麗な顔が目の前に広がる。雲一つない青空のような瞳と目があった。カノルは虚ろな目で辺りを見渡す。背中には少し硬い布団と白いシーツがあり、首を横に傾けると色素の薄いピンク色の髪がカーテンのように辺りを遮っていた。目線を足の方へと向けると、足がほぼ見えないほどの巨大な胸がそこにある。
意識が戻りつつある頭を働かし、今の自分のいる状況を再確認する。
自分のベッドの上でリアが四つん這いになって覆いかぶさってる事に気付いたカノルは、眠そうな顔から直ぐに不機嫌な表情へと変わり、目の前にある顔を押しのけた。
「リア、邪魔」
「ちょっ…!!
もー! 鼻が潰れちゃうじゃん!!」
「そりゃ、潰れる程ある無駄に高い鼻が悪い」
「理不尽!!」
涙目になりながらもカノルに抗議するが、その抗議すら耳を塞ぎリアを無視した。しかし鼻を抑えているリアは、未だにカノルの上に跨り続けている。
「カノル うなされてたけど何の夢見てたの?」
「……あー…」
「凄い汗だよ…?」
カノルの頬を伝う汗を拭う。心配そうに見つめるリアから目線を外し、部屋に置いてある花瓶を見る。
時間が止まったようなゆったりとした沈黙が続いた。
「もしかして、昔の夢?」
「……」
外された目線が再び合う。
リアは「やっぱり」と小さく呟くと、前に屈んでカノルの頭を撫でる。一瞬鋭い目でリアを見つめるも、瞳を閉じて何も言わずに撫で続けられる。
外では勇者が街に訪れたことの感謝祭が行われていた。
勇者に選ばれた日にギルドに勇者の写真が張り出されるが、容姿以外の勇者に関する情報は公開されない。その所為か、ありもしない噂をされ。勝手な理想像を押し付けられることもあった。
カノルが勇者になるよりも昔の話。それまでのカノルは普通に親元ですくすくと育った経験がない。とある事件の所為で、齢5歳という若さで生まれ育った村からも追放された。しかし、勇者になってからは全ての環境がガラリと変わった。その環境の変化からか、時々カノルは過去の夢にうなされる事がある。
「(私がついてないと……)」
元気づけるようにカノルのおデコにキスを落とした。「チュッ…」とリップ音が部屋を響かせた。ピーコックアイの瞳が大きく揺れる。
「大丈夫。
カノルはカノルなんだから
それに白を持つっていうのは、誇っていいことなんだよ」
幼いころよりカノルが多くの好奇の目に晒されるのは、全て白持ちが原因だった。
“白”というのは神々の象徴。
魔の者に対抗できる白を人間が持って生まれるのはとても珍しい。中でもカノルの銀色の髪は、白を必ず持つと云われているエルフの中でも、かなり珍しいのだ。
加えて神にしか宿らないとされる、希少価値の高いピーコックアイだ。特別視されるのはそれだけでも十分すぎるものだった。
「この一本一本宝石のような髪も透き通るような白い肌も神秘的な瞳も、ぜーんぶ好き!
あ、もちろん性格もね!」
「……オレは人間に見えない自分の容姿が嫌いだ」
寂しそうにつぶやくと、リアは吸い込まれるようにカノルに顔を近づけていく。鼻と鼻とがぶつかりそうな距離で互いを見つめ合う。青色の瞳孔が光を取り込もうと大きく開いた。
「あの〜……」
恐る恐るといった感じの声が耳に入ってきた。ぶつかりそうな顔が離れ、そちらに目をやる。やれやれと眉を下げてるガナーの姿と、ギルドの紋章と同じ大きな薔薇の刺繍がされた身なりの綺麗な男が顔を真っ赤にしながら立っていた。
「カノル、客だ」
────……
簡単に身支度を整えると男と対面する。
カノルが椅子に座ると、リアは男の前とカノルの前に紅茶を置いた。
「あれ? ニックは?」
「彼奴は今、つかい中だ」
「なるほどね〜、通りで静かな訳だわ!」
ベッドの上に座るガナーに紅茶を渡し、自分の分を持ってガナーの隣に座る。
「お待たせして申し訳ない
ギルドの方が一体何の用ですか?」
にこやかに微笑みながら出された紅茶を口に含む。先ほどまでの言葉遣い、目つき、ありとあらゆるものが、ガラリと変わっていた。
男は戸惑いながらも咳払いをして、話を切り出す。
「勇者様、お初にお目にかかります
私はこの街 エクレードにあるギルドの使者でございます
早速ですが、此度ギルドより依頼があって参りました」
「ギルド直々の依頼ですか…?」
「はい。エクレードの北側にある森ですが…ここ数年前から魔族が住み着いてしまっています…。その瘴気の影響で年々魔物も多くなってしまい……今は誰も近寄りません
あの森はもはや“死の森”と化してしまいました。
加えて北側の森を抜けた先には隣街があり、商人たちは森を迂回して向かわなければなりません、費用も日数も通常の倍はかかってしまいます」
「そりゃ不便だな…」
ズズズと音を立てて紅茶をすすり、ガナーは男の言葉に同情する。
「はい…
この依頼はもう誰も引き受けて下さらず、我々はもう打つ手がありません…」
「……オレの知ったことじゃないがな」
「? ──今何かおっしゃいましたか?」
「いえ、何も?
そうですね……」
つい漏れ出た言葉を隠すように、にこやかに微笑んだ後、カノルは考え込むように指を顎にあてる。男は息を飲んでカノルの返答を待った。
「良いでしょう」
「本当ですか!?」
「えぇ、勇者は他の為にありますから」
「やはり見た目通りのお優しい勇者様だ!」
男はパァっと効果音が鳴りそうな勢いで笑顔になり、カノルの手を包み込むように握った。その姿にリアとガナーはお互い顔を合わせて首を傾げる。
「しかしですが、これはあくまでギルドとしての依頼を引き受ける。という事を忘れずに」
「承知しております!
報酬やランクアップ数値を用意しておきます!」
「……では、私は早速出発の準備を行います
あ、先にギルド証をお渡ししておきますね
後でギルド依頼状を受け取りに向かいますので」
カノルは男にギルドの会員証プレートを渡した。
男は二枚重ねのプレートをずらす。隙間から光の粒子が集まっていき、その粒子はホログラムとなってカノルの顔を象っていく。カノルの顔と情報を確認すると男は頷いた。
その後、リアとガナー、ニックの分の会員証プレートを受け取ると、男は一礼して部屋を出ていった。
「紅茶片付けてくるね」
綺麗に飲み終わった紅茶をトレイに置いて、パタパタと部屋から出て行く。
「ニックを呼びに行くか?」
「──あぁ、ついでにギルドから依頼状と情報をもらって来い」
再び男と話していた時の面影がなくなる。にこやかな表情から一転、鋭い目つきでガナーを見る。ガナーは頭を掻きながらため息を吐いた。
「ったく、相変わらず変化が激しいなぁ…
ま! 俺的には今のお前の方が、しっくりくるがな」
わしゃわしゃとカノルの頭を撫でる。舌打ちをし、苛立ちながらその手を払いのけた。ぐしゃぐしゃになった髪の隙間から殺意を込めた目でガナーを見つめる。
「おー、おっかないな」
ガナーはガハハと豪快に笑いながら部屋を後にする。すれ違いに紅茶を片付けに行ったリアが戻ってきた。
「あれ? 髪ぐしゃぐしゃじゃない?」
「知るか」
「って! またそんなに掻いて!!」
カノルの手は真っ赤になるほど掻きむしられていた。驚きつつもリアは手に持っていたおしぼりでカノルの手を拭く。
そのまま受け取ると、先程ギルドの使者の男に握られた手を念入りに拭いた。
「相変わらず、“人間嫌い”だよねー」
「仕方ないだろ
人間に触られると気持ちが悪くなるんだ
しかも、ああいう悲劇を押し売りしてくるヤツは特にキライだ。“こんなに困ってんだから助けろ”オレにはそう聞こえたな」
おしぼりを机の上に放り投げる。
「もう! 性格ひん曲がりすぎ!」
「この性格が好きなんだろ」
「うっ…!」
自分の言った言葉をもう一度考え直すリアをよそに、カノルはローブを羽織って出かける準備をする。
「あの男のことだが、オレの言ったことはあながち間違っていないと思うぞ
人間は欲深く、情に弱くて、愚かだ」
「……それってカノルにも言えることなの?」
「当然。オレも人間だからな」
ローブに付いてるフードを深々と被って顔を隠す。リアからはカノルの表情が読み取れなかった。
「さぁ、オレらも出かけるぞ
食料とか薬草とか、今ある分じゃ足りないだろ」
速足でカノルは部屋を出て行く。その後ろ姿を追いかけるように、リアも慌てて部屋を飛び出した。
──END──