過去:定期テストとの腐れ縁
「この戦争が終わったらオレ、結婚するんだ」
机に突っ伏したまま、高橋一生は言う。
「この試験が終わったら総体に向けた特別メニューが始まるよ」
君花は、今日の分と明日の分の教科書とノートを詰めた学校指定のバッグを一生の頭の上に乗せる。
途端「重い!」と声を上げ、一生が机から甦る。
高校に入って初めての中間テスト。それも明日が最終日。
試験期間中は、部活動は禁止となり、試験が終わると、いよいよ高校総体に向けた本格的な練習が始まる。
三年生にとっては最後の大会となる。
進学校の場合、二年が本番という場合も少なくないらしいが、この学校は、進学も部活動も、ほどほどな高校なのだ。
「試験終わったその日から練習あるのかなー」
机の上の筆記用具を片付けながら一生は言う。
「あるんじゃない? 総体もあるし」
「でも水泳部は七月じゃん」
そう、水泳部はこれまで野外プールでの開催が多かったからかどうか知らないが、他の運動部は六月中にインターハイへの出場権を手にするのだが、水泳部は七月第一週に開催されるので練習期間はその分長い。だが、インターハイは他の部と同じ期間に行われるので、逆にインターハイまでの準備期間が少ないことになる。
甲子園も予選は七月だったりするが、女子高には無縁の話だ。
これは余談だが、女子高生は甲子園の全校応援に強いあこがれを持っているそうだ。
少子化で統合されて共学校になる高校が増える中、統合する相手の硬式野球部の甲子園出場が決まるやいなや、統合前にも関わらず全校応援に行く女子高もあるらしい。
各都道府県の代表なのだから、他校が応援してもいいと思う。それにしても熱の入れようが尋常ではない。
「山本先輩に聞いてみようか、練習あるかどうか」
「部長のメアド知ってるの?」
「ううん、先輩、試験中は基本的に図書室にいるって言ってたから」
水泳部員、全十七人の連絡先の管理をしているのは監督で、そこから山本蕾部長が各学年代表に連絡、代表は他の生徒に口頭で伝えたり、メールで伝えたりで、部員全員の連絡先を誰でも知っているというわけではない。
「じゃあ、あとで部活あるか教えてよ」
一生は机の上のものを通学用バッグに詰め込み、肩に背負う。
「行かないの?」
「家でベッドがあたしを待っているんだ」
そういえば、朝に会って早々、「結局徹夜したけど頭に入ってる気がしない」と言っていたのを思い出した。
「普段からちゃんと授業聞いてないから。自業自得」
「ちゃんと聞いてます。ノートもとってます。理解できないだけです」
「一番だめじゃん」
教室を出たところで互いに手を振って別れる。
「帰りに事故るなよ」
「はーい」
後ろ姿、足取りはしっかりしているので家までは無事に帰れるだろう。
図書室は二階の西側、約二教室分の広さで、一般的な図書館とは違い、勉強用のスペースが多く設けられている。
一年の教室は四階、三階は二年生の教室があり、一階が三年生の教室。
二階には図書室の他に、職員室などがある。
中央階段を下りて左に曲がると、図書室の入り口が見える。
その途中に、保健室と司書室がある。
各部活はないし、試験期間中は職員室に入っていけないということもあって、校内は静かだ。
図書室に入ると、左手に貸出返却カウンターがある。
休み時間といえば、山本先輩はいつもこのカウンターの席について読書している。
図書室の本の時もあれば自分で買った本、町の図書館のバーコードがついた本の時もある。本の虫と呼ぶにふさわしい。
だけど、百七十センチの長身に、ボーイッシュショート。肌も最近暑くなってきた日差しで焼けて小麦色に近い。
一見、スポーツに打ち込む女子高生だし、事実そうなのだが、本を読む姿から運動部だとは思えない。
「山本先輩、」
声をかけると、珍しく本から顔を上げてこちらに視線を寄越してくれた。
「どうした? 過去問題なら持ってないぞ」
「そんなんじゃないですよ」
一生は思いっきり「部活っていったらとりあえず先輩から過去問題聞くことですよね!」と言っていたが。
最近はテスト問題を毎年使いまわすこと自体稀というか、禁止している高校が多いらしい。
図書室は三、四人いる程度で空いていた。
「案外、図書室って空いてるものなんですね」
「昼休憩で席を外している人もいるよ」
公立高校の定期テストは多くて一日三教科、午前で終わる。
なので、一生のように一夜漬けのような無茶に走る生徒も少なくはないようだ。
「それで?」
ハードカバーの本に、あらかじめつけられている紐の栞を挟みながら聞いてくる。
「勉強を教えてもらいたいとか?」
「いいえ、明日で試験終わりですけど、その後で練習あるのかな? って」
「ああ、一年生は今回が初めての試験だったか。もちろん、大会前だからあるよ。試験後は部活解禁。だからくれぐれも徹夜なんて焼け石に水はしないように」
「焼け石に水ですか?」
「スポーツと一緒だよ。頭がベストコンディションじゃない、それどころかバッドコンディションで良い成績がだせるわけない。一夜漬けなんて体壊すだけだよ。定期試験は日々の勉強の成果を試すもので、一晩の暗記力を試すものではないから」
その言葉、そのまま一生に伝えさせてもらいます。
「一年代表にはこっちから連絡を回しておくよ。飯塚が確認しに来てくれて助かった」
山本先輩はポケットからスマホを取り出してその場でメールを打ちはじめる。
透明なカバーにモニタ保護フィルムだけ貼られた端末は先輩らしい。だが――
「先輩が文明の利器を使ってるの、新鮮です」
「親から渡されたんだよ。周りの人が持ってて当たり前のものを持ってなくていじめられるんじゃないかって」
中学の時は、そもそも学校への持ち込みが禁止されてたけど、確かに、今では誰もが持ってる携帯端末だ。
「心配性なんですね」
「母親のほうがね。父親のほうは我関せず。固定電話しか使えない上に、電話をかけるのも億劫な人なんだ」
まさに「ザ・先輩の父」ではないだろうか。
メールを打ち終ったのだろう。先輩の右ポケットに白い鉄の板が消える。
ふと、窓の外を見る。
斜め上に見えるのは、第一音楽室の窓。
といっても、音楽室を入って右手の壁は高く、その分、窓の位置は高くて小さい。
図書館からでは音楽室の中を見ることはできない。
「探し人かな?」
「え?」
山本先輩のその言葉に、少し大きな声が漏れてしまった。
いっぽう、彼女は再び本を開き、目は正確に並んだ文字を追っている。
「一生がなんか言ってました?」
「言ってたというか、この学校で一番ピアノがうまいのは誰かって聞かれてね。音楽には疎いからわからない、なぜそんなことを聞くのかと聞いたら、」
鳶色の瞳が向けられる。
「君が、入学してからずっと探していると」
一生に対する怒りよりも恥ずかしさがこみあげてきた。
一生だって、悪乗りとか、遊び半分で先輩に聞いたんじゃないと思う。
たぶん、私を思ってのことだ。
最近、ピアノの音を聞かないから。
校舎から離れたプールで、ザブザブと飛沫を上げて泳いでいるのだ。吹奏楽の音でさえ遠い。
「べ、別に本気で探してるわけじゃないですからね!」
「そうなのか?」
山本先輩は一本指を立てて、自分の唇を軽く叩く。
少し声が大きかったらしい。
「君が探している人物、もしわかるとしたら文化祭の時じゃないかな?」
「なんでですか?」
文化祭は二学期、我が校は十月第二週の開催だったはず。
「合唱コンクールの伴奏を聞けば、わかるんじゃないかと思って。三年の場合はアカペラ曲を選ぶ組が多いけどね」
そうか、そういえばそんなイベントがあったな、と思い出した。
この高校では文化祭の合唱コンクールに力を入れているらしい。
全国規模の合唱コンクールに出るような、そんなレベルまではいかない。だが、学校の体育館ではなく、近くの文化会館を借りて行うというのだから、伝統のある出し物なのだろう。
「あくまでも、伴奏者として演奏してくれたらの場合だけどね」
「いえ、ありがとうございます」
山本先輩は、なんのことはないというように、軽い頷きを返すだけだ。
そのまま、図書館を後にする。
――と、そんな私を彼女は後ろから呼び止めた。