現代:あの時が聞こえる
UMAのチケットは、応募が殺到したために結局抽選に切り替わり、それでもなんとかチケットを入手することができた。
昨今問題視されているチケットの転売もあったが、その席の当選者には全額返金で、二次抽選が行われた。その二次抽選チケットを転売する人がいたり。なにかいい対策はないのかと、職場で照山さんと話したりした。
季節は十二月。
先週、日学ピアノコンクールの全国大会が横浜で行われた。
結局、中西先生の生徒二人は本選止まり。全国大会に進むためには、練習量というよりも、なにか新しい出会いが必要な気がする。本選終了後、再び先生の家にお邪魔した時、先生にそう伝えた。
出会いは向こうから来ることもあるけれど、自分から向かっていくことのほうが大事だとも。
会場最寄駅の改札を抜けると、そこにはいまだにチケットを求める人たちが数名見受けられた。
会場へ向かいながら、理世さんと会ったあの後、近くの喫茶店で話したことを思い出す。
*
「歌声、地声とかなり違うって言われることが多かったから、気づく人はいないと思ってたんだけどなあ」
砂糖を落とした紅茶をスプーンでかき混ぜながら彼女は言う。
「確かにだいぶ違いますね。でも、理世さんのピアノを聞いたことのある人は気づくと思いますよ」
「そっか」
理世さんは苦笑いを浮かべてティーカップを口元に運ぶ。
彼女は高校を卒業後、専門学校に進学し、歌手活動を始めるまで保育士として働いていたらしい。
本当は介護福祉士になりたかったそうだが、左腕が完治したとはいえ、力仕事がメインとなると難しいということで断念したらしい。
保育士というのは、ピアノが弾けないといけないらしい。
保育園や保育士不足が耳に入ってくるが、そこに「ピアノが弾けなければならない」というハードルがあったとは知らなかった。
第一、自分が通っていた保育園は、CDに会わせて歌ったり、踊ったりで、電子オルガンはあったものの、誰かの伴奏で唄った記憶がまったくない。
合唱コンクールと一緒だなと思った。伴奏の出来る生徒を各クラスに数名置く。
「なんで、保育士から歌手になろうと思ったんですか? 教育番組出身の歌手なら知ってますけど」
「アラサーって言うの? 三十手前で、高校の同期とか幼馴染の転職が増えて、結婚する人もいたけど、私はずっと子供たちに囲まれておばあちゃんになるのかなって。それはすごく幸せだなって思ったんだけどね、やっぱり自分の実力を試したいって思ったのが一番かな」
「実力なら十分」
「ううん」
彼女は素直に首を振る。
「私は一度もピアノでコンクールに出たことはなかったから、上手いのかどうかもわからなかった。だけど、保育園の子たちにね、『先生もっと唄って』って言われるたびに、やっぱり音楽が好きなんだなって。それからは友達に頼んでいろいろ探してもらったんだ。オーディションとかね。私、機械音痴が酷くて。でもね、どこも二十五歳まで。年齢制限で受けられるオーディションがほとんどなかった。中学生とか平気で踊って唄ってる時代だから当たり前だなあって。動画投稿サイトとかにアップしてみたらっても言われたけど、なんかああいうところって怖くてさ」
「そうですね」
動画で人気の歌い手を集めてユニットを組んで歌わせてみたら、実はみんな声を加工して良く聞こえるようにしていただけで、実際に歌わせたら酷かったというのを職場の誰かが言っていたような。
「子供たちに唄ってってせがまれるだけで嬉しかった。でもね、私の他にも二十五歳って年齢制限で実力はあってもはじかれてる人がいるとしたら、それは残念なことだと思って、せめて聞いてから歳がどうこう言ってくださいって、ほぼヤケクソで企業オーディションじゃなくて、作曲者のボーカル募集に録音データ送りつけたんだ。録音も送り付けるのも人任せで、自分一人じゃなにもできないんだなって、少しむなしくなったけどね」
「それが、デビューのきっかけだったんですか?」
UMAがどういった経緯でデビューに至ったのか。性別は歌声でわかるとして、出身地はもちろんだが、年齢も何もかも明かされてはいない。
だから電子音ボーカルで、実在しないんじゃないかと言う人も多い。
もし、電子の歌姫だったとしたら、逆にボーカル調整、一般的に「調教」と言われるそうだが、その人がとんでもない天才ということになる。
才能を持ったたくさんのアマチュアがいる世の中だ。そういう技術を持った人が出てくるのも遠い話ではないと思う。
「じゃあ、……人前に出なかったのは、中学の」
彼女の心にとんでもない傷を残した人物。
優穂さんはその場の流れで言ってしまったという感じで、本来であれば、私なんかが知ってちゃいけない話だと思い、途中で言葉を区切る。
だが、理世さんは特に気にするふうでもなく、ティーカップの持ち手をいじりながら呟いた。
「あの人はもういないから」
「いない?」
「私が仙台の専門学校に通ってた時、胃ガンで死んだって。成人式で帰省した時に聞いたの」
呆気ない、としか言いようがない。
それは理世さんも一緒だった。
「中学生の頃、もう自分は家から一生出られずに終わるんだって思ってた。本気で死んでほしいって思った唯一の人だと思う。遺族には悪いと思ってるけど、それくらい傷ついたの」
「その、遺族の方は……その先生がやってたことを知っているんですか?」
「知らないんじゃないかな? 教えたところで何かが変わるわけじゃない。それこそ遺族の心労を増やすだけだから。実のところ、今だってカウンセリングに通ってる。いつまた中学の時みたいに外に出られなくなるかわからない。ボーカルを頼みたいって言われた時、はっきり言ったの。いつ消えるかわかりませんよって。なんの経験も、受賞歴もない、そろそろおばさんって呼ばれそうな歳の人がデビューなんて、公表できないじゃん。でも一曲だけでもいいって。そう言ってもらえて、やっと、心の底から唄うことができたの」
まるで幻。
海の怪物のセイレーンみたいだ。
実際に、目の前のこの人は怪物なのかもしれない。
「あの人は、私に傷だけ残して勝手に死んでいった。何も知らない周りの人からは『いい人だったのに』って惜しまれながら逝ってしまった。そのことが、悔しくて仕方がない。今では謝ってほしいのかどうかもわからない。でも、私がいつでも逃げれる状態で唄ってるのって、私があの人にされたことそのまんまで、たまに自己嫌悪に陥ることもあるんだけどね」
そう言って、彼女は苦笑いを浮かべた。
――全然違いますよ。
会場に着き、自分の座席につきながら、あの時思ったことを思い出す。
――人によってとらえ方はそれぞれだから、やっぱりUMAという存在を良く思わない人もいるかもしれない。いつでも逃げられる状態で唄ってきたって。
開演を知らせる放送が館内に流れる。
観客側の緊張が一気に高まる。
初めて人前に姿を現す。
それはUMAが存在するという絶対的な証明。
――六年間唄ってきたじゃないですか。中学を二回卒業できる長さですよ。
照明がゆっくりと落ち、ステージにうっすらと青いライトが灯る。
ヴァイオリンが調律を始める。
ストリングスが使われるのは、デビュー初期の楽曲。
ピアノの旋律が始まる。
徐々に光度が上がるステージのバックライト。
サビのワンフレーズ。
ビブラートなしのロングトーン。
刹那、すべての音が消え、ライトアップと共にバスドラムが全身を揺らす、メインギターが唸りを上げる。
デビュー曲「私のために」
会場が声援で埋め尽くされる。
もう、逃げたっていいんですよ。雪におおわれた北国の実家から飛び出して、ここまでたどり着けたんですよ。
大丈夫、このままきっと――




