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あの時が聞こえる  作者: end&
本編
4/42

過去:喜怒哀楽の探し人

「おまたせー」


 結局、更衣室を出るのは自分たちが最後だ。


 入口に設置された、物置兼監視部屋で本を読む山本部長に声をかける。


「山本先輩、自分たちで最後です」


 そこで、ようやく本から顔を上げる。


 他の三年の先輩たちは塾や予備校に向かう中、我らが水泳部部長はマイペースだ。


「お疲れ様。テストも近いからあまり寄り道しないで帰ったほうがいい」


 感情の起伏の乏しい声。

 機嫌が悪いわけではない。これがこの人の素なのだ。いつも眠そうな表情をしていて、低血圧の見本みたいな人だけど、ちゃんと笑う時は笑っている。みんなとは少し、笑う点はずれてるけど。


 山本先輩に釘を刺され、「聞こえてました?」と、一生は苦笑いを浮かべる。


 この建物ははっきり言ってボロいが、声が聞こえたのは、天井まで壁が届いていないから、更衣室は敷居があるだけで、その気になれば覗き見できる、漫画で描かれるような、「壁を登れば女の裸が見れる」そんな作りになっている。


 なので、みんな全裸にはならない。同性でも少々の恥じらいはある。会話もすべて丸聞こえだと前から言っていたのに。


「連休気分の抜けない各校の生徒が妙なことしてないかって、他の高校の先生とか、見回ってるらしいから」


 本に視線を戻しながら先輩は言う。


「げー、非行少年かっこ悪い。工業高校の生徒だけ見張ってればいいじゃないですかー」


 うちの高校から徒歩で十五分くらいだろうか、工業高校がある。


 一応共学校だが、男子九十パーセントのほぼ男子校だ。


 噂によると、校内の治安はよろしくないとか。高校の近くにあった駄菓子屋が工業生の万引きで店を畳むことになったとか。

 我が校の教師もあまり関わるなと言うが、そういうことは果たしてハッキリ言っていいことなのだろうか?


「君たちは変なことしないかもしれないけど、巻き込まれる可能性があるかもしれない。だから、大人しく帰りなさい」

「先輩もこのまま鍵をかけて帰るんですか?」

「この本、あともう少しで読み終わるから。読み終わってから帰る」


 話している間、先輩は一度も顔を上げなかった。

 これは、読書の邪魔をして悪かったなと思ってしまう。


「じゃあ、お先に、お疲れ様でした」

「お疲れ様でしたー」

「うん、お疲れ」


 顔は上げず、手を振って返す。


 空はまだ明るい。他の体育部や吹奏楽部の練習する音や声が聞こえてくる。


 その中に、ある音を探すが今日も今日とて見つからない。


「今日も聞こえないねー」


 隣で一生がわざとらしく呟く。


「君のまだ見ぬお姫様はどんな人なんだろうね?」

「お姫様なんかじゃない」

「じゃあなに?」

「……わからない」

「はぁ、君は初心(うぶ)だなあ」


 そう言って、一生は首を振る。


「まず頑張りが足りないよ」

「頑張りって、何をしろと?」

「張り込みするとかさ、なんかあるでしょうよ」

「できるわけない」

「なんで?」

「部活がある」


 その言葉に、一生はしれっと視線をそらす。


「……お前、部活のこと頭になかったな」

「てへぺろ」

「どこの言葉だよ」

「でもさー、そんなに見つけたかったらさ、それくらいしてもいいんじゃない?」

「それはそうだけどさ」


 正直そこまでしたくはない。


 まだ高校に入学したてで、どの部活に入ろうかと、放課後の校内をさまよっている時だった。

 うちの高校は、必ずなにかしらの部活動をしなければならないという決まりはない。

 もちろんのこと、帰宅部という選択肢もあった。


 だけど、何かやりたいからこそ、放課後残って様々な部活を見て回った。


 高橋一生とは部活に入ってからの付き合いだ。

 先に話しかけて来たのは一生のほう。


 自分は頭の中で、クラスの座席表に書かれた名前を見て「変わった名前だな」と思う程度だったが、それを言ったら「君も面白い名前だね、飯塚君」と言われた。


 そんな風に言われるのは慣れっこだった。


 話は水泳部に入る前に戻る。


 新しくできた友達と一緒に二人、ないしは三人で部活見学に教室を出ていくみんなとは別に、誘いも断って一人で部活を見て回った。

 そのほうが誰かに引きずられ、その場のノリで部活に入ってしまう可能性がないから。


 柔道部と剣道部の練習場である武道館に行くために外を歩いていた。


 空からピアノの音がこぼれてきた。


 正確には、音楽室から。


 この学校には、音楽室が二つ存在した。


 一つは、三階の第一音楽室。普段授業で使われる部屋だ。

 そしてもう一つが、吹奏楽部の使う第二音楽室。


 一日目の校内案内の時に説明されていた。


 加えて、校内にピアノは三台ある。


 各音楽室に一台ずつ。そして、体育館にもう一台。


 バレー部の掛け声が聞こえる。

 だから、体育館のピアノは準備室に仕舞われたままのはず。


 ピアノの音色に重なって、金管や木管楽器の途切れ途切れの短い音が聞こえる。たぶん、入部希望者にいろんな楽器を試させているんだと思う。


 たまに歪みのないロングトーンが聞こえる。きっと、中学でも吹奏楽をやっていた誰かだろう。

 入部希望者に対して様々な楽器を試させていて、手の空いている吹奏楽部員なんていないはず。


 聞こえる曲はドヴォルザークのユモレスクで一番有名な第七番。


 ヴァイオリン曲に編集されたりしているけれど、三分程度の曲は吹奏楽には不向きなはず。


 だから、個人的に誰かが第一音楽室で弾いているはず。


 ユモレスクは喜怒哀楽を表現した曲。

 個人的には気障(きざ)な曲だと思っている。


 新しい教科書の詰まった、高校指定の新しい濃紺の肩がけバッグを背負い直し、気を改めて歩き出そうとした時、「楽」が転調する。


 ほかの音が消える。


 怒りとも、哀しみとも取れる旋律が校内を支配する。


 この心をつかんだ。

 同調した。


 初めて聞く知らない誰かの演奏なのにすごく懐かしい。

 懐かしいのは、自分の思い出にその音色が重なっているから。


 校舎とは逆方向に向かっていた足がUターンする。


 急いで玄関に駆け込み、上履きに履き替える。


 曲は「楽」に戻って終わりに向かう。


 「廊下を走らない」という陽に焼けたポスターの文字が目に入る。

 構うものか。


 玄関を入ってすぐの東階段を二段飛ばしで駆けあがる。

 新しい制服で走るのは新鮮だった。


 なぜこんなにも必死なんだろう?

 第一音楽室のある三階にたどり着いて思う。


 曲はすでに終わっている。

 次の曲は聞こえてこない。

 空き教室で吹奏楽部員が談笑している。


 そのうちの誰か、他人と目が合って、恥ずかしくなって少し速度を落とす。


 中央階段の壁が見える。


 T字型に作られた校舎。

 鳥に見立てれば、左右に広げた翼が各クラスの教室。尾翼部分に美術室や科学室といった特別教室が配置されている。


 三階の尾翼は第一音楽室。


 左に曲がれば右手にトイレ、正面には音楽室の扉がある。


 誰が弾いたの?

 誰がこの心に触れたの?

 誰が走らせているの?


 扉の三メートルほど手前で足を止め、ゆっくりと引き戸に近づく。


 戸にはガラスが取り付けられていて、中の様子を見ることができる。

 呼吸を整えながら、そっとガラス越しに音楽室の中を見る。


 誰もいなかった――。


 自分は、ユモレスクを弾いていた誰かを探している。


 いや、探偵や警察みたいに靴の底をすり減らして探し回ったり、聞き込みをしているわけではないので、またピアノを弾いてくれるのを「待っている」のが正しい。


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