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あの時が聞こえる  作者: end&
プロローグ
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プロローグ

 雪の降る北国の卒業式。


 式は終わって、校内に残っている人は少ない。

 豪華に飾られた体育館の片づけは、明日、後輩たちの手で行われる。伝統というサイクル。


 三月だというのに、吹く風は冬そのもので、渡り廊下を駆け抜ける時、その風の強さに一瞬足が止まる。


「早く」


 急かされて彼女の後ろに続いて廊下を走る。


 先を走る彼女の制服も上履きも、三年間頑張ったと言わんばかりに、上着の背とスカートの後ろ部分は、摩耗したのか、椅子のニスだろうか、テカテカと光っている。


 それに比べて、真新しい状態に近い私の制服。


 ほとんど着られないで、今日が終われば、私が家に帰って脱いでしまえば後はクローゼットの奥に仕舞われるだけの制服。


 自分のせいなのに「可哀想だね」って心の中で呟く。


 やっとたどりついた一階の音楽室。


 学校案内を含め、数回しか入ったことがない。

 彼女は慣れた手つきで、一曲分だけと言って借りてきた鍵で扉を開ける。


 音楽室内は独特な匂いがした。


 科学室や家庭科室、美術室、技術室、たくさんある特別教室にはそれぞれの匂いがあるんだろう。


 私はそのほとんどをもう覚えていないけれど。


 彼女は、窓辺に置かれたグランドピアノに駆け寄る。

 チョークの粉で汚れたカバーを外して、大屋根を開けようとする彼女を咄嗟(とっさ)に止める。


「待って、音が大きすぎたら誰かが来るかも」

「どっちにしたって音は漏れるよ。それに、校内に残ってるのは先生たちくらいだよ」

「でも」

「恥ずかしい?」


 彼女の言葉に、頷いて応える。

 彼女は、大屋根を開けるのを諦めて、ピアノの椅子に腰かけて、鍵盤の蓋を開ける。


「手、冷たくない?」

「家でも暖房なしで練習したりしてたから、大丈夫」


 そう言って、彼女は鍵盤に手を置く。


 今日は私たちの卒業式。


 だけど、私はみんなの中に座っているのが辛くて、吹奏楽部の後ろ、保健室の先生と一緒に式に参加した。


 みんなを見守る位置で、自分の卒業式だなんて実感が湧かなかった。


 卒業式の歌も、好きな曲だったけれど、周りにいる先生たちに気後れして、うまく歌えなかった。


 私の前にいる吹奏楽部は三年生を抜いた一、二年生で構成されてるのに、どこでそんな情報を仕入れてくるんだろう?

 私の顔を見て、こそこそと何か話していた。


 せっかく用意してもらった席だったけど、途端に帰りたくなった。


 でも、今日くらいは頑張ろうって。


 いじめがあったわけじゃない。

 だけど、私は学校に行けなかった。

 小学校までは普通に通えていたのに、一年の文化祭後から、だんだんと学校へ通う足は重くなった。


 勉強についていけないとか、そんなこともなかった。


 定期テストは保健室で受けた。


 授業を聞かず、テキストを読んで、家で自主勉強しただけで、到底良い点数はとれないと思っていたけど、一年の時のクラスメイトがわからないところを丁寧に教えてくれたから、そこそこの点数はとれた。


 出席日数は学校からの課題をこなすことで加味された。


 内申書は酷いはず。というか、ほとんど接点のない三年の担任は、何を書くべきかすごく悩んだはずだ。


 彼女の手からツェルニーの練習曲が零れ落ちる。


 部活に集中したいと言って、先にピアノ教室を辞めたのに、鮮度の高い音が教室にあふれる。


「はい、今度は君の番」

「え」

「弾きたいって言ったのはそっちだよ」


 ツェルニーを引き終わって、彼女はピアノの席を私に譲る。


「弾いて、私は君の伴奏がいい」


 ニュースで見るような、暴力とか、お金をとられるとか、酷いいじめがあったわけじゃない。


「ここにアイツはいないよ。ちゃんと帰ったの確認したから」


 文化祭のクラス別合唱コンクール。


 一番の見せ場で、一番力を入れるイベント。


 文化祭は十月なのに、早いクラスは一学期の期末テストが終わると同時に、自由曲の選曲に移っていた。

 これは後から聞いた話。


 この中学はクラスは全部で四クラスあって、クラス分けの時点で、文化祭に備え、ピアノを弾ける生徒を二、三人にわけて各クラスに配置するのだと。


 意図も悪意もない。ただ巡り合わせが悪かっただけ。


 私はピアノは弾けても、どちらかと言えば唄う方が好きだったから、唄う方に回りたかった。

 だけど、小学生から顔見知りが多い中で、誰かが私の名前を挙げた。


 悪気はない。ただ事実を述べただけ。だから、私がピアノを弾けるって言ったことを恨んでもいないし、言った人のことも、もう覚えていない。


 でも、最初にピアノを、合唱の伴奏をしたいと挙手してる人がいたから、遠慮したのだ。弾きたい人が弾くのが一番だと思ったから。


 ――平等って残酷だ。


 私は辞退してるのにどちらが伴奏を務めるか、テストすることになったのだ。


 平等に、みんなで決めようって。


「君の伴奏がいい」


 椅子から立ち上がって、彼女はピアノの鍵盤で一番低いラの音の隣に立っている。

 鍵盤の端っこ。滅多に叩いてもらえない鍵盤。


 それで良かったのに。私はクラスでそんな存在で良かったのに。


 椅子の位置を正して、鍵盤の上に両手を置く。


 冷たい。


 一度、噴き出した手汗をスカートでぬぐい、もう一度鍵盤に指を置き、ゆっくりと鍵盤を押す。

 私が一番好きな曲は、卒業式のための曲。


 ピアノ(小さい音)から始まる伴奏、三年間、一生懸命「中学生」を堪能した生徒たちの思い出を呼び起こすように、クレッシェンドで(うなが)す。


 メゾピアノでマイナー気味の旋律を奏でる。


 楽しいことばかりじゃなかったよね、辛いこともあったよね。


 ――好きな曲なのに、曲に乗せられるような思い出を、私はほとんど作れなかった。


 だから、聞かせて、あなたの物語。

 四分音符が肩を叩く。


 今日は私の卒業式。


 高校からはちゃんとやれるよ。


 涙があふれ出る。


 自然と、口から歌詞がこぼれる。

 隣にいる彼女も、一緒に歌ってくれた。


 今度は友達と離れるのが悲しいって泣けるよ。


 でも、今は悔しさがこみあげてきてしかたなかった。


 桜の雨の降らない北国の卒業式。


 冬はまだ明けない。


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