第三話
辿り着いたのは河川敷だった。
特に何か思い出深いものがあった訳では無い。そもそも記憶が無いのだから、知っている場所を辿った先に河川敷があった、という方が正しいだろう。
そして彼もそこにいた。
芽守がそこに辿り着く確信があった。
そこは、彼にとって、そして芽守にとっても思い出の場所だから。
日が暮れ、車の通りも少ないこの河川敷は、暗くなるのも早かった。
「待ってたよ」
芽守がビクッと身体を震わせる。
いや、彼が、と言った方が正しいか。
「僕のこと、覚えてないんでしょ?」
芽守がジリジリと歩み寄ると、記憶を失った彼は怯えながら一歩、また一歩と距離をとる。
「途中までは完璧だったんだけどね。いじめられっ子の芽守くんが数年の時を経て、いじめっ子を惨殺する」
やがて彼は草に足を取られ、尻餅をつく。
彼の怯えた表情が芽守の復讐心をたまらなく駆り立てる。
「それ、その顔だよ。僕がずっと見たかった、僕の表情。僕はずっとそんな顔で君たちを見ていたんだ」
彼は何が何やらわからない気持ちと恐怖心が渦巻いたように手脚をガタガタと震わせながら首を横に降っている。
「まさかあの女、お前を庇うために自首するなんてね。あれは予定外だったよ。本当なら、君が釈放されたタイミングで彼女を殺して、君を死刑にするつもりだったんだ。一度捕まっておいて再度殺しをしたら、さすがに刑は免れないだろうからね」
川をまたぐように架かる鉄橋に背中をぶつけ、後がないことを知った彼はさらに顔をグシャグシャにして涙を流し始めた。
「泣いて許されると思ってんのかよ」
芽守は彼の顔を蹴ると、高らかに笑った。
「まあいいさ。ここでお前を殺し、あの女が釈放された時にあの女も殺せば、これで僕の復讐は終わる」
芽守は懐から刃渡り30センチ程の牛刀を取り出すと、その鋭利な刃を彼に向けた。
「これで2つ目の罰だ」
その包丁が彼の身体を貫くことは無かった。
芽守はその眩さに目を覆い、数歩退く。
「そこまでだ」
突然のライトに目が眩みながらも、芽守はその腕章を見た。
「警察…!?」
「確保しろ!」
入崎の指示で、警官数人が芽守の身柄を抑える。
「なんで警察が!?だってあの女は自首をして…」
四肢の自由を奪われて狼狽える芽守を横目に、入崎はタバコを蒸す。
「引っかかることがあった」
芽守はビクッと身体を震わせる。
それは、その挙動は、芽守の忌々しい記憶を呼び起こす。
見下され、自分を否定される、そんな過去。
「高校で仲が良かった彼に友人を殺す動機が果たしてあったのだろうか。聞き込んで回ったよ。当然、動機はなかった」
でもな、と入崎はタバコを携帯灰皿に潰して続ける。
「一人、いたんだよ。全て知ってる奴」
入崎は屈み込んで芽守の目を捉える。
芽守はその屈辱に吠えた。
「自首をした彼女だ」
芽守は必死に警察を振りほどこうとしたが、芽守一人の力で屈強な男達数人を払い除けることは出来なかった。
「確かに高校時代、仲が良かったよ。記憶を失った彼と被害者の男は、な」
芽守は抗う力を失い、とうとう大人しくなった。
「お、その態度は話を聞くってことだな」
入崎が問いかけるが、芽守は答えない。
入崎はやれやれ、と溜息をつくと続けた。
「彼らは仲が良かった。が、ある問題があった。それこそ今回の事件の発端。芽守歩に対するいじめだ。それも結構悪質な」
パシリ、カツアゲは日常茶飯事。そのいじめは暴力、性的侮辱にまで広がっていた。
芽守はその憎しみに耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて耐えて耐えて耐えて、そして、殺した。
「お前らは未成年だから、顔も名前も公表されない。だから俺たち警察も、一応名前は隠して顔写真のみで被害者と加害者の関係を調査していた。でもそこが、俺たち警察にとっても、そして芽守、お前にとっても問題だったわけだ」
そう、芽守と被害者の関係だからいじめっ子、いじめられっ子の関係が完成するのであって、いじめていた側の2人の写真を並べたところで、それはただ仲の良い2人の男達という図にしかならない。
「一向に調査が進展しないもんだから、俺は上司に内緒で自首した彼女にそこの記憶喪失の男の顔を見せた。そしたら彼女、泣きながら言ったよ」
入崎は芽守の胸ぐらを掴みあげ、顔を寄せた。
「『私はなんのために自首したの。私は芽守くんを守りたくて自首をしたのに』ってな」
芽守が明らかに動揺したのが入崎にもわかった。
予想外。ありえない。受け入れられない。何故。どうして。そう言いたげな表情で目を泳がせる芽守の胸ぐらを離し、入崎はタバコに火をつける。
「もうわかったろ。彼女が庇ったのは彼じゃない。お前だよ、芽守歩。彼女はずっと、お前に謝罪したかったって言って、泣いてたよ。彼女が暴力が嫌いだと言うと、彼女がいる時だけは、彼らは暴力を振るわなくなったけど、私にはそれくらいしかできなかったって。もしいじめを止めていたら、こんなことにはならなかったって」
芽守は金切り声を上げると、牛刀を押収した警官に体当たりし、その手から落ちた牛刀を突き立てた。
「おい、やめ…」
一瞬のことにその場にいた全員の対応が遅れた。
入崎が手を伸ばした時には既に、その刃は芽守の腹部を貫いていた。
僕が一番復讐したかったのは、弱い僕自身だったのかもしれない。
入崎が最後に聞いたのは、芽守の小さな復讐劇の終幕を告げる一言だった。




