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結、或いは蛇足

 それにしても、と暗殺者は未だ屋根の上に仰向けで倒れたままの自分の孫を見下ろした。

 全身細かいとはいえ傷だらけだ、暗殺者の長い話の間に息はとっくに整っていたが、その直前はひどく息苦しそうにしていた。

 何よりも大切な少女を守る為に、自分を鍛えてくれと、一度蹴った暗殺の教えを請うて孫が自分に頭を下げたのは今から5年ほど前の出来事だ。

 それから孫はずいぶん強くなった。

 母親に似た暗殺者の娘とは違い、孫である彼は暗殺者の才能を受け継いでいた。

 だからこそ、彼は技術を教えた暗殺者が目を張るほどの速さで暗殺の技術を身につけていった。

 それでも、まだ足りない。

「――やっぱあんたはまだまだ未熟者よ。それじゃあ守りたいものも守れないわ」

 暗殺者がそう言うと彼は悔しそうに顔を歪めた。

 否定しなかったのは、彼自身もそのことを自覚していたからだろう。

「寿命や病気どうしようもないかもしれないけど、あんたの大事な人を脅かしているのはそれではないんだから、あんたはもっと強くなってちゃんとあんたの大事な人を守りなさい」

 そう言った暗殺者の声色はほんの少しだけ羨むような色を含んでいた。

 暗殺者は自分自身ではどうしようもないものに大事な存在を奪われ続けた。

 病の前では人殺ししか出来ない暗殺者は無力で、暗殺者にできたことはほとんど何もなかった。

 しかし暗殺者の孫は違う、彼の大切な人の存在を脅かすものは人間しかいない。

 ならば彼はいくらでもその障害を切りはらうことができるだろう。

 そのための力はすでに暗殺者が与えているのだから。

 ……まだまだ未熟ではあるが。

 それでもきっとこの先暗殺者の孫はもっと強くなる。

 そして彼女を守るためだけに、彼女と共に生きるためだけに屍の山を築いていくのだろう。

「そんなことわかってる。だって、僕はそのために存在しているんだから」

 孫の言葉に暗殺者はとあることを思い出す。

 それは、数ヶ月前に孫の想い人と一度だけ交わした時の記憶だった。

 死を選ぼうとして生き残ってしまった少女の顔を、矛盾した二つの想いを今でも抱え続け、苦しみ続けるている彼女のことを思い出して暗殺者はほんの少しだけ苦笑した。


 暗く狭いその部屋はまるで牢獄だった。

 実際、牢獄と何ら変わりはなかったのだろう。

 最後の一晩、になるかもしれないその晩、少女は窓のないその部屋で、暗闇の中開けていても仕方ない目を開いて、ただひたすら闇を見つめていた。

 明日、少女はとある実験に使われる。

 生き残れる可能性はごくわずか、生き残ったところでもう普通の人間としては生きられない。

 人間として生きられる最期の夜に、少女は何も考えなかった。

 考えないようにしていたのだろう。

 優しい記憶は思い出したくなかった、思い出せばきっと、嗚咽をあげてしまうだろうから。

 だから、何も感じないように、何も思い出さないように。

 優しい夢を見てしまうことすら恐ろしいから、目を見開いて闇だけを見つめていた。

「――お前」

 そんな少女に暗殺者は闇の中から低く声をかけた。

 口調はあえて変えていた、あの話し方は特徴的すぎるからだ。

 空耳だと思ったのだろう、少女は何も答えなかった。

「――ここから、出たいか?」

 少女は何も答えなかった。

 ただ、その声が空耳などではないことには気付いたのだろう、小さく身じろぎをする。

 彼は低く小さな声で少女に語りかける。

 自分が少女の友人の知人であり、その縁もあって少女を逃がしてやろうと考えている、と。

 暗殺者が少女に彼女の友人が自分の孫であると伝えなかったのは、万が一少女の口から自分の存在が漏れたら面倒なことになると考えていたからだった。

「――助けてやってもいい。ただし、俺がお前をここから逃がしたら、お前もあいつも一生闇の中で生きることになる。他人の血で手を染めることにもなるだろう。2人で生きるためにはそうするしかない」

 さあ、どうすると暗殺者は少女に低く問いかける。

 ここで少女が食いつくように――自分の孫のことなどどうでもいいと、自分が生きることにのみ執着を見せるのであれば、殺してしまおうと考えていた。

 逆に否定したら助けてやってもいいかと思った。

 問いかけた数秒後、少女は首を横に振った。

「……なら、いい……というか、どっちにしろ、めいわく……」

 否定されることは想定の範囲内だった。

 だが、迷惑とまで言われるとは流石に予想外だった。

「――何故」

 たったそれだけの問いに、少女は口を開く。

「あいつには、光の中でいきていてほしいから……私……わかってた……ずっと前から……私は……あいつのそばにいていい存在じゃない……前から知ってた、私と関わることであいつがあの男に目をつけられているのは……それでもずっと甘えて、ずっとその手を振りほどけなくて……」

 どこかぼんやりとした声色で語り出す少女の声に、暗殺者は耳を傾ける。

「……だから、ちょうどよかったんだ……これで、私はあいつの前からいなくなる……わかってる、わかってるよ……これすら甘えだ……結局、私は自分の意思であいつを拒絶できなかった……」

 矛盾した願いを抱える少女の声は、次第に懺悔の言葉を吐く罪人のように痛みをはらんでいった。

「本当は、ずっと前にあいつを拒絶できればよかったのに。それがどうしてもできなくて、それだけが心残りだ……でもいい……私はここで死ぬ。私が死ねばあいつは多少なりとも悲しんではくれるだろうけど……きっとそれだけだ……あいつはきっとこの先、生きていけるし……いつか絶対に幸せになれるから……だから大丈夫……私がいないその先で、あいつが生き続けてくれるなら……これ以上はきっと私には望んではいけないんだ」

 だから迷惑だと少女は言い切った。

 助けよう、という自分の言葉を少女が否定したら、助けようかと思っていた。

 もしくは、どうなっても二人で生きたいと願うのであるのなら、少しは考えただろうがきっと助けていただろう。

 しかし、少女は自分の死を望んでいた。

 諦めでもなく、投げやりでもなく、自分はここで死ぬべきなのだと。

 そして、暗殺者である彼だからわかった事が一つ。

 少女は自分が死ぬべきだと口では言っているが、本当は生きたがっていた。

 幼い決意では隠しきれない生への執着心が、その目から見て取れる。

 何度も見てきた目だからわかる、暗殺者はこのような目をした人間を、何人も殺し続けてきたのだから。

 本当は死ぬのが怖くて怖くてたまらないのだろう、どうしようもないほど生きたいのだろう。

 それでも少女は死を選ぼうとしている。

 少女がそこまでの決意を持ってこの場にいるのなら、その決意を踏みにじるようなことをするのはどうだろうかと暗殺者は考えた。

「誰だかわからないけど、あいつの知り合いなら伝言を。私のことなんか忘れちまえ、って……いや、今のは無し。ずっとずっと…………大嫌いだった、って……伝えて……忘れろ、なんて言ってもきっと逆効果だろうから……」

「――承知した。お前が死んだその後に、そう伝えよう」

 ありがたい、と少女のかすれた声が暗殺者の耳に届く。

「――だが、良いのか?」

「なにが……?」

「お前がここで死んだら、お前はあいつとの約束を破ることになるぞ」

 その言葉に少女は息を飲んだ。

「――あんなの、約束じゃない。あいつが一方的に……」

「いつもそうだったな。あいつが一方的にお前に約束を取り付けるだけ、お前がそれに是と答えたことは一度もない」

 何故知っている、とでも言いたげな目で少女は闇を睨みつける。

 しかし暗殺者がそのことを知っているのは当然のことだった。

 少女の事は彼の孫からよく聞いていたから。

「――しかし、その一方的に取り付けられた約束をお前が破ったことは一度もないのだろう? お前が約束を守り続けていたのなら、その約束は一方的なものではない」

「……それは、違う」

 震えた声で否定する少女の声を暗殺者は否定する。

「違わない。――また会おうと約束されたんだろう? ならいつも通りその約束を守れるよう、生き延びろ」

 救わない代わりに、少女の決意を踏みにじらない代わりに最後にそれだけ言い残して、暗殺者はその場を立ち去った。


「光の中で生きてほしい、ね」

 冷たい夜風に暗殺者の声が解けるように消えていく。

 少女の願いはもうすでに叶わない。

 少女は自分の大切な存在が光の中で生き続けられるように、闇の中で一人死ぬことを選ぼうとしている。

 だけど、彼の孫は、あの少女にとって最も大切な存在は、すでに彼女を守る力を得るために自らすすんで闇の中に足を踏み入れ、その手を鮮血で染めている。

 そのことをもしもあの少女が知ることがあるのならばきっと、彼女は絶望するのだろう。

 反対に、自分の孫が、あの少女が彼のために死を選ぼうとしている事を知ったのならそれは彼にとっての絶望だ。

 あの少女は自分がいない世界で彼が幸せになる事を希望とし。

 彼はその手を血で穢そうとも、どれだけ不幸になろうとも少女と共に生きる事を希望とした。

 互いの希望が、もう片方にとっての絶望になるのなら。

 互いのためを思って正反対の願いをあの2人が持ち続けるのなら。

 ああ、それはなんて。

「――なんて、滑稽」

 暗殺者は自分の孫と、あの少女の顔を交互に思い浮かべて痛みに耐えるような表情を浮かべた。

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