肆
日が明けて、明るい部屋で女の姿を改めて見ると、女は美しい容姿をしていた。
金糸のような髪は触れると柔らかそうで、瞳の色はとろりととろけるような美しい翡翠色だ。
恐怖に強張ったまま自分の顔を見上げる女に暗殺者は薄く笑みを浮かべる。
その変化はとても微弱なものだったが、女は目ざとく気付いたらしい。
「……何がおかしいんだよ、お前!! てゆーか何で私をこんなところに!?」
暗殺者の笑みを自分を馬鹿にした笑みだととらえたのだろう、硬直していた女の白かった頰にうっすらと紅が差し、翡翠色の瞳がギラギラと輝きを増す。
「……」
その女の様子を暗殺者はうっとりと眺めた。
見惚れていたと言い換えても何ら差し支えはない。
と言っても、元々暗殺者としての訓練を受け続けたせいか生来のものなのか、彼の表情筋はほとんど動くことがないのでそんな様子は見た目だけでは微塵もわからなかったが。
何も言わずに本当に少しだけ笑っている表情のまま、自分を凝視する暗殺者に女はたじろいだ。
「む、無視してんじゃねーよてめー!」
それでも強気な姿勢で声を荒げた女の顔に、暗殺者は手を伸ばす。
伸ばされた手のひらにびくりと怯えを見せた女の頰を暗殺者は掴んだ。
ぞっとするほど冷えたその手に、女の肌は粟立った。
暗殺者はそんな女の様子を外観ではわからないが楽しそうに見つめ、頰を摘む。
別に硬くはないがガリガリに痩せ細っているせいなのだろう、大した弾力もなく軽く引っ張ってもあまり伸びなかった。
「痛い! いきなり何しやがる!? お前本当に何なんだよ!?」
混乱と痛みと恐怖で目を回し始めた女に暗殺者はほんの少しだけ笑みを深めたが、女はその事には気付かなかったらしい。
女に見惚れていた暗殺者はそろそろ彼女の疑問に答えたほうがいいだろうと口を開こうとして、ふと疑問を持った。
さて、自分は何を言えばいいのだろうか、と。
何故彼女をここに連れてきたのか、という質問に対しては、何故かあの時この女を欲しくなったから、としか答えられない。
欲しかったから、という理由が全てではあるが、おそらくそれだけでは彼女は納得しないだろう。
しかし、暗殺者はどうして彼女を欲しいと思ったのか、その説明ができなかった、暗殺者自身でもよくわかっていないのだ。
どうして頰をつねったのか、その疑問にも自分がそうしたかったからとしか言いようがない。
そうした理由もまた、暗殺者には説明できそうになかったからだ。
さて、何に対してどう答えようかと考えていた暗殺者の脳裏に別の疑問が浮上する。
――そう言えば、何と呼べばいいのだろうか?
「名前」
「はあ?」
ぼそりと単語だけ呟いた暗殺者に彼女は顔を歪ませる。
「お前の、名前」
「は? 私の名前? フィ……誰がてめーみたいな不審者に名乗るかボケ!!」
突然名前を聞かれて不意を突かれたのだろう、女はとっさに名乗りかけたが、すんでのところで押しとどまった。
フィ、という音だけを反芻した暗殺者は数秒間考えた後、ぼそりと呟く。
「では、フィー、と」
名乗る気がないのなら名乗りかけた音で呼ぶほかないだろうと結論づけたらしい。
「え? 何そう呼ぶつもりなのお前……てゆーか質問に答えろ陰気野郎!! お前は何者で、どうして私をここに連れ込んだんだ!?」
あーもわけわからん、と女が癇癪を起こした子供のようにバシバシとベッドを叩く。
「――スピネル」
「あ?」
「――スピネル・ゲフェングニス。暗殺者だ」
何者なのか、という質問に答えた暗殺者に女は胡乱げな目を向ける。
「暗殺者ぁ? 暗殺者ってあの、人殺しを生業とする、あの?」
「ああ」
短く首肯した暗殺者に、女は頭を抑えかけた。
――おそらくこの男は本当に暗殺者なんだろう、昨日のアレのせいで嫌でもわかる。
そこまで考えた女の脳裏に首を切断された男達の姿がちらついた。
――この男は絶対にやばい奴だ、さっさと逃げるのが無難だが、何故ここに連れ込んだのか、その理由くらいは知っておかないとあとが怖い。
「……その暗殺者が、なんで私を……助けた、のかあれ? まあ、とりあえず助けられたって事にしとくけど、なんで私を助けてここに連れてきたんだよ?」
女の質問に暗殺者はたっぷり数分考え込んだ。
何かを答えようとしている気配を感じ取ったのだろう、女は何も言わずに考え込む暗殺者の顔を見つめる。
「……さあ?」
数分後にやっと出てきた声がそれだった。
熟考した上で、結局自分でもどうしてそうしたのか言葉にできなかったようである。
「はあ? さあってなんだよ、さあって」
「……どうしてお前をここに運んだのか……説明がうまくできない。何となく、欲しいと思っただけで……」
「……いや、何だそれ、意味わかんねーんだけど!?」
呆れと若干の恐怖が入り混じった顔で女はベッドからそそくさと立ち上がった。
「もういい、私帰る。世話になったな」
帰る場所などもうないが、女はそう言って部屋を出て行こうとした。
自分を欲しかったと言った暗殺者の言葉に危機感を持ったのもあったのだろう。
じゃーな、と女は手を振り部屋のドアのドアノブに手をかける。
その直後、ばちりと鋭い音が部屋中に響いた。
それと同時に彼女は短い悲鳴をあげながらドアノブを離し、尻餅をつく。
「――出られないぞ」
「……は? なんだいまの……なんかびりっとしたんだけど……からだ……うまくうごかな……」
全身に電気が走ったような痛みと痺れに呻く女の身体を暗殺者はひょいっと拾い上げてベッドに運ぶ。
「……てめー……私に何をした……!!」
「――お前には何も。この部屋に結界を張っただけだ」
暗殺者は彼女が意識を失っているうちに自分が不在の時であっても女がここから逃げ出さぬよう、結界を作った。
それは暗殺者の家に古くから伝わる魔術、かつては拷問の名門だったゲフェングニス家の人間が編み出した、罪人を逃さぬ為の檻を作り出す術だ。
術の対象以外には何の効果も及ばないが、術の対象が術者の許しなくこの結界から出ようとすると、雷に貫かれたような激痛が対象の全身に走る。
「……結界? てめー、魔術師か……!!」
「魔術師ではない。魔術が使えるだけの暗殺者だ」
「どっちも……かわらねーよ! 私を閉じ込めて……何をする気だ……!」
――わかりきったことか? いや、冗談じゃねーぞ。
と女は考える、何としてでもここから逃げなければと思うのに身体はまともに動こうともしない。
本当は話すだけでも辛いのだ。
ベッドの上で震えもがく女の姿に暗殺者は笑みをほんの少し深めながら、返答を考える。
しかし答えは出てこなかった。
別に何かをするために連れてきたわけではないからだ。
「――何も」
「は……?」
「――何もしない、何をさせるつもりもない。お前がここにいれば、それでいい」
だから暗殺者はそう答えた。
欲しかったから連れてきただけ、自分の手元にあれば十分だと結論づけたのだ。
それだけではない気がしたが、当分の理由はそれだけで良い、と。
「……わけ、わかんねーんだけど」
「――ああ、俺も何故こうしているのか、自分でもよくわからない」
何で自分はお前を閉じ込めているんだろうかとぼんやりとした声で呟いた暗殺者に、女は知るか、とできる限り大声で怒鳴った。