2 つかの間の日常
「…………ッ……!!」
「……ろ……ぉ……!?」
何かが聞こえる。
視界は闇の中だ。体も重く、身動きが取れない。
「起きないなら、襲っちゃうよ?」
薄く瞼を開くと、目の前に顔があった。
吐息がかかるほどに近い。
「……おはよう」
声をかけると顔が離れる。
先程まで体が動かなかったのはこいつのせいか。
「おはよう、お兄ちゃん。もう朝ごはんできてるよー」
「ああ、うん。着替えたら行くよ」
そう言うと上に乗っていた物がベッドから降りた。
もう少しまともな起こし方をしてくれないかなぁ。息苦しさで起きるのはどうにも精神的によくない。声をかけられても目覚めなかった俺も悪いけどさ。
「服はそこに置いてあるから、早く着替えて?」
ドアの前で可愛らしい笑顔を向けて着替えを促してくる。いや、うん。着替えるよ? だけどさ。
「どしたの? ごはん冷めちゃうから急いでってば」
用意された服を手に取り立ちつくしていると、さっきまで重石として乗っていた物が食い入るように見つめてきた。
「見られてると着替えづらいんだけれど。なるべく急ぐから先に下へ降りててくれるとありがたい」
「ふむ。ですが、マスターの健康状態を管理するのが私の務めですので。じっくりしっかり観察しなければなりません」
「はぁ……。もう治ってるのはお前も知ってるだろ、妹よ」
「はい。しかしマスターに使われている技術は一世代前の物。現在使われている……ううん、違う。お兄ちゃんが心配だっただけ。うん、今日は大丈夫そうだから下で待ってるね」
無機質な声で淡々と語っていたが、途中で何かに気付いたのか声色を戻し部屋を出て行く。
「お兄ちゃん、か……」
俺に妹はいない。
もちろん、父も母も。
本当の家族は、もうどこにもいないのだ。
「む。感傷に浸っている場合じゃないか。朝飯冷めちまうし急ごう」
着ていた物を布団の上に脱ぎ捨て、クローゼットの中から新しい服を取り出す。
今日は涼しいし、少し薄手の物にしておくか。
着替えが終わると階下に降り、リビングに行く。
そこには既に妹と母が朝食を前に俺の到着を待っていた。
「ごめん。待たせちゃったかな」
「いい。ごはんは家族みんなで食べるもの」
ああそうだ。その通りである。
今度からはちゃんと起きるようにしよう。
「母さん、醤油とって」
「ん」
「ありがとう。沙耶も使うか?」
「うーん、いいや。今日はソースな気分なので」
「ソイソース?」
「ノー! ウスターソース!」
「HAHAHA」
朝食を食べつつ妹の沙耶とバカなやりとりをする。
そして、それを見つつ無表情でご飯をかっ込んで食べる母。
うん。いつもの光景だ。
そう――五年前から続く光景だ。
あの日、目が覚めると僕は白い部屋にいた。
白い壁に白い機材。白い服を着た大人たち。
真っ暗な世界から戻って来た僕には、その白い世界が天国に見えた。
だけど……実際には地獄だった。
『残念だが、君以外の家族は助からなかった。だが、安心してほしい。君の事は私たち――――が責任をもって保護させてもらうからね。おっと、紹介させてもらうよ。こちらが今日から君の家族になる人たちだ』
最初は何処かの家庭に引き取られたのかと思っていた。
でも、違った。
母と妹は、人間ではなかったのだ。
「どうしたの、お兄ちゃん?」
今でこそこうして普通に会話出来るが、一緒に暮らし始めた時は大変だった。
「いや、ちょっと昔を思い出してた。今日の目玉焼きは綺麗に焼けてるな、少しだけ焦げてるけれど」
洗濯や掃除など家事は一通りこなせるのだが、何を言っても『はい、マスター』と『何かご用件はありませんか、マスター』としか返って来なかったのだ。
それと、料理に関してはあまり複雑な物が作れないらしい。わりと簡単な調理過程である目玉焼きですら、こんなふうに焦げているのだ。少しとは言ったが、実際には裏面は真っ黒である。これでも最初と比べたらかなりマシになった方なんだよなぁ。
現代の科学では人間と見間違うほど精緻な動きをするロボット、機巧人形が比較的簡単に造り出せることから俺のように家族を失った家庭に置かれる事が多々ある。
簡単に造れると言っても素材の希少性もあるので費用は馬鹿みたいに高いけれどね。
うちみたいに二体もいるのは例外中の例外だ。世界の大富豪の一人は使用人を全て機巧人形にしているらしいが、ちょっと信じられない。なんせAIの教育には相当な金額が必要だし、ケチって初期状態で使おうとすればさっき言ったみたいに簡素な返答しかできない木偶の出来上がりだ。とても人一人の代わりにはなならい。もっとも、初期費用が払えるなら人間を終身雇用するよりは安上がりになる。先行投資ってやつだ。機巧人形は病気や怪我もしなければ、不平不満も言わないし、少し破損したくらいなら自己修復で勝手に直る……人間でいう心臓にあたる部分にあるコアさえ壊れなければ、腕がもげようが、目玉が潰れようが直るのだ。AIの収納されている頭部が壊れた場合は、データの復元までは出来ないから再教育が必要になってしまうが。
「息子、おかわりは?」
考え事をしていたらいつの間にか茶碗の中が空になっていた。
「お母さん、息子なんだから名前で呼んであげなよ。ね、お兄ちゃんもその方が嬉しいでしょ?」
「ああ、うん。そうだね」
あれ、そういえば名前で呼んでもらったことないな。五年も一緒に暮らしてきていまさらだが。
俺も母さんのことを名前で呼んでないけど、母親のことを名前呼びするのも不自然なのでそれはまた違う話だ。
「むぅ……恥ずかしい」
え、なんでそこで顔を赤らめるの?
禁断の恋が始まっちゃう!?
「お兄ちゃん……お母さんに何かした? エロいことなら私にしてくれればいいのに」
「しないから。家族にそんなことするわけないだろ」
まったく、沙耶のやつは何を考えて――
「え~? だって最初の頃、私のパン……」
「ごちそうさま!」
空の茶碗をテーブルに置き、自室に逃げた。
いや、あのね? 最初に出会った時、従順でなんでも言うこときくから魔が差したというかなんというか! いきなり妹だと紹介されてもさ、こんなに可愛いの相手に普通に接しろとか無理なんですって!
「……つーか、初期の頃の記憶って覚えてるんだな」
そりゃそうか。機械だもん忘れるわけはないよね。
これは教育に失敗したかもしれん。