第4話「潁川戦役」
道すがらに想像していたのは、長社の官軍に対して十重二十重の囲みでひしめく黄巾たちの姿であった。
皇甫嵩と朱儁の両将軍が動いたという情報はまだ届いていない。長社は洛陽から東南へ約百六十キロメートルの距離に位置する。東へ、東へと、風を抜ける広野に馬を馳せ、いざ長社の城を目の前にしたとき、あまりの静けさに曹操や兵士たちは唖然とするしかなかった。
「黄巾どもは逃げたのか?」
まさかと思う曹操のすぐ右手に、老練の騎兵が馬を寄せる。
「主力は分かりかねますが、一部の連中があの辺りに潜んでいると思われます」
そう言って指し示された先に見える小高い丘には、旗が翻っているわけでも、砂埃が立っているわけでもない。曹操の目にはただただ、平穏な風景にしか見えない。
「なぜそう思う?」
「なぜと言われても……勘です」
「勘か」
曹操の伸ばす右手が、騎兵の肩を軽く叩く。
「なるほどな、熟練の目なら分かるのか。キミがそう言うのなら信じよう。ワシはまだ戦場なんて経験したことないから、まるで分からん。いろいろと教えてもらわないといけないなあ。はははっ」
そう言って、また軽く叩く。その愛嬌ある態度に、老騎兵はもう一度唖然としていた。
(この若造。何も考えていない軽薄な男なのか、それとも懐が大きいのか)
「さっそくで悪いのだが、あの残骸は……」
曹操の指の動きに、老騎兵の視線がいざなわれる。
「よくぞ、来てくれた」
声と態度に落ち着きがあり、威厳と風格とを備えているというのが、曹操が皇甫嵩に感じた印象である。椅子に腰かけたその姿は、表情こそ穏やかではあるが目つきは鋭い。その一方で、
「当てにしておるぞ」
その右に立ち、大きく響く声と引き締まった顔つき、まっすぐ前を見据える朱儁の直情さに、気概の高さを伺わせる。
「生憎だが、もてなしている暇はない。黄巾に対してどう動くべきか、曹騎都尉の意見を聞きたい」
皇甫嵩のそれは単純な問いかけではない。曹操の見識や力量がどの程度のものであるかを探りたいという思惑も絡んでいる。
「迷うことはありません。将軍の火計で敵は怯んでいます。黄巾は各郡を次々に制圧するほど、勢いに乗っています。これより東方は交通の便が良く、援軍はどこからでもやってくるでしょう。厄介なことになります。相手が弱気であるうちに一気に叩き伏せるべきです」
端然と意見を述べる姿に、軽く驚きを見せた二将だったが、準備を整えるよう命じて曹操を下がらせる。後に残された両者のうち、最初に溜息を付いたのは皇甫嵩だった。
「ふむ。驚いたな」
「皇甫将軍が火計を仕掛けたことを見破ったことですか」
「周辺を観察して来た証拠だが、それだけではない。敵を甘く見ていないのも良い」
「高官たちはみな、ただの叛乱であると見くびっておりました。ここに来て、なんと手強い連中だと実感させられたものです」
「それに威儀もある。ここへ来るまでの様子を覗き見ていたが、衛兵たちが密かに笑っているのを見た。さぞや逞しい男が援軍としてやって来たのかと思えば、あのような背の低い、凛々しさのかけらもない、みすぼらしい子供のような男が現れたのだからな。ワシも最初は、あんな小男をなぜ寄越したのかと思ったのだが……礼儀は正しく、たじろぐことなく、堂々と意見を述べた。それに、どこかで聞いた名のような気もするが、思い出せん。どんな男か、もっと知りたくなったわい」
「たしか沛国の者でしたな。時間にゆとりがあるわけではありませんが、あの曹という男が役に立つかどうかは、知っておくべきでしょう。同郷の者がいないか、探してみましょう」
朱儁によって連れ出された者は皇甫嵩の面前にあって、さすがに緊張を隠せないでいた。
「ああ、固くならなくていい。なにか問題があったわけではないのだ。曹騎都尉、姓名は曹孟徳とのことだが、彼が援軍としてやって来たのは聞いているだろう。おぬしが彼と同郷だと聞いて、どんな人物なのか知りたいと思っただけだ」
「曹孟徳、あいつですか。正直言って、あいつは嫌いです。大人たちも、『あいつには関わるな』と、毛嫌いしてました」
「ほほお、それはむしろ……興味深いな」
兵士が語るところでは、こうである。
宦官の孫と揶揄され、それだけでもあるまいが、曹操は拗ねた。近所の悪童たちを集めては、悪戯の限りを尽くして、大人たちを困らせた。親である曹嵩は曹操に甘く、叔父や周りの者が諫言しても聞き入れず、曹操の素行が一向に改まることはなかったという。
「ただどういうわけか、三公になったとかいう、橋……とか言う人には、見どころがあると言われたみたいです」
「ほほお、橋氏か」
橋玄(字は公祖)は梁国睢陽の人である。経歴は省くが、三公のひとつである太尉を歴任したこともある大物政治家であり、この一年前に七十五歳で死去した。そんな橋玄の元へ、若いころの曹操が訪れていたらしい。橋玄もそれまでに多くの人たちと交遊を繰り返し、人物鑑定をしてたが、曹操に対してはこう言ったという。
「天下はまさに乱れようとしている。一世を超絶するような才能がなければならないが、これをうまく収めるのは君だろか」
そして、世間に能力が認められていないことを惜しんで、許子将の元へ行くように勧められた。
許子将は姓名を許劭といい、子将は字である。非常に優れた人物鑑定眼の持ち主で、月の始めに開かれていた評論会は「月旦評」と呼ばれ、後世、この言葉は人物鑑定を意味するようになる。彼に認められた者は出世したといい、将来を展望する者たちが多く訪れている。橋玄もまた、曹操の評価を決定づけるために、訪問させたのだろう。
ところが、曹操が訪れても許子将はちらりとその顔を伺っただけで何も言わない。
「ワシがどういう人物なのか、答えを聞くまで帰らんぞ」
恐れずにじり寄る曹操の姿に、許子将はため息交じりに呟いた。
「君は治世の能臣、乱世の姦雄だ」
平穏な世の中だったら有能な臣下で、乱世であれば姦悪な英雄ということだろうか。褒めているのかいないのか分かりづらい評価だが、少なくとも許子将から評価を下されたことで、曹操は吹っ切れたのかもしれない。悪童軍団を解散し、読書や狩りに勤しむようになり、二十歳になった時に官吏推薦制度である郷挙里選のひとつである「孝廉」によって推挙されて、中央へ入って郎となる。その後、洛陽の北部尉に叙任された後、頓丘県へ県令として赴き、やがて中央へ戻ると議郎の職に就き、そして騎都尉の地位を与えられて討伐に参加することになったのである。
兵士を下がらせた途端に皇甫嵩が含み笑いをしたことに、朱儁が訝った。
「どうなさいました」
「北部尉と聞いて、思い出したわ。蹇碩は知っているだろう」
「ああ、宦官で中常侍の。彼がどうかしましたか」
「曹操が北部尉の時にな、門の左右に五色の棒を十組も連ねて、『禁を犯した者は処罰する』と言ったのだ。ある時、蹇碩の叔父が夜間通行の禁を犯して通り抜けようとしたら、曹操はこれを棒打ちで殺してしまってな。役割を果たしただけだから、さすがの蹇碩も処罰するわけにはいかん。宦官が威張っていることに眉を顰めていた連中は、密かに拍手喝采したものだ。曹操が頓丘県の令になったのも、厳格で公平な態度が認められての出世ということになっているが、蹇碩をも恐れないような者が都にいることを宦官どもが嫌がったからだろう」
「なかなかの快男児のようですな」
「人は見かけによらんということだな。さて、我々もうかうかしてはおれん。すぐに黄巾どもを片付けるぞ」
皇甫嵩はゆったりと立ち上がる。戦闘の再開である。
官軍の兵士が陣形を象り、待ちわびている。
太鼓が鳴るのを、である。
緊張感に満ち溢れた兵士たちの顔を、曹操は馬上から眺めていた。目を見開き、全身を硬直させ、口をつぐみ、鼻息荒く、人それぞれに様相の違いはあれど、これから戦闘へ向かうぞという闘志が満ち溢れている。
待ちわびる。
実際にはそれほど時間が経ったわけではないのに、太鼓がいつ鳴るのかと、一分どころか一秒すら長く感じる。そしてその時がようやく訪れる。
太鼓の音がひとつ、鳴り響いた。
その瞬間、兵士たちがここぞとばかりに歓声を上げた。
「うおおおおっ!」
一斉に上がる声で空気が震える。辺り一帯がそれらの声の渦でかき乱されて、天地が震えるような錯覚を覚える。しっかり踏み止まっていないと、地面に転がされてしまいそうだ。
それに応えるかのように、対峙している黄巾の陣営からも太鼓の音が鳴る。両陣営の兵士たちが、興奮に包まれ、顔を赤く染め、肌を震わせながら、徐々に近づいていく。
太鼓の音が、もうひとつ鳴った。
雰囲気が、さらに変わる。
空気の渦が熱気を帯びて奔流となり、それに後押しされた兵士たちは、もはや激情を抑えきれないとばかりに走り出す。矛や剣など、それぞれが携えた武器に手を掛ける。
「かかれっ!」
皇甫嵩と波才とがそう叫んだのはほとんど同時である。そしてそれに合わせて三度目の太鼓の音が鳴ると、兵士たちが突撃を始め、敵と刃を交わす。
長い矛先を並べて敵を寄せ付けない部隊があれば、剣を振るって敵陣に切り込んでいく部隊がある。後方からは矢の雨を降らせ、まだ敵と接していない部隊は雄たけびを上げながらさらに前進していく。
比較的前方に配置された曹操の眼前にも、出迎えた黄巾の歩兵たちの鋭い剣や矛などが鋭く飛び込んでくる。その攻撃を肌で感じる。鼻先に迫る矛先をかろうじて躱しても、すぐに別の剣先が足元へ斬りつけてきて、慌てて剣を振るってはじき返す。
「これが戦場か」
馬上にいるため、少しばかりは上から見下ろす余裕を持っても、だからこそ後方から激しく押し寄せてくる黄巾兵の勢いも目の前で感じる。
「将軍や兵士たちはこれを体感しているのか」
ふと、『孫子』が頭の中をよぎる。
兵法書である『孫子』は、たとえ軍人ならずとも、当時の素養としての必読書といってよく、曹操もよく読んだ。むしろ、何度も読み返した。『孫子』はただの理論書ではない。机上の空論でもない。実地での苦労や失敗、戦場における兵士たちの心理状況などを把握していなければ書けないであろうと思われる記述が多々見受けられる、積み上げられた経験値によって書かれた、実践の書である。曹操も、悪童たちとの享楽で、石を投げ合う戦争ごっこで伏兵を仕掛けたり、人の家に忍び込んで鶏を盗むときには何人かを陽動に使うなど、悪知恵を働かせたことがある。だからこそ、『孫子』が実践向きであることには、すぐに気づいた。しかし、実際の戦場において、ひとつ発想が膨らんだ。
「戦場の空気とは、何という迫力か。ここにいてこそ、兵法がある」
後のこととなるが、曹操は『孫子』に自ら注釈を付け、それは『魏武注孫子』と呼ばれることになる。兵法は机上の空論であってはならない。生兵法は怪我の元であると、実感したのかも知れない。曹操は常に戦場に身を置くことによって、体感し、実践の書を記すことになるのである。
こんなはずではなかった。
波才の思惑が次々に破壊されていく。
帝国は腐敗し、人民は貧困にあえぎ、まれに優れた政治家が現れても無実の罪で追い落とされる。未来に絶望しか感じさせないこの世の中に飽き飽きし、太平道の教義に賛同した。やがて大方に選ばれた。太平道の信徒たちを、波才は純朴と感じた。されるがまま、言われるがまま、世の中で飼い殺しにされている被害者たち。彼らを救いたい。凶悪な帝国に一矢報いたい。そして、実際に名将と名高い朱儁を、初手であっさりと打ち破ったとき、信徒たちは喝采を挙げた。肩を叩き、抱き着き、涙を流し、歓喜の雄たけびを上げ、人ぞれぞれに悦びを表現した。
「俺たちも人間なんだ」
かつて人民は『黔首』と呼ばれた。官職がないために冠をかぶらず、黒い髪をさらけだしているからである。とりもなおさず、その他大勢という扱いである。漢帝国は黔首をないがしろにして、使い捨ててきた。その報いを、我々が与えているのだと思っている。
皇甫嵩の火計で士気が少しだけ萎えたものの、すぐに立て直せると思った。ところが官軍の勢いは止められない。最初の勝利が偶然だったのか、あるいは絶望の前のささやかな希望だったのか。
「怯むな。凶悪な官軍どもに、恐れるな。俺たちに後はない。今までどんな目に遭ってきたのか、覚えてるだろ。怯むな、恐れるな。未来を掴め!」
波才の声が響き渡る。黄巾兵たちは逃げることなく、官軍に立ち向かう。兵法も策略もなく、ただひたすらに、今までの鬱憤を晴らすかのように。
そして官軍もまた、世の中を乱す悪逆な者たちという認識で、黄巾兵を襲う。敵を斬っても容赦なく、むしろ正義を断行したと褒められるなら、躊躇することなどあろうはずもない。
熾烈である。
軍配は上がった。
時間が経つに連れ、専門の指導を受けて激しい訓練を受けた官軍の兵士たちが、怪我に怯まず、飛び交う矢の雨を恐れず、敵の勢いに呑まれず、押し込んでいく。波才も黄巾兵をよく指揮し、官軍の動きを見据えて部隊を随時移動させ、崩れそうになる部隊があれば援護を差し向けた。隙を作らない、見事な手配りを見せていた。だが皇甫嵩のほうが一歩上手であった。黄巾の、実地訓練されていないがゆえに起こるわずかな乱れや、移動の鈍さによって生じる時間的な隙に付け込んで鋭鋒を差し向ける。正面から、側面から襲われる恐怖に挫かれ、黄巾兵たちは次第に離散していく。
「このままでは」
軍勢は多いはずなのに、戦況に不利を感じる。守りの陣形に組み替えるべきかと波才が考える間もなく、彼は斃れた。彼の前方にいた部隊が取り乱して左右に散ったわずかの時間、飛来してきた無数の飛矢に全身を貫かれ、馬上から突き落とされ、地に伏した。背中に地面への激突を感じたとき、自らの終わりを悟った。
「まだ、まだ終わるわけには……」
その呟きを最期に波才は朽ち果て、求心力を失った潁川の黄巾たちは散逸した。
皇甫嵩と朱儁の勢いは止まらない。
そのまま、東南約百二十キロメートルほどにある汝南郡西華県に集った黄巾の軍勢を一気に襲った。この戦況報告に喜んだ朝廷は、さらに詔勅を下す。
皇甫嵩にはさらに北に位置する東郡へ、朱儁には南西にある南陽の地へ行くように命令された。彼らの快進撃を止める者はおわず、潁川は黄巾の手から離れた。
しかし、まだすべてが終わったというわけではない。
張角の本隊と対峙していた盧植が、解任されてしまったのである。




