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僭王記(旧)  作者: 玉兎
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第一章 緋色の凶賊(四)



「公開処刑?」

 不吉な言葉の連なりにカイが眉をひそめる。

 対するインは、常のように楽しげに口許を歪めながら続けた。

「ああ。今日から数えて三日の後、広場にて捕らえた緋賊の公開処刑を行う、だそうだ。昨日ギルドに通達があって、今日から評議会の名前で大々的に告知されるらしい」

 妓館からの帰り、立ち寄った傭兵ギルドでインが聞きつけた話がこれであった。カイはすぐにこの処刑の意味するところに思い至ったようで、碧い双眸に思慮深い光がよぎる。



「緋賊は眉を赤く染めた野盗の名称。捕らえた野盗の眉を赤く塗れば緋賊になるし、色を落とせば緋賊ではなくなる。いずれこういう手に出てくるかな、とは思っていたけど」

 カイはそう言っておとがいに手をあてた。

 おそらく評議会は捕らえた野盗なり囚人なりを緋賊に仕立て上げて、これを衆目の前で処刑することで民心の安定をはかるつもりなのだろう。これこのとおり緋賊は捕らえました、ドレイクの治安は評議会によって正常に保たれています、と。



 緋賊は存在こそ広く知られつつあるが、総数や幹部の情報はほとんど出回っていない。でっちあげたところで誰も不審には思わないし、再び緋賊が現れたところで「処刑した者以外にも緋賊はいた」と唱えれば、でっちあげが暴かれる恐れもないのだ。処刑されるのが野盗や囚人であれば、評議会内部で反対意見があがることもないだろう。

 おまけに、三日の時を挟むことで「緋賊の幹部たちは、処刑を知りながら部下を見捨てた」と喧伝することもできる。

 最近では、一部で緋賊を奴隷解放の義賊と見る向きも生まれつつあり――その仕掛け人は他ならぬカイであったりするのだが――そういった風潮を早めに摘んでしまう意味でも、今回の公開処刑は評議会にとって仕掛ける価値のある策謀だといえた。




「当然、処刑場には評議会直属の精鋭がこれでもかと動員されているだろうね」

「間違いなくな」

 インがうなずく。インたちがノコノコと出向けば、飛んで火にいる夏の虫、を地で行くことになるだろう。

 自分と関わりのない盗賊が捕まろうと処刑されようと、インにはどうでもいいことである。傍観したところで胸が痛むことはない。いくら緋賊を処刑しようと、その活動が一向におさまらないとなれば、かえって恥をかくのは評議会の側であろう、という計算もあった。

 しかし、である。

 「評議会」が「緋賊」に仕掛けてきた。この事実の意味するところは無視できない。それはつまり、ドレイクの最高権力者たちが、インたち緋賊をその他大勢の野盗と同一視できなくなったことを意味するからである。応手次第で、緋賊の存在をこれまで以上に高からしめることもできるであろう。




 むろん、対応を誤ればこれまでやってきたことが水泡に帰してしまうわけで、動くにしても慎重に事を運ぶ必要がある。

 カイは脳裏にあるドレイク評議会のリストをめくり、この策の仕掛け人を推定した。

「独立派のパルジャフ議長は策を弄する為人じゃない。王国派のフレデリク殿は盗賊なんて眼中にいれてないだろうね。となると、仕掛けてきたのは帝国派の領袖 ラーカルト・グリーベル子爵かな。僕たちは、あの人の息のかかった隊商や傭兵団を幾つも潰してきたし、恨まれる要素は十二分にある」

「何をしれっと受身な物言いをしてやがる。帝国派を動かしたくて、連中の息がかかった奴らを重点的に潰すよう画策してきたんだろうが」

「あはは、まあそうなんだけどね」

 悪びれずに笑うカイの顔は、普段、子供たちに読み書きを教え、一緒に草花を植えて歩き、あるいは薬草を煎じて怪我人、病人の治療に当たっている『先生』のそれとは一線を画すものであった。



 豊富な知識と明晰な頭脳でイン・アストラの覇業を支える『軍師』。

 それが、かつてカールハインツと呼ばれていた青年が持つ、もう一つの顔である。



「で、いずれこういう手に出てくると思っていたんなら、対抗策は考えているんだろうな? 正面から公開処刑をぶち壊す、という案があれば即決だ」

「罠を食い破るのは、罠に落ちてしまってからでいいと思うよ。今回はこっちが罠にはめた形なんだから、食い破るのは素直に相手の喉笛にしておこう――グリーベル子爵邸を襲う」

 それを聞いたインは、ふんと鼻で息を吐き出した。

「広場に詰めているのは評議会の兵だけでなく、ラーカルトの私兵もだ。奴の邸宅はほぼ空か」

「多少は残っているだろうけど、インとキル君がいれば問題ないと思う。インも知ってのとおり、ラーカルト殿は帝国貴族と評議員、それに商会長を兼ねている人で、彼の商会は帝国の威光や評議員の地位を笠に着た強引な商売をしている。一泡吹かせることができれば、快哉を叫ぶ人は多いんじゃないかな」

 そう言うと、カイはどこか悪戯っぽくつけくわえた。

 邸宅には借金の証文なんかもあるだろうから、焼け落ちたら彼も大変だろうね、と。




 すっと目を細めたインがしみじみと呆れて言った。

「なんと悪辣な奴だろう」

「うわ、インに言われたくない台詞で一、二を争うよ、それ」

「もう一つは何だ?」

「『この女たらし!』かな?」

「それはむしろ、俺がお前に言われたくない台詞だが、まあいい。それより、ラーカルトの屋敷を襲うとなれば、お前が好かない事態になるぞ」



 インは戦闘に際して、すすんで女子供を手にかけることはない。慈悲やら情けやらではなく、単純にその必要が無いからである。逆にいえば、女性兵や子供に扮した暗殺者などは容赦なく殺してきた。

 同様に、敵方の女子供を助けるために攻撃を手加減することもない。逃がすとしても、それは完全に戦いの決着がついた後のことだった。

 ラーカルトもまさか妻子をつれて処刑見物はしないだろうから、屋敷には妻子や、妻子に仕える侍女が残っているはず。くわえて、女グセの悪さも有名なあの評議員のこと、囲ってる女性も一人や二人ではあるまい。いつぞや妓館で小耳に挟んだ噂話を思い出す。




 カイはインとは違う。たとえ戦場であろうとも、兵以外の死をことのほか忌むカイにしては、ずいぶんと容赦ない作戦だ、とインには思えた。

 そんなインに対し、カイはあっさりと答えた。

「その点はぬかりないよ。インたちは思う存分暴れてくれていい。助けるのは僕とアト殿、それにゴズ殿でやるつもりだから」

「なんだ、お前も出るつもりか。ここの守りはどうする?」

 杖をつかねば歩くことができないカイが襲撃に出ると口にする。

 その事実になんら危惧を示すことなく、インは拠点の守りを気にしていた。



 それについても大丈夫、というようにカイはしっかりうなずいてみせる。

「明後日になればセッシュウ殿が帰ってくるよ」

「ああ、そういえばそうだったか。また子供が増えそうだな」

 奇癖という言葉は相応しくないのだろうが、セッシュウは孫を捜しに出るたびに奴隷の子供を連れて帰ってくる。

 どうせ今回もそうだろう、とインは確信していた。別段、子供が一人二人増えたところで、緋賊の食料庫が空になることはないのだが、セッシュウの場合、ヘタすると両手の指で数えられない数の子供を引き連れてくることがあるのだ。



 カイの笑いもやや苦笑気味である。

「はは、セッシュウ殿は子供たちの首に枷がつけられているのを我慢できない御仁だから。お孫さんを重ねてしまうのだろうね」

「まあ、その点は俺の前にいる奴も似たようなものだと思うがな」

 そんな言葉を交わしてから、二人は細部の詰めに入った。

 城壁の中と外では襲撃のやり方もかわってくる。あまり大勢で動けば人の目につきやすくなり、かといって少数で動けばグリーベル邸を制圧できなくなる恐れが出てくる。

 襲撃の報告が届き、広場のドレイク兵が駆けつけるまでの短い時間で、すべての事を成さねばならなかった。




 

◆◆





 自由都市ドレイクの代表者は誰かと問われれば、多くの者がパルジャフ・リンドガルの名前を挙げるだろう。

 パルジャフはドレイク評議会において議長をつとめ、事実上の元首としてドレイクの施政をつかさどる立場にある。自由都市ドレイクがシュタール帝国から自治権を勝ち得たのはパルジャフの才覚によるところが大きい、というのが一般的な評価であり、それは同時に完全な事実でもあった。

 つけくわえれば、リンドガルの姓は、パルジャフが旧リンドドレイク王国の血筋を引いていることを示しており、その意味でもパルジャフはドレイクの長として相応しい、と考えられているのである。



 パルジャフは四十半ば。鷹が翼を広げたような精悍な眉と、顔の下半分を覆う豊かな黒髯が印象的な人物で、眉と髯に挟まれた両眼には、高い見識と安定した知性をうかがわせる穏やかな光が瞬いている。

 自由都市の繁栄を考えれば、その首長であるパルジャフは、そこらの国王よりもはるかに豊かな生活を送ることができるはずであったが、自分を律する辞書に「妥協」という文字を載せていないパルジャフの生活ぶりは、他の評議員――たとえば帝国派のラーカルトや王国派のフレデリク――に比べてはるかに質素であった。一族や部下の中には、パルジャフの吝嗇ぶりに不平をならす者もいるほどである。もっとも、その声はパルジャフの耳に届くほど大きくはなかったが。





 このように、都市の内外からドレイクの最高権力者と目されているパルジャフであったが、誰はばかることなく評議会を牛耳っているかといえば、決してそんなことはない。むしろ近年では、評議会の議事がパルジャフの思い通りに進む方がまれであった。

 その理由となっているひとりが、低く濁った声でパルジャフに話しかけてきた。

「おや、元首どの。なにやらお疲れの様子であるが、大丈夫ですかな」

 たるんだ頬、たるんだあご、たるんだ腹。過度の美食と漁色でバランスが崩れた身体を、金銀細工をふんだんに用いた装飾が頭のてっぺんからつま先までを覆っている。

 それがドレイク評議会帝国派の領袖 ラーカルト・グリーベルの外見であった。

 パルジャフとは対照的に眉もヒゲも、ついでにいえば髪の毛もわずかしか残っておらず、その代わり、大きく見開かれた円らな両眼が、奇妙な圧迫感をパルジャフに与えてくる。



 パルジャフの顔に嫌悪感が浮かぶことはなかった。少なくとも表面上は。

「ご心配いただき恐縮だ、ラーカルト卿。体調に問題はない。それと、この身は元首ではなく議長に過ぎぬ。間違いのないように願いたい」

「失敬失敬。許されよ、元首どの」

 ひひ、と耳障りな笑い声をあげるラーカルト。それを見たパルジャフの黒髯がわずかに揺れたが、ヒゲで隠れた口の動きを読むのは、たとえ読唇術の大家であっても不可能だったに違いない。



 そんな二人に声をかけたのは、すらりとした長躯と瀟洒な雰囲気をあわせもつ、いかにも貴族然とした人物であった。

 王国派評議員の筆頭 フレデリク・ゲドである。

「仲良きことは美しきかな。お二方の友愛を妨げるつもりは毛頭ありませんが、この場に集いし評議員の方々はいずれも時間に限りがある身。この身もこれから十七の約束を抱えておりましてな。かなうならば、早々に議事を進めていただきたく思うのですが、議長閣下」

「……失礼した、フレデリク卿。お言葉どおり、早速評議会を始めるといたそう。ラーカルト卿もよろしいか?」

「無論無論。私もこれから、十七の女を抱く用件を抱えておるゆえ、はよう終わるならそれに越したことはないわい」

 その言葉に帝国派の評議員からわずかに笑い声が起こったが、それもすぐに消える。

 かくて、いつものように、寒々とした空気の中でドレイク評議会が始まった。




 幾つかの報告。幾つかの提案。幾つかの決定。

 熱のない会議は実り少なく淡々と進められていく。その流れが止まったのは、明後日に控えた公開処刑の件が議題にのぼった時であった。

 といっても、すでに事態はラーカルトによって九分九厘まで進められており、今さら反対を唱える者はいない。当然ながら、この場にいる評議員たちは処刑される緋賊が偽物であることを知っているが、望まずして眉を赤く塗られた者たちはいずれも重罪人であったから、憐れむ声もあがらなかった。

 パルジャフが口にしたのは、偽物の緋賊を処刑した後、本物の緋賊がなお活動を続けた場合の対処法である。そうそう死刑級の罪人が用意できるわけではない。仮に用意できたとしても、本物の緋賊は痛くもかゆくもないわけだから、何度でも繰り返し略奪を働くだろう。

 いずれ、住民たちもおかしいと思い始める。その前に何らかの手をうっておく必要がある、というのがパルジャフの考えであった。

 しかし――




「不要不要。二度で駄目なら三度、三度で駄目なら四度、処刑を繰り返せばよい」

「それだけの重罪人をどこから用意するというのだ、ラーカルト卿」

 ラーカルトの言葉にパルジャフが問いを投げかける。ラーカルトはよどみなく言い放った。

「重い罪を犯した者がいないのなら、軽い罪の者をあてればよい。それもいなくなったら、適当に奴隷を見繕えばよかろう。逃亡した奴隷、反抗した奴隷、役に立たぬ奴隷。奴隷は我らの財産であるが、斬っても惜しくない者なぞ掃いて捨てるほどおる。それでも足りねば貧民窟の薬売りでも狩り立ててしまえ」

 それを聞いたパルジャフの眉がかすかにあがる。

「貧民窟の者たちが怪しげな薬を売り払っていたのは何年も昔のこと。近頃は道々に香草を植え、街路も見違えるように掃き清めてあるとか。近隣の街区との揉め事もとんと聞かなくなっている」

「それでも彼奴らは都市に住む者の義務である税をおさめておらぬ。犯罪者には違いなかろう。香草だか香水だか知らぬが、しょせんは己の悪臭をごまかすためのもの。我らの目の届かぬ奥深くで、以前のように幻覚草を栽培しておらぬとどうして断言できようか。そもそも、あのような薄汚い区画がいつまでも残っていること自体、元首どのの責任が問われるところではないのか?」

「……それについては、力不足を諸卿に詫びるほかない」



 相次ぐ帝国と王国の介入を阻むため、寝食をけずって奔走しているパルジャフにはスラムの対処に費やす時間がない。そのことを承知した上でのラーカルトの発言に、パルジャフの眉がさらに一段階あがる。

 ここで言葉を挟んだのは、またしてもフレデリクだった。

「お忙しい議長どのに貧民窟の対処まで任せるのは酷というものでしょう。あの者らの対処は緋賊を片付けてからでよろしいかと。それとグリーベル子爵閣下。確かに我がアルセイスで香水が発明された当時、それが悪臭をごまかすための物であったのは否定いたしません。しかし、それはもうはるか昔のこと。今の世において香水とは高貴なる者の嗜みに他ならず、このフレデリク・ゲド、それだけは申しておきますぞ」

 政敵の言葉にラーカルトが黄色い目を光らせた。

「我がアルセイス、のう。帝国貴族であるわしと違い、そなたはあくまでドレイクの評議員であると思うたが、わしの心得違いであったか?」

「おお、これは失礼いたしました。我が心の祖国アルセイス、と訂正させていただきます。この身はあくまでドレイクのために働く評議員。グリーベル子爵閣下の仰るとおりでございます」

 臆面もなく言い放つと、フレデリクは大仰に一礼した。



 顔をあげたフレデリクは、パルジャフに対して結論づけるように言った。

「そもそも此度の処刑は緋賊を撃滅するまでの、いわば一時しのぎに過ぎません。次の一時しのぎの算段をたてるよりは、大本たる緋賊の撃滅を話し合う方がはるかに有益でありましょう。野盗の跳梁は交易都市の根幹に関わることゆえ、先の貧民窟の問題と異なり、議長どのの粉骨砕身の努力を期待してもかまわぬはずですしね」

 その言葉にラーカルトも追随した。

「ふむ、そのとおりであるな。処刑の算段はわしがつけたのだ。肝心の野盗の撃滅は元首どのに任せてしかるべきであろう。むろん、元首どのが到底手に負えぬというのであれば、その役割を代わるにやぶさかではないが」

「不肖フレデリクも、いつなりと議長どのに助力する心積もりでおります。そのこと、評議員の皆様が集まったこの場で誓わせていただきましょう」



 帝国派と王国派。立場は異なるが、狙いは同じである両者は、時にこのように結託する。

 パルジャフは苦いものを飲み下すように、二人に感謝の意を示した。示してみせるしかなかった。



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