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僭王記(旧)  作者: 玉兎
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第一章 緋色の凶賊(三)


 緋賊の食事は日に二度、拠点の中でもっとも大きな広間で供される。

 主に女性たちの手で用意される食事の質や量は、その時々で備蓄している食料の内容によって大きくかわってくる。別段、参加が義務付けられているわけでもなく、望むなら大通りで軒を連ねている屋台や飯屋、酒場などで済ませることも可能なのだが、食事の時間に広間が閑散としたためしはついぞない。

 緋賊の食事風景は例外なく賑やかなものであった。



 広間には老若男女とわず様々な人たちが集まっている。大半は戦いを任とする者たちであるが、それ以外にも、日々の食事をつくる者、着る物を繕う者、武具を磨く者、拠点の清掃をする者など、陰に日向に緋賊の活動を支えている者たちは多くいる。そういった仕事であれば、戦場に出られない子供や老人であっても緋賊に貢献することができる。

 そんな彼らに敬意を表しているわけではないのだろうが、供される食事の内容は誰であってもかわりはなかった。

 ただ、これについては例外が出来る日もある。昨日のように襲撃で高価な食材を得た場合、百名近い構成員全員にこれを振舞うことはできない。この場合、優先されるのは実際に戦場に出て戦った者たちとなっていた。





 すぐ隣で盛大に炙り肉にかぶりついているキルを見て、アトは恐る恐る声をかける。

「ええと、キルちゃん。よかったら私の分も食べますか?」

 その瞬間、それまで一心不乱に自分の分の炙り肉を咀嚼していたキルが、くるりと顔の角度をかえてアトを見た。ぎらぎらとした目の光は獲物を前にした狼さながらで、予想していたアトでさえやや気圧されてしまう。

 そんな相手の内心を忖度することなく、キルは最小限の言葉で自分の意思を伝えた。

「食べる」

「あ、はい。じゃあどうぞ」

 そっと自分の分の肉をキルの側に押しやるアト。

 ためらうことなくその皿を抱え込んだキルは、不思議そうにアトの顔を見上げた。



 襲撃の最中は常に甲冑で身を覆っているアトであるが、さすがに食事どきまで鎧兜を着けたりはしない。

 腰まで届く亜麻色の髪に形良く整った眉。大きく円らな瞳にすっと通った鼻梁、白皙の頬に桜色の唇。重々しい鉄兜をとりさったアトの、それが素顔であった。

 ハルバードを扱う両腕は節くれだっているし、重い甲冑をまとう身体は全体的に逞しさを感じさせる。つけくわえれば、背丈は並の男性より頭一つ分大きい。それでも、疑いなくアトは女性であった。衣服の胸のあたりを形よく盛り上げる膨らみを見れば、そのことに疑念を挟む者は誰もいないだろう。 

 


「アト、肉きらい?」

「いえ、そういうわけじゃないんですけど、スープとパンで十分かなと思いまして」

 今日の食事内容は、ジャガイモ、ニンジン、玉ネギねぎに豚肉をいれて煮込んだスープ、酢漬けのカブとキャベツ、リンゴのバター焼き、それに黒パンというもので、襲撃に出た者たちには、これに胡椒をまぶした炙り肉がつけられる。

 スープには、やや不ぞろいながら、大きく切り分けられた具がふんだんに盛り込まれており、アトとしてはこれと黒パンだけで十分に腹を満たせるのである。もちろん野菜やリンゴを残すようなもったいないことをする気はかけらもないが。



 アトが嘘を言っているわけではないと察したのか、キルはこくりとうなずくと、アトの皿から自分の皿へ炙り肉を移しかえた。そして、満足げにうなずく。

「三人分の肉が食べられる。今日は良い日」

「三人? あ、イン様はどちらへ?」

 キルの言葉でインの不在に気づいたアトが何気なく問いかける。

 返って来た答えはいつもどおり簡明なものであった。



「色街」

「そうですか。色街に――って、い、イロ!?」

「ん、イロ。インは大抵、戦いの後はそっちに行く」

「ちょ、そ、あ、え、ええ!? そそ、そうですか!」

 緋賊に加わる以前、傭兵をしていたアトは色街の意味するところを知っている。今さら色街と聞いたくらいで頬を赤らめるほど初心ではないつもりだったが、キルのような少女の口からその言葉を聞かされると、何やら名状しがたい罪悪感のようなものがこみ上げてきてしまい、思わず慌ててしまった。

 食事どきにする話では断じてない。ここは早急に話題をかえなくては、と考えたアトであったが、キルの方はアトの十分の一も動揺しておらず、むしろ慌てるアトを不思議そうに眺めている。



 こうなると、過剰に反応してしまった自分がかえって情けない。

 アトはつとめて平静を装いながら、こちらを見つめる少女を食欲で釣ることにした。

「ほ、ほら、キルちゃん。早く食べないと食事が冷めてしまいますよ」

「ん」

 作戦は功を奏し、キルの注意は再び炙り肉へと向けられる。

 こっそり胸をなでおろしたアトは、照れ隠しをするように酢漬けのキャベツを口に放り込んだ。

 その顔が微妙に歪んだのは、アトが食事の際に嫌いなものから食べていく派の人間だったからである。

 


 

 

◆◆





 ルテラト区は大通りから少し外れた位置にある街区である。

 大通りが賑やかにさざめく昼間は、街区全体が眠ったように閑散としているが、日が落ちる頃から段々と活気が生まれ始め、夜ともなれば昼間の大通りもかくやというような賑わいに満たされる。

 もっとも、賑わいの質は大通りのそれとはだいぶ異なっていた。

 道を歩けば、あでやかな装いの女性たちがそこかしこを行き交っており、彼女らが通り過ぎた後には脂粉の甘い香りが漂っている。幻想的な管弦の音が耳をくすぐったかと思えば、立ち並ぶ家々から楽しげな男女の笑い声が響き、時には嬌声も聞こえてくる。

 客引きがうるさいくらい声をかけてくる場所もあれば、そんな無粋なことはいたしませんとばかりに静かな門構えが並ぶ一画もある。

 長旅を経てドレイクにたどり着いた旅人や商人は、夜になるのを見計らってルテラト区に赴き、自分の嗜好や財布の中身と相談しながら、目をつけた店に入っていくのである。




 インが訪れたのはルテラト区の東にある中程度の規模の居館だった。

 このあたりはいわゆる高級妓館が立ち並んでおり、客が店を選ぶのではなく店が客を選ぶ。そのためか、客引きの類はまったくおらず、あたりは驚くほど静かな佇まいを見せていた。

 ここでインの相手をつとめているのは、クロエという名の黒褐色の髪の女性だった。

 南方のアルセイス王国の生まれであるらしいが、とにかく無口な女性で、必要なこと以外はほとんど口にしない。生国のことを聞いたのも、クロエ本人の口からではなく、この妓館で働いているクロエの妹の口からである。

 直ぐな長髪や澄んだ青緑色の瞳は美しく、顔立ちも非の打ち所がないほどで、妓館の中で一、二を争う妓女であっても不思議ではないのだが、実際にそれほどの人気を得ていないのは、口数少なく、客の歓心をくすぐろうともしない性格のせいだろう、とインは勝手に判断していた。



 通常、客が払う金銭の大半は妓館主の懐におさめられる。

 では、妓女たちがどうやって自分たちの収入を得るのかといえば、客から妓女に直接渡される贈り物がそれにあたる。直接に金銭を渡す者もいれば、装身具を贈る者もいるが、そういった品々は娼館主を介することなく妓女たちの懐に入るようになっているのである。

 人気の妓女ともなれば、黙っていても男たちが貢物を差し出してくるが、そんな振る舞いが許されるのがごく一部の者のみで、大抵の妓女は客となった相手に対して各々の手練手管を駆使し、相手の好意と金品を得ようと努める。



 そういった行為を、クロエはまったくしようとしなかった。

 かといって、男に媚びるものか、とお高くとまっているわけでもない。クロエがインの相手をするのはこれがはじめてではないが、これまでの交情はいずれもきめ細やかなものであった。

 よくわからない女だ、というのがクロエに対するインの率直な感想である。

 よくわからないといえば、クロエの年齢も見た目からは判断しづらい。大人びた顔立ちから、インと同じく二十歳前後だと思われたが、もう一つ二つ年上でも、あるいは年下でも不思議ではない。妹のノエルが十二歳だといっていたので、さすがにそれより下ということはありえないだろうけれど。




「ああ、そういえば忘れてた」

 寝台で横になっていたインがそう言って身を起こす。

 部屋の一隅で茶の準備をしていたクロエが怪訝そうにインを見た。その目の前に、インがここに来る途中で買い求めてきた菓子の箱を置く。

 パイ生地にリンゴや蜂蜜などを詰めて焼き上げたもので、ドレイクでは一般的な菓子であった。もっとも、菓子それ自体が高価な代物であるから、一般的ではあっても安価なものではない。インが持参した箱には、そのパイが山ほど詰め込まれていた。

「あとでノエルたちに渡してやってくれ」

「……ありがとう。きっと喜ぶわ」

 クロエの顔に優しい微笑が浮かぶ。もともと整った顔立ちをしているだけに、微笑みを浮かべたクロエは驚くほど綺麗だった。あいにく、微笑はすぐに消えてしまったが。



 妓館に来るたび、子供の菓子を手土産に持ってくるのは自分ぐらいだろう、とインは思う。

 とはいえ、どうせ土産を持ってくるなら喜ばれる物を持ってきた方が良い。クロエは自分に対する贈り物には礼こそ言うが、表情はほとんど動かさない。妹への贈り物の場合、今のようにはっきりと喜びを見せるのである。

 ちなみに、ノエルたちに、と言ったのは、ノエル以外の下働きの子供たちの分もまとめて買ってきたからだった。安くないとはいえ、しょせん菓子は菓子。この程度でインの懐はいっこうに痛まない。



「帰りにはキルたちの分も買って帰るか。しかし、よくまあ、こんな甘ったるい物をぱくぱく食えるもんだ」

 インにとって、パイといえば塩漬けの豚肉や、ひき肉状にした牛肉を詰めたものを指す。甘いパイ、という代物には違和感を禁じえないのだ。

 意外なことに、ここでクロエがこくりと賛同の意を示した。淹れたての茶をインの前に置きながら、囁くように言う。

「わかります。私も苦手ですから」

 食べられないことはないけれど、とつけくわえたのは、やはり甘味に対する男女の執着の差であったろうか。

 一瞬、そんなことを考えたインだったが、すぐにかぶりを振ってその思考を追い払う。どうでもいいことだ、と思ったのだ。



 差し出された茶を一息で飲み干したインは、部屋の灯を落とすように、とクロエに伝える。

 面差しを伏せるように小さくうなずくクロエ。その髪から漂う百合の花の香りが、インの鼻腔をくすぐった。


 




◆◆






 あけて翌日。

 ルテラト区を出たインは、そのままセーデ区に入った。都市内での出入りに関しては、わざわざ水路を利用する必要はない。

 セーデ区に入ったインを最初に出迎えたのは芳ばしい香草の薫りであった。訪れる者を迎え入れ、去りゆく者を送り出す薫りの道。これはカイが子供たちと共に行っている作業のひとつで、季節ごと、セーデのあちこちに香草を植えてまわっているのである。



 どうやら今朝もその日だったようで、拠点に向かう途中、インはカイとひとりの女の子が草を植えている場面にでくわした。キルと同じ年頃であるその子の名はリッカといい、母と祖父、それに妹と共に緋賊の一員となっている。ハキハキとした物言いをする責任感の強い少女で、緋賊に加わって数日と経たないうちに、子供たちのまとめ役のような存在となっていた。

 ふと顔を動かしたリッカの目が、インのそれと真っ向から衝突する。すると、リッカはびくりと身体を震わせ、そそくさとカイの後ろに隠れてしまった。照れているわけではない。リッカの顔にはハッキリと戸惑いと怯えの色が見て取れた。



 そのリッカの挙動でインの姿に気づいたのだろう、カイがにこりと笑って声をかけてきた。

「お帰り、イン」

「ああ。また土いじりか?」

「うん。幾つか珍しい種が手に入ったから、ここの土で育つかどうか試してみようと思って」

「熱心なことだ」

 そう言って、インは周囲を見渡した。どうやらこの場にいる緋賊はカイとリッカの二人だけのようで、物陰からインたちの姿を見ていた何人かの住民が慌てたように視線をそらした。



 インはかすかに顔をしかめる。

「お前に手を出すような間抜けはセーデにいないと思うが、いちおう気をつけろよ」

「おや、インが僕を心配してくれるなんてめずらしい」

「心配しているのはお前じゃなくて、そっちの子だ。孫に傷でもつけてみろ、セッシュウが鬼みたいになって襲ってくるぞ」

 セッシュウとはリッカの祖父であり、キルやアトに並ぶ主要戦力と目される人物である。大陸東部の生まれで、行方不明になった義理の娘と三人の孫をさがして中央地域にやってきた。

 幸い、娘と二人の孫は見つかったのだが、もうひとりはいまだ行方不明のままであり、セッシュウはその手がかりをさがして一時的にセーデを離れているのである。



 インとカイは、セッシュウから自分がいない間の家族の面倒を任されている。冗談めいたインの言葉は、その実、かぎりなく本気に近いものであった。

 もちろん、カイもそのことは承知している。安心させるようにしっかりとうなずいた。

「セッシュウ殿の信頼を裏切ったりはしないよ。安心して」

「ならいい。キルとアトは拠点か?」

「アト殿は他の子たちと別のところをまわってもらってる。拠点にはキル君とゴズ殿がいるよ」

「わかった。戻ったら俺の部屋に来てくれ。戻ってくる途中、ギルドで面白い話をきいた」

「諒解したけど、後でも良い話なんだね?」

 問い返すカイに、インは呆れたように応じた。

「急を要する話なら、戻ったら、なんて言わんわ」

「ふふ、ごもっとも。わかった、戻ったらインの部屋に行くよ。そうだ、せっかくだしインも一緒にやっていく?」



 そう言うと、カイは持っていたシャベルを掲げてみせる。

 インは肩をすくめた。

「遠慮しとこう。これ以上そっちの子を怯えさせると、セッシュウ以外の家族にも怒られる」

「……べ、別に怯えてなんていませんッ!」

 そう言ったのは、もちろんカイではなくリッカである。

 カイの陰に隠れてしまった自分を恥じるように前に出てくると、ぺこりとインに向かって頭を下げた。

「お、お帰りなさいませ、イン様。ご無事のお戻り、なによりでございます」

 おそらく母親のまねをしているのだろう、リッカは精一杯丁寧にそう述べた。それでも微妙にインと正対できていないのは、やはりインに対して思うところがあるからなのだろう。



 別段、インは気にしない。

 リッカに限らず、子供に嫌われる、あるいは怖がられるのはいつものことであったから。例外はキルと、クロエの妹のノエルくらいであった。

「ああ、カイの手伝い、ご苦労」

「は、はい、お褒めにあずかり――じゃなかった、ええと、まことに恐縮でございます……で、いいのよね?」

 後半は聞こえないように呟いたつもりなのだろうが、この場にいる二人の青年には丸聞こえであった。

 カイは優しさから、インは関心の無さから、それぞれ聞こえなかったフリをする。



 いささか気まずい沈黙は、遠くからカイとリッカを呼びかける声が聞こえて来たことで終わりを告げた。

 別の場所にいっていたというアトたちが、担当場所を終えてカイたちのところにやってきたのだろう。

 それを潮にインは拠点へ向かう。この場に留まっていても、今度はアトが連れて来た子供たちを怯えさせることは明白だったからである。


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