読者の声が頭の中でうなる
声が聞こえる。読者の声が。それも、1人2人の声じゃない。無数の声。
「1話ずつが、短すぎやしないか?」
「1日にどんだけ書いてんだよ!!」
「さっさと話を進めてくれ」
「文章が、ちょっと固いな」
「いやいや、逆に柔らかい。本格的な文学を目指すならば、もっと固くていい!」
「登場人物が少ないな」
「会話も少ない」
「狂気が足りない」
「もっとゆっくり進めてくれ」
「改行が多いな」
「句読点も多い」
「繰り返しの表現も多用しがちだ」
このような声。そして、それらの声は数を増し、声が大きくなり、グワングワンと頭の中で鳴り響く。共鳴し合い、さらに声は大きくなっていく。
うるさあああああああああああああい!!と叫びたくなってくる。
正直、読者の声に合わせることは可能だ。むしろ、そんなのはお茶の子さいさい。小説を書く上では、簡単な部類に入る。ただし、1人の読者に合わせるならば。
ある1人の読者の要望に合わせると、今度は別の読者から文句が飛んでくる。そちらの要望に合わせると、また別の方向から苦情が…それを繰り返していたら、一体、どうなってしまうだろうか?
結果は見えている。ムチャクチャだ。それは、もはや、小説の体を成さなくなっているだろう。そんなものを、人々は読みたがるだろうか?僕は読みたくない。
…と答えようと思ったのだが、ここで逆転の発想。むしろ、それはおもしろい作品なのではないだろうか?逆に読んでみたくなってきた。読者の要望にとことん応えまくって、次から次へと変化させていく。ストーリーもキャラクターも表現方法も、全部全部!
最初は、非難されまくりだろう。だが、読者の方も段々とそれに慣れていったとしたら?一見した所、ムチャクチャな小説が、より広い視点で眺めてみると、壮大な実験作として成功している。そういう可能性はあるのでは?
そのような小説ならば、読んでみたいな。ちょっとやってみるか?と、頭の中で1つの結論を出した所で、今回はここで終わり。




