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無理をして小説を書こうとすると

 頭がクラクラする。天井は歪んで見え、グワングワンと見ている景色が変形していく。吐き気を催す。グエエエエエと吐いて楽になりたい。それでも、1枚も書けない。1枚どころか、1行も1文字も書き進められない。


 僕にも、そのような経験はある。それも、生涯に何度も。数え切れないほど、そのような経験をして、ようやく学んだ。

 “無理をして、小説を書こうとしてはならないのだ”と。


 もちろん、それでいい作品が生まれるコトもある。だが、逆に、無理をした上に駄作。読むに耐えないゴミクズの塊という場合も多い。むしろ、その確率の方が遥かに高いだろう。

 それでは、意味がない。それだったら、小説など書かない方がいい。普通に働き、楽しく過ごし、友達と飲みに行ったり、恋人と甘い時間を共有したり、アニメを見たりゲームをしたりして生きて、そして死んでいけばいい。


 小説家というのは、そういう世界には住んでいない。特に、究極の小説家ならば。

 精神を研ぎ澄まし、全ての情報に対応する。何かあれば即座に対応し、それを原稿用紙に叩きつける。あるいは、現代であれば、それはパソコンのキーボードか。

 そこには嫌悪感などない。もしも、あるとしても、それは小説を書くという行為そのものに対してではない。別の対象に対してだ。たとえば、どうしても許せない人間がいるとか、国家のあり方とか、世界の成り立ちや仕組みそのものであるとか。そういったものに対してだ。

 書くという行為は、常にスラスラと指の先から文字がこぼれ落ちるような感覚でなければならない。そこまでではないにしろ、ストレスを感じない程度に書き進められなければ。


 もちろん、調子のいい日もあれば、悪い日もあるだろう。それでも、嫌悪感を抱きながら書くようではいけない。そのような状態に陥ったら、一旦、休む。そして、また書き始める。その繰り返し。あくまで、小説は自然と生まれてくるもの。無理矢理に作り出すものではない。

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