別の人生を歩んでいたら、もっといい小説は書けただろうか?
ここで、僕は空想する。
毎日、紅茶を飲んで散歩と図書館に行くだけで、これだけの文章が書けるのならば、もっと別の環境下なら、もっといい小説が書けるのではないだろうか?
たとえば、旅をし続ける人生というのは、どうだろうか?見知らぬ土地を旅し、新しい経験を重ねる。その経験を小説へと変えていくのだ。
あるいは、大都会の真ん中で、人と会う人生というのはどうだろうか?占い師とかカウンセラーとか、そういう職業に就いて。そうすれば、次から次へと他人の人生を知ることができる。それを元に新しい小説を生み出す。そういう生き方。
だが、しかし…と考え直す。
そのような人生を歩んで、果たして、小説など書き続けられるだろうか?それだけのモチベーションを保ち続けられるだろうか?そこまでする理由が、どこにある?
きっと、そうなったらそうなったで、その人生に満足してしまうだろう。満たされた人生からは、いい小説は生まれない。そういう可能性もあるのでは?
この人生は何もない。何もないからこそ、何かを生み出そうとする。何かで埋めようとする。だから、小説が書ける。そうも言えるかも知れない。
いずれにしても、他に選択肢はない。手元にあるものだけで戦うしかない。ないものは想像力で補おう。それでいい。そうするしかない。




