最初に小説を書いた時のあの感動
理想の読者は、僕の心の中でフフフッと微笑んだ。
「それは、よかったですね。おめでとう。そこに気がつくとは。でも、きっと、あなたはそれを忘れてしまう。忘れまいと気をつければ気をつけるほど、覚えていられなくなる」
理想の読者は、そんな風に予言めいたセリフを吐いた。
「そんなコトないさ!僕は、小説の真髄を掴んだんだ!忘れるはずなどない!」
僕は、そう反論する。でも、僕自身、それをよく理解していた。そうして、理想の読者は、そこを突いてきた。
「忘れるに決まってますよ。だって、誰もがそうなのだから。一番最初に小説を書いた時のあの感動、あの感覚を、いつまでも覚えていられる人などいるはずはない。そんな人がいたら、それは天才」
僕は、その言葉に反論できなかった。
理想の読者は続ける。
「理由は、人それぞれ。“締め切りに追われる”かも知れないし“もっと、いい小説を書きたいから”かも知れない。いずれにしても、忘れてしまう。小説は、自然に浮かんでくるものではなく、降ってくるものでもなく、無理矢理に作り出す存在へと変わっていく」
僕が黙ったままでいると、理想の読者は一転してやさしい言葉を投げかけてきてくれた。
「でも、いいんですよ。それでいい。だって、また思い出せる時が来るもの。あなたならば、それができる。もしも、どうしても思い出せなくなったら、その時は…」
一瞬、間を空けて、理想の読者は言い放った。
「ここに戻ってきて、この文章を読めばいい」
なるほどな、と僕は思った。この小説を読んでいるのは、僕なのだ。この小説を書いているのが僕ならば、読んでいるのも僕なのだ。大勢の僕。過去にそうであった僕や、未来にそうなるであろう僕。
遠い昔に、“ほんとうの小説”の書き方を知っていたけれども、忘れてしまった大勢の僕なのだ。僕は、小説の真髄を思い出す為に、この小説を読んでいる。