もしも、大金持ちになったとしたら?
ここで1つ空想をしてみよう。
これは、僕がよくやる遊びのようなモノであり、訓練のようなモノでもある。
たとえば、こうだ。
“もしも、大金持ちになったら、何をするか?”
小説家なんてものは、別に大金持ちになれたりはしない。そんなのは、ほんの一握りの人だけ。それも、長くは続かない場合が多い。大抵は、一時チヤホヤされるだけか、何冊か本を出してそれで終わり。
僕は、そんな場所に幻想を抱いたりはしない。そこら辺は現実的である。だが、その上で“究極の小説家”というものを目指している。それは、決してお金の為などではなく、人に評価されたいからでもない。あくまで、最高の作品をこの世界に残す、その為に。
とはいえ、空想するのは自由。
小説でお金を稼ぐかどうかは別としても、お金持ちになった時のコトを考えておくのは悪くない。そういった行為それ自体が、いい小説を生み出してくれるかも知れないし。
さて、お金持ちになったら、どうするか?
特に贅沢がしたいわけではない。美味しい物を食べたり、高級車を乗り回したり、海外旅行に出かけたり、豪邸に住んでみたり。そういった行為に憧れを抱かないわけではないが、そこまで強く望んだりもしない。
経験の為、海外の様々な国を訪れる。それも、悪くはないなとは思う。1つの方法だろう。けれども、その辺りは想像力で補うことも可能。日本にいながらにして、海外の風景を映した映像を見たり、写真集を眺めたりするだけでも充分。
美味しい物も食べたいとは思うけれども、そこまで高級な料理でなくていい。そこら辺のスーパーで売っている物で豪遊すればいい。
自動車やバイクなんて、あまり興味もないし。新しい自転車でも購入するか。
家も広くなくていい。ただ、2部屋か3部屋、自由に使える部屋があればいいな、とは思う。1部屋は創作部屋にしよう。大音量で音楽を聞きながら、小説の執筆ができる部屋。同時に、絵も描けるといいな。好きなだけ画材を使って、どんなに床を汚しても怒られない。そんな部屋。
それから、寝室を兼ねた遊び部屋。そこそこの大きさのテレビに、世の中のありとあらゆるゲーム機とゲームソフトが揃えてある。でも、これはなくてもいい。
それより何といっても必要なのは図書室。近所の図書館よりも、広くて蔵書数も多い。いや、違うな。本は数ではない。数はそこまで多くなくてもいい。それよりも、質。厳選に厳選を重ねて、真に価値ある本を揃えよう。数千冊か?もっと少なくてもいいかも。1000冊やそこらでも充分。どうせ、そんなに読みやしない。いつも読む本なんて、決まっている。
これだけの環境が揃えば、きっと新しい小説がバンバン生み出せるだろう。
果たしてそうだろうか?
小説というのは、このような環境で生み出すようなものなのか?もちろん、こういう環境でも小説は書けるだろう。書けるには書ける。けれども、それで“いい小説”になるだろうか?
ここは、わからない。やってみないとわからない。ただ、1つだけ言えるのは、このような環境でなくとも、小説は書けるということ。いい小説を書く為の条件とは、環境ではない。道具でもない。それとは全く逆の極限までの悪条件下でも、いい作品は生み出せる。むしろ、そういう環境の方が傑作は生まれやすいとすら言える。




