小説の真髄
散歩から帰ってきた僕に、さっそく理想の読者が語りかけてくる。
「さて、お散歩はどうでした?何かいいアイデアは思い浮かびましたか?」
理想の読者の問いかけに、僕はこう答える。
「新しいアイデアは思い浮かばなかった。でも、もっと大切なコトがわかったよ」
「もっと大切な?それは、何ですか?」と、理想の読者。
「それは、小説の真髄だよ」と、僕。
「小説の真髄?」
「そうさ。小説の真髄さ」
そう、小説の真髄。それは、時間でも枚数でもない。
“これから、何時間書こう!”とか“何枚、書くぞ!”とか、そういうものとは全然違う。1日のノルマを設定して、強制的に書く。そのようなやり方もあるのだろう。かつての僕も、そうしていた。
でも、そうじゃなかった。それではいけなかった。小説とは、書くものではない。“こぼれ落ちてくる”ものなんだ!
それこそが小説の真髄。
あるいは、それは“泡のように水面に浮かんでくる”と表現してもいいかも知れない。“雪のように降ってくる”でもいい。音もなく、しんしんと降り積もっていく雪。気がつくと、何センチも、何メートルも降り積もっている。そういうものなのだ。
決して、“雪を降らそう!”だとか“何メートル降り積もらせるぞ!”とかいうものではない。気がつくと、そこに存在している。それこそが小説なのだ。
結果的に、何時間書いたとか何枚書いたとか、そういうのはいい。でも、最初に計画して書くようなものではなかったのだ。
僕は、散歩の道すがら、それを悟った。
散歩はいい。やはり、いい。散歩は、小説家向きだ。散歩は、小説と相性がいい。抜群に相性がいい!!