文章は長い方がいいか?短い方がいいか?
いきなりだが、ここで、僕の文章の書き方について紹介しておこう。
基本的に、僕が書く文章は短い。1文1文もそうなのだが、1話もあまり長くしないように心がけている。
もちろん、それも場合による。必要に応じて長い文章を書くこともあれば、原稿用紙10枚以上に渡る話も書く。書くには書くが、それをあまり好まないし、多用しない。この小説だけ見てもらってもわかるように、大体、1話が原稿用紙1~2枚程度。長いものでも3~4枚くらいだろう。
その代わりに、数をこなす。ここ数日だけでも、毎日原稿用紙で15枚前後は書いているはずだ。それも、400字詰めの原稿用紙に、ビッシリと文字を埋めて書いたと計算して、だ。実際には、枚数的にはもっと書いていることになる。
さて、ここで、ひさびさに理想の読者に登場してもらうことにしよう。
「読者君、読者君、出てきてくれたまえ」
僕の呼びかけに応じて、理想の読者が現われる。
「なんだよ。眠いんだよ。お昼寝しようと思ってた所なのに…」などと言っている。
僕は、理想の読者に質問する。
「君は、文章の長さについて、どう考えてるね?長い方が好き?短い方が好き?」
そこで、理想の読者は、しばらく考えてから答える。
「そうだな…別に、どちらでも構わないけれども。無駄に長いのは駄目かな?そこに意味のある長さならいいけど。長くてもシッカリして、いい文章もある。でも、“ただ、たくさん量を書いてやろう”とか“内容はいいから、とりあえず文字で埋めておこう”ってのが見え見えの文章は好きではないね。すぐに読むのをやめてしまう」
「じゃあ、やっぱり短い方がいい?」
「もちろん、そういった作品の中にも、後から考えると実は…という場合もあるんだけど。そういうのは、稀だからね。それよりも、短く濃密な文章の方が好きかな?それだけで作品の価値は決まったりはしないけれど、同じ内容ならば、短い方がいいね」
「フム。なるほど。それは、僕も同じ意見だ」
無論、これは僕の理想の読者だ。僕と価値観が近いのは、当たり前だ。でも、作者である僕よりかは、いくらか客観的に物を見てくれているはずだ。その理想の読者が言うのだ。“無駄に長い文章は駄目だ”と。
もちろん、短くても中身がない文章ではいけない。それならば、長くて価値のある方がいい。この辺は、常に意識しながら書き続けていった方がいいだろう。少なくとも、僕はそうする。
史上最高の小説家を目指しているこの僕は!




