小説の価値は、長さ?
さて、前回ノルマとして課した“500文字以上執筆する”という壁を楽々とクリアーした僕は、次なる目標に向ってまい進する。
ここで、僕は理想の読者に向って、もう1度、尋ねてみる。
「読者君、読者君。前回の“500文字以上執筆する”という目標は達成したわけだが、次なる壁はどのようなものかね?」
その問いかけに対して、理想の読者は、こう答える。
「あのですね。その目標を掲げたのは、僕ではなくあなたの方ですよ。僕は“250文字では短すぎるのでは?”と意見しただけで、何文字書けだなんて一言も言っていません」
なるほど、これは痛い所を突かれた。確かに、理想の読者は“250文字では少ないですよ”と言っただけであって“500文字書こう!”と決めたのは、作者であるこの僕の方だった。
そこで、僕はもう1度、問いかける。
「では、読者君、今回は何文字書けばいいのかね?」
それに対して、理想の読者はこう答えてくる。
「何文字書けだなんて、僕には命令する権利はありません。そもそも小説なんてものは、たくさん書けばそれでいいというものではないでしょう?“究極の小説家”を目指しているあなたなら、そのくらいのコトは、おわかりなのでは?」
なるほど。確かに、その通り。
小説の価値というものは、分量のみで決まるわけではない。むしろ、全く同じ内容ならば、長い文章よりも短い文章でサッとまとめた方が、美しくもあり価値も高いとさえ言える。
…となれば、何をもってして、小説の価値を決めればいいのだろうか?長さではなく、内容。では、その“内容”とは、一体何であろうか?
ウ~ム…
わからない。わからないから、考える。考える為には散歩が一番。
そうだ!散歩へ行こう!こういう時こそ、散歩である!悩んだら、散歩。迷ったら、散歩。アイデアに詰まったら、散歩。散歩こそ、小説家の象徴。前に自分で言っていたではないか!
というわけで、僕は再び散歩に出かけた。