“史上最高の小説家”は、どのような姿をしているか?
自分で書いていて、テンションが上がってきた!!いいぞ、これ!!プリントアウトして、壁にでも貼っておくか?
どうせ貼るなら、部屋中に貼るか?何百枚もコピーして、部屋の壁中にスキマなく埋めて貼りまくってみるか?なんだか、それって小説家っぽくないか?サイケデリックでイカレた頭のアーティストっぽいぞ!!
まともな頭で、いい小説なんて書けるものか!普通の人生を歩んでおいて、普通でない小説を生み出せるものか!トチ狂って頭のおかしい人生を!さすれば、物語は生まれてくる!!誰にも書けない最高の作品が!!
…と、ここで冷静になってみる。
いやいや、待てよ。果たして、そういうのは形から入るものだろうか?
確かに、まともな頭では、まともな作品しか生まれてこない。普通の考えしかできない者には、普通の小説しか書けやしないだろう。だけども、そういうのは普段の格好とか行動とか、そういったもので決まるのだろうか?
そうではないのでは?
たとえば、殺人鬼の話を書くのに、人を殺す必要があるだろうか?
戦争の物語を生み出すのに、実際に戦場に行き、戦闘を経験する必要があるだろうか?
魔法使いのストーリーの為に、自分でも魔法を使えるように特訓したりするだろうか?
形や姿や行動ではない。
全ては心の中に。頭の中に。それでいい。それだけでいい。
“史上最高の小説家”は、きっと突拍子もない格好などしてはいない。もっと地味で、暗くて、質素で。だけども、とんでもないコトを考えているに違いない。世界中のありとあらゆる人間が何百年も何千年も頭をひねっても生み出せなかった発想を、いとも簡単に生み出してくれるに違いない。
その為には、生き方や行動や姿形など気にしてはいられやしない。
先へ進もう。
みんなが無駄に生きている間に、せめて僕だけでも先に進み続けよう。それには、小説を書き続けるのだ。ひたすらに。ただ、ひたすらに。
後に残った作品が、駄作か傑作かは、後から考えればいい。後から決めればいい。そんな役割は、他の誰かに任せてしまっても構わないのだし。