だから、僕は小説家になれない
…というようなコトを、常に考えながら小説を書き進めていく。
すると、確かに、上達する。小説を書くのは上手くなる。それは、技術的にだけではない。内容も向上していく。質は高くなり、量も書けるようになっていく。それも、単に量がたくさん書けるというだけではない。短い時間で、高品質の作品を量産できるようになっていく。
だが、ここで問題が発生する。それは、何か?
読者がついて来れなくなってしまうのだ。小説というのは、作者のみが存在するわけではない。対になる読者がいて、初めて成立する。
“短くて質の高い文章”
これは、読める人が多い。
“長くてそこそこの質の文章”
これも、読める人は結構な数いるだろう。
“長くて質の低い文章”
これは、相手にもされない。
そして、“長くて質の高い文章”
これは、読者の方がついて来れなくなってしまう。なぜなら、読者の方にも能力の限界があるからだ。その限界は、能力だけではない。時間的な限界。あるいは、精神的なゆとり。そういったモノが足りなくなってしまう。
誰もが無限の時間を持ち合わせているわけじゃない。読者だって、仕事もすれば、学校にも通う。家族や友達や恋人と過ごす時間も必要だろう。マンガを読んだり、映画やアニメを見たり、ゲームをしたり、そういう時間も欲しくなる。
その人生全てを小説に賭けたりはできやしないのだから。
でも、作家の方は違う。全身全霊を傾けて、作品に向わなければならない。これまで以上に質も高く、たくさんの枚数も書けるようにならなければならない。
…そう、思い込んで、ここまでやってきた。だが、そうすればそうするほど、読者との差は広がっていく。読者との間に存在する壁は高くなり、溝は深まっていく。
だから、僕は小説家になれないのだ。読者の望むような作品が書けないから。




