表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

普通の会社員から

派遣で勤めた始めた会社人生。

恋して買い物して。そこにとつぜんのウツ!?

ストレス社会て言うけれどストレスて人それぞれ。

悩み事に大きいも小さいもない。

生きることって難しい。きれいごとじゃないのです。

昨日は抗うつ剤を規定量より多く飲み家族の制止を振りきり、風呂へまっ逆さまに飛び込んだ。

父親が詮を抜き引き上げた。そして声を出して哭く。

今思えば始まりから現在まで丸2年と少し。気がつけば何十年来の、ものを言わぬ「お友だち」を胸に、晴れた外を見つめていた。


朝は各局競って放映してる情報番組が始まる前に起きる。午後はテレビのお決まりのロードショー。これが終わると「あ、今日も1日終わりかぁ。」という気分になる。そして焦る。


笑い方も忘れた。恋の仕方も。仕事…就活してるけれど本当に社会復帰出来るのかな。と、不安との葛藤。

「友達」と呼べる輩は結婚したから排除。既に同じ土俵ではない。


ひと昔前。

母親の友達が何かにつけてあると「死にたい死にたい」と嘆いていた。私は「何でだろう」とまったく理解できなかった。まさかその自分に、そんな状況が来るなんて。


予兆はあったのか?考えればあったかと思う。


派遣で勤めた会社。

特に取り上げて良い男ではなかった。しかしまともな恋愛から一切遠ざかり、いわゆる「無恋愛」の状態が長かったことを考えれば落ちるのに無論難しい理由は無かったと思う。もともと恋愛至上主義だった私であるから。

まして同じ社内ては四六時中一緒であり、共通の話題も多い。

愚痴を言い合い、気持ちが解り、お酒もすすむ。業務上のフォローもし内助の功。苦労も喜びも一緒である。まさに不倫マジックだ。


しかし面倒くさいことに、私は意外と「真面目」だったのである。それに気づいたのは…時すでに遅し。どっぷり嵌まっていた。離婚をも迫り、向こうも離婚をチラつかせながら上手く促す。真剣だったのだ。今思えば阿呆である。しかし仮初めのロマンスに悩み苦しみ眠れなくなっていた。動悸もした。休みの日は、向こうの「家族サービス」状況を頭に浮かべ自分を苦しめた。そんなことが4年も続いた。


ちなみに私は不倫について否定も肯定もしない。

ただ向き不向きがあると思う。

叶うかもしれない恋。叶わないかもしれない恋。

しかし一般論で言えば「邪」よこしまである。

無論その渦の中では普通の恋愛と変わらないし、むしろ現実的なことは背負わないから「美味しいとこ取り」である。会えない日さえ、想いが募るスパイスになる。

しかし私には不向きだったのだ。


私の不倫論は、これまでとしておきたい。


あまりの苦しさに堪えきれず、まともな恋をしようと決意し別れたとき、神は見ていたのかというほどのタイミングで同じ社内で素敵な人に巡り会うことができた。


身体は、この時は動悸もやや落ち着きながらも仕事の心労があり、なくなってはなかった。

健康診断では必ず心電図は触れていたからだ。


それでも恋愛は楽しく過ごせるのだと思っていた。

が、しかし。

…そんなことはなかった。因果応報なのか。

「素敵な彼氏」は身体的に問題があって完全にセックスレスだったのである。

心は楽しくても、体は満たされない。

このアンバランスが更に心を蝕んだように思う。


問題がデリケートなだけに誰にも相談できずにいるのが一年近くも続いた。その間、眠れず、動悸も増し、毎晩ように涙をした。

ようやく本人に真剣に打ち明け、前向きに二人で取り組み乗り越えることを促した。

それから数ヶ月、彼は私から去った。

このデリケートな問題…堪えられなかったのだろう。


恋愛ばかりではなかった。


「仕事は楽しくあれ」がモットーで、どちらかと言えば一生懸命にとり組んでいた。嫌なことを言われても笑顔で返すことを心がけた。

何より、その場の空気が悪くなることが嫌だったからだ。


職場関連の人からは、よく、いびられた。自信の上司や私の上司には言えない代わりに私に集中して文句を言い続けた。私は対応し笑顔で返した。それは6年以上続いた。堪らないときは私の上司にも相談したが、「それは君が頼られてる証拠だから」と諭され終わった。


私は自分を「騙し」続けた。

「頼られてる」「自分なら乗り越えられる」


寝る前は布団に入っても必ず1時間あることに頭を巡らせていた。

明日の仕事の段取りだ。

その頃は動悸も増し、ひどいときは2時間考えていた。


こんな日々が何日と続き、無意識のうちに職場で涙が溢れ、トイレに駆け込みゴミ箱を蹴っていた。

こんなことが何回も続きイライラして後頭部が痛くて鎮痛剤を飲んでも治らないことが続いた。


この頃、震災があり、私はまっすぐ歩くことすらできず、とうとう失語症になってしまったのだ。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ