第八話:真実 桜色の狂気と桜色の願い
第八話 真実 桜色の狂気と桜色の願い
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あたしには変な確信があった。根拠も何もない勝手な想像だけど、わたしは確信していた。
ここが始まりなんだって。
あたしと桜愛理子、二人の魔法天使の物語はきっとここから始まったんだ。
二人の”サクラ・アリス”が出会ったこの時から………。
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「あなたは……誰?」
近衛蘭への自分の想いをぶつけた桜愛理子の前に、突然として現れた桜色の閃光。
まるですべてを狂気に染め上げるかのようなその光が消えた時、そこにはもう一人の彼女が立っていた。
そこには、満開の桜かのような笑顔だけがあった。
「乱君、乱君、乱く~~~ん。会いたかったよ、乱君」
その目元には涙さえ浮かべながら、もう一人の桜愛理子が近衛蘭に抱きついた。
あたしも桜愛理子も近衛蘭も誰もが状況を理解できていない中で、もう二度と離さないとばかりにもう一人の桜愛理子だけが泣きじゃくっていた。
不思議だった。
何で彼女は泣いているのにあんなにも幸せそうに見えるのだろうか。
そんなことあるわけ無いのに、あたしはこう思わずにはいられなかった。
”もしかして、あの二人は恋人だったのかな?”
「蘭さん………」
そして、桜愛理子もあたしと同じ事を想っていたようだ。
両手を口元に当てて信じられない物を見ているかのように何度も、何度も、何度も首を横に振っていた。
「乱君。もう、絶対に離れたりなんかしないよ。私、好きなんだもん、乱君の事、大好きなんだもん。だから、もうこの手を離したりなんかしないで」
あたしは言葉を無くした。
桜愛理子は言葉を詰まらせた、そして、近衛蘭は言葉を封じられた。
「っ!!」
もう一人の桜愛理子がその唇を近衛蘭に重ね会わせたのだ。
「いや、嘘、何コレ、私はここにいる。アレは私じゃない。
なのに、私じゃない私が、蘭さんと……キ、ス…。
何、何が起きているの。ねえ、コレは何。
私は、私は、私は、私はここ。蘭さん、私は、あなたの妹の私はここです!!」
爆発した。
自分と同じ容姿をした別人が、思い人と唇を重ね合わせた。
そんな現実を目の当たりにして、桜愛理子の想いはまさに咲き乱れる桜花のごとく弾けた。
想いは魔法の原動力。
強い想いは、強い魔法を導き出す。
だけど、この時の桜愛理子はまだ、魔法天使じゃない。
咲き乱れる想いを制御する術を持っていない。
「駄目!!」
あたしは届かない想いを叫び、桜愛理子を押さえ込もうと彼女に抱きついた。
でも、ここは桜の想いが作り出した、想い出の世界。
あたしの体は何も出来ず、桜愛理子の体をすり抜けていった。
不様に地面に倒れ込むあたし、その視線の先で、世界に亀裂が入り、黒い何かが蠢いていた。
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「アレは、クレデターだ。次元と次元の狭間に蠢く、住むべき次元を持たない次元の侵略者。桜愛理子の魔法が暴走したのが原因で次元が裂けて、この次元にやってくる。大変だよ、定香。このままじゃ、彼らが」
目の前に繰り広げられている展開にすっかり忘れていたけど、あたしの手の中にはイリルがいたんだった。
ここしばらく全く喋ってなかったから完全に忘れていたよ。
でも、そんなイリルの説明全開な熱い口調で、状況は何となく理解できた。
出来ただけだけど………。
「分かっているわよ。でも、この世界は現実じゃない。もう既に起こることが決まっている想い出で、もしここで世界を変えても、現実は何も変わらないの」
悔しくて、本当に悔しくてしょうがないけど、あたしはただの傍観者でしかない。
この世界を変える力なんて持ってないし、変えたところで本当の世界は何も変わらない。
そして、恋の終わりは唐突にやって来た。
「きゃああああああ、蘭さん」
「え? 乱君?」
亀裂から現れたクレデターと呼ばれる生物が、近衛蘭をその大きな口で一気に飲み込んだのだ。
二人の桜愛理子が助ける間もなく近衛蘭を飲み込んだクレデターは亀裂の中に潜り込んで、亀裂自身が閉じてしまった。
あまりに現実離れして、見ようによっては滑稽にさえ見える出来事で、現実味なんて一切無い。
けど、今、この瞬間に近衛蘭は死んだの?
桜愛理子の悲鳴が木霊する。
もう一人の桜愛理子は状況が分からないとばかりにぽかんと立ちつくしている。
この終わりはなんだろう。
馬鹿げている。
馬鹿げすぎている。
もしこの世界が物語で作者がいるとしたら、イリルで懲らしめてやらないと気が済まないぐらいに馬鹿げた結末だ。
恋した男の人が、実は自分の兄で、
勇気を振り絞って告白したら、
もう一人の自分が現れて、
彼とキスまでしちゃって、
最後は彼が伏線もなく突然湧いて出て来た怪物に喰われて終わり。
「本当、なによコレ」
あたしは静かに呟いた。
桜愛理子は悲鳴を上げ続けて、もう一人の彼女はやっと状況が理解できたのか、焦点を失った瞳を虚空に彷徨わせていた。
どれぐらいの時間が経ったのか、頭に血の上ったあたしにはよく分からなかった。
ぽつりともう一人の桜愛理子が呟いた。
「聞こえるよ。わたしには、乱君の助けを求める声が聞こえるよ。
うん、つくらなちゃ。私、乱君と一緒に暮らせる世界をつくらなちゃ、そしたら、乱君、戻ってきてくれるよね、そしたら、そこが乱君の居場所になって、そしたら、私、乱君と一緒に暮らせるよね」
もう一人の桜愛理子がこちらを、正確には今だ地面に倒れ込んだままのあたしの真上にいる桜愛理子が見た。
「ひっ」
もう一人の桜愛理子の瞳を見た瞬間、恐怖から私は引きつった声を出してしまった。
その瞳に宿っていたのは、狂気。
そこには、狂った感情だけが渦巻いていた。
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「ねえ、私の名前はサクラ・アリスって言うの。あなたの名前は?」
「私も桜愛理子よ」
「そっか、よろしくね、桜愛理子」
サクラ・アリスは全く感情のこもらない声で答えた。
きっと今の彼女はどんな名前を聞いても同じ反応をしたのだろう。
もしかしたら、彼女はもう近衛蘭を見ても、彼と気づかずに無反応であるのかもしれない。
あの狂気でしかない瞳を持つ彼女は今、何かを見ているのだろうか?
何かを見えているのだろうか?
正直、彼女はあたしを見ている訳じゃないのに、あの狂気の瞳がそこにあるだけで怖くて仕方ない。
「私は、乱君と平和に暮らせる新しい次元を作る。うん、そしたら、きっと乱君は帰ってきてくれる。
乱君が帰ってこれる次元を作れば、きっと私たちは幸せに暮らせる。
ねえ、あなたもそう思うよね。あなたにも、この乱君の助けを求める声が聞こえるよね」
それは現実を見ていない、ありもしない空想に必死に縋っている一人の女性だった。
近衛蘭はクレデターに喰われた。
その現実を認めたくなくて、狂気に体中を染め上げて、必死なまでに現実を否定し続けている、女性があたしの目の前にいた。
そして、もう一人、あたしの上にも狂気に浸食された女性がいた。
彼女はゆっくりと前に歩き出し、もう一人の自分の前で立ち止まった。
「あなたが、何をしようとしているのか、私は知りません。何をしようと関係のないこと。でも、一つだけ確認させて、あなたは蘭さんを蘇らせられるの?」
そこにいる桜愛理子は、それまでの桜愛理子ではなかった。
近衛蘭に恋して、純情なまでに彼を思い続けてきた彼女はもうそこにはいなかった。
そこにいたのは、あたしがとてもよく知っている、あたしのお兄ちゃんを殺そうとしているあの桜愛理子だった。
彼女もまた、悲しみ色の狂気に染め上げられていた。
「うん。私はもうその事しか考えられない」
サクラ・アリスの言葉に、桜愛理子は頷き、そっと左手を差し出した。
「なら、あなたが何者でもかまわない。
でも、私にも手伝わせて、私の兄を、私の大切な人を、私が愛したあの人を、私にも救わせて。
私はまだ、あの人から、あの人の想いを何も聞いていない」
その言葉には秘めた想いが乗っていた。
もう二度と伝えることが出来なくなった近衛蘭の想いが乗っていた。
聞いているあたしが潰されてしまいそうなほどのとても重い想いが秘められていた。
「うん。分かった」
刹那、桜色の光が輝いた。
光が消えた後、桜愛理子の左手にはあの桜色の指輪が煌めいていた。
「それはMSデバイサー。あなたみたいに想いを秘めた人ならきっと上手に使いこなせるはず」
桜愛理子は小さく頷いた。
あたしはもう何も言えないでいた。
全てを知ってしまったから。
桜愛理子がシリアル・アリスになった理由、その決意、そしてその目的までも。
「次元を作り出すには、フェイトというMSデバイサーが必要なの。あたしは絶対にMSデバイサーを見つけ出して、新しい次元を作り出す。
でもね、その目的のためには、邪魔な存在がいる。それが彼なのか、彼女なのか、分からない。
でも、ソレは私の願いを一撃で切り裂けるほどの危険性を体の中に秘めている。
だから、お願い。あなたはそのMSデバイサーを使って、”アトロポス”を見つけ出して、殺して」
そこで、想い出は終わった。
あたしの目の前に作り出されていた想い出という名の虚像が全て、ガラスが割れるように砕け散って桜色の塵クズとなって消えていったのだった。
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目が覚めると現実のあたしは地面に倒れ伏せていた。
魔法天使の衣は下着が見えそうなぐらいに破けて、体中は傷だらけで、正直立ち上がるのだって辛い。
でも、それでもあたしは戦わないとならない。
私のために。
お兄ちゃんのために。
そして、彼女のためにも。
イリルを杖代わりにして体を支えて、何とか起き上がる。
「あら、まだ立ち上がりますの。そのまま大人しく寝ていれば、これ以上痛い目に合わなくても済みますし、あまりしつこいようですと、あなたも殺しますわよ」
シリアル・アリスはそう言って、桜色の指輪をあたしに向けた。
桜色の想いが集まり、魔法に代わり、桜色の三日月を作り出す。
「あなたは、そこまでして、近衛蘭を蘇らしたいの?」
シリアル・アリスの目が大きく見開かれたが、彼女は小さく笑うと迷い無く宣言した。
「ええ。それが私の唯一の願いですわ。そのために、蘭さんが生き返るのなら、私は何だってしますわ。”アトロポス”である、久我誠流だって殺して見せますわ」
桜色の願いが想いに変わり、魔法に変わり、桜色の三日月が一段と大きくなった。
あたしはシリアル・アリスみたいに小さく笑うと、首を横に振った。
「桜愛理子。それは絶対に違う。
あたしはあなたじゃないけど、あたしとあなたは共に実の兄を愛してしまった女性だから、分かるよ。
あなたの願いは近衛蘭を蘇らせる事じゃない。あたしの願いだって、お兄ちゃんを守り抜きたい事じゃない。
そんな事は、あたし達の本当の想いなんかじゃない!」
あたしの想いは弾けた。
この想いはあたしの想いだけじゃない。
桜色の想い出の中で見てきた一人の女性。
彼女は純情なまでに一人の男を愛し続けていた。
どんな困難だって彼女は彼を想うことで乗り越えてきた姿をあたしはずっと見てきた。
だから、言える。
今のシリアル・アリスはあの頃の彼女じゃないと。
サクラ・アリスという狂気の桜色に染め上げられた偽りの桜愛理子である。
あたしは、久我定香は、彼女を、桜愛理子を救い出してあげたい。
彼女から狂気の色を取り除いてあげたい。
だって、彼女の願いは結局、あたしと一緒なんだから。
「あなたの本当の想いは、そして、あたしの本当の願いは、ただ一つ、すごく簡単な事よ。
あたしとあなたは、ただ血の繋がった兄を愛したくて、そして、愛されたい。
たったそれだけの事よ!!」
あたしの体を紫色の閃光が包み込み、閃光はあたしを生まれ変わらせる繭となり、あたしは再び魔法天使に生まれ変わった。
呪文を唱えることなく魔法が使えるほど、あたしの想いは弾けまくっている。
体は傷だらけで思うように動かないけど、そんなのは、全部この想いでカバーしてやるんだから。
でも、今のパラレル・ティーカには呪文は必要なくても、魔法天使には決め台詞が必要なんだ。
「弾ける想いを届けたい。魔法天使 パラレル・ティーカ、ただいま爆発、よ」
イリルの先端に想いが集まり紫色の星が形成される。
でも、それは今までの魔法とは違う、彼女の過去を知ったあたしだからこそ、使える二人の想いを乗せた魔法だ。
「ちょ、定香さん。この魔法、無茶です。同時に別種の想いを乗せ合わせて魔法を作るなんて、こんな不安定過ぎる魔法、何時暴発するか分かりませんよ。危険過ぎます」
イリルが必死に忠告してくるけど、あたしはいつもの如く無視。
あたしの想いだけじゃ、悔しいけどシリアル・アリスには勝てない。
そのことは既に実証済みだし。
でも、勝てないから諦めるような女なら、あたしはお兄ちゃんを愛していない。
逃げ出さなかったから、あたしは今、ここにいるんだし、困難って言うのは、乗り越えるためにあるの。
「愛理子。あなたの秘めた想いも、あたしが弾けさせて、咲き乱らせてあげるわ」
そう言って、あたしは紫色の中に少しながら桜色が混ざり合った星を魔法で作り出した。
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