第七話:禁忌 兄と妹 許されぬ恋
第七話:禁忌 兄と妹 許されぬ恋
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
桜が咲いていた。
あたしは確か、シリアル・アリスの攻撃に飲まれて意識を失ってしまったんだ。
ってことは今、あたしが見ているこの咲き乱れる桜は天国の光景………?
「いやだ、やいだ。あたしはまだお兄ちゃんに告白してないもん。
お兄ちゃんとキスしてないもん、
お兄ちゃんと一緒に寝てないもん、
お兄ちゃんと結婚してないもん、
お兄ちゃんの子ども産んでないもん、
いやだよ。天国なんて、絶対にいやだよ。
あたしの弾ける想いは全然お兄ちゃんに伝えてないんだよ」
「いや、定香さんはどちらかというと地獄に行ってしまいそうな気が………」
相変わらず空気の読めない魔法の杖が、左手で小さく呟いた。
地獄耳なあたしにはもちろんその呟きが聞こえている。
あたしはとりあえず、近くあった桜の樹にイリルをぶつけようとイリルを思いっきり振りかざした。
「あれ?」
でもイリルを桜の樹に当てることは出来なかった。
まるで桜の樹がホログラムであるかのようにイリルをすりつけて……違う。
桜の樹じゃないホログラムみたいに実態がないのはあたしとイリルの方だ。
その証拠に、桜の舞い散る花びらはすべてあたしをイリルをすり抜けて地面へ落ちている。
「ねえ、イリル。これどういう事?
人って死んで天国に行くとみんなこうなるの?」
「死んだ後がどうなるなんて自分にも分かりません。でも、ここが天国じゃないって言うのは確かですよ、定香さん。
あ、もちろん定香さんみたいな極悪人が落ちる地獄でもないですよ」
ぴくとあたしの手が引きつる。
思いっきり何かにぶつけてやりたい気分だけど、あたしとイリルはこの世界じゃ実体がないみたいだから、何かにぶつけてやる訳にはいかない。
ここは抑えよう。
でも、いずれしっかりとあたしは天使なんだってその体に教え込んであげないと。
「じゃあ、ここは何処だっているのよ?」
「多分ですけど、ここは彼女の想いの世界だと思います」
イリルがそう言って、あたしは初めて気づいた。
あたしから少しだけ離れた場所に立派な洋館が建っていて、そこのテラスに彼女がいることを。
「桜、愛理子」
テラスには桜愛理子がいた。
まさに深窓の令嬢といった形容詞が似合う佇まいだ。
でも、気のせいかなあたしの知っている桜愛理子よりも少しだけ幼い気がする。
「はい。定香さんは、シリアル・アリスの攻撃に飲み込まれてしまいました。
魔法天使の力の源はまさに想いです。どうやら、シリアル・アリスの想いは相当だったみたいですね。
ここはシリアル・アリスの想いの世界。
敗れた定香さんは、その世界に飲み込まれたって所でしょう」
イリルが丁寧に解説してくれる。
ようは、これは桜愛理子の想い出と解釈すれば言い訳ね。
「あっ」
テラスに立つ桜愛理子の元へ1人の男性が近寄ってきた。
桜愛理子が笑顔で振り向く。その笑顔を見ただけであたしには分かった。
だって、あの笑顔はあたしがお兄ちゃんへ向けている笑顔と同じだったから。
彼が、桜愛理子の想いの源。
つまりは彼女が好きな人なんだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「うふふふ。蘭さんたら、またそんな事を」
「きゃあ、蘭さん。何処を触っているのですか? そこはくすぐったいですわ」
「どうぞ、お召し上がり下さい。わたしが作った手料理ですので、お味はキッチンメイドが作った物より劣るとは思いますが、それでも蘭さんにはわたしの料理を食べて欲しいのですわ」
「こ~~ら、いけませんわよ、蘭さん。なんであなたはそう手が早いのですか。全くですわ」
「蘭さん、絶対に約束ですわ。来年は絶対に、わたしにこの世界で一番美しい桜を見せて下さいね。絶対ですよ、約束やぶりましたら、わたし蘭さんの胸の中で思いっきり泣いてやるのですからね」
あたしは桜の想いを見ていた。
その全てに蘭と呼ばれる彼が出て来て、その全ての中で桜は幸せそうに笑っていた。
(何よ、お兄ちゃんに恋しているなんて絶対に嘘じゃない。
あんた、お兄ちゃんの前じゃこんな顔一度も見せたこと無かったじゃない)
頬杖をついて、桜愛理子と蘭との甘酸っぱい想い出を見ながら、あたしは不思議でならなかった。
(こんなにも想いを伝えたい人があんたにもいたじゃない。
それなのに、どうしてあんたはお兄ちゃんに近づいてきたの?
どうしてお兄ちゃんを殺そうとしているの?)
また想い出が変わった。
今度は真夜中の寝室だ。
この想い出には蘭という青年は出てこない。
ネグリジェ姿の桜愛理子が机に向かって、なにやら日記を書いているみたい。
人の想い出を不可抗力とは言え、こうやって勝手に盗み見しているのは、いけないことをしている気分になる。
今更かもしれないけどあたしは日記から視線を外した。
確かに桜愛理子は許せないし、あたしの敵だ。
でも、この想い出の中にいる彼女はあたしと同じ、1人の男性に恋するただの少女だ。
そんな彼女が書いている日記を見るのは、きっと彼女の心の中を盗み見るのと同じ事なんだと思う。
それだけは絶対にしてはいけない。
敵だろうが、憎かろうが、許せなかろうが、他人の恋の想いを勝手に知ってはいけないんだ。
「定香さん、愛理子さんが動きますよ」
イリルの言葉であたしは我に返った。
確かに桜愛理子は椅子から立ち上がり、廊下へ出て行った。
あたしもその後を追う。
というか追わざるを得ない。これは桜愛理子の想い出の世界だから、彼女が移動すると同時に世界も移動するのだ。
彼女は何処へ行くのだろう?
そう思いながら、彼女の後をついていったあたしは、彼女の両親の寝室から光が漏れていることに気づいた。
桜愛理子も気づいたみたい。
どうするべくか迷っていたみたいだけど、寝室から怒鳴り声が聞こえてきて心が決まったみたい。
申し訳なさそうにドアに張り付き、中の様子を窺っている。
あたしもちょっと気になったから愛理子とは反対側のドアから中をのぞき込む。
そして、知ってしまった。
桜愛理子の幸せをすべてぶちこわす残酷な真実を。
「分かっているのか!!
蘭は、儂らが近衛家に養子へ出したのだぞ。あやつは儂らの子供なのぞ。
それなのに、それと知らず、愛理子はあやつに恋しておる。
近衛蘭が実の兄とは知らずにな!!」
横を見ると、そこにはもうあの幸せそうな愛理子はいなかった。
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ベットの中で桜愛理子は泣いていた。
真実を知り、明日からも続くと信じていた幸せが何の前触れもなく突然と無くなってしまったんだ。
泣いて当然だと思う。
あたしは最初から全てを知っていた。
お兄ちゃんは最初からあたしのお兄ちゃんだった。
もしかたしたら、お兄ちゃんは養子であたしと実は血が繋がっていなかったなんて空想を描いた時もあった。
でも、やっぱりお兄ちゃんはあたしのお兄ちゃんで、あたし達は正真正銘の兄弟だった。
あたしは分かった上で、恋をした。
その恋の先に待ち受ける試練を受け入れる覚悟を持ってあたしは兄に恋をした。
でも、桜愛理子は違う。
彼女は知らなかった、近衛蘭が実の兄であることを知らず恋をしてしまったんだ。
あたしとは違う。
どっちが正しいとかじゃなくて、ただ違う。
それだけなんだ。
ベットの中で嗚咽を漏らし続ける彼女にあたしは何か声をかけてあげたかった。
桜愛理子はあたしの敵だけど、同じように実の兄に恋した仲間でもあったんだ。
シリアル・アリスは許せない。
でも、この恋する少女は助けてあげたい。
そっと彼女の頭に手を伸ばした。
あたしの手は簡単に彼女の頭をすり抜けた。
分かっている。
この世界は桜愛理子の想い出の世界なんだ。
この世界の結末は既に決まっている。
あたしがどんなに願った所で、努力した所で、結末は変わらない。
そして、その結末をあたしは知っている。
戦いの中で、桜愛理子はこの物語の結末を告げていた。
そっと泣き続ける彼女の手に、あたしの手を重ね合わせた。
もちろん触れあうことは出来ない。
でも、この兄に恋した少女をあたしは助けてあげたくて、あたしは彼女が泣きやむまでずっとそうしていた。
彼女は長い間泣いていた。
気がつけばもうすぐ朝日が昇ってくるような時間になっている。
だけど、彼女はついに泣きやんだ。
涙に濡れていた瞳は、何かの決意を秘めていた。
あたしはその瞳の奥に、今にも咲き乱れそうな想いを見た気がした。
(がんばれ)
あたしの応援は彼女には絶対に届かない。
だけど、あたしは彼女を応援せずにはいられなかった。
彼女はベットから起き上がると迷わず、机に向かい、そして彼女の想いが書きつづられた日記を開いた。
それからは静かな時間がただ過ぎていった。
聞こえるのは彼女が日記をめくる静かな音だけ。
そんな心地よい紙擦れ音に耳を傾けながらあたしは彼女の背中を見守っていた。
(あなたは強いね。あたしも負けてられないよ)
そして、全ての日記を読み返した彼女は、クローゼットに向かい一着の服を取り出した。
桜色の服に着替えた彼女は美しかった。
それは外観的な美しさじゃない。
想いが体中からあふれ出す美しさを彼女は身に纏っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
彼女は走っていた。
街の桜並木の中を走ってきた。
桜の樹はまさに満開だったけど、あたしにはそんな桜よりも彼女の方が美しく咲き乱れているように見えて仕方なかった。
「あたし、少しだけ思い上がっていたかな」
「どうしたんですか、定香さん。そんな悟りきったような顔しちゃいまして」
「うん。悔しいけどさ、あたしなんでシリアル・アリスに負けたか分かっちゃった。
彼女はきっとこれから蘭って人に全てを話す。
そして話した上で、自分の想いをちゃんと彼にぶつけるんだと思う」
「でも、それって定香さんも一緒じゃないですか?」
「ううん、違うよ。桜愛理子は、前にあたしに言ったわ。
想いは言葉に出してちゃんと伝えないと真実じゃないって。
その通りだよね。分かっていたけど、あたしはその事からずっと逃げてた。あたしがお兄ちゃんの妹だって理由を言い訳にしてずっと逃げてた。
それはきっと最初からお兄ちゃんと分かって恋したあたしと知らずに恋した愛理子との差なんだね」
彼女が立ち止まった。
その先に彼がいた。
彼はやさしく彼女に笑いかけた。
たっとそれだけの事で彼女の頬は薄桜色に染まっていく。
それは、恋する少女の顔だ。
「イリル。あたし、決めたわ」
「何をですかって? なんか聞かずとも答えは分かっちゃいますけど」
「あたし、この戦いが終わったら、絶対お兄ちゃんに告白する。
彼女が出来て、あたしに出来ない訳がない。もしかしたらふられるかも知れない。
もう、今までみたいな兄妹じゃいられないかもしれない。
でも、でも、それでも、やっぱりあたしはお兄ちゃんが大好きなんだもん。
あたしは、弾ける想いを届ける、魔法天使パラレル・ティーカ。
あたしの想いは、弾けてなんぼのものなのよ!!」
あたしの前では彼女が真実を語り続けていく。
その声は僅かに震え、その瞳には小さく涙が溜まっていたけど、その顔はとても幸せそうだった。
この恋物語の結末が、二人が結ばれるハッピーエンドであっても、二人は結ばれないバットエンドであっても、彼女は後悔しないだろうと確信させる強さがそこにはあった。
でも、あたしは知っていたいた。この物語の結末は、悲劇であると。
「蘭さん、わたしはあなたが好きです。
例え、あなたがわたしの実の兄であろうと、この想いは偽れません。
この想いはずっとわたしの中で咲き乱れているのです。
だから、蘭さん、いえ、わたしのお兄様。
わたしはあなたの事が大好きです」
彼女がついに想いを言葉に乗せ、彼に伝えた。
でも、まるでその想いが引き金であったかのように不意に、なんの前触れもなく世界は桜色の光に包まれてしまったんだ。
「な、なに? 一体、何がどうしたの?」
「これは、次元移動?
まさか、そんな事は……っ。何が起きているんだ!!」
あたし達は突然の閃光に目を眩ませた。
そして、桜色の閃光が消え、あたしの視界が再び光を正常に認識出来るようになったとき、あたしは言葉を無くし、思わず口元を両手で隠してしまった。
「なに、これ………」
あたしは目の前の事が信じられなかった。
この世界は桜愛理子の想い出。
つまり、この世界の出来事はすべて真実だ。
それなら、それなら、どうして、今、あたしの目の前に、桜愛理子が二人もいるの………?
つづく