第五話:襲撃 狙われたお兄ちゃん
第五話:襲撃 狙われたお兄ちゃん
その日の夜、ちょっとトイレに行きたくなったあたしは、明かりもつけずに階段を下りていた。
そして、一階まで降りてくるとどうしてだがリビングの光が付いていることに気づいたの。
お兄ちゃん、寝るときに消し忘れたのかな?
「もう、お兄ちゃんはしょうがないな」
そう呟いてあたしはリビングの明かりを消そうとドアノブに手を掛けて、動きが止まった。
お兄ちゃんは明かりを消し忘れた訳じゃない。
ドアの向こうからお兄ちゃんの声が聞こえてくる。
「そうなんだ。だから、キミは定香を魔法天使にしたんだね」
そして、どうやらリビングにいるのはお兄ちゃんだけじゃないみたい。
いつもまるで狙ったかのようにあたしのお兄ちゃんの良い感じの空気をぶちこわす、KYな魔法の杖まで一緒みたい。
「はい。その通りです。お兄様」
ちょっと、イリル。
あたしのお兄ちゃんを気安く”お兄様”なんて呼ばないでよ。
お兄ちゃんをお兄ちゃんって呼べるのは、妹であるこのあたしだけの特権なんだからね。
っと、いつものあたしなら、今すぐこのドアを開けてイリルに叫んでいた所だろう。
でも、今のあたしは出来なかった。
あたしの心の何処かが怯えていたから。
何になんて分からないけど、今のあたしにはどうしてだかこの扉を開く勇気がもてなかった。
「でも、そんな話をボクにしても良かったのかな?」
「あなただからこそ、お話しなければならないと思いました。覚悟だけはしておいて下さい」
お兄ちゃんとイリルは何を話しているのだろう。
なんか、もう重要な所は終わってしまった後ぽいけど………。
「どうして、今なんだ。そんな重要なこと、隠すならずっと隠していれば良いし、話すなら、ボクと最初に会ったときにするべき話じゃないのかな。定香の事を気にしてくれていたのか?」
「それもあります。けど、一番の理由は定香さん……パラレル・ティーカじゃない魔法天使が現れたからです。
正直、自分には彼女が分かりません。味方なのか、敵なのかさえ分かりません。
でも、もし彼女が自分がこの次元に来た理由を知っているのなら、真実をあなたに話さなければならないと思いました」
なんか、いつものイリルぽくないシリアスな空気が流れている。
でも、あたしじゃない魔法天使ってシリアル・アリスの事だよね。
イリルがこの次元に来た理由、それに真実。あたしはお兄ちゃんが『可愛い』って言ってくれたからパラレル・ティーカをしているけど、確かに考えてみれば、どうしてイリルはあたしを魔法天使に選んだのだろう。
分からない事が多い。
今、ここでドアノブを捻ってイリルをつかみ取って、振り回して、無理矢理にでも真実ってヤツを吐かせたら、この胸のモヤモヤは消えるのかもしれない。
「でも、駄目だ。どうしてなのかな、今の私は全然、お兄ちゃんへの想いが弾けないや」
あたしはそっとドアノブから手を放した。
そして真実から逃げるように一歩後ろに下がった。
ねえ、どうしてなのかな。
さっきからあたしの頭の中にずっと同じイメージが浮かんでいるの。
それは、悪夢としか表現できない地獄絵図。
思い描いた自分を呪い殺したくなる惨劇。
どうして、あたしはこんなにお兄ちゃんのこと、大好きなのに。
どうして、さっきからずっと、お兄ちゃんが死ぬイメージが離れないの。
お兄ちゃんの体から青銅色の剣が生えて、お兄ちゃんが死ぬシーンが途絶えることなくあたしの中で流れ続けるの。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
朝になった。
訂正。
時計を見たら、もうお昼になっていた。
昨夜、リビングで話すお兄ちゃんのイリルの話を聞いてから逃げるように部屋に戻ったあたしは全く寝付けず、起きたらもうこんな時間になってしまっていた。
あ~、もうお兄ちゃん起きてるだろうな。
折角、今日もパラレル・ティーカの格好で起こしに行ってあげたかったのに。
残念だよ。
洗面所で顔を洗って、簡単に髪を整えたあたしは、リビングへ向かう。
ここは昨夜、お兄ちゃんとイリルがあたしに隠れて話していた場所。
大丈夫だ。
昨夜見た、思い出したくもないあのビジョンはもうあたしの頭に浮かんでこない。
あたしは勇気を振り絞って、リビングのドアを開いて、いつも以上に元気よく朝の挨拶をした。
「お兄ちゃん。おはよう!!!!」
「あ、おはよう、定香」
「あら、もうこんにちわのお時間ですわよ、妹さん。寝る子は育つと言いますが、これは少々、寝過ぎな感がいたしますわ。ねえ、そう思いませんか、誠流様」
あたしの視界になんか居てはならない奴が映っている。
あたしは何も言わずに廊下へ戻って、リビングのドアを閉めた。
一度大きく深呼吸。ちょうど二階から降りてきたイリルが視界に入ったからとっつかまえて、壁に当ててみる。『痛いじゃないですか、定香さん』といつもの声が帰ってきた。
うん、多分これは夢じゃない。
ってことは、あれだ。
きっと寝過ぎてあたしの頭はまだ完全覚醒してないんだ。
だから、幻覚なんて見てしまうんだ。
あたしはもう一度最初からやり直す事にした。
「お兄ちゃん、おはよう!!!!」
「うん、おはよう、定香」
「ですから、もうこんにちわのお時間ですわよ、妹さん。所で、あなたはさっきから一体何がしたいのか、わたしには全く検討が付かないのですが?」
まだ、居た。
うん、結論。
奴はここにいる。
しかも許せないことに、お兄ちゃんの横に座って、腕まで組んで一緒にテレビを見ている。
「あああああああ。なんであんたがここにいるの!
うんん、大事なのはそんな事じゃない。一刻も早くそのお兄ちゃんの腕から離れなさい!」
あたしはそう言ってお兄ちゃんの横に座る桜愛理子を指さした。
「なんでって、愛する殿方のお家にお邪魔するのは奥方として当然の摂理だと思いますわ。
それに、わたしは誠流様を愛していますわ。だから、本当は腕を組むぐらいでも足りないぐらいですわ」
愛理子は勝ち誇った笑みを浮かべ、あたしのソレなんかとは比べモノにならない程大きな双球をお兄ちゃんの腕に押しつけた。
悔しくなんかないもん。
おにいちゃんの横に座って一緒にテレビを見てるのは悔しいけど、あんな大きな胸なんて幾ら見せつけられても悔しくなんてないもん。
悔しくなんて、絶対にないんだからね。
お兄ちゃんは、巨乳好きじゃないんだもん。多分………。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ううん、流石は誠流様。朝食も頬が落ちるほど美味でしたけど、昼食はまさに想いが咲き乱れそうなほどの美味ですわ」
お兄ちゃんとあたし、そして桜愛理子を加えた三人でテーブルに座って一緒にお昼ご飯(あたし的には朝ごはん)を食べている。
あ、ちなみにイリルは椅子に座らないし、食事もしないからソファーの上に放り捨てておいたよ。
桜愛理子がいるだけで厄介なのに、これ以上話をややこしくしてしまったら、物語が終わらなくなっちゃうからね。
「ありがとう、桜。なんかそこまで褒められると嬉しい以上に恥ずかしいかな」
「あら、わたしは本当の思いのままを述べたまでですわ。もっと胸をはって良い、腕前だと思いますが」
なんか、会話にあたしが入る隙がない。
折角のお兄ちゃんお手製料理もイマイチ味が分からないままあたしはサンドイッチをただ静かに食べ尽くした。
桜愛理子がまるで、お兄ちゃんの恋人気取りであれやこれやしているのは正直、気にくわない。
今すぐパラレル・ティーカに変身して魔法の一発でも与えないと気が済まないぐらいにあたしの想いは今にも弾けそうだ。
でも、そんな怒りさえも気にならない違和感をあたしはお兄ちゃんに感じていた。
「ねえ、お兄ちゃん」
「どうした、定香?」
愛理子とお兄ちゃんの会話を無理矢理遮ってあたしはお兄ちゃんに呼びかける。
途中乱入された愛理子が悔しそうに頬を膨らますけど、そんなこともお兄ちゃんの変化に比べたらどうでも良いことだ。
「昨日の夜、何してた?」
また、お兄ちゃんの体から青銅の剣が生まれる映像が頭に浮かぶ。
歪みそうになる顔をなんとかごまかし、あたしはお兄ちゃんを見つめる。
ほんの僅かでもお兄ちゃんの変化を見逃さないように、真剣にお兄ちゃんの瞳を見つめる。
実はちょっと恥ずかしいけど。
「なんで、そんなこと聞くんだ、定香」
「なんでって、ちょっとだけ気になったから。なんか、今日のお兄ちゃん。いつものお兄ちゃんと違う気がするの。
何処がって上手く言えないけど、でも、いつも毎日一緒に暮らしているから感じるの。なんでか、お兄ちゃんが遠くに行ってしまうようで不安なの」
お兄ちゃんは何も言わなかった。
ただ、小さく笑っただけだった。
それはまるで、自分の死期を聞かされた入院患者のような自虐的な笑みにあたしには見えた。
横で桜愛理子が何か呟いたようだけど、お兄ちゃんにだけ注目していたあたしには上手く聞き取れなかった。
「大丈夫だよ。定香、ボクは何処にも行かない。
約束するよ、ボクは何があっても定香の側にいるって」
お兄ちゃんはそう言ってくれたけど、あたしには信じられなかった。
そして、それは彼女も同じだったみたい。
「それは、無理ですわ、誠流様」
桜愛理子が椅子からゆっくりと立ち上がった。
この時、あたしはやっと気づいた。
愛理子の左薬指にはめた指輪に魔力が溜まっていることに。
そして、彼女がお兄ちゃんに近づいていた本当の理由を今更ながらに思い出した。
「お兄ちゃん、逃げて!!」
「なぜなら、わたしに殺されるのですから」
あたしの叫びと愛理子の魔法が放たれるのは同時だった。
あたしの目の前でお兄ちゃんは桜色の光に飲み込まれ、静かに床に倒れ込んだ。
「お兄ちゃん!」
あたしはすぐさま、お兄ちゃんの側に駆け寄った。
良かった。息はしてる。
お兄ちゃんともう会えなくなる不安、
すぐ側にいたのにお兄ちゃんを守れなかった後悔、
そして躊躇いもなくお兄ちゃんを攻撃した彼女への怒り。
色々な感情が弾けては心からあふれ出し、あたしは涙で濡れた瞳で桜愛理子を睨み付けた。
「あなた、なんでお兄ちゃんを狙うの?
あたしは認めないけど、お兄ちゃんのこと好きなんでしょう。それなのに、なんで、お兄ちゃんを殺そうとするの!」
「それは、あなたには関係のないことですわ。
もっとも、一言だけ言わせてもらえば、わたしが愛したのは、そこで無様に倒れているような男ではないという事ですわ」
許せなかった。
今、この女はお兄ちゃんを侮辱した。
この女の全てがあたしにはもはや、許せなかった。
「イリル!! 何もたもたしてるのさっさと来なさい!」
「っちょ。定香さん、今、魔法の気配が………、あ、お兄様。一体何が…がば」
魔法の気配を感じてあたしの側にやってきたイリルを掴むとひったくるように胸元に持ってきた。
「定香さん、もう少し優しく扱って下さいよ………」
イリルがいつものように不平を垂れるが、もちろんそんなこと気にするあたしじゃない。
イリルの杖先を桜愛理子に突きつけ、あたしはもう1人の魔法天使である彼女を何も言わずに睨み付けた。
愛理子も何も言わず、まるであたしを哀れむかのように見下してくる。
静かな時が、ただただ過ぎていく。
あたしの中で魔力が高まりイリルに集約していく。
同じようにして、愛理子の魔力も彼女の右薬指にはめられた指輪に収束していく。
あたしから紫の魔法光、愛理子からは桜色の魔法光があふれ出す。
一触即発。
そんな状況を壊したのは、あたしでも愛理子でもない。お兄ちゃんだった。
「定香、怒りにまかせて魔法を使ったら駄目だよ。
イリルを下ろしなさい。桜もキミの狙いはこのボクなんだろう。定香は関係ないだろう、止めてくれ」
お兄ちゃんの声に従いあたしの体から魔力が抜けていく。
魔力を溜めた愛理子の前でそんな無謀になるのは、自殺行為かもしれないと思う。
でも、なんと言ってもお兄ちゃんの言葉だもん。もう考える前に体が勝手に動いちゃってた。
桜愛理子は、それでもしばらくは魔力を維持していたけど、やがてあたしみたいに溜めていた魔力を全部霧散させた。
そして、何も言わずにあたしとお兄ちゃんの横を通り過ぎて部屋を出て行こうとする。
「あなた、何処に行くつもり?」
「何処にと言われましても、本日はもうお暇させていただこうかと。
本当は何も知らない誠流様とお近づきになって、静かに誠流様を殺してさしあげたかったのですが。どうやら、その様子ですと、誠流様は真実を知られてしまったようですから」
振り返った桜愛理子は、どうしてだが今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「ですから、お覚悟ください誠流様。
次、あなたと会うときには、あなたはわたしを愛し、わたしはあなたを殺し、あなたに秘められた力を壊させていただきますわ」
そうとだけ言って桜愛理子は部屋を出て行った。
あたしは彼女を追うことが出来なかった。
本当は、お兄ちゃんを殺そうとしている奴を放っていく事なんて出来ない。
でも、今は愛理子の魔法に当てられたお兄ちゃんの事が心配だし、それに実を言うとあたしの手は小さく震えていた。
お兄ちゃんの体から青銅の剣が生え、お兄ちゃんが死ぬ。
そんなビジョンがまるで現実で体験した出来事であるかのように、
あたしの視覚を赤に染め、
聴覚を悲鳴で支配し、
嗅覚を血の臭いで被い、
味覚を鉄の味で満たしていたから。