第二話:その杖の名前は次元監視者 イリル
第二話:その杖の名前は次元監視者 イリル
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
抜き足、忍び足、差し足………で良かったかな?
もうあたしが生まれてくるよりも前の言葉だから、よく分からないよ。
あたし、久我定香は今、大好きなお兄ちゃんのお部屋に侵入中。
これは不法侵入や、夜這いならぬ朝這いじゃないからね。
あたしの呼びかけに起きないお兄ちゃんが悪いんだよ。
「う~ん」
うわああ、お兄ちゃんの寝顔っていつ見てもスイートキューティー。
もう、一気にあたしの想いなんて弾けちゃいそうだよ。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、朝だよ」
あたしはお兄ちゃんが起きない程度に肩を揺する。
やっぱ、既成事実って言うのは大切だとあたしも思うんだよ。
それでも、お兄ちゃんが起きない事を確認したあたしは、いよいよ今朝の目的を果たす。
ゆっくりと目を瞑ってお兄ちゃんの柔らかそうなほっぺに唇を寄せていく。
しゃあああ。
胸のドキドキが止まらないよ。
お兄ちゃんの匂いがすぐそこでするよ。
もう後、刹那であたしの唇とお兄ちゃんのほっぺが触れるという運命的な瞬間に、
ピンポ~ン
空気を全く読まない侵入者があろうことかチャイムを大音量で鳴らしたの。
あたしは慌ててお兄ちゃんから飛び退いた。
なんか、雰囲気ぶちこわしで、あたしの想いは怒りで弾けちゃいそう。
こんなムードでお兄ちゃんとはキスしたくない。
あたしは、頬を膨らませながら、階段を下りて玄関へと行く。
あたしとお兄ちゃんとの幻想的な一時を壊した罪は大きいよ。
もし、あたしがまだ『弾ける想いを届ける魔法天使 パラレル・ティーカ』だったら、迷うことなく魔法の三発ぐらいぶつけてあげるのに。
でも、あの変な魔法の杖は、グリーン・ソードっていう美少年にあげたし、今のあたしは、お兄ちゃんに恋するただの久我定香、どこにでも平凡な女子高生なんだよ。
「は~い。どちら様ですか。久我家は新聞、宗教、恋愛、保険、職業、笑顔すべて間に合っておりますので、業者の方はお引き取り願い………」
「さあ、定香、変身だよ」
もう二度と聞く事はないと信じていた声にあたしは硬直してしまった。
今、玄関の前にいるのは、セールスマンでも、宗教の勧誘でもない、あの日あたしが捨てた魔法の杖だ。
宙に浮いた、人語を話す杖と向かい合うあたし。
なんてシュールな光景なんだろう。
あたしは小さくため息をつくと、すぐそこにあった傘立てから百円のビニール傘を取り出して、
「あれ、定香さん。どうしたのですか、うっすらと笑って、なんかすごく不気味なんです……ウッガ」
うるさい蠅をたたき落とすかのように、魔法の杖を傘で殴りつけたの。
はい、お終い。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
でも、不幸なことに物語は続いているの。
「あの~、定香さん。定香さんって、こんな趣味がおありなのですか?」
あたしの前には、縄で甲羅縛りした妖しい魔法の杖さんがやっぱりいる。
何度見ても間違えない、この前、いきなりあたしの前に現れて、あたしを魔法天使にしたあの杖だ。
「あるわけないでしょう。でも、お兄ちゃんがもしそういう趣味だったらって思って、一応基本だけは覚えていただけなの。
べ、別にあんたなんかのために覚えたんじゃないからね」
あ、最後の方は最近覚えたツンデレ言葉。
あまり使う機会がなかったからついでに練習してみちゃった。
「で、本当、どうしてあなたは、またあたしの前に来たの?
あたし、あなたをあのグリーン・ソードっていう少年に、確かあげたはずなんだけど。だめだよ、勝手に逃げて来ちゃ」
「あ~~、自分にはちゃんと自我があります。自分が何時、あなたの所有物になったというのですか?」
「だって、ほら、魔法少女の杖が誰の物だって聞かれたらみんな、魔法少女の物って答えるでしょう。
そーいうこと、あなたはあたしに『さあ、変身だよ』って言った時点で、あたしの所有物になるって宣言したも同然なんだよ」
「何ですか、その超俺様的理論は!……………………、それにもう少女って年じゃないでしょうが、このブラコン娘」
あ~あ、最後の独り言は小声で聞こえないとか思っているでしょうね。
でもね、あたしはお兄ちゃんの一言すら逃さないように聴覚も、もの凄く良いんだよ。
ぜ~んぶ聞こえてるんだよ。
あたしは、笑顔を浮かべながら魔法の杖を優しく撫でた。
「あれ、定香さん。どうかされました?
自分を撫でる手つきにもの凄く殺気を感じているのですが、これって気のせいですよね、そ~ですよね!」
魔法の杖さんは、なかなか野生の感が良いようで、なんか叫いているけど、あたしは気にしない。
あ、でも、あんまり騒がしくしちゃうと、まだ部屋で寝てるお兄ちゃんが起きちゃうかも。
「ねえ、あたしって、そんなにおばさんに見えるかな?
知ってる、魔法少女ってかなりポイント高いんだよ。男の約ニ割は隠れ魔法少女ファンなのよ。それにね、あたしはブラコンじゃないよ。
これは愛、ブララブなんだよ」
魔法の杖さんが一気に冷たくなったのを、あたしは撫で続ける掌で感じた。
それにどうやら、冷や汗もかいているみたい。
「あ、あ、い、や、う、ああ、その、定香さん、聞こえてました?」
あたしは首を縦に振った。
「さあ、変身しようか。あたしの敵はもちろん、あなただけどね」
「いや、定香さんすみません。前言撤回させて頂きます。つっか、させて、自分、まだ死にたくない!
こんな惨めな死に方だけは絶対に嫌だ!」
「そんな、死ぬなんて怖いこと。定香はただ、あなたにあたしのお兄ちゃんへの愛をもう二度と勘違いしないように教えてあげる、だ・け・だ・よ」
椅子に甲羅締めになっている杖さんが本格的に震え始めた。
あらあら、恐がりな魔法の杖だ事で。
「ねえ、そう言えば、まだあなたの名前聞いていなかった、教えてくれる?」
「じ、自分の名前は、次元監視者 イリルです」
「それが遺言で良いよね? まあ、決定事項だけどね」
その瞬間、イリルは白目をむいて(何処にあるのか分からないけど)気絶しちゃった。
あぁあ、折角悪女プレイの練習になってたのに…………
ちょっともったいなかったな。
うん? そう言えば、次元監視者って何だろう?
この杖―イリル―は最後にそんなこと言っていたけど、それってどんな意味なのかな?
なんて、ぼんやりと考えたあたしは、階段が軋む音で一気にのことを頭から追い出した。
きゃ、お兄ちゃんが起きちゃったよ。
イリルどうしよう、ゴミ箱に捨てる…じゃなくて、隠す?
………駄目だ長い。
それじゃクローゼットの中は?
………あ、でもその前にこの甲羅縛りをはずさなちゃ。
そうこうしている内に、パジャマ姿のお兄ちゃんがリビングに入ってきた。
「あ~、おはよう定香」
「お、おはよう。お兄ちゃん」
あたしは、椅子に甲羅縛りで縛り付けた杖を必死に外しているポーズのまま、お兄ちゃんに朝の挨拶をした。
いやあああああ。
お兄ちゃんにまた変な妹だと思われちゃうよ。
「定香は本当、朝から元気だな。今度は一体、何を始めたんだ?」
「え~と、ね。そう、これあたしが考えたダイエット道具なの。ホラ、たまにあるでしょう。乗馬の姿勢がダイエットに良いって。アレを参考に作ってみたの。あははは」
きゃあああ、あたしなにテンパってるの。
もっと可愛い嘘とかあるでしょう。
「なるほどね」
僅かに顔を引きつらせながら、お兄ちゃんは着替えのため脱衣所に向かった。
いやああああ、恥ずかしい。
あたし、もう死にたいよ。
マリゾナ海溝にでも誰かあたしを沈めて………って、あれはアリアナ海溝だったけ?
それも、これも全部、このイリルが悪いんだ。
あたしはこの乙女の怒りを拳に込め、拳で乙女の悲しさをに教えてあげたの。
「ウグエ」
そのせいで、イリルの意識がまた覚醒しちゃったけど。
「あれ、定香さん。どうしたんですか、そんな泣きそうな顔して?」
「なにのんきなこと言ってるの! それもこれもあんなのせいよ。
あたしまた、お兄ちゃんに頭可笑しい子だって思われちゃったよ。こんなんじゃ、あたしお兄ちゃんに嫌われちゃうよ」
駄目だ。
思考が嫌な嫌な方へ流れていくのを止められないよ。
「あ~と、自分には話がよく見えないのですが、とりあえず、定香さん変身して頂けますか? 今、この世界、わりとピンチなんですよ」
「そんなの知らない。知ってる? 女の子は、世界の平和よりも自分の恋の方が大切なの。
世界平和なんて、銀色の巨人や、緑のバイク野郎か、カラフルな五人組が守れば良いのよ。
あたしは、恋に生まれ、恋に育ち、恋に死ぬ、普通の少女なのよ」
「実兄に恋する時点で全然、普通じゃないかと…………」
「恋に、血も、法も、世界も関係ないのよ。
あたしがいて、お兄ちゃんがいるそれだけで恋が始まる理由は充分でしょう。恋は始まると、もう誰にも止められないの。
弾けそうなほどに膨らんだ想いを抱えて、一生懸命に恋するしかないの!」
気が付くとあたしは涙を流していた。
あたしだって、実の兄に恋するなんて本当はどんなにいけないことなのかぐらい分かってる。
でも、それでもあたしはお兄ちゃんを好きなった。
なってしまったんだ。
恋が今にも弾けそうでたまらないのよ。
「だって、あたしはお兄ちゃんが大好きなんだもの」
イリルと名乗った魔法の杖を前に、あたしは、恥じらうことなく涙を流し続けていた。
「あ、え、その、定香さん、まずは落ち着きましょう。ほら、え~とまずは深呼吸でもしましょう」
イリルはそう言ってあたしを励ましてくれるけど、それじゃ駄目なの。
あたしにはお兄ちゃんじゃないと駄目なの。
お兄ちゃんの声が聞きたい。
お兄ちゃんに抱きしめてもらいたい。
お兄ちゃんが良いの。
「あれ、定香、変身しないの?」
そんな風にお兄ちゃんを想っていたあたしに聞こえてきたのは、お兄ちゃんの意外な台詞だった。
「へ? お兄ちゃん何言ってるの?」
「だって、その杖があるって事は、定香、パラレル・ティーカに変身するつもりなんだろう」
あれ?
もしかしてあたしがパラレル・ティーカだって、既にばれてるの?
確かにパラレル・ティーカは衣装変わるけど、顔はいつものあたしのままだったんだよね。
折角、ごまかしたと思っていたのに………。
でも、ちょっと嬉しいかも。
だって、パラレル・ティーカの正体見抜いてくれてってことは、お兄ちゃんが毎日あたしを見てくれているって事だよね。
でも、ごめんね、お兄ちゃん。
あたしはもう、パラレル・ティーカにはならないよ。
なれないの。
「違うよ。そんなあたし、もう、あんなお兄ちゃんを傷つけるかもしれない力なんていらないよ。もう、あんな危険な力絶対に使わないよ」
「そうじゃないよ。定香、あれは定香の弾けるほどの想いがあったからだよね。確かに危険かもしれない。
でも、その力を必要としている人がいるんでしょう。
なら、恐れたら駄目だよ。あれだけの弾ける想いを持ってる定香を、ボクは正直、凄いと思うよ」
「でも、でも、でも、あたしの力は………」
「それにさ、正直に言うと、ちょっと恥ずかしいけど、パラレル・ティーカになった定香…なんというか、可愛かったよ」
その一言で、あたしの悩みや不安は全て吹っ飛び、頭の血は一瞬で沸騰、顔の朱は一瞬で浸透、胸のときめきは一瞬でゲージを振り切った。
お兄ちゃんが、お兄ちゃんが、パラレル・ティーカになったあたしを可愛いと言ってくれた。
もう、それだけで、あたしが魔法天使になる理由なんて充分だ。
「さあ、イリル、変身よ」
「っちょ、それ自分の台詞。つか、さっきまであんだけ嫌がっていたのに、何ですか、その身の変わり様は?」
「さっきも言ったでしょう。乙女は恋に生まれ、恋に育ち、恋に死ぬ。そしてね、乙女は恋に変身して、恋に戦うのよ!!」
あたしは魔法の杖・イリルを握りしめ、呪文を唱える。
さあ、お兄ちゃんよ~く見ていてね、定香はお兄ちゃんのために、これかも魔法天使続けていくんだから。
「届け! あたしの想い オーバー キュア ハート」
あたしがイリルをくるくると回すと、イリルの先端から紫の帯が出てきて、あたしを優しく包み込んでくれる。
紫の帯は、あたしを生まれ変わらせてくれる繭となり、あたしの全身を包み込んだ。
さあ、行くよ~~。
「スパーク!!」
紫の繭が弾け飛んで、その中から出てきたあたしはもう久我定香じゃない。
紫と白との入り交じったコスチュームに身を包んだあたしの名前は、
そう、
「弾ける想いを届けるため 魔法天使パラレル・ティーカ ただいま参上、よ」
ねえ、お兄ちゃん、あたし、可愛い?
明日は、この格好で起こしてあげるから、期待して待っててね。