第八話:想いを伝えて
第八話:想いを伝えて
わたしは一人、頭を垂れ続けておりました。もう、今のわたしには、しっかりと前を見据えるという当たり前の想いすら咲かせることすら出来ません。
太陽の光を浴びることが出来ない花のように想いが枯れていきます。
一体、どれほど、わたしの想いは萎れていたのでしょうか。わたしが再び前を見据えたのはポケットに入っていた携帯が着信音を告げたからです。わたしはお化けに怯える少女のように震え、両膝を抱え込み、世界中から隠れるかのように小さくなります。
音は鳴り続けます。まるで、その音こそが想いを奏でているかのように、わたしの胸に深く突き刺さります。
怖かったです。とても怖かったです。ですが、逃げ続けることは出来ません。
わたしの友人は、五聖天使の生け贄に選ばれてしまったのです。もうすぐ、彼女達は人間ではなくただの道具へなってしまう。
それを止めるのは、わたしはこの体を定香ちゃんに返さなければならないというのに、わたしの願いは定香ちゃんの想いを変えることができませんでした。
わたしは自分の犯した罪を自分で償うことも出来なかったのです。
わたしはポケットから携帯を取り出し、液晶画面を確認します。やはり、そこに映し出されていたのは彼女の名前です。力の入らない指先がゆっくりと通話ボタンを押しました。
「やっと、出てくれたわね、愛理子さん」
電話口から聞こえてきたのは、やはり、いつもの優しい声色でした。
「どのような、ご用件ですか…………小夜さん?」
自分でも情けないと思うぐらいに細々とした声しか出すことが出来ません。
「まだ迷っているの。やっぱり、この一件が片づいたら一度、私の相談室に来た方が良いかも知れないわよ。それとも、執行部室でみんなでまた笑いながらでも良いけどね。何時でも、何処でも、あなたの悩みぐらいなら何時でも聞きいてあげるよ」
「どのような、ご用件ですか…………小夜さん?」
まるで、壊れたレコダーであるかのように、わたしの口からは同じ言葉しか出て来ません。
「これで、最後かも知れないから、もう少しお話をしたかったのですが………」
「どのような、ご用件ですか…………小夜さん?」
もうこれかしか出来ません。
「焦らないでよ。本当、私の想いはここにあるというのに、伝えるのってもの凄く難しいよね。それとも、ここにしかないから伝えるのが難しいのかも知れないわね」
「どのような、ご用件ですか…………小夜さん?」
「だから、焦らないで。私達、友達でしょう。いつもわたしは誰かの悩みを聞き続けてきたの。そんな私にだって、想いや悩みだってあるわよ。だから、たまにはあなたがわたしの話を聞いてくれても、良いんじゃないの?」
「…………小夜さん?」
僅かに、ほんの僅かにですが今、私の想いに光が届きました。それは太陽の輝きではなく、夜のようなとても淡い光でした。力強い輝きはその光にはなかったけど、温かい優しさに溢れておりました。
「ふふふ。少しは目が覚めましたか? さて、雑談は終わりね。オリオン様も少し、私のこと睨んでますし、もう無駄話は出来そうにないわね」
「……小夜さん、私はあなたを………友達であるあなたを………」
縋りました。
私の想いに差し込んできた淡い希望にわたしの想いが縋るかのように手を伸ばしていきます。闇に包まれて何も見えなくなっていた想いの中に、確かに道が見えたのです。
「魔法天使シリアル・アリスに告げます。あなたの同罪人である、魔法天使パラレル・ティーカは、今、五聖天使の手に堕ちました。その汚れた身を今すぐ差し出せば、審判の儀には間に合います。神に許しを請い、その身を清めれば、私達はまた、一緒に笑っていけるかも知れませんね」
わたしの言葉を遮って、五聖天使に差し出された生け贄である小夜さんが、道を示してくれます。それは、全てが元通りになる、きっとハッピー・エンドへの道筋です。明日も誰も悲しむことなく、きっとみんなが笑っていける明日を築くための儀式と犠牲です。
「小夜さん、紅音さん。わたしは、あなた達を………救い出したいです」
わたしがやっとの事で絞り出した想いは、しかし、友達に届くことはありませんでした。
私と小夜さんを繋いでいた回線は既に切れてしまっていたからです。
通話時間を知らせるモニターが消え、待ち受け画面が現れます。そこに映っていたのは文化祭の打ち上げ時に執行部のみんなで取ったプリクラの写真です。
定香ちゃん、小夜さん、紅音さん、そしてわたしと伊奈川会長が思い思いの笑顔を浮かべて思い思いのポーズを取っております。
「きっと、これで良いのですよね」
わたしは電話帳を開き、カーソルを動かしていきます。目をつむって同じ動作を100回連続で行えと言われても完璧に行える自信があるぐらいに体に染みついた動作で、わたしはお兄様の番号までたどり着きました。
わたしの中にある想いを断ち切るためにも、これもきっと必要な儀式なのでしょう。
僅かに芽生えた想いを胸に、わたしの親指が呼び出しボタンに触れた瞬間、携帯が震え、着信音が鳴り響きました。
「っわ!」
驚きすぎて、危うく携帯を落としてしまうところでした。
きっとすぐに電源を切ればよかったのでしょう。でも、残念なことにわたしは今し方まで液晶モニターを見ていたのです。自然と発信者の名前が視界に入ってきてしまいます。
彼女はこの一件とは全くの無関係な方ですが、わたし達生徒会執行部にとってはとても大切な仲間なのです。無視することが出来ず、わたしは通話ボタンを押してしまいました。
「もしもし、愛理子でございますが………」
「ばっきゃろ~~~う!!」
「っひゃ!?」
いきなりの怒声に思わず、携帯を耳元から遠ざけてしまいます。何故でしょう、彼女は五聖天使の一件を知らないはずなのに、とてもお怒りのようです。
「愛理子、やっとつながった。小夜に電話してもあいつは、あいつはあっしの電話を無視してるしよ、定香や紅音は電源切っているかしれねえけど、そもそもつながらねえしよ。聞けば全員、今日学校、休みみたいじゃねえかよ。おい、こら、お前らは、この散らかりに散らかった部屋の掃除をあっし一人に押しつけるつもりか? このすっとこどっこい!!」
実家が有名なソバ屋であるためか、ちょっと江戸っ子口調の入ったこの方は、伊奈川 くじらと言いまして、わたし達執行部の会長を務めております。
そう言えば、一昨日、昨日と伊奈川会長はご姉妹が病気になってしまわれたと言いまして、執行部に顔を見せておりませんでした。そして、伊奈川会長がお休みしているその日に、執行部室はオリオン・T・オータムに襲撃され、かなり悲惨な状況になっております。
「会長。なんと言いますか、ご愁傷様です」
「てやんで~~~!! お前らそろって無断欠席だってな。まさか、お前らど派手な喧嘩して、顔を見せづらいから休んだとかいわねえよな。執行部室をこんなにするなんて、一体どれだけだ!!っていうだ、まったく。さっさと仲直りして、揃って出て来いってんだ」
「そうですね。………はい、会長。今日は無理かもしれませんけど、明日には……みんな、笑って登校いたしますわ」
言葉にしない想いは無いのと同じです。わたしは自分の決意を言葉に乗せ、伊奈川会長へ伝えましたが、まだまだ想いが足りないのでしょう。言葉は自然と弱々しくなり、その中にあった想いの危うさに伊奈川会長は気づかれてしまいました。
「なあ、愛理子。あっしはさ、あんたらに昨日何があったのか、全くしらねえけど、これだけは言わしてもらうよ。もし、本当に明日みんなで笑って登校したかったら、思いっきり喧嘩して、悔いなく自分の想いを見せびらかすことだな」
「それは、さっさと仲直りしろと言われた方の言葉とは思えない発言ですね」
「一言に仲直りって言っても、色々とあるけど、仲直りって言うのは勝ち負けじゃない。一方が引けば確かに喧嘩は終わるけど、それはさ、あっしは本当の仲直りじゃないと思っているってわけ。本当の仲直りって言うのは、自分の想いを全て相手に伝えて、相手の思いを全部自分が受けとめて、はじめて仲直りってわけ。だって、喧嘩なんて結局は、自分の想いを相手に分かって欲しいから、しちまうものだろう」
「わたしの想い…………、相手の想い………」
無意識の内にわたしはその言葉を呟いておりました。
もしかして、わたしは今までとても大切な事を見落としていたのではないのでしょうか。わたしは、秘めた想いが咲き乱れる 魔法天使シリアル・アリス。わたしの力の源は秘めた想いです。わたしがこれまでずっと魔法を使ってこれたのは秘めた想いを胸に秘め続けていたからです。
わたしは、わたし自身がもっともよく知っている事をもしかして見落としていたのではないのでしょうか。
「愛理子はさ、ちゃんとあいつらの言い分聞いたか? それに自分の想いをちゃんと相手に伝えたか? なんか今の声、聞いてると、場を納めるために自分が悪人になることですませようとしているようにあっしには聞こえるな。そんな仲直りじゃ、明日は笑えても、明後日はまた喧嘩かも知れないから、あっしはおすすめしないな」
わたしは想い出を取り戻すかのように小さく息を吸い込みます。
昨日、生け贄となった小夜さんと出会ってから今までという、わたしにとっては地獄のような長い時間を想い出します。そこにあったのは二つの想いだけでした。
一つは、五聖天使であるオリオン・T・オータムの神を信じる想い。もう一つは、魔法天使である定香ちゃんの誠流さんを愛する想い。
そうでした。
わたしはなんと思い上がっていたのでしょう。わたしはまだ彼女たちの秘めた想いを聞いておりませんでした。それなのに、わたしは自分で勝手に決めつけて、一人で絶望と後悔に打ちひしがれていたのでしょう。
「本当、茶番ですね」
わたしは自虐的に笑いました。
わたしは知っていたはずです、人には皆それぞれ秘めた想いがあることを。人は皆、心に秘めた想いを咲かせることで、想いを力に変え、今を生きているのだという事を。
そんな基本的な事を忘れてしまっていたわたしはなんと愚かであることでしょうか。
やっと、やっと、わたしは想いました。
「うん? 愛理子。なんか言ったのか?」
「伊奈川会長。わたし、思いっきり、喧嘩してきますわ。自分勝手な想いを全てぶつけてきます。そして、あの人達に聞いてきます。あの人たちの秘めた想いを、全て聞き出してきます」
「応。さっさと喧嘩して、仲直りして、戻ってこい。そして、この部屋の片付けを手伝いやがれってんだ」
受話器の向こうから、想いが聞こえてきました。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
伊奈川会長との電話を終えたわたしは定香ちゃんがわたしに握りしめさせた桜色の指輪を、再びはめることが出来ました。
これはわたしが秘めた想いを咲かせ続けている証です。
わたしが静かに想うと、指輪は桜色に淡く光りました。
どうやら、魔法は無事に使えるようです。わたしは想い続けました。
わたしの大切な友人である小夜さん、紅音さん、そして、定香ちゃんを救い出したいと想いを心に秘め続けました。
枯れていた花が瑞々しさを取り戻し、閉ざされていた闇に月光のような優しい光が差し込まれていくかのように、わたしの中に想いが魔法へと変わり満たされていきます。
わたしは再び携帯電話を取り出すと、優麗な手つきで、お兄様の番号をコールしました。
先程ととは全く別の想いを秘めたわたしは、もうお兄様との恋愛を恐れたりなどしません。
「っよ。愛理子、さっきイリルから変な電話が掛かってきたんだが、そっちで何か起きたのか?」
電話からはいつもと変わらないお兄様の声が聞こえてきました。いつもと変わらないのに、とても懐かしく思えるのはきっとわたしが、わたしの想いが変わってしまっていたからなのでしょう。
この幸せな時の中で、想いというとても大切なことを見失っていたわたしはもしかしたら、愛する人の想いすらも感じていなかったのかも知れません。
「はい。大問題発生中ですわ、お兄様」
「!?」
「うん?どうされましたか、お兄様? 何故か息を飲むような気配を感じたのですが、あ、大問題と言いましても、お兄様に影響は全くなくてですね。これはわたしの方が解決しなければ」
もしかしたら、イリルさんの事ですからもしかしたら”生け贄”の事をうっかりお兄様に話していたかも知れません。そんな可能性に遅まきながら、思い当たったわたしは少し慌てて状況を説明しようとしましたが、そんなわたしの言葉をお兄様の想いが遮りました。
「愛理子……」
「はい、何でしょう、お兄様?」
「私はお前が、好きだ」
「!?」
今度はわたしが息を飲む番になってしまいました。前準備もなくいきなり好きだと言われてしまった私は顔を真っ赤にして、必死に高まる動悸を抑えつけます。
「お兄様、一体、いきなり急に、何を言い出すのですか。いきなりすぎて、まだドキドキしてますよ」
「あ~わるい。今のお前の声を聞いた瞬間、また一段と私は愛理子の事が好きになってしまった様でな。お前の胸が高鳴っているように、私だって鼓動はやばいぞ。これが、お前たち魔法天使の言う所では、想いに撃たれたって所なんだろうな」
声を聞いているだけでも、受話器の向こう側でお兄様が照れ笑いを浮かべている姿が想像できます。もっとお兄様と語り合っていたい所なのですが、生憎と現在進行形で問題が発生しているのです。
お兄様との楽しみは、全てが終わった後で心おきなく楽しませて頂きますわ。
「ねえ、お兄様。わたし、お兄様を愛する事がとても怖かったです。お兄様が怖いとかそんな事ではなく、お兄様と愛するためになら、どんな事でもしてしまいそうな自分が恐ろしかった。いいえ、今も本当は恐ろしいのです。ですが………」
わたしはそこで、話を一度区切りました。携帯の電話越しでお兄様がわたしの次の言葉を静かに待ってくれています。
申し訳ありません、お兄様。少しお時間をいただきますわ。
私はそっと右手を持ち上げると、桜色の指輪に口づけをして魔法を発動させます。わたしの体は一瞬で桜色の光に包まれ、僅かな弾ける想いを辿り、わたしは彼女たちの前に瞬間移動を行いました。
ここは何処かの教会なのでしょうか。
私の眼前には、ステンドグラスの前に立てられた十字架に磔にされた定香ちゃんがいました。体中が傷だらけですが、意識ははっきりしているのでしょう。わたしの姿を認めると敗北を恥じるように照れ笑いを浮かべました。
すぐさま、辺りを確認すると、十字架にはり付けられた定香ちゃんを対峙すかのように入り口の扉の前にオリオン・T・オータムが立っており、彼女の左右には従順な僕であるかのように小夜さんと紅音さんが控えておりました。
わたしはオリオンに一瞥をくれると、視線を二人の友人へ向けます。生け贄にされても小夜さんは”想いはここある”と言っておりました。ならば、その秘めた想い、わたしが聞き出してみせます。
でも、まずは!!
受話器をきつく握りしめ、わたしの秘めた想いが今、満開になります。
「お兄様。わたしは、お兄様の事が大好きですわ! もうお兄様以外じゃこの体は満足できないぐらいに愛していますわ! だから、わたしが学生を卒業しましたら、わたしにあなたの子供を産ませて下さい!」
お兄様に向けたわたしの想いは、ですが、この場にいる皆にも届き、わたしの想いが皆の心の中で咲き乱れていきます。




