第七話:大吉の先に待っているもの
第七話:大吉の先に待っているもの
「これは、なんの真似なの、愛理子?」
わたしの差し出した桜色の指輪を一瞥すると、定香ちゃんはまるで吐き捨てるかのように尋ねてきました。ここまで怒っている定香ちゃんをわたしは今まで見たことがありませんでしたが、わたしにもわたしの想いがあります。ここで引くわけにはいかないのです。
「返して下さい、わたしの体を。わたしは汚れた想いを、清めます」
定香ちゃんはわたしの想いを見定めるようにわたしの瞳をのぞき込んできます。
「あんた、その想い、本気で言っているの?」
「見ての通りです。もう、こんな偽りの茶番は、止めにしましょう」
わたしの言葉が終わるか否か、桜色の指輪を弾け飛ばして定香ちゃんがわたしを押し倒してきました。受け身を取れることなく強打した背中に激痛が走りますが、定香ちゃんが馬乗りになっているため身動きが取れません。
「あの、定香さん。お気持ちは分かりますが……その、もう少し穏便に………」
「あんたは、黙ってなさい!! 口を挟むな!! これはあたしと愛理子の二人の問題よ!!」
定香ちゃんの気迫に満ちた怒声が一喝。きっとまだ定香ちゃんを止めたいであろうイリルさんもですが、この想いの前に沈黙するしかありませんでした。
「愛理子、あんた、今、茶番って言った。あたし達の事、茶番って!!」
「だって、そうではありませんか。わたし達は、心を入れ替え、生まれながらとは別の体を使って、実の兄と愛し合っているのです。こんな異常な生活、茶番と言わず何と言うのですか!!」
定香ちゃんの怒声に負けないぐらい、わたしも声を張り上げて言い返します。オリオンとの戦いで空っぽになっていた想いが一気に咲き乱れていきます。
それはずっとわたしが想っていた不安であり、それはわたしが大切な友人と過ごしてきた想い出から実った満開の想いでした。
「そうだよ。こんなの異常だよ。でもね、そんな異常なんて、あたし達が実のお兄ちゃんに恋した時から、既に異常なんだよ。いまさら、異常、異常って、そんなの分かっているよ!! それでも、あたし達は幸せなんでしょう!!」
「そうですわ。わたしは幸せでした。夢だと思っていた、お兄様と愛し合うことなんて、夢でしかないと思っていました。それが叶った。お兄様とキスできる。お兄様と抱き合える。この体の中で、お兄様を感じる事が出来る。わたしは、幸せでした!!」
「だったら、どうして、あたし達の事を茶番なんて言うのよ。幸せなら、この幸せを満喫しなさいよ!!」
「幸せだから、死んでも良い、この幸せのためなら何だって犠牲に出来るって思えるぐらいに幸せだったから、わたしはとても怖かったのですわ!!」
わたしのずっと秘めていた想いに定香ちゃんが僅かに押されます。わたしを押し込んでいた定香ちゃんの力が僅かに弱まり、わたしは体中に鞭を打って、体を起こしてそのままの勢いで定香ちゃんを押し倒します。
地面に倒れ込んだ定香ちゃんにわたしは額をすりつけ、想いの全てを打ち明けます。
「わたしは、とても幸せでした。そして、その分、怖かったのです。わたしはお兄様の唇を知ってしまった、お兄様の味を知ってしまった、お兄様の熱さを体の奥で受け止める快感を知ってしまいました。もし、ある日、目が覚めて、わたしの想いが、本来の体に戻ってしまっていたら………。お兄様と血の繋がった、その体に戻ってしまっていたら、そう考えるととても、怖かった。もう、お兄様と愛し合えないなんて、わたしには耐えられない………」
想いが熱となり、涙となり、わたしの体からこぼれ落ちていきます。
「それなら、なんで、あんたは、その体を手放そうとするのよ!」
涙で濡れた視界の先に、定香ちゃんの力強い想いが見えます。想いが見えるなんておかしな話ですが、今のわたしには確かに見えました。
「ここでなければ、わたしは本当に後戻り出来なくなってしまいます。今なら、まだ間にあうのです。これ以上、進めば、わたし達は、実の兄との愛との引き替えに、とても大切な者を、わたし達の友人を失うことになるのです。わたし達のこんな自分勝手で異常な愛と幸せと引き替えに、わたし達の友達が………消えてしまうのですよ」
わたしは定香ちゃんと額をこすり合わせながら、啜り泣きます。
お兄様と愛することの出来るこの体と、わたし達の大切な友人の命。真に守らなければならないのがどちらであるか、わたし達は選ばなければならないのです。
「だから、定香ちゃん。もう、終わりにしましょう。こんな、異常な生活。これは、裁きですよ。わたし達がこんな偽りの幸せを成就してしまったために、与えられた罰なんですよ。止めましょう、もう、こんな、茶番は………。そして、みんなで生きていきましょう。偽りだったけど、幸せだったこの想い出を胸にして………」
わたしの想いが定香ちゃんに届いたのでしょうか。定香ちゃんはそっとわたしの頭に手を乗せ、優しく撫でてくれました。優しく、何度も何度も、わたしの乱れ咲いた想いが静まるまで撫で続けてくれました。
わたしはそっと定香ちゃんの額からわたしの額を離し、上半身を馬乗りの状態にまで上げます。
「定香ちゃん………っ」
そして、言葉を失いました。そこにはまだ、定香ちゃんの想いがあったのです。定香ちゃんの弾ける想いに満ちた炯眼がわたしを射抜くかのように見つめています。
定香ちゃんの想いは変わらない。
そう確信したわたしは、恐怖から定香ちゃんの上から退き、為す術無く、後退していきます。
「ねえ、愛理子。あんたさ、何時の日か、自分を裁いてくれる誰かが現れてくれるなんて、思っていたんじゃないの?」
定香ちゃんがゆっくりと起きあがり、体についた埃をゆっくりとした動作で払い落としていく。
「確かにね、この生活って、何時壊れるか分からない異常な現象の上に成り立っていると言うのに、本当、これ以上の幸せは描けないってぐらい幸せな生活よね。毎朝、あたし達四人で美味しく朝食を取って、学校に行けば友達がいて、放課後になれば執行部のみんなと楽しく働いてさ、夜は夜で、あたしはお兄ちゃんと愛し合って、愛理子は蘭さんと愛し合う。それはたまに些細な喧嘩とかするし、テスト前とかきついし辛いけど、でも、そう言うこと含めて、みんなで語り合えるから、最終的には楽しくてさ。いつか天罰が下るんじゃないのかってぐらいに幸せよね」
定香ちゃんは世間話をするかのような口調で話ながら、辺りを見渡します。そして、先程のもみ合いでわたしの手から落ちた桜色の指輪を拾い上げると、まるで彼女の想いを込めるかのようにぎゅっと握りしめます。
「愛理子、覚えてる。今年の正月さ、みんなで初詣行って、おみくじしたじゃん。あたしもあんたも大吉だったよね。でも、大吉って、実はそんなに良くないらしいね。今年は最高だけど、来年はもう運勢が下がるしか残ってないからだって。大吉って一番上だからさ、来年は良くて同じか、運勢が下がるしかない。中吉ぐらいが丁度良いってこの前、紅音ちゃんが言っていたよ」
定香ちゃんはゆっくりとわたしの側まで歩み寄ってきて、わたしの手をつかみ取りました。
「そう考えると、多分、今のわたし達の生活も大吉の生活なんじゃないかなって、あたしも良く考えるの。今が人生最高の時で、これから先はもう、中吉とか凶とかの人生しかないのかもしれないってね」
嫌がるわたしの掌を、無理矢理こじ開けて、桜色の指輪が返ってきます。
「終わりますわよ。いつの日か、こんな偽りの茶番劇は終わってしまいますよ。だから、どうせ、終わるのなら、せめて、わたし達の友達を救うことで、終わられましょう」
聞き分けのない子供であるかのように、わたしは再び、桜色の指輪を投げ捨てようとしましたが、その前に定香ちゃんのデコピンがわたしの額にクリーンヒットしたのです。
定香ちゃん、本気なのでしょう。今の一撃は結構痛かったです。
「ば~~~か。終わらないわよ。あんたは先から、茶番だ茶番だって言っているけどさ、そんなの言ったらさ、実の兄に恋している時点で、既にあたし達の生活は茶番だって。あたしはお兄ちゃんが大好きで、愛理子もあたしと同じくらい蘭さんのことが大好きなんでしょう。ならさ、あたし達がこの恋心を捨てない限り、この茶番は終わらないわよ。そんなの、この想いを捨てるなんてあたしは絶対に無理だから、この茶番は何時までも終わらないの、よ」
定香ちゃんは満面の笑みでわたしに笑いかけると、包帯だらけの体にも関わらず元気より起き上がりました。
「こら、イリル。いつまで怯えているの。あたしはもう、怒ってないから出て来なさい」
「定香さん。本当に怒ってません………。もう、自分を怒鳴りつけたりしません?」
本棚の裏に隠れていたイリルさんが、器用に杖の上半身だけを曝しだして恐る恐る尋ねています。よっぽど、先程の定香ちゃんの剣幕が怖かったようですね。
「いいえ、もちろん、怒っているわよ。うじうじした情けないあんたや、自分の想いに正直になれない愛理子にね。でも、あたしが一番許せないのは、あたしの友達を利用した、あの女よ! イリル、あたしの想いは今すぐ弾けなくちゃ爆発しちゃいそうなの。早く来なさい!」
「はっ、はい!!」
震え上がったイリルさんが大急ぎで、定香さんの腕に飛んでいきます。定香さんはイリルさんを掴むとチアリーダーよろしく魔法の杖を何度も回転させます。
「愛理子。あたしはさ、お兄ちゃんの事しか考えられない馬鹿な妹なの。愛理子のやろうとしていた事、間違っているなんて思わないし、本当は、それが正しい道なんだってあたしも思っている。卑怯だよね、あたし達はこんなにも幸せになって、その代償に紅音ちゃん達が犠牲になったのに、あたしはこの体を手放したくないの」
イリルさんの回転を止め、手にした魔法の杖を眼前に突き出します。
「これが正義の魔法少女だったら、自分を犠牲にして友達の事を助けると思うよ。でもね、あたしは正義だからとか、誰かを助けたいから、魔法天使になった訳じゃないの。あたしは世界で、ただ一人、お兄ちゃんのためにだけ、魔法天使になる事を選んだの!!」
わたしの見ている前で、想いが弾けました。
「届け あたしの想い オーバー キュア ハート」
弾ける想いを魔法に変え、定香ちゃんの体が紫色の光に包まれ、光は彼女を生まれ変わらせる繭となります。
わたし自身も何度も体験している魔法天使への変身プロセスですが、どうして彼女の想いはこうも輝いているのでしょう。
「スパーク!」
光の繭が弾け飛び、紫色の衣に身を包んだ、天使がここに光臨いたします。
「弾ける想いを届けるため 魔法天使 パラレル・ティーカ ただいま参上、よ」
倒すべき敵は目の前にいないというのに、律儀に決め台詞とポーズまで決めて、定香ちゃん、いやパラレル・ティーカは自らの弾ける想いを届けるために羽ばたきます。
「愛理子。今の生活は大吉で、これ以上の幸せはなくて、この先は中吉や凶に堕ちるしかないかもしれない。でもね、あたしは諦めが悪い女なの。もし、今が大吉だって神様が言うのなら、あたしはこの弾ける想いで、神様にだって作れない超大吉を作ってみせるわ!!」
パラレル・ティーカの背中から紫色の羽根が生え、親鳥が雛を守るようにパラレル・ティーカを包み込みます。
「それじゃ、あたしは先に行ってるわ。あんまり遅くなるようだと、承知しないわよ」
そして、わたしを信じて疑わない想いを残して、パラレル・ティーカは消えてしまいました。
彼女はきっとオリオンの元へ向かったのでしょう。オリオンの宣告に屈することなく、彼女は戦う道を選び取ったのです。
わたしは静かに掌にある桜色の指輪を眺めました。これをはめれば、わたしも戦うことが出来ます。再び、魔法天使に変身することが出来ます。
わたしは、そっと掌を閉じて視界から桜色の指輪を隠しました。駄目です。わたしには出来ません。こんな自分勝手な想いで、友達を犠牲にするなんて、わたしには絶対に出来ません。
枯れ果てた花畑に佇むかのように、わたしは一人、項垂れることしか出来ませんでした。




