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第三十五話「グラウベルクへの旅路。」

すでに夜の色に染められつつある街道を進む。

グリュンメーアの街を出てからしばらく歩いた。


街と街をつなぐ街道だけあって、道は思っていたよりも整備されている。

土が固められただけではあるものの、馬車が通れる程度には道幅もあり、ところどころには轍の跡も残っていた。


当然、街路灯などあるはずもないが、端から期待もしていないので問題はない。

と、思っていたのだが、その弊害は思いのほか大きく、気を付けて歩かねば転びそうになる。


振り返れば、先ほどまでいたグリュンメーアの街が小さく見えた。


城壁。

その向こうに連なる建物。

そして、見慣れた教会の尖塔。


それらが街の明かりに照らされてかすかに見えた。

まさかこんなに早く旅立つことになるとは…あの街に着いた頃には思ってもみなかった。


バタバタと出立してしまい、チヤは大丈夫だったかと心配になる。


「ふんふん。」


まあ、ご機嫌みたいだし大丈夫か。


チヤは満面の笑みを浮かべて鼻歌交じりに歩いている。

随分と楽しそうだ。

俺も、気持ちはわかる。


ゲームの中では何度も見たような景色。

けれど、実際に歩くとなると、何もかもが違う。


土の匂い、草の擦れる音。

そして頬を撫でるひんやりと澄んだ風。


「すぅ…はぁ…。」


深呼吸をすると、その冷たさが全身に染み渡るようで、なんとも心地がいい。

これだけで旅の価値を感じるというものだ。


そんな俺の姿を見てか、チヤも深呼吸をした。

特段感想を言い合うようなこともないが、俺たちは何度もそれを繰り返しながら歩いた。


ついに、沈みかけていた太陽が山の間に隠れはじめる。

いよいよもって道も見えなくなってくる。


「…グラウベルクはあの山の向こうだね。」


「おぉ…。」


今まさに太陽を隠そうとしているあの山々…アルプスが如き霊峰。

その名を『ドラッヘリュッケン山脈』というらしい。


それをぐるっと迂回するとグラウベルクの街がある。

グリュンメーアに負けず劣らずの美しい街並みとのことなので、今から胸が躍る。


「シルヴィアさんは徒歩で二、三日と言っていたけど…今日は暗くなってきたし、もう少し行ったら泊まれる場所を探そうか。」


「つまり!」


隣を歩いていたチヤが前に出る。

そして、目を輝かせながら振り向いた。


「…今日は野宿かな。」


「野宿!」


チヤの声が弾む。


「野宿ですよ、師匠!」


「うん…そんなに嬉しい?」


「はい!」


「…そうか。」


彼女は街にいたときから随分と野宿を楽しみにしていた。

俺としては、モンスターも出るので避けたいところではあるんだが、チヤにとってはキャンプくらいの認識なんだろうか。


俺たちは街道を進みながら、同時に野営に適した場所もさがした。


しばらくは何事もなかった。

道は緩やかな下り坂になり、やがて周囲の景色が草原から疎らな林へと変わっていく。


街道から少し離れたところには、小さな川も流れていた。

水の音が心地いい。


当然、街の喧騒など聞こえるはずもない。

聞こえるのは自然の音ばかり。


そこに俺たちの会話が浮いていた。

俺たちは並んで歩く。


「師匠。」


「ん?」


「グラウベルクに着いたら、何をするんですか?」


「まずは新しいダンジョンの情報収集かな。」


「はい!」


とはいっても、公表前だという話なので無闇矢鱈には聞けない。

シルヴィアに迷惑をかけるわけにはいかないので様子を見てだな。


「その後、ダンジョンに行く。」


「はい!」


「アンデッドを探す。」


「はい!」


「それから…。」


俺はそこで言葉を止めた。

視線の先で何かの気配が揺らぐ。


「師匠?」


チヤが不思議そうに振り返る。


…ガサッ。


そんな彼女の向こう、草むらが音を立てて動いた。

やはり、気のせいではない。


足を止める。


「…チヤ。」


「はいっ。」


彼女もすぐに反応した。

腰に手を伸ばす。


俺も拳を握った。

街道から少し離れた茂み。風ではない。

何かいる。


…ガサッ。


今度は、その影も見えた。

俺は茂みの中へと意識を集中していく。


すると、俺のスキルが三体の魔物を捉えた。


小柄な体。

粗野な歯軋り。

無骨な棍棒。


出たな…。


「ゴブリン。」


ウハ坑道以来だ。

ただし、見るからに弱い。

おそらくレベルは一桁台。


「師匠、私が!」


チヤが飛び出した。

その巨体からは想像もつかないほど軽やかな踏み込み。


それに反応してゴブリンも茂みから這い出てきた。


「せいっ!」


振り下ろされた剣が、ゴブリンの棍棒を弾き飛ばす。

続けざまに横薙ぎ。


さすがというか、きっちり剣を使いこなしている。

いや、むしろあっちの方が使い慣れているのか。


ゴブリンが吹き飛び、地面を転がった。


「ギャッ!」


残り二匹がチヤへ向かう。

だが。


「遅い。」


俺は一歩踏み込んだ。

拳を握る。

そして、一体の懐へ潜り込む。


「ふっ!」


腹部へ肘を叩き込む。

身体が軽く、ほとんど抵抗がない。


ゴブリンはそのまま後方へと吹き飛んだ。

残る一体がこちらへ棍棒を振り下ろしてくる。


俺は体を捻りながら半歩だけ横へ移動した。


ゴブリンのこん棒が眼前を通り過ぎていく。

そして地面にぶつかり、僅かに跳ね返った。


すかさず緑の細腕を掴む。


「よっと。」


そして、足を払い、体勢を崩した。


「グギャッ!」


ゴブリンが地面へ倒れ込んだところへ、拳を一発。


…動かなくなった。

顔を上げる。


チヤの方もすでに片付いているらしい。


「終わりました!」


「うん、おつかれさま。」


「師匠も!」


魔石を回収する。

瞬殺も瞬殺…ゴブリン三体程度であれば苦戦のくの字もなく倒せる。


しかし、やはりモンスターは出る。

わかってはいたことなんだが、これから野宿をすると考えると少し憂鬱になる。


「…行こうか。」


「はい!」


俺たちは再び歩き始めた。


日がすっかり落ち切った頃、ようやく街道の近くに、野営に向いていそうな場所を見つけた。


林と川に挟まれた平坦な地面。

林側には段差があり、その下であれば街道からも隠れて休めそうだ。


「今日はここにするか。」


「はい!」


チヤは嬉しそうに頷いた。

どうやら本当に野宿が楽しみだったらしい。


俺たちは簡単に周囲を確認し、野営の準備を進めた。


テントや毛布、それから簡易の食器、食材、調味料…。

必要なものは、思いつく限り買い揃えてある。


火を起こす道具もだ。


薪を組み、火種を落とす。

俺が手に持っている黒い筒状の物体は、『火垂れ』という魔道具らしい。


ぽたぽたと水滴が落ちるように炎が出てくる。

火の粉が薪へと落ちると、じわじわと緋色の光が広がっていった。


「おお…!」


チヤが目を輝かせる。

やはり火というのはすごい。

この暗闇の中に生まれた光と熱は、人の心に安らぎと高揚を同時に生じさせる。


結構いい値段のする代物だが、火魔法の使えない俺たちには必需品だろう。

それに、チヤがこんなに喜んでいるのであれば、お値段以上と言えるかもしれない。


ぱち、と小さな音が鳴った。

薪が爆ぜ、炎が大きくなる。


「さてと…。」


せっかくの野宿だ。

夕食くらいはまともなものを作ろう。


俺は買っておいた食材を取り出した。


パン。

肉。

玉ねぎ。

人参。

それから、芋と少量の葉野菜。


あとは塩と胡椒。

それと…なんとなくの雰囲気で香草。


本格的な料理をする設備はない。

それでも、鍋があれば大抵のものは作れるだろう。

…知らんけど。


「今日は何を作るんですか?」


「スープかな。」


「スープ!」


チヤが嬉しそうに跳ねる。


「それと肉も焼こう。」


「お肉!!」


グゥ〜…。


言葉の響きだけでチヤのお腹がなっている。


しかし、俺は紳士だ。

レディの腹の音を無視できるくらいの器量は待ち合わせている。

…当の本人はまるで気にしてなさそうだが。


まあ、そんなことは置いておいて。

玉ねぎ、人参、芋、葉野菜を順にカットする。


それなりに一人暮らしが長いので、いまさら包丁の扱いに四苦八苦することもない。

ちゃっちゃと手早く下処理を終えていく。


「何か手伝えることはありますか!」


いつの間にかチヤが隣に座っていた。

俺は広げられた食材たちに目をやる。


「じゃあ、これをお願い。」


その中から切った野菜を渡し、大鍋を指した。


「はい!」


チヤはそれを両手で受け取ると、恐る恐る鍋に入れていった。

野菜が入ると一気に湯気がたちのぼる。


次に肉を切り、塩コショウをしっかりとつけて焼いていく。

これは、ロックホーンという牛型のモンスターの肉らしい。

生きている状態も知っているが…こうなってしまうと、普通の牛肉との見分けはつかないな。


使うのは中鍋。ちなみに小鍋もあるよ、今日は使わないけど。


鉄板代わりの鍋の底に肉を置くと、じゅう、と音が鳴った。

脂が溶けてなんともいい色だ。


得も言われぬ匂いがあたりを包む。

いかん、俺も腹が減ってきた。


「…。」


チヤの視線が肉に釘付けになっている。

近い、脂が跳ねるぞ。


「チヤ。」


「はい。」


「まだだよ?」


「はい。」


「そんな顔してもまだだから。」


「……はい。」


あまりにも悲しそうな顔をするので、俺は思わず笑ってしまった。


しかし、こちらばかりにかまけてもいられない。


火の番をしながら、鍋もかき混ぜる。

途中でいれたぶつ切りの肉の色が変わり、野菜も柔らかくなってきた。


頃合いとみて、塩を振り、最後に数種類の香草も入れる。

本当はもう少しいろいろな調味料が欲しいところだが、まあ急いで出てきたので贅沢は言うまい。

肉のダシが出てくれていることを祈ろう。


ステーキの焼き目を確認していると、さきほど大鍋に入れた香草の独特な香りが広がった。

うん…嫌な香りじゃない。


「よし…。」


鍋を火から外す。

同時に焼いていた肉も皿へと移した。


スープ、ステーキの完成だ。


「あとは…。」


パンはそのままでも食べられるが、せっかくなので火で軽くトーストする。

表面が少しだけ色づき、これまた香ばしい匂いが広がった。


「できた。」


「おお…!」


チヤが目を輝かせる。

我ながら、それなりの出来栄えだ。


木皿に盛ったごろごろ野菜と肉のスープ。

大きく無骨なステーキ。

それから、少しあぶったパン。


街で食べる料理とはまた一風違うが、これはこれで…。

喉が鳴る。


「…いただきます。」


「い、いただきます!」


二人で手を合わせる。

俺の習慣がチヤにうつったらしく、食事の前のお馴染みの光景になりつつある。


まずはスープを一口。


「ほぉ…。」


吐いた息が白く色づく。

温かい…それだけで、妙においしく感じた。

歩き通した身体に、じんわりと熱が染みこんでいく。


野菜と肉の旨味がよく出ている。

香草の刺激もあって、全然悪くない…というか良い。


「美味しいです!」


チヤは一口食べた瞬間、顔を綻ばせた。


「おいしいね。」


「…師匠、料理もできるんですね!」


「…料理ってほどのものでも。」


なんて言いつつも、ここまで喜んでもらえて嫌な気はしない。

チヤは次々と料理を口へ運んでいく。


パンをちぎり、スープにつけて食べる。

肉を頬張り、そしてまたスープを飲む。


…食べるのが早い。


「チヤ、そんなに急がなくても誰も取らないよ。」


「…む。」


口いっぱいにパンを頬張ったまま、チヤがこちらを見る。

ハムスターみたいだ。


「…おいしくて。」


「そ、そう?」


なんだろう…すっごい嬉しい。

緩む口もとを隠すように、俺も肉を一枚頬張る。


「ん…。」


噛むほどに肉の旨味が出てくる。

少し硬いが、ぎゅっと詰まった肉質の赤身ですごく旨い。


俺たちは夢中で夕食を食べた。


川のせせらぎ。

薪の音。

虫の声。


時折、俺たちの会話。


「…あまり経験はなかったけど、こういうのもいいものだね。」


「はい!」


楽しみにしていたチヤの気持ちがなんとなくわかった気がする。

気づけば野宿への不安も和らいでいた。


「旅って感じがします!」


「そうだね。」


チヤが満面の笑みを浮かべる。

その笑顔を見ていると、俺まで釣られてしまう。


空は、いつの間にか、一面に光を散らした星空になっていた。

そんな星々の海を、山脈の影が切り取っている。


街から見る星も十分に綺麗だと思ったが、これはまた格別の景色だ。


…旅に出たんだな。

そんな実感が、今更ながらに湧いてきた。


「師匠。」


「ん?」


「これから、いろんなところへ行くんですよね?」


「うん。」


「いろんなダンジョンに行って。」


「ああ。」


「いろんなモンスターと戦って。」


「そうだね。」


「いろんなものを食べる!」


「チヤはそれが一番かな。」


「はい!」


チヤが胸を張る。

なぜそんなに自慢げなのかはわからないが、楽しそうだしいいだろう。


「さてと…。」


少しの間談笑をつづけた俺たちは、手早く片づけを済ませる。

やがて、チヤがあくびをした。


「…師匠。」


「ん?」


「お先に失礼します。」


「ああ、寝るのか。」


「はい…。」


さっきまで元気だったくせに、チヤは瞼を擦っている。

そして、鎧を着たまま毛布にくるまった。


「おやすみなさい、師匠。」


「ああ、おやすみ。」


やがて、静かな寝息が聞こえ始める。


俺は火の番をしながら、夜空に浮かぶ山脈を見上げた。

明日は、また歩く。

そして明後日には、グラウベルク。


年甲斐もなくはしゃぐ心に、口角が上がる。


俺は小さく息を吐き、火の中へと薪を一本放り込んだ。

パチッ、と火の粉が舞う。


俺たちの旅は、始まったばかり。

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