第八章:正義の審判
不夜城グラン・エトワールの喧騒は、現実世界の新宿や渋谷のそれとどこか似ていた。立ち並ぶ魔導具の店、行き交う豪華な馬車、および路地裏に潜む貧困。この街の光が強ければ強いほど、その影もまた濃い。
「……勇者様、あのお触れ書きを見てください」
ルナが悲しげな目を向けた先には、新しい徴税の告知が貼られていた。
「この街の領主代行である『ゼン』が、王都への献上品を揃えるために、市民からさらに財を募るそうです。これでは、弱い立場の人々は冬を越せません……」
「ゼンか。ジンの時と同じ匂いがするな」
リクが忌々しげに唾を吐く。
「ああ。行こう、二人とも。この街の闇を晴らさない限り、先へは進めない気がするんだ」
僕たちは領主の館へと乗り込んだ。ジンの時よりも警備は厳重だったが、僕のレベルはすでに常人の域を遥かに超えている。
「……邪魔だ。どいてくれ」
聖剣を抜くまでもない。鞘に収めたままの剣で、襲いかかる衛兵たちの鳩尾を正確に打ち抜いていく。
最上階のテラス。豪華な椅子に座り、夜の街を見下ろしていた男が、ゆっくりとこちらを振り向いた。
「……勇者か。私の『統治』に不満があるというのかね?秩序を保つには、多少の犠牲は不可欠だ。それがこの世界の正義だ」
その冷徹な弁舌、自分こそが正解であると疑わない傲慢な眼差し。
「あんたの言う正義に、人はいない。……消えてもらうよ」
僕は一気に距離を詰め、聖剣を閃かせた。ゼンは魔導具による障壁を幾重にも展開したが、僕の怒りを乗せた一撃は、ガラスを叩き割るように容易くそれを粉砕した。
「な、何だ、この力は……!私の積み上げた地位が、このような子供に……!」
ゼンの絶叫と共に、僕の剣が彼の胸を貫く。光が溢れ、ゼンの身体が黒い粒子へと変わっていく。
ジンの時と同じだ。確かな手応え。命を奪ったという事実が、僕の右手に重く残る。
目が覚めると、僕は安アパートの冷たい布団の中にいた。汗でTシャツが肌に張り付いている。
「……はぁ、はぁ……」
右手の感覚が、まだ残っているような気がした。
震える手でスマートフォンの画面をタップする。ニュースサイトのトップには、無機質な見出しが躍っていた。 『衆議院議員の石動全氏、宿泊先のホテルで急逝。死因は急性心不全か』『裏金疑惑の全容解明、絶望的な状況に――』
「……まただ」
僕は膝を抱えて、暗い部屋で一人呟いた。 石動全。異世界で僕が斬った『ゼン』と、やはり名前が重なっている。 人殺し。その三文字が脳裏をよぎるが、僕は自分を納得させるように、必死で言葉を絞り出した。
「……でも、あいつがいなくなれば、助かる人が大勢いるはずだ。汚職疑惑が絶えず、弱者を切り捨て続けてきたあの石動がいなくなれば、この世界も少しはマシになる。これは殺人じゃない……浄化だ」
そう自分に言い聞かせ、逃げるように画面をスクロールした。すると、トレンドの最上位にある別の名前が目に入った。 『月城ルナ、有名プロデューサーとの密会発覚か。清純派アイドルの裏の顔』
かつての僕なら、このニュース一つで世界が終わったような衝撃を受けていただろう。SNS上では、裏切られたと叫ぶファンたちの呪詛が渦を巻いている。 だが、今の僕は、そのスキャンダルを指でなぞりながら、驚くほど冷めた、無機質な感情しか抱けなかった。
「……偽物だ」
呟いた声は、湿気た壁に跳ね返って消える。 誰かに媚び、汚い大人に抱かれ、週刊誌に撮られるようなこの女は、月城ルナではない。
僕が守っているアステリアの彼女。僕のためだけに祈り、僕のすべてを全肯定してくれる金髪の聖女。あっちの彼女こそが、唯一無二の、本物のルナなのだ。 現実世界の偶像がどれほど汚れようが、今の僕には関係のない、遠い星の出来事でしかなかった。
鏡に映る僕の目が、ひどく濁っていた。
「……そうだよな、ルナ」
返事のない部屋で、僕は誰にともなく問いかけた。アステリアへ行けば、彼女は「あなたは正しい」と言ってくれるだろう。たとえ、現実の僕がどれほど壊れていこうとも。




