第4話 ノワール視点:ただ一人の聖女
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リリアの足音がする。
小さくて軽い癖に、俺にはどこに居ても分かる。
小走りで俺を探しながらキョロキョロしているのが見えた。
……どんだけ探してるんだ、まったく。
わざと背後に回って鳴く。
「にゃーん」
「もう、ノワール。驚かせないでよ」
驚く方が悪い。
俺を見失うなんて、まだまだ甘い。
「今日はね、授業が早く終わったの。ノワールに会いたくて探してたんだよ」
……ほんと、こいつは。
尻尾が勝手に機嫌よく揺れるじゃないか。
まだ人の気配がする。
俺は短く鳴き、最近見つけたお気に入りの場所へ歩き出した。
「ふふっ、待ってよノワール」
リリアが嬉しそうに、俺の後をついてくる。
この学園は無駄に広い。
庭園を抜け、小さな森の奥に進むと、陽光の差す静かな空間がある。
俺とリリアだけの場所──“二人の縄張り”だ。
リリアは芝の上にぱたりと寝転がる。
その腹の上に、俺はひょいと飛び乗って丸くなった。
リリアの体温は、俺の持つどんな魔力よりもあったかい。
「ねぇ、ノワール。ロザリア様がね、長期休暇は“皆で過ごさない?”って誘ってくれたの」
……また、あの女の話か。
尻尾でリリアの腹をぺしぺし叩いてしまう。
あの女からは“普通じゃない匂い”がする。
焦げた記憶みたいな匂い。
後悔と執着が混ざった、厄介な匂いだ。
リリアを見る時だけ、その匂いが強くなる。
あれが、俺はどうしても嫌いだ。
リリアを見ているようで、違う誰かを見ている目。
自分で選んだ道のくせに、被害者ぶる気配も気に食わない。
「……やっぱり嫌かな? ノワールといろんな場所に行きたいし、見てみたいのに」
本当に、リリアは俺の弱点だけ正確に突いてくる。
聖女と二人で行ける場所は限られている。
だが、ロザリアがいれば安全な範囲は広がる。
それだけは確かだ。
――なのに。
“俺と行きたい”と言った。
ただその一言で、全部どうでもよくなる。
「……はぁ〜……わかったよ……」
ったく……
俺は本当にリリアに甘い。
「本当に? 嬉しい!! ノワールとお出掛けだね!」
……“皆で”って意味、絶対わかってない。
まあ、いい。
リリアが楽しそうに旅の話をする。
その横顔は、聖女だとか運命だとか、そんな大層なものとは無縁の、
ただのひとりの少女の顔だ。
あの女がリリアに向ける妙な視線に、俺は気づいている。
リリアは気づかない。
気づかないまま、優しくしてしまう。
「あの女も、放っておけばいいのに……」
リリアは笑って言う。
“ロザリア様は優しい人だよ?”
その言葉だけで、俺の胸の奥に熱が灯る。
リリアは、聖女という“役割”なんかよりもっと大切なものを持っている。
誰かを救いたいからじゃない。
誰かが困っていたら、ただ自然に手を伸ばす。
そんな馬鹿みたいに優しいところが、
俺がリリアから離れられない理由のひとつだ。
俺は、本当はただの猫じゃない。
聖女と共に生き、聖女と共に死ぬ存在。
リリアの力が解放されてようやく、ほんの少し喋れるようになった。
ほんの少し護る力も使えるようになった。
けれど、リリアはそんなこと気にしない。
“ノワールと一緒にいられるなら十分だよ”
そう言って、あっさり笑うんだ。
俺はそこにいるだけでいいのに、
それだけでリリアは幸せそうに笑う。
「……リリア」
胸の奥がじんわりと熱くなる。
まるで魔力がゆっくり満ちるみたいに、体が軽くなる。
俺は、この笑顔を護りたい。
聖女だからじゃない。
救世の象徴だからでもない。
ただ──
俺だけに向けて笑う、この少女の笑顔を。
ずっと、いつまでも。
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