第0話 ――記録障害ではありません――
1. 行政広報草稿
【東京都教育委員会_緊急広報(未公開ドラフト)】
件名:令和( )年度「誕生日行事」縮減と“年一運用”実施のお知らせ
本文:近年の気象反転現象(通称 逆雨)を踏まえ
学内外イベントを年一回運用に統一します。
※一部文書で「年」の字が欠落する事例が報告されています。
これは記録障害ではありません──
Draft saved. Warning: **YEAR_TOKEN_NOT_FOUND**
職員注釈
「記録障害ではない」と言い切るには、どこかで“年”の責任を誰かが引き受けているはずだ。
でも私たちは、欠落の担保人を公文書には書かない。書いたら、その“年”がまた剥がれる。
2. 匿名掲示板ログ(抜粋)
<5ch『逆雨総合★12』より>
1 :名無しの風穴さん:ID:Wtr ◆0X (20XX/06/17 00:21:04)
地面から水噴いたってマジ?
6 :名無しの風穴さん:00:31:09
>>1 “事故”じゃなく“運用”だってさ、委員会が言ってた
12:名無しの風穴さん:00:55:44
>>6 運用って何を運用? 酸素? 誕生日?
24:名無しの風穴さん:02:11:03
ID貼っとく 20( )/07/25 ←西暦の“年”行方不明
59:名無しの風穴さん:03:03:03
#年一運用 でTwitcher検索しろ マジで世界終わってる
書き手不詳の周辺メモ
深夜三時に“世界終わってる”とタイムラインへ投げる行為は、祈りか呪いだ。
空欄の“年”を埋めてくれる誰かを、言葉の向こう側に探している。
3. 速報ニュース(自動生成)
[速報] “逆雨”により市内15cm 浸水――気象庁「気圧配置と無関係」
更新:教育委員会「非常時排水弁の年一運用テストは成功」
※記事中から “事故” の語が削除されました(自動置換)。
現場レポーター私記
誰も怪我していないのに“成功”と言い切る声色が、どうにも薄氷めいていた。
成功とは、未来へ帳尻を投げる言葉なのだろうか。
4. 校内モニタリングログ
4‑1 監視カメラ 01:27
昇降口。女子生徒が足首までの水に浸かりながら笑っている。
背後の掲示板「令和○年学園祭ポスター」──“年”だけが剥がれ、紙片が水に触れる前に蒸発。
音声解析:骨の“キィ”という接合音。発生源不明。
4‑2 電子黒板(自動同期失敗ログ)
システムメッセージ
誕生日カレンダーを同期します
■ 3/12 田中 ■ 5/09 鈴木 □ 7/30 佐藤
□ 8/-- (データ欠損)
Sync failed: **YEAR_TOKEN_NOT_FOUND**
IT担当補足
YEAR_TOKEN_NOT_FOUND が UI 層で出るなら、日付型ではなく“存在の可否”を問う例外。
「年」を描画できないのではなく、システム側が“年”を描画しようとしないとしか思えない。
5. 医療レポート(非公開)
症例 A(17/女):体温35.9℃。訴え「肺が泡で満ちる夢」を前夜より反復。
症例 B(18/男):指先の色が淡水色に変化。血液検査異常なし。
共通所見:逆雨当夜の屋外滞在。胸部CTクリア。原因欄:運用中につき記載不可。
臨床メモ
医療が「記録不可」と書く瞬間ほど無力な文章はない。だが無力さこそが、いまは安全弁だ。
“記録”は世界を裏打ちする。裏打ちすれば“年”が落ちる。落ちた年は戻らない。
6. 内部Slack断片(水理研究チーム)
Dr.Ohashi 09:14
排水弁ログ、回数が年1を超えてる。誰がパッチ当てた?
Tech_Kira 09:15
“必要時”に一度だけ臨時開けた。責任割当は私。
Dr.Ohashi 09:16
帳尻はどうする。次の年度タームが描画できないぞ。
Tech_Kira 09:17
帳尻は世界が合わせる。──鳴るべき骨が鳴るだけだ。
補足:Tech_Kira = 溺渦希来
“鳴るべき骨”という語は比喩ではない。彼女は本当に骨の音を聞いている。
私は、それを“耳鳴り”と呼ばずに済む辞書を探している。
7. 協定PDF leak ver.0.7
三者呼吸協定 v0.7(CONFIDENTIAL / link dead)
第1条 誕生日=年一回
第2条 蛇口=年一回共同署名
第3条 泡状告白=年一回受領(返答自由)
第4条(Emergency Clause:必要時のみ臨時開放) ← gray, commented
署名欄:——/——/——
Viewer Warning: **YEAR_TOKEN_NOT_FOUND**
リーク解析メモ
グレイアウトされた第4条は“存在しない条文”として扱われている。
存在しないものが“ Emergency ”を名乗る──それは、世界が非常時をまだ始めていない印だ。
8. 編集者ノート
私は無数のログを貼り合わせ、この章を「社会の観測史料」として提出する。
ログは嘘をつかない──ただし、事実を分割して渡す。
分割された事実をどう繋ぐかは、読む者に委ねられる。その接合部で、骨が“キィ”と鳴るだろう。
まだ物語の主人公は登場していない。
彼女の名前は、猩目双葉。
“目”の字が剥がれる前に読者が覚えられるよう、ここで一度だけ書いておく。
彼女が何を運用し、何を支払うのか――それはこの先の章で語られる。
ただ一つ確かなことは、「記録障害ではありません」という広報文はけっして誤字ではない、ということだけだ。
(第0話・了)