第四話 2度目の荷台
俺の目の前に2人と、馬車の荷台の上に1人の合計3人。
声をかけた人物が運悪く盗賊だった──だなんて、あまりに都合が悪すぎる。
「え、えっと……」
俺は、茶髪の男性の持つナイフに釘付けになりながら1歩後ろに下がる。今にも逃げたかったけれども、ここで後ろに走り出しても捕まってしまうかもしれないという恐怖で足が動かない。
「おいおい、兄ちゃん?俺達から逃げれると思うなよ?アァン!?」
俺がそのナイフにビビっているのがわかったのか、声を荒げながら俺の方へと先の光る刃物を向けてくる。
それとほぼ同時に、俺を太陽から隠していた影が動き俺の後ろから物音がした。上を見て確認をしなくてもわかる。荷台の上にいた人が、そこから降りてきて俺の後ろに立ったのだ。
「兄ちゃん、珍しい髪色してんじゃねぇか。迷子だって、可哀想によぉ。すぐに俺達が新しいご主人様を見つけさせてやるぜ」
「ひ」
叫び声をあげることすらできないままに俺は、後ろから両脇を挟み込むように組み付かれる。
「怪我させんなよ?黒髪なら高く売れる」
「わかってるちゅーの」
後方から取り押さえられた俺の体は、いとも簡単に持ち上げられて、俺の2つの足は少し草の生えた黄緑色の地面から完全に離れてしまう。
「や、やだ……嫌だ!」
俺が、反射的にそんな抵抗の意思を口にして、捕まれた手からなんとか抜け出せないかと地面から離れた2本の足をジタバタと動かしていると、背中に背負っていたリュックが功を奏したのか、俺はその束縛から抜け出すことに成功した。
脚が地面に着いた俺に、それを歓喜する余裕はない。奴隷にだけにはなりたくない俺は、この危機的な状況から逃げ延びるために、逃亡を選択する。
「バカッ!お前……ッ!」
まさか、ナイフを持っている相手に戦闘を挑むつもりはなかったし、ましてや勝てるだなんて思っていない。
ナイフを持つバンダナをまいた茶髪の男性は、俺を捕らえ損ねたことに驚いたのか、目を見開きながら俺を捕らえ損ねた仲間を糾弾する。
逃げるなら、敵のいる前後は不可能だ。空に逃げるのも地中に潜るのも現実的な案ではないし、左側には大きな馬車とその荷台がある。ならば──
「おい、こら!待て!」
俺の背中からそんな声が聴こえてきたけれども、そんな声に従う者はいない。三十六計逃げるに如かず。
俺は、自分から見て右側にあった木の乱立する林に飛び込む。先程走ったところと風景は何一つ変わらないような林だ。頼む、どうか俺を雲隠れさせてくれ。この木々の中に俺を隠してくれ──。
「捕まえた」
俺の左腕が何者かに掴まれた後に、そんな低い声が響く。
抜け出そうとしても抜け出せないその力強い腕がギチギチと俺の左腕を圧迫するので、俺は思わず「痛い痛い痛い痛い!」などと少し高くなった声をあげる。
だが、俺の声は意味をなさずに、すぐに俺の手は俺を捕まえた男の方へと引かれて、背負っていた黒のリュックをそのゴツゴツした巨大な手に無理矢理引き剝がされた後、茶髪の男の手に回る。
「よし、よく捕まえた。ガンドム」
どうやら、俺を捕まえたのはガンドムという名前の禿頭の男のようだった。恰好は茶髪の男と大差ないから、オーバーオールに白のシャツというのが制服なのだろう。
──って、服装のことはどうでもいい。
このまま捕まってしまっては、奴隷まっしぐらだ。なんとか抵抗して逃げなければ。
などと、意気込むのもいいが現実は非情だ。
俺を捕らえた禿頭の男は、俺を広い肩に乗せて身動きができない状況で俺を荷台の中へと運ぶ。
「んじゃ、ガンドム。お前はその男を見てろ。すぐにアーキナーさんのところへ連れて行く。1人でも黒髪じゃ金になるだろうしよ」
「了解した」
荷台の中に詰め込まれた俺は、縛られることこそ無かったが禿頭の屈強な男が1人監視に付いた。
木の色がそのまま使われた荷台は、その木の板1つ1つの間に小さな隙間があり、その為か外から光が入ってくるのだが、その影が何本も細いボーダーラインを描いているのが監獄に収監される犯罪者のような気分にさせる。
「わかってると思うが、逃げるなよ」
荷台の入り口の扉を閉めたその禿頭の男は低い声でそんなことを口にした。
俺は、こんなところに押し込められてしまい抵抗の意思もすっかりを荷台の外に置き忘れてしまったので、そこらを飛ぶ羽虫よりも小さな声で返事をして、荷台の隅で小さくなる。
荷台は、先程乗ったものとは違って中には1m四方の立方体のような木箱が何個も積み上げられており、ほとんどを埋め尽くしていた。だから、俺がいるのが荷台の隅と言っても、禿頭の男がいるのは数歩先だ。
その厳つい顔をした禿頭の男は、俺のことを睨みながら何も言わず、壁の木板を背中にして胡坐をかいている。
俺は、そちらの方を見たくはなかったけれど、嫌でも生真面目に監視の役に徹底しているその禿頭は、俺のことを穴が開くくらいに見てくるので、どこか集中できない。
──このままでは、絶対になりたくない奴隷になってしまう。
だけど、見張りがいるこの状況で逃げ出すことはできない。
荷物が少なくもう少し広ければ、禿頭の男と距離ができたから逃げる算段があったかもしれないが、今は動かずとも体を前に倒して腕を伸ばせば届くほどの近距離だ。
先程は監視もいなかったのですぐにでも逃亡の選択肢を実行できたが、今回は違う。
屈強な禿頭は、きっとリンゴを素手で握りつぶせるタイプの人間だ。俺より足が速いだろうし、荷台から逃げられたしてもすぐに捕まってしまうのは明らかだ。
それに、一度逃げたら二度目が無いように俺は足の骨を折られるかもしれない。ナイフを突き出して来たのもあり、俺の命など無いようなものである。
いや、これから奴隷に──要するに、人の道具になるのを考えると、俺の命なんか実際に考えられてないのかもしれない。
「最悪だ……」
俺の口からは、そんな嘆きが零れる。禿頭の男は、俺のそんな発言を無視すると荷台に再度沈黙が広がるけれど、すぐにそれは馬車が動き出したことによって破られた。
ガタガタと、先程乗った馬車よりも荒い揺れが俺を襲い、俺の胸に溜まる不安を助長させる。
──動き出してから、一体どれだけの時間が経っただろうか。
奴隷になる恐怖から思考停止をしていた俺は、禿頭の男が眠るのを待って脱出の機会を待っていたけれども、眠る気配は一向になくバカ真面目に俺のことを睨み続けていたから逃げることを諦めることしかできない。
奴隷になることが確定した俺は、仕方なくその現状を飲み込みいくらかその禿頭の男に質問することにした。
「一体、俺はこれからどうなるんですか」
俺は、その禿頭の男の方を一瞥してそんな疑問を投げかける。禿頭の男は、表情も態勢も一切変えず、深く座ったまま低い声で答える。
「今、この馬車はアールの奴隷商のところに向かっている」
伝えられた事実は、俺の予想通りのもので驚くべきポイントはない。
しかし、俺の耳に入って来たのは「アール」と呼ばれた謎の場所だ。アールと呼ばれるところに、きっとこの男たちが取引をしている奴隷商人がいるのだろう。
「この木箱の中、全部が奴隷なのか?」
「は?そんな訳ないだろう」
禿頭の男は、俺のことを半分訝しむように、半分嘲笑うように俺のことを目を細めて睨む。
その鋭い目線は、俺の心臓の鼓動を早くさせるけれども、嘆息を付いた後に疑問が投げかけられる。
「お前、わかってないのか?」
「──え?」
その問いかけの真意を俺は理解できなかったため、素っ頓狂な声を出して聞き返してしまった。
わかっていないのか──と聴かれたら、俺はわかっていないだろう。
5W1Hの全てが謎に包まれている現在、俺に何かを聴かれても「わからない」以外の答えは出てこない。
「黒髪」
顎をしゃくって指されるのは、俺の黒髪。
俺が、自らの髪を反射的に右手で触れたその瞬間に、この異世界に来てからかけられた言葉の数々を思い出す。
『──君、珍しい髪をしてるね。こんなところでどうしたの?』
『怪我させんなよ?黒髪なら高く売れる』
この異世界では、俺の黒髪がとても珍しいようだった。
それならば、黒髪の俺は希少な人間で高く売れるから、現在抱えているこの木箱の中身を売買するよりも、優先して俺を奴隷商に売りつけた方が利益が出る──と言う事だろう。
「髪が珍しいから……」
「そうだ」
その禿頭の男は、低い声でそう口にするとまた口を一文字に閉じた。寡黙なその男は、俺を怪しい目で見る。きっと、黒髪が珍しいことを知らない俺を疑い始めたのだろう。
何か言い訳をした方がいいだろうか、それともここは沈黙を貫いた方が賢いだろうか。
そんなことを考えて思考を逡巡させているうちに、もう会話を続行できるような間が過ぎて行ってしまったため、俺は沈黙を選ばされることになった。
──そして、そこから数十分。
外には喧騒が広がる中で、馬車の動きが止まった。
「到着だ、降りるぞ」
その言葉と同時に禿頭の男は、その大きく硬い手で俺の手首を力強く掴み引っ張る。
荷台の後方を覆っていた木板が開かれて、俺はその眩しい日光に思わず目を細めてしまう。
──こうして俺は、ここまででも二転三転してきた俺の人生を七転八倒させる運命的な出会いが約束された奴隷市場に到着したのだった。