役立たずのレッテルを貼られた傷物令嬢、他国の魔剣士様に拾われる【コミカライズ】
その発表……いや宣言が行われたのは、狂竜と呼ばれるドラゴンを倒しに行った一行が無事討伐に成功、そして帰還し、彼らの功績を讃える為の慰労会が盛大に催された会場でのことだった。
「──父上、私はミュリネットとの婚約を破棄して、こちらのシャローナ男爵令嬢との婚約を結び直したいと思っております」
そう笑顔で言ったのは、この慰労会において一番の功労者として注目される、この王国の第一王子にあたるアーノックである。
ふわりと風にたなびく美しい黄金の髪に、少し垂れ目のエメラルドグリーンの瞳を持つアーノックは、その女性受けする美しい容貌とグレリムス王国一の剣の使い手であるという噂から、彼に魅了された貴族女性の視線を一身に集めていた。
それでも彼女達が遠巻きに彼を眺めるだけに止め、言い寄る女性がいなかったのは、グレリムス王国の中でも屈指の名門貴族であるカウルバッハ公爵家の一人娘、ミュリネットがその婚約者に収まっていたからだ。
アーノックは、自分に似た色彩を纏う美少女……シャローナの腰を引き寄せ、恋人宣言をするかのようにその頬に口付けをした。
きゃあああ、という悲鳴や歓声が湧き起こり、アーノックに注意を払っていなかった者達も何事かと談笑を止め、そちらに注目する。
シンと静まり返った会場の中、この慰労会を開催した国王は眉を潜めて自分の息子であるアーノックに問い掛けた。
「それはまた……何か正当な理由があってのことか?」
「私は、今回の討伐で確信致しました。私の隣に立つのは、回復という稀有なる能力で、常に私を支えてくれていたシャローナしかあり得ないと」
「ほう。公爵令嬢も何かとお前を支えていた筈だが」
「ミュリネットは、こう言っては何ですが……単なる補佐役にしか過ぎませんでした。それも、本当に役に立っていたかどうかも怪しいのです」
アーノックの言葉を受けて、ミュリネットの父親であるカウルバッハ公爵は額に青筋を浮かべた。
「アーノック王子殿下、我が娘は貴方を守って背中に大きな傷が──」
怒りに震えた公爵が二人の会話を遮ってまで口を開こうとすると、国王は片手を上げてそれを制する。
「しかし、公爵令嬢はお前を守って命を落とし掛けた、と聞いたが」
国王の言葉に、アーノックは肩を竦めて苦笑した。
「その言い方は大袈裟です。彼女に守られなくても、私は既に態勢を整えておりましたので、反撃可能な状態でした。しかも、背中を抉られたミュリネットの命を繋ぎ止めたのもまた、シャローナです。回復能力が枯渇し今にも倒れそうだったシャローナが、気力を振り絞ってミュリネットを癒したからこそ、あんな深手を負ったというのに生きられているのです」
アーノックがそう言うと、隣で話を聞いていたシャローナは、可憐な動作でこくこくと頷き、国王と王子の会話に参加した。
「しかも、ミュリネット様は、貴重な回復薬の類いをアーノック様ではなく、大して役にも立たない部下達に率先して使われましたの」
シャローナの言葉に、今度は王子が深く頷く。
「そうです、その為部下達の多くは回復能力を見込まれて討伐に参加したシャローナよりも、本来の役割を逸脱して回復を行ったミュリネットに感謝の意を表すようになりました。結果としてシャローナの邪魔をし、心証を悪くするように仕向けたのです」
二人の発言に、国王は尋ねる。
「ふむ。……ミュリネット、アーノックはこう言っておるが、君はどう考えるかね?」
国王の視線は、彼らを囲むようにして立っていた聴衆の中の一人、黙って会話を聞いていたミュリネットに注がれていた。
ミュリネットは髪も瞳の色も茶色で、王子や男爵令嬢の纏う色彩の派手さとは対照的な印象を与える女性だが、薄い化粧でも映える造作の整った容姿と、何より姿勢の良さがそのスタイルの良さを引き立てていた。
一見して他人の目を引くような派手さはないが、気付く者だけが気付く、そんな美しさ。
「……」
国王から話題を振られ、何と答えようか思案したミュリネットの視線の先には、真っ直ぐに彼女の方を向いて怒りの形相を露にした父親がいた。
ミュリネットは知っている。
父親が怒っているのは、大切な一人娘が婚約者である王子に蔑まれたから……ではなく、権力拡大の為の駒である一人娘が婚約破棄をされそうだからだ。
「アーノックに恩を売れ」という命令をミュリネットはその命を守ることで果たしたが、肝心の本人には全く響いておらず。結果として「婚約者という立ち位置を確固たるものにしろ」という命令を果たせなかったから。
ミュリネットの隣に立っていた、甲冑に身を包んだ騎士のランドンが呆れ返った表情で「ミュリネット、本当のこと言えよ!俺も加勢するから」と小声で囁く。
そしてもう片側に立つ、黒衣のローブに身を包む、魔法士のデュノハードは黙してミュリネットの返答をただじっと待った。
「……そうですね、アーノック様のご意向に沿いたいと思います」
事実が、どうであれ。
ミュリネットが無表情でそう言えば、アーノックとシャローナは二人で見つめ合って勝者の笑みを浮かべる。
「ミュリネット……!!」
逆に、父親であるカウルバッハ公爵は先程よりも更に憤怒の形相を強めてミュリネットをギリギリと睨み付ける。
周りの貴族女性は悲鳴を上げ、会場は一気にざわめいた。
ミュリネットは、手にしていたシャンパンを飲み干し、テーブルにそっと置く。口角が上がりそうになるのを、必死で抑えた。
ランドンは苦虫を噛み潰したような顔をし、デュノハードは軽く笑む気配がする。
──これで、良い。
ドラゴン討伐の旅路で、ミュリネットは色々気付いたことがある。
完璧だと思っていた婚約者は、うわべと口だけの男だった。
婚約者であるミュリネットを始め、他のメンバーがシャローナから虐げられているのも気付かない愚鈍な男。
自分の剣の腕が、自分自身の力だと勘違いし続ける男。
そして、自分の命を守った女ですら平気で捨てる男なのだ。
公爵令嬢としてお世話されることに慣れきっていたミュリネットは、討伐の旅で仲間と一緒に生活力も向上させた。
「ベッドがないと」「こんなもの食べられない」「何故私がそんなことをしなければならないのだ」という王子や男爵令嬢はそのままに、ランドンやデュノハードと従者と一緒に協力して衣食住を整えたりもした。
そしてそれは、どんな勉強よりも生きているという実感を、そして公爵家を追い出されても自分は生きていけるという自信を、ミュリネットに与えた。
ミュリネットはこれから、きっと父親から「婚約破棄をされた傷物の使えん女など、うちには必要ない。二度と私の目の届かないところへ、どこへなりとも行くが良い」と言われて公爵家を追い出されるだろう。
母親は元々、息子達を溺愛していて娘には関心がないから、逆にミュリネットは自由になれるのだ。
王子と新しい婚約者を歓迎しつつも嫉妬が渦巻く、一気に賑やかになった会場を、ミュリネットはそっと後にする。
今回の慰労会には、討伐隊の中でも一部の功労者だけが参加を許されていた。その為参加者達には、各々王城の幾つかの部屋が宛がわれており、慰労会が終了した後酒の抜けていない身体でわざわざ街の宿屋や自宅に戻らなくて良いことになっていた。
真っ直ぐに公爵家に戻れば、怒り心頭の父親からどんな折檻を受けるかわからない。
自分の部屋も宛がわれていることに、ミュリネットは感謝した。
「ミュリネット!」
長い回廊を歩いていると、後ろからランドンの声が掛かった。
「ランドン」
ミュリネットは、久々に着たドレスを鬱陶しく感じながら振り返る。
長年着続け、慣れ親しんできたドレスがこんなに動きにくいものだとは、旅に出なければ気付けなかった。
「ミュリネット……大丈夫か?お前、これからこの国に居づらくなるよな?ミュリネットさえ良ければ……俺の国に来るか?」
ランドンは、複雑そうな表情を浮かべながらもそうミュリネットに声を掛けてくれた。
ランドンは、グレリムス王国の人間ではない。けれども、祖国には婚約者がいて、自国に戻れば直ぐに結婚が控えている筈だった。
その状態でミュリネットを連れて帰れば、何を噂されるか想像に難くない。
それなのに、ミュリネットという仲間を気に掛け、声を掛けてくれる優しさに触れて、ミュリネットは泣きそうになった。
ミュリネットが口を開くより先に、低い声が響く。
「ランドン、ミュリネットは私と先約を交わしている」
「デュノハード……」
どこからともなく真っ黒なローブが現れて、ミュリネットはホッとする。
以前はこの、気配を消されて急に姿を現されるのが苦手で、デュノハードが登場する度に心臓に悪い、と思ったのが遠い昔のようだった。
楽しいだけの旅ではなかったけれども、ランドンにはいつも元気を貰い、デュノハードにはいつも安心感を与えられていたと思う。
「デュノハード!そうだよな、ミュリネットはお前が何とかしてくれるに違いないよな。お前の国ならミュリネットも大事にされるだろ。頼むよ、俺の……俺達の、恩人だからさ」
「無論だ」
デュノハードもまた、ミュリネットやランドンとは別の国の人間だった。
ただ、大地には国土がなく、空に浮く天空島を国土とする珍しい国の人間である。
「ははは!お前達と一緒で本当に良かったよ。楽しかった」
「ランドン、今までありがとう」
ランドンが手を差し出したので、ミュリネットがそれを掴む。
握手というその動作は、ランドンの国のコミュニケーション方法だ。
「ミュリネットのことは、私が一生大事にするから心配するな」
デュノハードもまた、ランドンと握手し、そう言った。
まるでプロポーズのようなその言葉に、ミュリネットの頬が紅く染まる。
「俺の国にも、そのうち遊び来いよ!歓迎するからさ」
「ああ」
「……普通、自分の国にも、とか言わないか?」
「姉の許しが必要だ。来たい時は三ヶ月前には連絡しろ」
「マジか!友人枠とかないのか?」
国民以外の天空島への出入りは、必ずデュノハードの姉である女王の事前許可が必要となるらしい。
「悪いな。国民以外は、一切の例外が認められていない」
「マジメか!」
謎に包まれた天空島は、その調査期間を設けることで今まで自国を様々な脅威から守ってきたらしい。
その後も軽口を言い合いながらランドンとデュノハード、そしてミュリネットは笑顔になった。
***
ドラゴンは、元々賢く温厚な生物だ。
しかし、人間でも何人かに一人は変な人がいるように、ドラゴン同士でも手を焼くような、人間や人間の所有する資産に甚大な被害をもたらすドラゴンが稀に生まれる。
それを人間は狂竜と呼び、国同士で手を組んで、討伐をしていた。
他のドラゴン達は、狂竜を野放しにするかわりに、狂竜を人間が討伐するにあたって邪魔をしてくることもなかった。
こうした偶にある狂竜討伐は、次世代を担う者達による国同士の関係を、より友好的で強固にする為の、ある一種の交流の場と位置付けられている。
その為今回出現した狂竜の討伐には、狂竜の被害を一番に受けているグレリムス王国から第一王子のアーノック、公爵令嬢のミュリネット、そして男爵令嬢のシャローナが選ばれた。
そして隣国からの応援として、騎士団に所属しているランドンと、同じく近くを浮遊していた天空島からの応援としてデュノハードが駆け付けた。
本来であれば、デュノハードではなくデュノハードの姉が世界屈指の回復能力を所持していたので、そちらに応援を頼む予定だったらしい。
しかし天空島へ応援の依頼をする直前、シャローナに回復能力が認められ、本人が討伐隊に是非参加したいという意欲を見せた為に、後衛の応援依頼に変更され、デュノハードが援護役として派遣されたという。
討伐隊には、それぞれ役割が与えられていた。主な役割としてアーノックが接近戦で戦い、デュノハードは魔法で後衛を務めた。
ランドンがドラゴンから仲間への攻撃を盾として防ぎ、シャローナは傷付いた者達の回復、そしてミュリネットは全員の補助に回っていた。
アーノックは普段の修練や模擬戦では普通の兵士と同等の能力しか発揮しないが、公式戦や本戦では必ず実力以上の剣の腕を披露した。
どうも能力の発揮にムラがあるらしかったが、討伐隊の旅路においては他者の追随を許さない驚異的な身体能力と剣の腕前を見せつけていた。
アーノックの調子は最高潮だった。そしてそんなアーノックの傍らに寄り添い、彼のどんな小さな傷も見逃さずにずっと癒し続けたのが、シャローナだった。
シャローナは、確かに回復能力を所持していた。
けれども、天空島の女王ではなくシャローナが回復役に当たったこと、後にこれがこの討伐隊にとって大きな問題となった。
何故なら彼女は、アーノック以外にその能力を使うことがなかったのである。
***
シャローナの能力は、ミュリネットの能力で底上げしたとしても、上級回復薬程度の力しか持っていなかった。そして、所持する魔力も上限値が低く、直ぐに枯渇した。
「私の能力は、アーノック様に何かあった時に温存しておかなければなりません!」
そう言って討伐隊の仲間達の怪我は勿論、治さなかった。
形としては仲間だが、国賓と言っても差し支えないランドンやデュノハードに対してですら、渋々嫌々回復しているのが、その態度から見ても明らかだった。
ミュリネットの父親は、元々シャローナの同行にあまり良い顔をしなかった。
ただ、単なる男爵令嬢である女性が、大胆にも公爵令嬢である婚約者の目の前で王子を狙うような下品な真似をする訳がない、と良くも悪くもシャローナのことを分別のある貴族女性だと考えていた為、結局その同行を許した。
その為、回復能力を所持するシャローナに出し抜かれないように、アーノックの回復はお前がするようにと、超高級回復薬から普通の回復薬までをミュリネットに大量に持たせた。
それが、討伐隊にとって幸いしたのだ。
見かねたミュリネットが持参した回復薬を使って従者達の怪我を治したところを見るや、今度は大切に扱わなければならない筈のランドンやデュノハード達に対してですらも、何だかんだと理由をつけては「ミュリネット様がお持ちの回復薬を使えばよろしいのではないでしょうか?」と笑って言い、その能力を使おうとしなかったのである。
流石にこれには、ミュリネットは青ざめた。ただ、アーノックを差し置いてでしゃばることも出来なかったので、アーノックが彼女を諌めることを期待したのだが、それもなかった。
アーノックは、シャローナが頑なにアーノック以外にはその能力を使わないという状況を、楽しんでいるようにすら見えたのである。
実際、アーノックは「アーノック様、アーノック様」と可愛らしくすり寄ってくる、常に美しくある令嬢をかなり気に入っていたようだった。
討伐に向かう旅路であっても、シャローナは常に化粧を施し綺麗なドレスを身に纏い、その努力にはミュリネットですらも感心させる程に完璧であった。
狂竜討伐が最終目的の旅路ではあるが、その行程では様々な国民の悩みを解決していくのも、討伐隊の大きな醍醐味である。
だからこそ、適切な人員を派遣するのではなく、王子や公爵令嬢など、今後国を背負っていく者達が討伐隊の顔となるのであるが、アーノックやシャローナはそうした寄り道に対してかなり消極的だった。
***
「我が国のことなのに、本当に申し訳ありません……!!」
ある日、討伐隊がとある村に差し掛かると、その村の村長が討伐隊の隊列を遮るように土下座をして、その村の作物を荒らす超大型猪の被害に困り果てている、という話を涙ながらに語り、助力を求めた。
駆除をしたくて何回か依頼したが、隣町の駆除業者が失敗したのに、罠代や人件費などという理由で代金だけを取られてしまったとのこと。
もう駆除代金を払う余裕も村にはなく、このまま税金だけ取られれば、村そのものの存続が危うくなるとの話だった。
アーノックは自分の髪をくるくる指に巻きながら面倒そうに、「仕方ないよね、ここにはもう住まない方がいいってことじゃないか?」と言った。
シャローナは、「アーノック様がこうおっしゃっているのですから、諦めては如何かしら」とアーノックにしなだれかかって言った。
結局、頭を抱えるミュリネットを見かねたデュノハードとランドンがその退治に乗り出してくれたのだ。
しかも、「疲弊した村人達にその猪を食糧として渡したいのですが」と、失礼とは思いながらも恐る恐るミュリネットが提案すれば、二人はそれは良い考えだと賛同してくれて嬉しくなる。
デュノハードの魔法で退治すると、消し炭になる可能性がある。
その為、ミュリネットがランドンの身体を鉱物並みに硬くし、硬化したランドンが猪を捕獲している間にデュノハードが剣で止めを刺した。
言うのは簡単だが、相手は後ろ足で立てば四メートルにも迫るような巨体である。
「デュノハード様は、剣も扱えるのですね」
ミュリネットが目を丸くして驚いていると、デュノハードは「私の本職は魔剣士なんですよ。ただ今回の依頼が後衛なので、魔法士として動いているだけです」と微笑んだ。
「それより、ミュリネットさえいれば百人力だよな」
ランドンが笑って言い、デュノハードは頷いた。
「……ミュリネットの補助能力は凄い能力ですね。跳躍、スピード、視力、そうした全ての能力が十倍位跳ね上がった気が致しました」
「恐れ入ります」
「そんな恩恵に気付いてないやつも一人いるようだがな」
ランドンは呆れ顔で言う。ミュリネットは慌てて会話を逸らした。
「けれどもお二人とも、私の出る幕もない程、元々最大限まで身体能力を解放していらしていて、本当に凄いです。気の流れが滞っている箇所が殆ど見当たりません」
ミュリネットは、他人の身体の気の流れを読んで、その気が滞っている箇所を見つけ、それを流すことで本来の力、もしくは本来以上の力を発揮できるようにする能力を所持していた。だからこそ、この二人が本当に日々鍛錬を積み、精進していることを理解していた。
デュノハードに至っては、元々その魔法一つで村一つ分焼き払えるような能力を持っているのだから、ミュリネットの出番はほぼなかった。
その代わり、アーノックやシャローナや他の未熟な者達には連続・集中して能力を注ぎ込まねばならなかった為、毎日くたくただった。
ミュリネットが旅路の途中で国民の悩み事を解決しながら、怪我した者を癒す。
アーノックやシャローナはそれを横目におままごとやお遊びのような旅行気分で毎日を過ごし、解決したミュリネットに「よくやった」とさながら自分が指示したかのように振る舞った。
ランドンが崖崩れに巻き込まれそうになった従者を咄嗟に庇って指を潰した時は、ミュリネットが高級回復薬を使い、綺麗に蘇生させた。
デュノハードが世界的にも珍しい高山植物に触れてしまい、毒が一気に回りそうになった時もミュリネットが高級回復薬を使い、同じく回復させた。
その頃には、デュノハードの敬語も抜けて討伐隊の仲間意識がぐっと盛り上がりを見せていた。
ただ、シャローナの分も働いたお陰でミュリネットは討伐隊の中で感謝され、人気もうなぎ上りだったが、シャローナはそれが癇に障り、気に食わない様子だった。
***
ミュリネットがアーノックを庇って背中に大きな傷を負ったのは、倒したと思っていたドラゴンが最期に力を振り絞って放ったブレスによるものだった。
「ミュリネット!」
デュノハードの叫びを聞きながら、背中が一瞬で焼け焦げる臭いがし、次いでドラゴンの断末魔の叫びが聞こえた。
最初は痛みを感じなかったのだが、それから直ぐに激痛が全身を駆け巡って、どっと汗が吹き出た気がする。
シャローナは、ミュリネットの傷口は痛々しく残るものの出血を止めるところまでは回復をしてくれた。
「……申し訳ありません、アーノック様。私にはここまでが精一杯で、ミュリネット様の背中についた、この醜い傷痕を消すまでには至りません」
シャローナは、その場でポロポロと泣き出した。
息をするのも辛い痛みがミュリネットを襲っており、ミュリネットは何も口にすることが出来ない。
「何を言うんだ、シャローナ。ミュリネットの命を繋ぎ止めたのは、間違いなく君だ。そのことに、誇りを持ってくれ」
ミュリネットの補助を受けられないシャローナの回復能力はあっさりと枯渇し、彼女はその場で崩れ落ちた。
そして案の定、ミュリネットの背中には大きな傷痕が残った。一度完治してしまえば、超高級回復薬を以てしてもその痕が消えることはないと、その場の誰もが知っていた。
そうしておよそ半年ほどの旅は終わりを告げた。
父親に命じられて討伐隊に参加したミュリネットだったが、その時間はかけがえのないものとなり、新たな価値観や発見を見出したり、新たな人間関係を構築したり、そしてこれからの自分の人生を考えることにも大いに役立った。
婚約破棄が宣言された慰労会から少し遡り、三日程前。
星を見ないかと誘われて、ミュリネットは婚約者のいる公爵令嬢としてではなく、討伐を終えた仲間としてデュノハードの手を取った。
「ミュリネットは、今後どうするつもりだ?」
二人軽装で草っ原に寝転び満点の星空を見上げたまま、デュノハードに問われたミュリネットはうーん、と考える。
二人とも、今この時にも、アーノックとシャローナが宿屋の一室に籠って何をしているかなんて、わかりきっていた。
妾を許さないであろう現国王の性格を考えると、シャローナはミュリネットの座を欲しがるに違いなく、またアーノックもそれを支持すると思われる。
自分も最高の剣士だった国王はアーノックの能力を高く評価していた為、息子が政略結婚ではなく本当に愛する女性を連れて来たならば、一度の婚約破棄位は大目に見るだろう。
……ミュリネットの父親に対して、警戒しているところもあるだろうし。
「私は恐らく、公爵家を追い出されると思うので……そうですね、自分に合った仕事というものを探してみたいと思います」
ミュリネットの脳裏に、旅路の過程で出会った、瞳をキラキラと輝かせながら日々を過ごしている国民達が思い描かれた。
自分はずっと、王城に籠ってアーノックを陰で支え続ける未来しか見えていなかったが、あんな風に、自分の仕事にそれぞれ誇りを持って、毎日食べられること、生きていることに感謝する人生を送ってみたいと今は思う。
「アーノックに未練はないのか」
「私にそれ、本気で聞いていますか?」
「……すまない、確認だ。なあミュリネット。君さえ良ければ我が国に来て、君にしか出来ない仕事をしてくれないか?」
ミュリネットは星空から視線を外し、隣に寝転んだデュノハードの方を見た。
星を見ていると思っていたデュノハードと視線が合い、心臓がどきりと音を立てる。
黒のローブを着ていない今も、艶やかな黒いさらりとした髪と、同じく吸い込まれるような漆黒の瞳が彼のイメージカラーを揺るぎないものにしていた。
「どんな仕事ですか?」
ミュリネットは好奇心に満ちた顔で聞く。
「その仕事は我が国の機密に関わることだから、この場では話せない。一日三時間程拘束され、体力を根こそぎ持っていかれるような仕事だ。ただ、君以上の適任者はいない。衣食住は保障しよう」
謎の多い浮遊する国。ミュリネットの心も、浮きたった。
「ええ。では、私がこの国で今後役立たずと認定された時は……デュノハード様に拾って頂けますか?」
「喜んで」
二人は悪戯っ子のように笑い合い、小さな秘密の協定を結んだ。
***
そうして、婚約破棄され家を勘当されたミュリネットは、その一週間後にはデュノハードに連れられ、彼の国で彼の姉である最高責任者の女王と面会を果たしていた。
「ようこそ、我が国へ。歓迎しよう、ミュリネット嬢」
「お初にお目に掛かります、女王様」
ミュリネットは、心を込めて丁寧にお辞儀した。
「弟から、貴女の話は散々報告を受けていてな、会えるのを楽しみにしていたぞ。住まいは弟の屋敷で準備しているだろうから、自分の家だと思って寛いでくれ。これから色々とよろしく頼む」
「恐縮です。こちらこそ、ご迷惑をお掛け致しますがよろしくお願い致します」
簡単な面会を済ませ、ミュリネットが退室をしようとすると、女王は彼女を引き止め「これは単なる歓迎の挨拶だ」と言って、ミュリネットに手を翳した。
回復薬では治らないと言われていた大きな背中の傷は、世界屈指の女王の回復能力であっさりと消失し、その能力の高さにミュリネットは唖然とする。
デュノハードの屋敷に到着すれば、使用人全員に温かく迎えられ、役立たずと認定された後の実家との温度差に泣きたくなった。
その後、デュノハードから提案されたミュリネットの仕事は、天空島の要となる部分……天空石と呼ばれる島が浮遊する為に魔力を注ぎ続けている魔法士達の補助とのことだった。
彼女が実際に働き始めると、魔法士達は「ミュリネットが来てくれたお陰で、ブラックな職場がホワイトになったわ!」「ミュリネットのお陰で早く帰れるようになったから、家族が喜んでるよ」「離職率が格段に改善されたよ!本当にありがとう!!」と口々にミュリネットに感謝した。
そしてまた、天空島にミュリネットが初めて訪れた日。
地上よりもぐっと近い星々と深夜に花開く満開の美しい彩り達に見守られながら、デュノハードは跪いてミュリネットの手の甲に口付けを落とし、真っ直ぐに彼女を見据えて言った。
「貴女が好きです。本当に貴女にしか出来ないこととは、私の妻になって頂くことなのです。どうか私と、結婚して下さい」
その言葉を聞いたミュリネットは、胸に喜びが満ちていくのを感じる。
ぽろり、と嬉し涙が流れた跡を、デュノハードは慌てて親指でそっとなぞった。
それから一ヶ月後、ミュリネットはデュノハードと入籍をした。
公爵家からの参加者は誰もいない、とても慎ましく……そして島全体から祝福された、幸せな結婚式を二人はあげた。
初夜が済み、初めてで慣れないことに恥ずかしがり、けれども大いに乱れてくれた新婦の寝顔を眺めながら、新郎は満足げにその頭を撫で続ける。
何の面白みもない茶色の髪と瞳、と本人は言っているが、その艶やかな髪は月光を浴びるとキラキラ鮮やかに朱色に煌めくことを、そして長い睫毛を持ち上げれば、透明度の高い、美しく輝く茶色の瞳が、金剛石のように煌めくことを、デュノハードは知っていた。
そう、彼は色々知っていた。
ミュリネットの傷痕を、自分の姉なら綺麗に治すであろうことを。
ドラゴンが最期にアーノックへブレスを吐き出すつもりであったことを。
ミュリネットが超高級回復薬を所持していたにも関わらず、それをあえて使わなかったことも。
ミュリネットがアーノックを庇うことに関してだけ、彼の予想は至らなかった。
天空島は、その国民以外は三ヶ月前から申請をしなければ例外なく入国することが出来ない、厳格な場所。
ミュリネットが直ぐ様国に入れたということは、彼女の入国申請をデュノハードが三ヶ月以上前からしていたということである。
***
一年後。
アーノックが「本来の力がずっと出ず」国内最強の剣士としての働きがめっきりと減り、アーノックの腕が本人の自己努力によるものではないと気付いた国王は、次期国王を他の王子に決めたらしい。
その為か、アーノックに夢中だった筈のシャローナに浮気の事実が発覚したということで、二人の婚約が今後どうなるかと、グレリムス王国の中では恰好の話題であるという。
しかしそれも、今のミュリネットには他国の出来事にしか感じられない。
情報誌に目を通していたミュリネットは、「おはよう、ミュリネット」と後ろから彼女の頬に口付けた、毎日溺愛してくる夫のデュノハードを見上げて言った。
「おはよう、デュノハード。……私を拾ってくれて、本当にありがとう」
役立たずのレッテルを貼られた傷物令嬢は優しい魔剣士様に拾われ、今日も幸せな日々を送るのだった。
数ある作品の中から発掘&お読み頂き、ありがとうございました。