ver1.03-感染ウイルス
結局、昨日は強引にアンナの部屋に止められてしまった。制服が血でぼろぼろだからとか、朝一で制服作らせるからとか、挙句には万が一の副作用が起きた時に私が傍にいないと大変だよ? なんて色々言ってその有様。
しかしまあ、用意されたベッドの寝心地は凄い良かった。優しく包まれる、そういう表現がまさにピッタリくる高級羽毛布団。お陰で普段の寝不足というものが一気に解消された。そこは感謝するべきかもしれない。あと、制服を用意してくれたことも。うん、そこらへんだけだろう。――と思ってから、何かとても重要な感謝すべきことがあった気がするが、教室に入る時点でユヅキの頭にそれが浮かぶことはなかった。
「ユヅキ! お前……昨日はどうしたんだよ」
教室に入った途端、ユヅキはショウに腕を掴まれた。まだ席にも着いておらず、黒板の真ん前で皆の注目を浴びているというのに。
「何度《音声接続》しても出なかったじゃねえか! ――何があったんだよ!?」
珍しくも、大きな声を上げていた。それだけショウは心配していたという事だろう。
《音声接続》とは、簡単に言えばボード同士の音声接続だ。前時代の電話に等しい。
しかし、それにユヅキが昨夜出ることは叶わなかった。何故なら、アンナにオンラインは極力控えるようにと言われているからだ。理由ははっきりと訊かなかったけど想像は容易につく。今、ユヅキはウイルスそのものなのだ。易々とオンラインに接続して良い筈がない。けれど今の時代、ボード無しでは不便どころの騒ぎではない。だから仕方なく、学園でも使用などの場合のみの最低限のオンラインにするつもりだった。
そう。だから、ユヅキはショウからのコールなど知る由もなかった。しかしそんな訳を知らないショウには、ユヅキが何か危ない目に合ったのだと思ってしまったのだろう。……まあ、実際には危ない目にあったのだが。
「ゴメン……その……ボードの調子が悪くなってさ。病院に行ってたんだ」
かなり苦しい言い訳だった。
けれど仮に、仮に故障が在ったとすれば、脳に移植されているボードを直すには当然、電気屋などに言って治る筈がない。必然的に、それは病院内の電子科という分野の診察へと行くことになる。そうなれば音信不通などは当たり前。……まあ、それは嘘なのであるが。
ここまで考えて、今度はユヅキの胸中に焦燥感が走る。昨夜、確かにユヅキは危ない目に遭った。そしてそれは、ショウとて可能性があるのだ。
「――それより! ショウは何ともなかったのか!」
ユヅキは逆に肩を掴み直す。
長身のユヅキと少し高いぐらいのショウと二人がこうして対峙している様子を見たら、取っ組み合いを始めるのかと勘違いされるかもしれない。その位二人の形相は切羽詰まっていた。
「何ともって……何がだよ?」
この質問の返し方は何があったのか分かっていないという事なのだろう。――もしかしたら自分の姿を見られたのも気のせいだったのかもしれない。ただ単に自分が行った場所にショウも遅れて辿り着き、しかしその場には探していた相手がいない上に何やら戦闘を繰り広げていた――そういう状況なら、納得もいく。
そう思い、ユヅキは内心安堵の息を吐く。
「――そんなことよりっ!」
とショウが再び声を荒げた瞬間に、
「まあまあ、お二人さん。特にショウくん。落ち着こう」
ミナトが二人の胸に手の平を当てながら割り込んできた。まるで諭す母親のように穏やかな微笑を浮かべて、二人の胸を押し、距離を開けさせた。そのまま両者の間に立ち、腕を組み、
「とりあえずここでは目立つだろう。今が無事ならそれで良いじゃないか。また、昼休みにでもゆっくり話したらいい。……良いだろ? ユヅキくん」
「……ああ、サンキュー。ミナト」
長い付き合い、というだけあってユヅキの思っている方向へとミナトは誘導してくれた。そう、このまま皆の注目を浴び続けていたらめんどくさすぎる。……ただ、ミナトとショウには申し訳ないが、真実を話す事など決してないのだけれど。
全く集中できない――元々真面目にやる気はないが――テストが四つ終わり、遂に昼休みがやって来てしまった。二人の言及をどう潜り抜けようかと思っていると、不意にぴこ〜ん、という電子音が響く。
オフラインの筈なのに……と思いながら仮想デスクトップのタスクバーを見れば、そこには《銀鏡・サラファノク・アンナ》という名前の横に音波の様な波のマークと共に吹き出しで表れていた。それは《音声接続》の要請である――のだが、ユヅキの回線はオフラインである。奇妙に思いつつも吹き出しにカーソルを合わし、仮想クリックを行えば。
『中庭へ昼食持って集合ッ!!!!!!!!』
脳髄に響くアンナの声に、ユヅキは椅子から派手に卒倒した。
ユヅキはその言葉の通りに、中庭へと向かっていた。
それは別にアンナに呼び出されたから大人しく言う事を聞いた、とかではなく、単純にあの二人を撒く口実が出来たから。強引に告げて教室に残してきた二人に対し、罪悪感はないことはないが、めんどくさいことは後回しにしたいのでそのままユヅキは強行した。
僅かに吹く風の中、長袖の紺色ブレザーを両手で摩りながら中庭へと到着すれば、ベンチに座る一人の影を見つけた。冬の太陽に反射している、まるでダイヤモンドの様な銀色の長い髪が、風で少し揺れていた。アンナは歩いてくるユヅキに気がつくと、いやに元気よく手を振って来た。それを、申し訳程度に振り返しながらユヅキは近づいて行く。
「……やっ! ユヅキ!」
なんて冬の寒さに一切負けていない眩しい笑顔を振りまいた。それに対しユヅキはめんどくさそう――もとい眩しそうに目を細めながら、ども、と小さく礼をしてそのままアンナの隣に腰掛けた。
「げ……先輩だった……んですね。アンナ…………先輩」
胸元のリボンを見ると、それは青だった。
一年は赤紫で、二年は緑、三年は青のリボンというのが今の状況。だから、青のリボンで胸の辺りを飾っているアンナは、誰がどうみようと二年であるユヅキより学年が上なのだ。昨日は何故かつけていなかったので、ユヅキはそれを知る由がなかった。
「あー、良いよ良いよ。敬語も敬称も。今更変えるのも嫌でしょ?」
「まあ、めんどくさいね……」
自分でも物事の判断基準が“めんどくさい”に依存しているのもどうかな、とは思うものの、これが自分の性なので止めようがなかった。
「――で、何で呼んだの? わざわざ外なんかに」
今の季節は冬だ。二月だ。率直に言って寒いのだ。
だから周りを見渡しても赤い煉瓦で綺麗に造られている中庭には誰もいない。カップルですらいない。理由は簡単、寒いからだ。敢えて寒い中一緒に御飯を食べて寒いからくっつこう、なんていうカップルもいないほど寒い。だからそれなりに呼び出した理由はあるのだろうと思っていた。――のに。
「いや、別に意味はないよ?」
「……帰っていい?」
「つれないなぁ〜……これから一緒に住むことになるっていうのに」
「……んなこと言っても寒――――ちょっと待て。あんた……今何て言った?」
ん? なんて小首を傾げながら、アンナは。
「だから、一緒に住むことになるって言ったの」
「ぬぁぁああああんんでだよおおおおおお!!!」
ユヅキの叫びにアンナはおう? なんて言う。
いや、意味が分からな……くもないか。そう言えば昨日“私を護れ”とか言ってた気はした。だからか。だからなのか。こんな強行作戦に出向いたのは。
……や、正直アンナは可愛い。誰がどう見たって美人のハーフだ。だから、一緒に住むなんて言われて悪い気はしない。悪い気はしないが……絶対にめんどくさいだろう。女子との共同生活など……おおぅ、修学旅行の思ひ出が蘇る。
「ちなみに今引っ越し業者がユヅキの部屋に向かってるからね。帰る頃にはきっと終わってるよ」
思いっきり目を絞りながら考え込んでいるユヅキを見て、アンナはさらに追い打ちを掛けた。
「いや、ちょっと待て。何だって? ……あ、いやもう一度言わなくていいや。んーと、あれだ……拒否権は?」
「ん? もう遅いと思うよ?」
無い、ではなく遅いらしい。ということはあった時もあったということだ。それはきっと昨日の時点のことだろうか。というかそれなら拒否権も何もあったもんじゃないじゃねえか、と突っ込みたいがだるいので諦める。
何となく、何となくだがアンナはやると言ったらやるような人物に感じる。だからきっと、今、本当に引っ越し業者が部屋に訪れ、勝手に梱包していっているのだろう。
……いや、仮にそうだとしてもそんなものは警察に通報してしまえば良い。引っ越しという行動に、部屋の主であり物の持ち主であるユヅキの意思は組まれていない。ならば幾ら大企業の娘とは言え法律には勝てない。まさか金の力で法律をどうにかするとか言うのなら絶対に日本から出ていってやる。金でルールが崩れる国になんて要られるか。
……とにかく、今日帰って本当にそれが済まされていたら訴えよう。それで終わりだ。ついでに牢屋に放り込んでくれればいいんだ。そうすればこの女とも今後関わらなくて良い。加えて普通の生活に戻れる。
「…………はあぁぁ」
深く溜息を吐く。もう全ての力が抜けるくらいに。どちらにせよめんどくさいことには変わりないからだ。……昨日からめんどくささが百の階乗ぐらいの勢いで増してる気がする。百の階乗ってどんな数字、教えて数学者さん。
無駄な思考を行ってもめんどくさい現実は決して薄れないということを再度確認し、仕方なく向き合う事にした。
と、その前に一つ疑問がユヅキの頭に浮かんだ。それはオフラインなのに《音声接続》が出来た事。これは非常に不可解だ。幾ら空気を媒体にしたLANだとはいえ、オフラインなら問答無用でオフの筈だ。外界から切断された究極のローカルネットワーク。だっていうのに、目の前の少女はそれに干渉してきた。
「どうして、《音声接続》出来たの? オレ、確かにオフラインにしてた筈だけど」
「ああ、それはね」
もっきゅもっきゅと唐揚げを含みながら、アンナは言う。
「ボードをオフに……してても……《デュエルサモナー》がある……穴からだけは……強制的に……送受信できるから……《デュエルサモナー》を持っていればね」
最後の方は呑み込めたらしく、スムーズに言えていた。
「え、そうなるとアンナも《デュエルサモナー》なのか?」
「そう、だね」
「ふぅん……」
ともすれば、やはりオレと同じように変身するのだろうか。見てみたい――純粋に、しかしゲームの様な感覚でそう思った。けれどそれはアンナの横顔を見て、何となく聞く事は躊躇われた。笑顔はもう既になかったからだ。
昨日は、爬虫類の様な甲冑を身に纏った黒い騎士だった。ならば、女性であるアンナが《デュエルサモナー》になったらどうなるのだろう。ゲームとかだとスレンダーな容姿になる傾向にあるように感じるが……。
そうユヅキが想像を巡らせたところで、昼休み終了の電子音が軽快に鳴り響いた。もそもそとお互い何故か無言で片づけて、それぞれの教室へと戻っていった。
教師が本日最後の有難いお話を仰り、扉を上げて出た途端に、
「――ユヅキ。ちゃんと話してもらうぞ」
突進するような勢いでショウがユヅキの席へと向かい、机を叩いていた。ユヅキは内心、このショウの態度に驚いていた。
ショウはあまり怒る、ということをしないのだ。基本的に大らかで、面倒見の良い性格をしている。そこら辺も実にユヅキと正反対だ。そんなショウがここまで感情を荒げているのは、自分を心配してくれているからなのだろうか、なんてことをユヅキは考えた。
「……ボクも知りたいな」
少女の声で男の口調で喋る音がユヅキの耳に届く。そんな独特な喋り方の奴は、ユヅキはミナト以外には知らない。顔を上げてミナトの顔を見れば、苦笑を顔に浮かべている。きっと、ミナト自身はユヅキが無事ならそれで良い、と考えているのだろう。ここは先程みたいにどうにかミナトにショウの追及を和らげてもらうしかない。
そう、結論を頭に浮かべながら、三人で校庭を突っ切る。これはよく見る光景。小学校の頃から一緒にいたユヅキ達にとって、それは当り前の日常である。
しかし、ショウの顔に浮かぶのは険呑とした雰囲気。それをユヅキは背中越しに感じ取っていた。
「――おい、本当に何があったんだよ」
「……どっかの店に入ってからにしてくれ、って言っただろ」
そうユヅキはぶっきらぼうに突き返した。
途端。
「お前なあっ!!」
制服の首根っこを掴まれ、ユヅキは持ち上げられた。呆気に取られ、ユヅキの思考は一瞬で凍結に陥いる。ショウより数センチ引く筈のユヅキの視線は、対等の高さまで上がっていた。
睨むような眼光を正面から受け止めて数瞬、ユヅキの頭の働きが再開する。
流石にショウの反応が異常だと思った。オレのことを心配してくれてる――にしても少し興奮しすぎだ。普段の少し飄々とした態度は微塵もなく、まるで切羽詰まっているかのように……そう、慌てているかのようにも感じ取れる。過去にここまで荒れた事が在ったか……ない。ショウは自分が血だらけになるような怪我をしていても、周りを冷静にまず優先するようなやつだ。――だからか。だから、オレがあんな姿になってしまったのを見てしまったから。――見て、しまったのだろうか?
「ショウ……」
何かを言おうと口にしたは良いものの、掛ける言葉が見つからない。
数瞬の間の後、聴こえて来た声は第三者のものだった。
「ミズサワ! ちょっと良いか!?」
グラウンドの遠く――テニスコートのフェンス奥から、手を上げて叫んでいる人物がいた。詫間雄司。長い茶髪に髪を靡かせながら、長袖のポロシャツに身を包んだ教師である詫間はショウの所属する部の顧問であり、ショウが特別に懇意にしている教師でもあった。
「先生……」
ユヅキの首根っこに指を絡めたまま、困ったように視線を向けた。
「今ちょっと良いか!? 話したいこととか、送りたいファイルがあるんだが!」
「…………分かりました」
そう言って、乱暴に腕を振り解くと、ユヅキに一瞥もくれずショウは先生の元へと走っていってしまった。ユヅキは首元に唖然としながら手を持って行きながら、ショウの後ろ姿を見送る。
「……あんなショウくん。初めて見たよ」
「……ああ、俺もだよ」
ユヅキとミナトは二人してそう漏らした。
――結局、ユヅキとミナトは先に帰ることにした。ショウと詫間の話が予想以上に長かったからだ。何か部の方針について話しているのかよく分からなかったが、何にせよ部のエースは大変だな、と思った。送るファイルもきっと大会の情報とか、部員の身体能力のデータとか、そういうものだろうから。
しばしば、ショウはああやって詫間に呼び出されている。三年の部長が引退した今では、副部長であったショウがそのまま部長になった為でもある。スポーツも出来て運動も出来て、加えて人格者であるのだから教師に頼られるもの必然という事だ。
ミナトと二人で街をとぼとぼ歩けば、昨日、あのオルトロスの遠吠えを聞いた場所までやって来ていた。
そして隣からは、ミナトが微かに息を吸い込む音がした。
「……ねえ。本当に一体、何があったの? 話してはくれない?」
「……ごめん」
「……そっか」
ミナトは何処か寂しそうにそうだよね、と呟いてユヅキの少し前を歩く。
……言いたくなど、無いに決まっていた。自分があんな化け物になってしまったのだ。そんなの気味悪がるに決まっている。そんなのは嫌だ――。そう、昨日ショウに自分の姿を見られた時に強く感じた。
そうだ。もう友達を失うなんてのは嫌なんだ。ショウだって、ミナトだって――。
怖がられたくない、心配させたくない、怪我させたくない。ありとあらゆる感情が混ざりあった結果、導きだした答えは隠し通すこと。
少し前を歩いていたミナトは不意に振り返って、
「キミが話したくないなら、ボクは無理に追及したりはしないよ。それが……キミとボクの……“距離”だから」
微笑み混じりにそう言った。氷のように澄んだ声が、耳に伝わる。――目尻に涙を浮かべていたのが、どうにかユヅキは気づけた。しかしそれに対しては何も言えない。何も言う資格などなかった。
その微笑みは五年近く見続けてきたもの。きっと事態を何も感じていなくともミナトには、オレに起こっていることが何かしら、感覚的に分かっているのだろう。そう微笑みが告げていた。ああ、だけど、この笑顔は酷く胸に刺さる。気のせいではないだろう。その頬笑みには、確かに寂しさが混ざっている。
意図せずユヅキの喉が動くが、声になることはなかった。
ミナトはそう告げると、再び鞄を握り直して前に向き直ってしまう。
「……さ、帰ろう? ――ユヅキ」
そのまま顔だけで振り向いて、また微笑を携えて言った。……昔の呼び名で。
その言葉にぎこちなく頷いて、傾いた日差しの中、二人静かに家路に着いた。