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ver1.12-感染ウイルス

 結局、昨日買い物から帰った後から今までオルトロスの出現は無しという結果に終わってしまった。今までが連日闘ってきただけあって、何処か拍子抜けしてしまった。

 アンナとの同居、アンナとの通学。それ以外は今までの日常と非常に近いものだった。教室につき投げかけられる挨拶を適当に返し、授業中は何も聞かず呆けて居れば良い。多少周りから感じる視線はあるものの、それは強引に意識の外に追いやることで解決するし、実質的には変化のないモノだった。

 だから、今の学校生活で今までと違う事があるとすれば――。


「……あ、ユヅキくん」


 ショウや――ミナトとの関係だろう。

 夕暮れの教室の中、ミナトは少し困ったように笑った。ミナトの目の前にはノートパソコンが開かれていた。覗けば、色々表があったり、カラーで校内の写真が表示されていた。


「そうか、もう送迎会の時期か……」


 うん、とミナトは頷く。

 送迎会とは、卒業する3年の為開かれる会のこと。それぞれが学年単位で一つの出し物を決め、披露するというものだ。文化祭に近いと思う。それの開催時期が卒業式の前――つまりは来月である二月の下旬に行われるのだ。

 クラスの実行委員であるミナトは、資料をファイルとしてまとめなくてはならないのだろう。


「一人なのか?」


「うん。李実リミ雪子ユキコも部活の方の出し物があるって言ってね」


 そうホログラムのキーボードを叩きながら言う。

 ヒューマンボードで作業を行えば速いのだが、学校行事の資料作成は基本的に学校の備品であるパソコンを使用するのが基本だ。そしてそのパソコンにオンライン機能はない。その為、ヒューマンボードを使うことなく、そのパソコン自体を使用しなければならない。ユヅキを含め大多数の生徒にはそれが理解出来ないが、それが教育委員会とやらの方針らしく、それをこの私立校も倣っていた。

 ユヅキはそのまま自分の席へと行き、荷物を纏め始める。


「何で……ユヅキくんはこんな時間まで学校にいたの?」


「いや……何、テストの結果が悪すぎて補修を……」


 なるほど、何てミナトは困ったように笑った。その間も手を動かしている。何となく、その姿を数秒見つめ、鞄に散乱しているメモリー類を鞄に仕舞って行く。あのテスト前日の夜以来、しっかり毎日メモリを持ち帰るとユヅキは心に決めていた。めんどくさいといって持ち帰らずあんなことになる方がめんどくさいというものだ。

 小さめのショルダーバックにざらざらと放り込んで肩に掛ける。とっとと帰ろう、と教室の外へと身体を向けるが、足はそれに続かなかった。

 何となく、ミナトから視線が外せない。今も空中をミナトの指は忙しなく叩いている。一人で。


「……何か手伝うことある?」


 ユヅキは鞄をミナトの隣の席の机に置いて、不意に言った。ミナトがその言葉に驚いているように、自分でも少し驚いた。


「……良いの?」


「良いよ」


 そう言って、ユヅキは教室の隅に置かれているノートパソコンを取りに行く。こりゃアンナに遅くなるって送っておかなきゃな、なんて思いながら。


「それに昔は結構合ったろ、こういうこと」


 言って、ユヅキはしまった、と自分を責めた。


「え、えっと……」


「ごめん……」


「いや、ボクの方こそ……」


「――――」


 会話が途切れる。その途切れは一瞬だ。一瞬の筈なのに、ユヅキには何十秒もの時間に感じた。

 静寂を破るように、風が一度吹き窓を鳴らした。


「……ほ、ほら、何か先生からの指示文書あるんだろ? 送ってくれ――よ」


 そう言ってユヅキはボードをミナトと繋ぐためにオンラインにしかけた。それは今、自分はやってはいけないことだった。自分はウイルス。感染体、病原体。言わば、駆逐される存在に近しいのだ。


「……どうしたの?」


「いや、何でも……ない」


 ユヅキは一度唇を強く結んでから、鞄からノートパソコンを取り出し、机の上に置いた。それを見てミナトはまた驚いていた。

 当然だ。今時パソコンなんてものは特殊な条件下以外では使わない。親しい間柄以外はボードをリミテッド接続で介することはない。いや、親しくない間柄でもノーマル回線は平然と行う筈だ。幼なじみである“筈”のユヅキとミナトでは、迷うことなくリミテッド接続を行うのが自然だ。直接ボードとボードが繋がる接続で。相手には疑念はないと、信用しているとの意思表示のもとで。

 だが、ユヅキが取り出したのはノートパソコンだ。

 通常、ヒューマンボードが壊れるなどそれこそ万に一つの可能性だ。脳に移植されているのだからこの上なく厳重に、頑丈に、高度に出来上がっているに決まってる。

 そんな環境下で、この状況はどう取られるのかなど……。


「じゃあ、送るよ……」


 そう困ったような笑い顔を作ってしまう。

 畜生。だけど、どうすれば良いって言うんだよ――。


 ――ユヅキ、ショウ、そしてミナトは、幼馴染だった。格段に増加した人口の中、比較的近い場所に家を持ち、同じ学校へ通い、同じクラスになり、同じ作業をしている内にいつの間にか仲良くなった。

 小学校の頃、三人はいつも一緒に遊んでいた。元々血気盛んなユヅキとショウ、それに比較的幼い性格であったミナト。この三人で色々な所へ遊びに行った。まだ辛うじて残っている山や川。身体を使って泥だらけになるまで遊んだ。

 けれどそれも六年に上がるまでだった。ユヅキの母親が死んだ。状況的に、唯一ユヅキにとっての家族であった大好きだった母の逝去。それにより、ユヅキは父との溝を深くした。何故か、二人は寄り添わなかった。きっと、お互いに顔を見てしまうと思いだすのだろう。お互い最愛の人を。

 母親は“努力”という行為をとても褒めていた。ユヅキがなわとびで二重飛びを練習の末に飛べるようになれば優しく頭を撫で、練習を重ねてリコーダーで綺麗な音色を吹けるようになれば優しく抱き締める。

 ユヅキは利口な中学へと入ろうと思った。それは胸に空いた穴をどうにか埋めたいという子供心から来たものだった。努力して成功すれば母親が褒めてくれると。そんなありもしないことを心の奥底で期待していたのだ。

 勉強した。毎日毎日毎日勉強した。登校時間、休み時間、放課後――。ありとあらゆる時間を割いて、必死にやった。指からは血が出た。でも絆創膏を貼って続けた。就寝は12時。起床は5時。起きている時間のうち八割以上を全て勉強に注いだ。まさに、何かに駆られるように。

 結果は惨敗。いや、実際は惜しかったんだろう。けれどユヅキはそんなことを知る由もない。たったの一年という時間だけで、幼い頃から金にものを言わせて磨き上げた御曹司相手に実際は健闘した。けれど、ユヅキにとっては所詮健闘。叶ってはいない。少年はまた一個、何かを失った。……以来、ユヅキは何かに対し身を削るようになった。

 入りたくもない中学に上がって気分は落ちていたが、ショウやミナトと関わり合うことで元へと戻っていった。

 ショウがテニス部に入るという。それを聞いて、ユヅキは陸上部に入ろうと思った。元々走ることが好きだったのだ。50メートル走やマラソンなどは、密かに楽しみにしていた。ユヅキが陸上部に入ると知って、ミナトも陸上部へマネージャーとして入ること決めた。

 入部から一年後。学年が変わったところでショウは硬式テニス部でレギュラー勝ち取っていた。大して、ユヅキはレギュラーに手も掛かってはいなかった。

 陸上に於いて、ユヅキの走法は特殊だった。重心を前に倒したまま、腰を低く保ち走るまるで“忍者”のような走法。それは癖でもあり、ユヅキの身体にあっているものだった。けれど、顧問教師はそれを是としなかった。腰を高くしろ、上半身を起こせ、胸を張れ、ももを上げろ、膝を高く上げろ――。何度も何度も教師はユヅキに強く言い聞かせた。だから、ユヅキはそれをしっかりと守り走り続けた。タイムは結果的には伸びた。ただそれは、決して顕著な物ではなく、続けれいれば伸びる程度もの。当然のように、他の部員を抜くことはなかった。実際は忍者の様な走法は全く間違っていない。走っていれば前に倒れるように重心が掛かるのは自然だし、体勢を低く走り続けるのは地面を蹴る上でも効率のいいものだった。ただ、その走法が異質で認められなかっただけだった。

 ユヅキは自分にあった走り方をすることなく、もう後にチャンスはない――そんな記録会が訪れ、負けた。これでもう大会に出ることは叶わない。中学の陸上生活は終わり。努力は実らず。

 そんなときにミナトから掛けられた言葉が「お疲れ様」。

 それは当然、ユヅキを労ってのミナトの言葉だった。けれど、ユヅキの心に酷く触った。

 ショウはレギュラーだった。既に大会にも入賞していた。

 ミナトはいつもユヅキの傍にいた。掛けられる笑顔が――真正直な笑顔には見えなかった。

 心では馬鹿にしてるんだろう。ショウは優秀な選手。自分は駄目な選手。それを二人はずっと見てきたんだろう。

 そう思うと止められなかった。傷ついた身体を拭くために濡れたタオルを持って来てくれたというのに、ミナトへと鞄を投げつけてしまった。謝るのはユヅキの方だった。けれど、謝ったのはミナトの方。泣きながら謝り、ミナトは校外へと駆けていった。

 だからその時に、走って肩を掴んで止めれば良かったんだ。折角鍛えた脚だったのだから。

 ミナトは校門から走って出た直後、トラックに轢かれてしまった。冗談みたいなドン、という音が門を挟んで離れたところにいたユヅキにも聞こえた。運転手は急いでいたらしい。仕事が間に合わなくなりそうだったらしい。何度も頭を下げていた。でも、正直良く分からなかった。

 三日後、ミナトは目を覚ました。幸い外傷はなかった。頭部に強い衝撃を受けていた。だから、危惧することは一つだけだった。

 しかし、その危惧することが起こってしまった。


「誰?」


 初めてユヅキとショウの顔を見た時に言われた言葉だった。思わず、こちらが泣き出しそうになってしまったが、どうにか堪えた。

 知識以外の記憶は全て思い出せなくなっていた。詳しいことはよく分からない。人や、その人と関わった思い出が全く分からないらしい。

 二人で、必死にミナトへ説明した。回復の見込みは正直ないと、医者にも言われていた。けれどユヅキ達は諦めなかった。一生懸命、ミナトに聞かせた。自分がどんな奴か、ショウがどんな奴か。自分達はどういう関係だったか。様々な思い出話も話して聞かせた。皆でキャンプに行ったこととか修学旅行の事とか、細か過ぎるぐらい何でも話した。何が切っ掛けで思い出すか分からない。逆に、こうして居ればいつか思い出してくれるかもしれない、と。

 そんなことがまた三日ばかり続いた。けれど、話を遮るようにミナトは言った。


「自分は自分の事をなんて呼んでたの?」


 聞かれたから答えた。――“あたし”だよ、と。

 直後にミナトが言った言葉は


「じゃあ――“ボク”は……キミ達の知っているミナトじゃないね」


 そう、笑いながら言った。困ったように、悲しむように。

 ミナトは過去の自分とは違う自分を演じることに決めた。幼なじみだったミナトはもういないから。当時のミナトの髪は短かった。そして、黒かった。本も全然読まなかった。むしろ体を動かすのが大好きだった。それはユヅキのダッシュの練習に付き合っていたぐらいに。

 ショウからは無言で殴られた。何を言おうとしているのかは、分かった気がした。だって――ミナトが事故に遭ったのはオレのせいだから。説明はした。でも、話題に触れたのは一度だけ。それ以上触れれば、ミナトがオレから離れてしまいそうだったから。

 ……だから距離を置く。距離を置いてしまう。ミナトの顔を見る度に胸が痛み、思いだしてしまう。

 オレがあの時、止めれば良かったんだ。いや、違う。もっと根本の――。


“――何もしなければ良いんだ”


 それに気づいた瞬間に、ユヅキの胸の穴はまた広がった。


 二人して、道を歩いていた。辺りは暗い。時刻は七時過ぎ。冬場で日が沈むには十分な時間だった。

 ミナトは隣で歩いている。あまり元気はない。というのも当然だろう。ユヅキもあまり良い気分ではなかった。

 教室での空気は恐ろしく気まずかった。

 仕事は早く終わったようで、感謝は言われた。けれど嫌なことを鮮明に思い出してしまい、その言葉に笑顔で返せなかった。そのユヅキの顔を見て、またミナトは顔を伏せてしまった。


「ねぇ……ユヅキくん」


「……何?」


 二人して歩く。目の前には大通り。後少し歩けばぶつかるだろう。


「今更、だけどさ……気を使わせてるよね」


「気を使ってるのはそっちだろ……」


「うん、そうだね。……ごめん」


「別に、謝る必要はないよ」


 ごめん、とミナトはもう一度謝った。

 大通りに差し掛かった。けれど、示す信号は青だった。人だかりはなく、ぽつぽつと信号を待っているだけだった。ユヅキとミナトも、周りと同じように横断歩道を待つため、脚を止めた。目の前では車が盛んに通っている。


「……ボクは、怖いんだ」


 ぽつりと、車の走行音にかき消えそうな声で言った。


「ボクは、ボクだ。ミナトだ。でも、君達の知っているミナトじゃない。幼馴染のミナトじゃない。君の思い出にいるミナトじゃない。だから……何処まで踏み込んでいいのか分からないの」


 今のミナトの言葉づかいは変わって来ていた。昔に、近づいている。


「ユヅキに何があったのか凄く気になった。危ない目にあったんじゃないだろうか、って。でもそれを聞いても良いの? 自分で力になれるの?」


 ミナトは視線を落として零すように話している。

 聞いても良いに決まってる。ただ――話したくない、ミナトに知られたくないだけなんだ。それは決してミナトに原因がある訳じゃないんだ――。

 周りには人がいる。でもそんなのは気にならなかった。


「ボクは君達の傍にいたかった。どうしてかは良く分からないけど……もしかしたら、昔の記憶の影響かもって。でも幾ら仲良くしても幼馴染では決してない。君達は幼馴染であるボクを知ってるのに、ボクはそのミナトじゃない。ユヅキが知っているミナトの姿をして、別人である自分が近くにいるのが何処か嫌だった」


 信号が点滅している。そろそろ渡れるようだ。


「だから今までと違う自分で生きて行こうと思った。……けど、やっぱりユヅキと幼馴染の自分に憧れている。でも、思いだせない。聞いた話を知識として知っているだけ。初めはそれで演じてみようとも思った。でも、そんなのは偽物だから、やっぱり止めた」


 信号の点滅が終わって、車両側の信号が赤に変わった。


「……ごめん。自分でも何が言いたいのか分からないや」


 歩行者信号が青に変わった。歩行者達が歩き始めた。そして何故か、歩けずにいた。

 けれど歩行者が半分ほどまで歩いてから、ミナトも歩き始めた。片手で目尻を拭きながら。

 でも、ユヅキは何故か歩き出すことが出来なかった。

 ミナトの背中が離れていく。小さくて細い後ろ姿が、一人で。


「――ミナト!」


 思わず、叫んでしまった。何を言おうかもわからない癖に。

 一瞬だけ、歩行者がちらりとユヅキを見たが、直ぐに何事もなかったように歩き始めた。

 ミナトが顔だけこちらに向けた。ユヅキは拳を握る。

 ミナトが振り向いた。スカートを靡かして、体をこちらに向けてくる。

 泣いていた。両目の端から涙が零れていた。ユヅキの喉が感情に任せて動こうとしている。


“ごめん”


 きっとそう動こうとしていた。だって言うのに――。

 何か、物を擦り削る様な音が聞こえた。酷く不愉快。甲高い。耳に刺さる。次いで、周りからは悲鳴が聞こえた。歩行者信号は青だ。

 ユヅキとミナト、二人は視線を動かした。右へと動かした。

 そこには。


 ――横転しながら、猛スピードでミナトへと向かう大型トラックの姿が在った。

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