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彼の日常

作者: ダルシン

真摯な愛の物語をどうぞ。


すぐ読めます。

 彼はまだ夜が明ける前に起きる。

 そしてソファに座る妻のところへ行き、隣に座ると彼女の頬に手をやる。


「今日もきれいだよ」


 軽くキスをする。

 それから湯を沸かし、妻の好きなハーブティを淹れてカップに注ぐと彼女のところへ持って行く。

 自分にはコーヒーと一枚のトーストを用意する。これが彼のつつましい朝食である。

 身支度を済ませるともう一度妻のところへ行き手を握る。


「行ってきます」


 彼は部屋の温度と湿度に問題がないことを確認すると家を出る。

 仕事に出かけるのだ。




 彼が仕事から帰って来る。

 彼の帰りは遅い。時に深夜になることもある。

 真っ先にソファに座る妻のところへ行き、


「ただいま」


といって、すっかり冷めたハーブティを回収する。

 それから手短にシャワーを済ませ、今度はハーブティを二人分淹れる。

 ハーブティを飲みながら今日あったことを妻に話す。どんなに遅くなろうとも一時間をそうやって過ごす。

 妻が好きなハーブティ。はじめてそれを飲んだ時、その味がわからず、それ以来妻は自分のためにしかハーブティを淹れることはなかった。

 彼が自らハーブティを淹れるようになってからも、彼にはその味がわからないままだ。

 だから本当にこのやり方で妻が気に入ってくれているのかはわからないままだった。

 もはや知る術がない。




 休日、彼は妻の体をきれいにする。

 濡れタオルで体を拭き、オイルを塗るのだ。

 本当は毎日だってやってあげたい。

 しかしそれでは逆効果であると指摘されている。

 彼は妻の服を脱がせる。脱がしやすい特注の服だ。

 そして下着も。

 その度に彼は思い出す。

 結婚して一年目の春。彼女の子宮に異常が見つかった。手術で子宮を摘出しなければいけなかった。だから子供はあきらめた。

 将来生まれて来る子供のためにと貯蓄を始めていたが、その金は彼女の治療費となった。



 

 彼は丁寧に妻の体を拭き、次にオイルを塗る。多過ぎず少な過ぎず、塗り込む力加減も弱過ぎず強過ぎず。彼が試行錯誤の末に編み出したといってもいい手法だった。それがとてもいい効果を発揮しているといっていいだろう。妻の肌は当時のままのきめ細かいしっとりとした状態を保っていた。

 それと比べると、彼はふと我に返り自分の手をじっと見つめる。

 ずいぶんと年月が経ったものだと。




 彼の下に業者から通知が来ていた。

『定期メンテナンスのお知らせ』

 彼女が家を一週間空けることになる。さみしいが、彼女を美しい状態に保つためには仕方のないことだった。

 温度と湿度の管理を徹底し、週に一度のオイルも十分にしているがそれでも限界がある。

 彼はこの時期を妻の新しい誕生日ととらえ、プレゼントに服を購入することにしている。

 それを妻が本当によろこんでくれているのかを知る術はないが。




 彼の妻には記念日が三つあった。

 妻の誕生日、妻の命日、妻の新しい誕生日。

 妻の子宮に異常が見つかり、摘出手術を行ったもののそれは手遅れだった。やがて全身に異常が見つかるようになり、半年後に妻は死んだ。

 だが彼は妻との別れを受け入れることができず、遺体を保存する方法を選んだ。

 以前より水分と脂肪分を合成樹脂に置き換えることで保存する方法は存在したが、それをさらに推し進めた保存法が世に出ていた。

 それは遺体を生前の状態のまま保存する技術。

 業者によって家に運び込まれた妻を見て、彼はもう一度涙した。

 頬に触れてみるとそれも生前のまま。

 目は閉じることはなく、会話もできはしないが、十分であった。

 妻がいるのだから。

 あれから40年の歳月が過ぎた。

 費用は高額でまだローンは払い切れていない。

 彼は今日も仕事に出かける。

気に入っていただけたら嬉しいです。

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