03 お子様には厳しい道のり
第3章は、おかつ、おこう、まつ、りょうの4人によるロードストーリーである。移動経路のみを記した正本のこの部分は、文字通り素っ気ない。これに対して、通俗本は「やりすぎ」「講談ネタ」「正史に対する三国志演義みたい」「お伽噺」と散々な評価だ。
ただし、呪いを利用しての移動が、どれほど楽なものか。当地の“有名人”と化したおかつが、どれほどの知名度を得ていたか。それらの参考になるパートである。
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第3章 上野への短い道
大沢宿から田上城までは約10里。疲れを残さずに歩くのは、大の大人でも難しい。そこから、板鼻まではまた10里もある。
おかつ、おこう、まつ、りょうの4人は、その行程を1泊2日で行こうとしていた。
まず、1月17日は、馬で出立し、普通に歩かせ、夜は田上城に宿泊した。
明けて1月18日。初春とはいえ、その日は冷え込みも厳しい。おかつ以外の3人は綿入りの着物の下に襦袢を重ね着していた。足は踝までの半袴、脚絆に足袋、頭には笠をかぶっている。着衣は灰色で目立たず、笠も男物。若衆のような男装は、おかつとおこうには慣れっこだ。
おかつは半狐の姿を呪いで隠さないことにした。まるっきり大沢宿での巡回のような軽装だ。あえて目立ち、自分たちの存在を知らしめる。それには意味があるが、まつとりょうには知らされていない。
「ただ人を斬り殺すだけじゃつまらない」
出掛けのおかつとおこうの言葉を、和華は慢心ではないのかと危うんだ。だが、これまでの戦いで実力は目の当たりにしていたから戒めなかった。関東管領の御座所を白昼正面から襲うわけではないのだし。
まつとりょうを連れて行くのは、実戦で鍛えるという理由からだった。これも和華は危うんだが、おかつとおこうは別の目論見もあって押し切った。
「お願いです。休ませて、もう足の裏の豆(肉刺)が破れてるみたいで」
「あら? まだ2刻とちょっと(約4時間)歩いただけじゃない。せいぜい4里よ」
「わたしも……」
真北に進んで利根川の河畔に出て、しばらく西へ行くと、まつが泣き言を言い始める。それに対するおかつのつれない反応に、りょうも泣きそうな声で訴える。まつも、りょうもまだ年端もいかぬ少女である。無理もない。
りょうは憲政やさえと同い年の13。15のまつは箱入りの時期が長すぎた。昨日は馬だからよかったが、歩いた今日は思ったよりも早く症状が出た。
「お願いです、休ませて。わたしはともかく、りょうちゃんがもたないわ、お姉さんたち……」
まつは年下のりょうを庇うように言う。しかし、まつ自身が限界なのは、泣きそうな表情に表れていた。りょうも涙目で道端にしゃがみ込み、その姿を見ておこうが声をあげる。
「あーん、やだぁ、りょう、かわいい……いいよ、足見せてごらん」
りょうは道端にあった切り株に腰掛けて両脚を延ばす。おこうはりょうの前にしゃがむと、草鞋と足袋を脱がせ、脚絆を解く。足の裏の親指の根元のところの皮がぺろんと剥けていた。
少し離れたところでは、まつとおかつが同じことをしていた。
「旅慣れない足だからしょうがないけどね」
「お姉さんたちはどうして平気なの?」
苦笑しているおかつにまつが問う。
「ずるしてるのよ」
「え?」
「わたしたち、人並み外れて動きが速かったり、力強かったりするでしょ。それは体を鍛錬しているせいばかりじゃないの」
「どういうこと?」
「呪いの力で、体の動きを軽くしたり、体にかかる外からの力を減らしたりしてるの」
「そんなことができちゃうの?」
「うん。わたしもね。普通の娘、普通の体のときは弱かったの。氷室城下から田上城下まで、明るいうちに歩き通そうとしたことがある。でも、8里か9里くらいのところで、まったく体が動かなくなったわ。今、長く歩けるのは、呪いのお陰。身体を鍛えたのは、津山と堀部の戦いが終わった後のことだしね」
おかつが、まつの足の裏に手を当てると、そこがかすかに光る。さらに撫でるように動かすと、剥けた皮が再生していく。
「わたしたちもお姉さんたちみたいにできるようになれる?」
「わたしたちや呪い塾の人たちに教わった技を使えば使うほど、力はつくわよ」
「使えば使うほど……ああ、そうか。自分で自分に試せばいいのか」
「そうそう。自分で左右のふくらはぎを、それぞれ持つようにしてごらん。揉んでごらん。肉がかちかちでしょう?」
「うん……」
「柔らかく、ほぐれる……そう念じながら、そのままさすってごらん。呼吸を整えて。頭の中にしっかり思い浮かべて。もう基礎はできてるから大丈夫よ」
「うん……」
まつの手に仄かな光……。それでさするとわずかに赤みがさすふくらはぎの皮膚……。
「うん……楽になってきた」
「でしょう? 血の巡りを良くして、かちかちかちの肉がほぐれる。肉がほぐれれば、なおさら血の巡りが良くなる」
「うん、わかる……」
「繰り返し使えば、だんだんと力はつく。ただ、やりすぎると頭が疲れるよ。わたしやおこうちゃんは、使える呪いの量が桁違いだから……ほら、替わってあげる」
おかつはまつの手に自分の手を重ねる。そして、優しくふくらはぎから膝の裏へ……そして、腿を撫でていく。
まつの膝と膝の間を広げさせ、裾の広い袴の中に手を差し込んで腿を撫でまわす。
すると、まつの手がおかつの首の後ろに回されて……ぎゅっとしがみつく。
「あら……だめねえ。欲しくなっちゃったの?」
おかつにしてみれば、あくまでも脚を楽にしようという行為だった。こう反応されてしまったら、微苦笑を禁じ得ない。
「だってぇ……そこ撫でられると気持ちいい」
「むこうも、りょうが同じみたいだけど……ふふふ……でも、だめよ。今日は板鼻の宿まで行くんだからね」
おまつも、りょうも、目を潤ませて、身体を離したおかつとおこうを見上げる。
「さあ、早く立って。必要な時には、そういう淫らな気分を抑えることも勉強よ」
(あはは……あんたたちからそんな言葉が聞けるなんて。下の子がいると変わるものね)
おこうに憑いているこだまが揶揄する
「人は歳を取るものなのよ。さあ、行きましょう」
おかつに促されて二人の少女は足回りの身支度を整える。昨日出掛けた時と同じくらいに足が軽い。
「お昼ご飯は、倉賀野城の城下で食べるからね」
そう言いながら、おかつ、おこうは街道から外れて、利根川の川原を西へと遡上する方向へ進む。
「すごーい……こんな大きい川あったんだぁ」
百姓の出のりょうは大沢宿から出たことがない。最大で五百間(900m)もの幅の大河を見たこともなかった。「坂東太郎」を謳われるこの川は、武蔵と上野の国境ではとにかく広大だ。
「まつは、利根川に出るのは初めてじゃないのね」
「ええ。父上にあちこち見聞を広めろと連れていかれていたから」
ほどなく、利根川に他の二つの川が流れ込む合流点にたどり着く。
川原を歩いてきた利根川は、上野・武蔵国境に沿って西から東に流れている。だが、その合流点のところで向きを変え、上流では北から南に流れていた。
そこに真西から烏川が合流している。
その百間ほど西、すぐ近くに見えるところで、南から流れてくる神流川が烏川に流れ込む。
烏川と神流川は、それほど大きいわけではない。しかし、二つの流れが合わさって利根川に流れ込むと、利根川の幅ははっきり広くなる。
烏川の南で、かつ神流川の西一帯は上野領内で、関東管領直轄の平井城の支配下にある。武蔵方面への前哨の役割を果たしている。
倉賀野城は合流点の西に一里、烏川の北岸にある。平井城と板鼻の連絡拠点である。
倉賀野城主の倉賀野行政は、箕輪方面に出撃していた。惣領を城代にして、百足らずの兵を城に残すのみだった。倉賀野城付近の烏川の渡しには、同城から守り人が出ている。だが、その人数も減らさざるを得ず、監視の目は粗い。
「合流する前の川幅は細いのね」
まつも、この合流点まで来るのは初めてだった。
「それにしても、どうやって渡るの? 中山道を進んで、平井城下から倉賀野への渡しを使った方がよかったんじゃない?」
「突然、倉賀野城下に表われたかったの。川は今から渡るわ。ちょっと大人しくしてね。よいしょ……」
「え? え?」
「お姉さん?」
おかつはりょうの体を右脇に、まつの体を左脇に抱える。半人半狐、鍛えているとはいえ、女の細い片腕で、少女の体をそれぞれ抱え持つなんて、普通には考えられない。呪いの力で、力も強くできるということを裏付ける。
おかつはそのまま、利根川と合流する直前の烏川に……北に面した。
「じたばたしないでね。おこうちゃんに、もうちょっと腕力があればね。どっちかお願いするんだけど……」
「それは言わない約束でしょ、お姉さん」
「ここならざっと百間(180m)……。二人とも、できるだけ暴れないでね」
「何?」
「え?…どうするの?」
「えい」
おかつが数歩の助走をつけ、おっとりとした気合いとも言えない気合いとともに空中に跳ぶ。烏川の南岸から北岸に向かって……。
「きゃーーー! きゃーーー!」
「やだ! やだやだやだ!」
ふわり……ではない。びゅっという擬音がするように勢いをつけた跳躍だった。耳に風を切る音がすごい……そして、緩やかな弧を描いて、対岸へ“落ちていく”。驚きのあまり、まつもりょうもじたばたしない。だが、この世の終わりのごとき悲鳴をあげていた。
「え……えぇぇ」
「ひぃ……」
「よいしょ……」
おかつの気合いの抜けた気合いの声とともに、風をつんざく音が不意にやむ。足元から、ざーっという土が掘れる音……。同時にかなりの衝撃があり、腕が二人の腹に食い込む。
「んぐぅ……」
「ふぐ……」
苦痛に歪む二人の顔と対照的に、おかつは涼しい顔で着地していた。
「さあ、大丈夫、気持ちよかったでしょう? 二人とも?」
「……」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
おかつが2人を地面に降ろすと、腰が抜けてしまっていた。どちらも地面に座り込んだまま動けない。りょうは呆然とし、まつは肩で息をしている。
おかつに続いて、一人で跳躍してきたおこうは、にこやかな微笑を顔に浮かべて揶揄する。
「平気?……そんなわけなさそうね。こんなの初体験だろうし……あはは」
「あり得ない……」
まつは震えが止まらない。
「こんなの無理……」
りょうも声を絞り出すという感じ。
「体の動きを速く、力強く……極めればこういうこともできちゃう。今のは、流石に呪いの力をたくさん使うけど……便利でしょ。渡しの船も、橋も要らないんだから。ちょっと山の険しいところも、これで行けちゃうし。今にあなたたちにもできるようになるわ」
「ほら、元気出して立って、立って」
おかつが解説的な口調で語り、おこうが快活な表情と声で二人を鼓舞する。でも、なかなか立てない。とぼとぼと一行が歩き出したのは午の刻近くだった。
「お姉さん、あたしも狐の格好しちゃう?」
「そうね。『突然、九尾の狐たちが倉賀野に現れた』って噂にしたいから目立ちたいし。見たという人をできるだけ多くしたい」
(大した騒ぎになっちゃうわよ)
「それが狙いなのよ。正午には倉賀野の城下町に入れるでしょ。いいころ合いよね」
おこうにも九本の尻尾、頭の上の狐耳が生える。おかつと違って、人の耳もついているが……。それに柔毛も生えていないし、獣脚ではなく人の脚のままだ。おかつは半分狐の身体。おこうは憑依しているこだまの姿を見えるようにしているけ。そこが大きな違いだ。
力仕事をしている者たちが、昼食を取るために休む……その頃合いに倉賀野の城下町に入った。
渡しの守は手薄でも、最前線の平井城下に4人が現れれば、侍と遭遇して斬り合いが起こりかねない。手薄な倉賀野城下に突然現れれば、そうした摩擦を避けられる。そして、住民の記憶に大いに刷り込まれ、大きな噂話になる。
よほど人手が足りないのか、城下町の木戸にも番兵はいない。
そこへ、半分狐のなりをした美人二人が、可愛い少女の手を引いて現れる。
ざわざわ……道行く人たちの視線が集まる。
「おい、あれ……」
「え? 狐?」
「田上城や氷室城で噂だっていう狐姫?」
「二匹……いや、二人いるのか」
「おい……国境の改めが厳しくなったって聞いてるぞ。何で、ここにいきなり現れるんだ?」
「恐ろしい物の怪だっていうじゃないか」
「いや、管領様が堀部に負けた腹いせに、悪い噂を流したっていうわよ」
大人たちは早速、口々に噂のねたを立て始める。だが、子どもたちの反応は、大沢宿と似たようなものだ。
「きれい」
「かわいい……やっぱりかわいいよ」
「わー」
「どこに行くんだろう?」
「おい、追っかけようぜ」
好奇心を刺激された子どもたちは、まとわりつくように四人に付いて行く。
さらに、大人たちがヒソヒソ話しながら、遠巻きに視界から途切れないように付き従う。
「ねえ、あなたたち。昼ご飯の美味しいお店、教えてよ」
おかつが、10歳くらいのガキ大将らしい男の童に話しかける。
「いいよ。ついてきなよ」
その童と取り巻きたちが、彼女たちを先導するように小走りで進む。
子どもたちには笑顔と優しい声、頼る態度を見せてやればいい。そういう操縦の仕方は大沢宿で学んでいた。呪いの力を使わなくとも、狐の外見とそれだけあれば、子供たちの好奇心はすぐに好意に変わる。
子どもたちは4人を町のど真ん中、十字路の一角を占める飯屋に案内した。おかつは子どもたちに小遣い銭を与えてやる。
4人が掛けられる大きな卓に着くと、店の外に町の住民たちが鈴なりになった。
「ゆっくり食べましょう。それから、北に向かうわ」
注文を待つ間、おかつは、まつとりょうに楽しそうに話しかける。
そう……倉賀野の北に一旦出て、人々を振り切ったら、烏川沿いに戻り、西の板鼻へ向かう。北に向かうことで、目端の利く管領の家臣の目をくらませ、行動は20日の夜が更けてから。
店の外の群衆に笑顔を向けたり、手を振ったり……あえて目立つことをしながら、おかつは予定を頭の中で組み立ていた。