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12 軍議は進むよ、どちらでも

 本章では2つの軍議が描かれる。

 上杉憲政の出奔劇は、堀部忠久の山内上杉家家宰就任で幕引きにならなかった。家宰を解任されたはずの長尾景房は、箕輪長野家の紛争を強引に収拾。兵をまとめると板鼻へ帰還し、留守居の諸将を糾合して武蔵の堀部領に攻め入った。

 その数は3000人ほどになったのだが、出兵に及んだのは、まず「武士の面子」、そして「寝返り」、「復讐心」が理由である。憲政の奪還は大義名分に立てたが、それらも忠久が弄した策略に乗せられた結果である。

 さらに、出兵に対して忠久が講じた防衛手段も辛辣だった。続く上野への出兵を見越して戦力温存を図りながら、ごく少数の駒で事態の収拾を図ろうとしたのである。

 こうした軍議の様子から、双方の思惑の相違が見て取れる。


XXXXXXXXXX

第12章 乗せられる者と乗せる者


……いや、やはり出兵などありえないだろうが……


 正月24日辰四つ(午前8時半)……板鼻の関東管領御座所。御座所周辺には上杉家の旗本衆に、安中長繁と由良成繁らの配下の兵が武装して押しかけ、殺気立っている。

 昨日の正午、板鼻に帰投した景房を待っていたのは、武士たちの激怒だった。


「腹は決まりましたか? 景房殿。黙って見逃せば、末代まで腰抜け武士と嘲笑われましょうぞ」


 長繁は景房や倉賀野行政より一回り肩幅の広い屈強な体を折り座礼する。大広間で景房に嘆願に来たのだが、低い声に怒気がこもり、脅迫めいて聞こえる。長繁はもはや家老格として山内上杉の旗本も掌握しており、発言力は大きい。


「軽々には決められぬ」


 その長繁に対して景房は素っ気なく答えた。

 ただ出兵しても勝てない。兵力が足りない。その辺の思量がここに集う将兵には足りていないと、景房は考えていた。「いっそ自分も堀部に降ってしまいたい」という言葉は、口が裂けても言えなかった。冷静なのは、自分と行政だけだ。

 箕輪にいた兵から1500人を板鼻城に連れてきた。元から板鼻にいる兵、南の平井城の兵を集めれば、合計3000になる。箕輪から相応の兵糧も移送したから、兵を食べさせる心配はない。

 だが、氷川城と狐の領地である大沢宿周辺だけで、兵は3000ほどいる。馬産地の半田村や新開地の四方宿と、すぐに後詰めを出せるところもある。

 出兵しても詰むのは自分たちだ。景房は人望はないが、総大将としての計算はでき、行政も同じ見立てをしていた。


「これは容易ならざる事態。上様が憎き堀部に奪い取られ、おぬしを家宰から解任する書状も届いたとか。お人好しに黙っているわけには参らん」


 上野東部からわざわざ参勤している由良成繁も、静かな表情ながら怒りの声を挙げる。成繁は、景房と行政に予想の外のことを言った。

 憲政の署名と花押入りの解任状は確かに届いている。だが、昨夜のことで、書状が解任状だったことは、景房は行政にさえ漏らしていない。2人は違った思いで虚を突かれた。


「何故、解任状のことをご存知か?」

「町じゅうで噂になっているでござる。『狐姫が御座所の兵を全滅させて、上様を堀部の下へと奪い去った。景房様にはお役を免じる書状が来て、面目を失った』と。上杉に従う気のある将兵は、堀部と狐に好き勝手にやられたと憤っておリまする」


 何者かが明らかに景房の名誉を毀損しようとしている。誰にも知られていないはずの解任状のことが公然になっている。堀部の仕業以外にあり得ない。景房の顔が紅潮する。


「これは堀部の罠ではないのか。やっぱり軽挙してはいかんだろう」


 行政は流言の怪しさに気づき、出兵反対の言葉を明確に出した。話が広まったのは、届けた側の作為だ。堀部が背後で動いているに決まっている。この流言に乗せられては不味い。

 今、御座所に押し寄せているのは、計算を超えた怒りだ。御座所を襲われ、主君を奪われ、事実上の大将は勝手に役を免ぜられ……先年、自分たちを破った武蔵の国衆が、その主君を担ぐと宣したも同然。


……上野の武士の面子を潰された……

……武蔵の者どもに舐められている……


 こんな激情に呑まれてはいけない。兵事を司る者は冷静でなければ……。


「このまま堀部の良いようにさせていいものか!」


 長繁の大声が、そんな行政の思慮を打ち消す。


「エイ」

「オウ」


 御座所の外で閧の声……。もはや出兵せずにはいられぬという雰囲気だ。

 そこへ、兵が一人、広間の下の縁側に駆け込んで来た。下座して報告する。


「恐れ入ります。たった今、堀部家の次席家老、梶川出羽守の使者を名乗る方が参っておりまする」


 一同が顔を見合わせる。梶川と言えば半田村の領主であり、この数年の堀部家の勝利を支えてきた騎馬の勇将だ。


「通せ……」


 景房は静かに言い、入って来たのは小柄で俊敏そうな男だった。


「梶川の家臣、菅野弘明でございます。主人より、山内上杉家家宰、長尾景房様に申し入れたい儀あり。書状をお持ちいたしましたので、お目通しいただきたい」


 その男は肩から胸に襷に結わえた袋を外し、中から取り出した書を捧げた。行政が取り次いで景房に手渡す。

 梶川出羽守の書は見たことはないが、直接の面識はある。数年前、対北条戦の陣を共にしている。

 その際の思い出話から書状は始まっていた。慰労の酒席で隣り合い、馬産や馬上戦闘の技能について教わったのだ。2人しか知り得ない話が書かれており、出羽守自身の書状に相違ない。さらに、九尾の狐に手を貸す掃部介への不信が訥々と述べられていた。そして…………


「菅野殿。出羽守殿はどうして上様の出奔を知ったのだ?」


 対応が早い。疑って当たり前だ。


「21日夜半。氷室城にての定期の合議が長引きまして。そこへ本庄宿の代官から、上様と狐たちが宿に逗留との知らせが入りました。そこで主人が狐どもの扱いにつき御館様に反対し、口論になり申した。当方は主の従者として合議の間に控えておりまして実見しております。そして、昨日の未明に、主人よりその書状を預かり、馬でここに向かいました」


……辻褄は合う。本物だ。堀部の急拡張と無軌道を不安に思う重臣の反意あり。ここに書いてある通りに梶川が動くなら、3000の兵で十分だ……


「いいだろう。出羽守殿に是だと伝えてくれ」

「はっ!」


 あっさりと菅野は部屋を出て行く。主従の意志疎通は十分なのだ。


……餓鬼はひっ捕まえ、ここに幽閉してやる……


 景房は方針を切り換えることにした。自分を見捨てようとした憲政に復讐しようと思った。自分も面子を潰され、怒りが湧いてきた。

 深呼吸をして、再び計算する。3000に対して、狐もいない、後詰めも来ない篭城兵600なら……確勝だ。


「腹は決まりましたぞ、各々方。氷室城に出兵し申す。このまま軍議に入りましょう」


 景房が急に果断を示したことに、長繁、成繁は満足げに頷いた。しかし、行政の表情は憂慮の色を深めた。彼らの表情は、景房の策を聞いて一段と対照的になった。


----------


 こうして景房らの軍勢は、26日に兵2500で板鼻を進発した。まず、南下して平井城に入る。この城で500の兵を繰り入れる。主力は近接する甘楽郡の国衆・小幡憲重の300と、小身の与力を合わせて200である。

 これで合計3000。兵糧の輸送も万端だ。

 27日に平井を出て、28日に秩父郷で野営。氷川城には29日に達する予定だった。


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 こうした上野からの兵の動きは、ただちに堀部陣営の掌握するところになっていた。

 28日の正午少し前。氷室城内の本殿、密議の場である隠し部屋の石の間。憲政とさえを上座に据え、2人の右手に忠久、堀部の旗本衆取締の渡辺織部助、馬廻衆取締の内山京四郎、戦奉行の佐々木和泉守、最近町奉行に任ぜられた川村為義が並ぶ。左手には和華、おかつ、おこう、まつ、りょうの狐屋敷の面々。下座には、信然と、おかつが使役している足軽五人衆の頭がいた。最高軍議の場だが、今回は家老格がおらず、狐御殿の面々がいるのが異色だ。

 集まった者たちの世間話から、大沢宿で食肉保存の氷室を探していることが話題になった。


「実は、地中深く連なっている氷穴がある。二の丸の蔵はその横に建っていて、氷室に使おうと思えば使えるよ」

「食肉を氷室で保存すると腐らずに長持ちするって、立川さんが言ってたのよ」

「なるほど。今はどう使っておるのかな。蔵の番人に今度、聞いておこう」


 忠久が披露すると、話題を振ったおかつが食いつく。立川というのは、半田村にいる獣医師・陰陽師で、獣肉食を勧めている。

 氷室城は小高い里山を切り開いて建てられた。城が建つ以前から、氷穴の存在は知られていたようなことを、侍たちは口々に語る。特に忠久は、穴に潜り込んだ体験があった。


「郡名の由来が、その氷穴だという話も聞いておるな。童子の頃に好奇心で忍び込んだがな。かなり深く、曲がりくねっていた。冷えた空気が表に出ていかず、籠もるのだな」

「どのくらい深いのかしら」

「わからぬ。四半刻ばかり進んだが、壁面が全部氷になった。滑り落ちたら帰れなくなると思ってな。怖いわ、寒いわで引き返した」

「今度、見てみたいわね」


 忠久は堅苦しい話を嫌う。囲炉裏を囲み、茶を酌み交わしながらの世間話は歓迎だ。とは言え、雑談ばかりともいかない。口火を切ったのは忠久自身だ。


「さて、上野の連中は怒りに火が点いたようで、この城に向かっておる」

「お殿様が点けたんでしょう?」

「まあ、いろいろとな。どうやら秩父を通って、西から湧いて出てくる」

「あら? 秩父には、奴らを停める勢力はいないわけ?」

「狭い盆地の中で10ばかりの土豪が割拠しておるのよ。ばらばらでまとまらない。一度に3000も兵が入ったら、手も足も出ない」

「どうして堀部は秩父を攻め取らないの?」

「手が広がりすぎる。秩父は銅の産地でな。それは欲しいが、金を出せば買える。今は鉄と交換もできる。無理に領地に組み込むことはない。上野の連中だって同じに思っている。傘下に入れて今みたいな事態になってみろ。守りの兵を出さなかったと恨まれるだけだ。密偵だけ置ければいい」


 おこうの発する問いに対する答えは、狐御殿の面々に必要な情報提供だった。すんなり、上野兵は西から迂回してくるのは決定的だと。


「なるほど。で、どうするの? 城と城下にいる旗本、町方、参勤しているお侍たち……合わせて、600くらいよね。周りから兵を駆り集めないの?」

「集めたら、上野の連中が帰ってしまう」

「主席家老の勘解由さんがいないのも解せないわね」

「これは偶然だ。新しい開墾地の縄張りについて田上城を視察を命じて、出張っておるのよ」

「父上、わたしと憲政様に初陣を用意すると言われましたが……よく飲み込めません。これでは籠城するしかないではありませんか?」


 おこうとさえの声が鋭く父親を問い詰める。それを聞いて、川村は考えた。


……なるほど、策略か。町奉行の俺が呼ばれているのは、またもや城下町に入っている敵の密偵対策か……


 敵の間諜の追捕は、町方の重要な役目だ。だが、この城下では、敵の間諜を利用するという策略が行われることがある。敵に虚報を流し、そこにつけ込む。前の奉行は上手く応じていて、自分もその手足になって働いていた。


「梶川さん配下の騎馬武者が、東から来てるみたいだけど?」


 おかつが笑顔を見せながら話に加わる。策略や軍略が楽しくて仕方ないようだ。


「梶川の兵は例外だ。景房と面識があると聞いたのでな。泥をかぶってもらった。川村よ。町方はできるだけ、梶川の兵が不穏だと、町人たちに言ってくれんか?」

「はぁ……やはりそういうことですな。ご家老が裏切ると?」

「そこまで露骨に言わんでいい。怪しいでいい。その方がいろいろと尾鰭がつく」

「お殿様って、やっぱりすごいなあ。あたしなんかより、ずっと悪辣じゃない?」

「人を騙すことは商売の一つだ。神様に怒られるから、神剣を持つのは切羽詰まって無我夢中のときだけにしておかんとな」

「梶川さんの兵って与力も入れて今は800くらい? 本当に裏切ったら大変よね」


 おこうが混ぜ返し、和華が真面目に引き戻す。


「丁度、わたしたちが大沢宿を出るころ、梶川さんたちの騎馬が大沢宿の周りに来ていたわ。城の南北に布陣して、西からは敵がくる。囲まれたと見せかけて、うちの娘たちにまた危険なことをさせるのね」

「和華殿のお察しのとおりだ。大沢宿も半田村も、領主と住民が互いに通じ合ってるから、密偵は入り込めない。梶川様の兵たちは我々に反旗を翻したように見えるが、裏は取れない。それでも大沢宿を押さえ、この城の南北も押さえ、城攻めに加担しそうだ。細工は流々、後は城下町を本当に不安に陥れればいい」


 戦奉行の和泉守がそんな具合に説明する。先年の戦役から働き詰めで、戦功はあるのに楽しからずの表情が続いている。神経質そうな顔。氷室郡戦役で勘定奉行を辞することに成功した渡辺織部の朗らかさと対象的だ。


「わたしたちは大沢宿で、梶川さんに足止めされた……ことになっているのね……ふふふふ」

「梶川様が氷川大宮から宮司を招いて、お主らの封印を試みていることになっている」


 おかつに対する和泉守の答えに、おこうが皮肉っぽく言う。


「大沢宿を除けば、この辺の術者はぼんくら揃い。特に宮司は甲野さんだけね。ほかは駄目。天狗や鬼や物の怪の類も迫力がない。上野の連中には、その辺の事情がわからないのね」

「関八州は飽くまで武の本場というわけだな」

「普通は真夜中の利根川を舟で下ったのなら、河童に襲われかねない。しかし、お主ら相手では、河童が恐れて水から顔も出さないだろう」


 旗本2人は気楽に構えて、どうでも良いことを口にする。戦が大事にならないことがわかってきたからだ。


「確かに、黒い夜叉が漕ぐ船に一戦仕掛けようって馬鹿はいないわよね」

「それだけの強者がここに集まっておる。そこで、皆に相談なのだが…………」


 おこうと和泉守の会話に続いて、忠久が策の全体像を改めて説明する。


「…………というわけでな。要するに、上野の将も兵もできるだけ失わずに手の内に入れたい。我が家中の将兵も危険な目に合わせたくない。旗本と奉行に城の守りは託す故に、さえと上様も入れて派手に立ち回りたい」

「いいわね」

「楽しそう」


 戦うことを覚えたまつとりょうが、にこやかに賛意を示す。


「こんな子どもたちも出すんだから、大沢宿にしっかり報いてほしいわ」

「わかっとる。新しい職人の手配などできるだけのことはする」

(まあ、お手並み拝見だわ。でも、人が死ななければ、わたしたちには旨味がない。少しくらいは血を見ることになってもいいかしら?)

[呪まじないを使ったら、少しはしょうがないでしょう?]

「ああ、無傷では済まないと思っている。派手にはやって欲しいが、できるだけ殺さんよう頼む。あと、上泉殿はやっぱり無理か?」

「憲政さんも出るとわかってはいてもね。箕輪長野勢もいるようだし、皆、旧知の人ばかりだし。留守の守りを頼んだわ」

「余は景房に軽く扱われた意趣返しもしたい。それに御義父上おちちうえの策だ。何なりと従うぞ」

「ありがたい仰せで」


 憲政は忠久の軍議の切り回しにすっかり感心した。そして、憲政の承認で忠久のやろうとしていることは「官軍」としての権威を持つ。

 こうして堀部方の軍議は決し、一同は不敵な笑いを見せ合った。


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