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11 お前だけ逃げるのはずるい

 憲政が上野国を出たとき、国内は箕輪長野家の分裂騒動を収めねば、にっちもさっちも行かない状況になっていた。箕輪長野家が分裂し、一方に厩橋長野家が加担して、箕輪城と城下の居館に分かれて対峙。それを調停しようとした家宰の長尾景房の兵が加わり、三すくみのにらみ合いになっていた。

 そこに堀部家の密偵たちが、大げさに憲政が出奔したと騒ぎ立て、氷室城の堀部家に降ったという噂を流した。そうした上野の国内事情を描いている。

 通俗本は事実を簡素に整理する一方で、景房の辛い胸のうちを描いている。


XXXXXXXXXX

第10章 長尾景房の強行


 おかつたち一行が大沢宿に達する前日。正月21日の箕輪の北集落。間もなく未の刻。風も穏やかな昼下がり。

 白井長尾家と与力勢の将兵が集落に着陣していた。箕輪城と重臣の大道寺家居館の間に先陣がすぐに割って入れる位置である。約1000の兵が陣中にいる。野営地に仮宿舎の小屋を建てたり、練兵したり、兵糧の準備をしたりと忙しい。

 まだまだ夜の冷え込みは厳しい。近所の寺や神社の広間と、天幕を張っての野営地に寝泊まりしている。半数は野営地で寝ないといけない。仮の小屋を建ててもいるが、できたのはまだ5軒ほどで30人ほどの収容がやっとだ。いくつもの組に分け、宿泊場所を替えていく。そうしないと、体力がもたない兵が出る。


業氏なりうじが欲をかかず、吉業よしなりの後見役に納まるという我らの斡旋案に乗れば良かったんだ」

「まったくでござる。事ここに至っては、非情の策もやむなしでござるよ」


 集落にある寺に構えた本陣で、床几に掛け話し合っているのは、長尾景房と参謀役の国衆・倉賀野行政くらがのゆきまさである。景房は25歳で気鋭の、行政は35歳で熟練の武将だ。

 いずれも短躯だが、がっしりした体つきで武術に優れていることが見て取れた。戦陣だが具足は着けておらず、小素襖こすおう姿だった。

 景房と行政は、一昨年の田上城合戦の際にそれぞれ半数の手兵を失った。両者ともに、西から四方宿を目指す軍にいた。中央軍の敗報を聞いて国境に退く時に、堀部の軍勢に待ち伏せされて敗退。激しい追撃に遭ったせいだ。

 山内上杉の威信は失墜し、大黒柱の業正なりまさを失った箕輪長野家で御家騒動。 

 箕輪城は業正の弟の業氏が入城。総領だった吉業が幼児であるとの理由で、自らが家督を相続すると主張した。業氏を快く思わない重臣たちは、業正の正室と吉業を城下にある大道寺家の館に保護。厩橋長野家の当主・長野賢忠ながのけんちゅうに助けを求め、両者の睨み合いになった。


「業正殿が健在なら、家宰は長尾一族から長野家に譲っても良かったのだがな」


 いっそ長野賢忠に家宰を渡すのでもよかったのだ。景房は総社長尾家から白井長尾家への養子である。今一つ家中の信望を得られていない。実父の景顕かげあきが強硬に推さなければ、自家の統制と経営に専念したかった。

 自分の手兵は500を連れて来るのが精一杯。重臣たちは、白井の留守役に任じた。行政は200の兵を連れてきて副将格。あとは小身の与力衆ばかりだ。

 業氏派は500。吉業派は200で、そこに助力する賢忠の500が合流した。

 もう500……実父が総社長尾家の兵を出してくれれば、威圧が効いたはずだ。だが、城に拠った500にも、城下にかき集めた700にも、1000の圧しは今一つ。関東管領の名で発した調停案を両派は受け入れず、対陣して2週間だ。


「こんな面倒事、碌でもない。身内を固めることを第一に考えたいところだというのに。もう長野一族に家宰を譲る目もない。此度の賢忠殿はあからさまに私欲で動いたからな」

「それを言ってもせんのないこと。とにかく、この争いをやめさせねば。このうえ上様がかどわかされたとあっては……上野じゅうの武士が物笑いの種です」

「全くだ……」


 巳の刻に板鼻に詰めている由良成繁から知らせの早馬が来た。御座所に詰めていた夜番の兵四十名と上泉信綱の客分が討たれたという。憲政は女4人に拐われ、信綱は行方不明。安中長繁ともに周囲を捜索中だという。女たちは武蔵の堀部領にいる狐の妖怪だという。女中や使用人は難を逃れ、それらの証言らしい。

 行政は前日までに、自分の城下に狐姫が現れたという知らせを受け取っていたた。しかし、倉賀野城内には数10の兵しかおらず、城の番で手一杯だ。手の打ちようもない。

 その後は国内各所に狐姫が現れたという風聞が伝わってくる。その狙いは関東管領の身柄を略取するための撹乱だったということだ。


……どいつもこいつも。条件の悪い時に、面倒な役を振った挙げ句に、また面倒を起こしやがる。人を舐めるのもいい加減にしやがれ。あの餓鬼を御座所に幽閉して、山内上杉家を乗っ取れたはずなのに。何もかも無茶苦茶にした挙げ句、餓鬼が逃げ出すとはな……


 景房はさすがに様々な状況の変化に頭にきていた。それ故に、行政と語らい、あざとい謀略で箕輪の件を片付けることにした。

 業氏と賢忠に、それぞれ使者を出した。憲政の出奔を包み隠さずに告げ、不測の事態につき、力を借りたいと伝えた。業氏には賢忠を、賢忠には業氏をあやめるから助力してくれと。ついては、この寺で合議したいので、本人に来て欲しいと。


……両名がのこのこ顔を出すような間抜けなら、この場で素っ首を刎ねる。来なければ、まず賢忠の陣に乗り込んで賢忠を殺す。どっちにしても、2人は生かしておかん……


 2人とは面識が深いし、どちらも20代で、家宰就任前は兄事してきた相手だ。自分に対して気安く接してくるが、心底では若いと侮っている。

 それだけに書状にしたためた事態の深刻さがわかれば、直接面談できる。自分が役に立つと売り込んでくるはずだ。その読みは当たった。


「長野賢忠様がお見えになりました」

「ここに通せ!」


 賢忠は具足をまとった姿で、3人の伴をつれて本陣の幕内に入ってきた。


「よう参られた。力を貸して欲しい。丁度こちらで策を練っていたところだったのよ」


 景房も行政も立ち上がり、賢忠を迎える。具足を着けていないのも警戒心を解くためだ。武器も小太刀しか佩用していない。自分たちは立ったまま、地図を広げた机の傍の床几に腰掛けるよう薦める。

 伴の者たちにも陣幕の入り口のところに床几が置かれ、腰をかければ茶が振る舞われる。くつろいだ雰囲気になる。


「いや、此度の件は相済まん。馴染みの重臣に助力を頼まれては、断るに断れん。お主の言うことを聞いてやれんで心苦しくてのう。だが、さすがに上様の出奔とあっては、話を聞かぬわけにも参らん」

「謝罪には及びませんぞ。人それぞれに立場がござろう……」


 賢忠は小柄なずんぐりした体形を床几の上に落ち着け、机に出された茶をあおる。味方として受け入れられた、と思っている。景房と行政がまだ突っ立っていることを不審に思っていない。

 景房が声を低めて言葉をつなぐ。


「それに……言葉ではなく、命で償ってもらいますが故に……」


 賢忠は何を言ってるのかちょっとわからないという顔をした。茶碗を机に置く間もなかった。無駄のない動きで景房が小太刀を抜き、行政が賢忠の背後に跳ぶように回り込む。

 後に転げて逃れようとする賢忠の背を行政の両手が支える。景房の小太刀の切っ先がぐさりと賢忠の喉元へと埋まる。茶碗が地面に落ち、ぱりんと割れる音がする。


「かはっ……」


 賢忠は声にならない呻きをあげる。喉から息を停められ、小太刀の先は延髄まで貫く。賢忠はあっさり死体になった。即死した彼の喉から景房は小太刀を引き抜き、懐紙で血と脂を拭き取る。

 行政は手の力を緩め、自然に賢忠の身体が崩れ落ち、地面に転がる。そして、死体にまたがると、自分の小太刀を使って首を斬り落としにかかる。

 陣の入り口でも10名ほどの兵が、賢忠の伴を槍で突き殺していた。


「館にこの首を持っていけば、重臣どもも、ご正室も従うでしょう」

「家督は吉業に継がせる。後見は当家で行うしかないだろうが。あとは厩橋の兵どもをどれだけ吸収できるかだな。罪一等を免ずると約束しても逃げるやつは出る」

「それと、城の業氏ですな……」


 そこまで話したところで、息せき切って伝令がすっ飛んできた。


「長野業氏様、伴廻り10名ほどと一緒に門前にお越しです」

「何と……こちらの都合に合わせてくれたようで助かる」

「誠に……面倒がなくてよろしい」

「ここでは不味い。寺の本堂……御本尊前の広間に通せ」

「はっ!」


 伝令の者が指示を伝えに門へと駆け戻る。


「本堂に通すなら、面倒はかけないようにしましょう」

「そうじゃな。おい、お前とお前、弓兵を10人ばかり、ここに集めよ」

「はっ!」


 程なく弓と矢を携えた兵たちが集まり、景房と行政は彼らを引きつれて、本堂へと向かう。途中、兵たちを本堂の周りに集めろという指示を番兵に出した。

 そうして、本堂までの参道を進み、20間ばかり手前で、兵たちの足を止めさせると、行政が小声で命ずる。


「矢をつがえろ。わしが命じたら、本堂の畳に座っている者どもを狙い撃て」


 業氏と補佐の侍大将らしい者だけが座敷に胡座をかいている。7人が護衛で、縁側に座って控えている


「やあやあ業氏殿! ご無沙汰でござった! このような形でお会いするとは、いささか残念でござるぞ!」

「構え!」


 景房が1歩2歩と本堂に歩み寄りながら大音声。業氏と伴の者がそちらを見たときには、行政の命で弓兵が弦を引き終え、狙いを定め……弓矢が向けられていると気づいても、もう遅い。


「放てっ!」

「者ども、出遭えーっ! 本堂に賊がいるぞ! 逃がすなっ!」

「もう一射! 各個に放て!」


 10本の弓が次々に業氏とその一行を襲う。そして、景房の叫び。それに応じて、本堂に三々五々集まろうとしていた兵たちが、四方八方から殺到してくる。

 射掛けられた矢のうちの何本かが、業氏と侍大将を捉え、3人が動けなくなる。そこへさらに、ばらばらと追い撃ちの矢……。悲鳴が上がる。

 伴の者は縁側から降りて兵たちを迎え撃とうとするが、駆け参ずる多数の兵に勢いで劣る。たちまち7人の屍が転がり、景房の兵からは浅手を負う者がわずかに出ただけだった。

 

「こんなに簡単であれば、最初からこうしておけば良かった」

「いやいや、両長野家の力を温存したいから、調停しようとしていたのです。お忘れなきように」

「それはその通り。何にしても、行政殿がいてくださって助かった。かたじけない。家中の重臣がいても、ここまで上手くは運ばなかっただろう」


 本堂に上がりながら、景房は行政に礼を述べる。軽々な感想を口にしてしまう……そこが景房の上に立つ者としての弱点だと行政は思う。それにしても、彼の白井での孤立ぶりは根が深いと、行政は思ってしまう。自分は与力でしかない。彼と一蓮托生する言われもない。ただ、上野で武家を営む以上は、この御仁や関東管領を持ち上げるしかない。


「それはともあれ、首実験してしまいましょう」

「左様だな」


 本堂に上がれば、業氏は側頭と胸の真ん中に矢を受け事切れていた。

 2人の侍大将も数本の矢を急所に受け絶命。侍大将たちも見知った顔だ。業正の陣中にいて論功行賞でよく名が挙がった者たちだ。もう城中を統兵する力を持つ将は残っておるまい。


「行政殿……業氏の首を持って、箕輪城を開けてきてもらえまいか? 拙者は大道寺の館の連中を説き伏せるゆえ」

「承知でござる。このまま、城と館の兵糧を使って、武蔵に兵を出すしかありませんかな」

「うむ……本当なら板鼻に入って由良殿、安中殿にも諮って、上様を取り返す算段をつけたいところだが」

「できるだけ手配をつけ、板鼻に向かうのは明日にすべきでしょう。兵糧がどうにかならねば話になりません」

「わかっている。それぞれ部下も連れて、倉の中を把握し、人足の手配ができるようにしよう。終わったら、拙者も城へ合流する。それでよろしいか?」

「承知。では、後刻」


 景房と行政は、それぞれの兵を集めるために別れた。

 賢忠の首を改めて回収し、首桶に納める。賢忠配下の兵の逃走防止のため、こちらの兵はできるだけ連れて行くことにした。城下町の大道寺家の居館までの道すがら、景房はこれからのことを考えていた。


……あの餓鬼は管領の座を放り出したがっていた。俺も家宰の面倒事を投げたいからよくわかる。かどわかされたと言うが、進んで着いて行ったに違いない……


 憲政の側にいたさえのことも思い出す。書状でふれていなかったが、さえが堀部につないだのかもしれないと景房は考えた。


……兵を出すとすれば、氷室城と狐どもが住むという大沢宿か……


 だが、勝算が立たない。今勝てるのなら、一昨年の田上城合戦で負けるわけがない。前家宰の景長は「大軍に戦術は不要」と妄言を吐き、兵を3分する愚を犯した。お陰で主力の中央軍の6千の兵がほぼ壊滅。国に帰れたのは数百だけだった。さらに、そのあおりで自分たち西軍は5千が2千に。東軍は5千が3千に討ち減らされた。

 平井からまっすぐ南下し、秩父を抜ける。それで西から氷室城や大沢宿を直撃できる。しかし、箕輪にある全軍を合わせても1700……なかから1500も連れて行ければいいだろう。板鼻と平井の兵を合わせても3000の兵を動員するのが精一杯。

 氷室郡は人が流れ込み、氷室城に即応で3000の兵が集められるだろう。野戦で負けてから籠城に移ってよい。長対陣になれば、四方宿や田上城からの援兵に、こちらが包囲される。そもそも、狐がいては野戦で勝てまい。


……いっそ俺も堀部に降伏するかな。山内上杉家を乗っ取れなければ、馬鹿馬鹿しいだけだ。堀部掃部介は名将だと聞くし。憲政の餓鬼だけ逃げ出して美味い思いをさせていいものか……


 だが、上手く行かない時には徹底して上手く行かないのが世の常というものなのである。

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