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10 管領職は丸投げできなくとも満足な結果

 この章は、本来ならば一連の救出劇の終幕と後日譚として位置づけられるべき章だった。

 さえと憲政を連れての大沢宿への帰還と、堀部忠久と2人の対面、忠久の上杉家家宰就任といった政治的には重要な事柄が展開している。正本は事実の記載で話が進んでいるが、通俗本は道中や対面での会話劇で大いに潤色されている。

 これ以降、憲政は堀部家が担ぐ。忠久は山内上杉家家宰となり、憲政の命によって関東諸大名・国衆に指図する名分を得る。

 上野国には本来の取り残された家宰・長尾景房がいた。彼が憲政の奪回に動くことは考えられなくもなかった。とは言え大方の見るところ、前年の田上城合戦で敗北した上野国の軍勢が糾合することはあり得ない……そう思われて当たり前だった。しかし、この話はここでは終わらなかったのだ。


XXXXXXXXXX

第10章 親としての感情、武将としての野心


 正月22日。のどかな小春日和の中。7頭の馬が常歩で大沢宿へ向かう街道を進んでいた。


「さえちゃん、堀部の本貫地は久しぶりでしょう?」

「ええ……でも、8歳のとき以来だから、正直、あまり覚えていないのよ」

「そう聞くと、殿様も容赦のない人よね」

「まったくよ。夜逃げしてしまうような家来しかつけないし……あなたたちをよこしたけど、本当に救う気があったのかしらねえ」


 おかつはさえの手紙を思い出して、いろいろ聞いてみたくなった。


「それにしても、あなた、よくも御座所に捕まりに行ったものね」

「だって、板鼻を出ても堀部領内への道順だってわからない。逃げても野垂れ死するか野盗に捕まるのが落ちよね」

「なるほどね。それで博打を打ったわけね」

「うん、まだしも生き残れると思ったもの。そしたら憲政様が……助けてくれた」


 さえは馬を、憲政の馬に並べる。

 うっとりした表情で、濡れた視線を憲政に注ぐ。


[あーあ……堪んないわね……心の中で憲政様って名前を連呼してるのよ、この子]


 さえに憑依した九尾の狐の化身、さえこが呆れたような念話を周囲に流す。憲政が顔を赤くして照れる。それはそうだろう。惚れ抜かれていると暴露されているのだ。関東管領に祭り上げられ、一丁前の口を聞くように育ったが、一皮剥けば、世慣れぬ少年に過ぎない。


「命の恩人だし……恩人を想って何が悪いの?」

「あら、悪いわけないわ。かわいいって思ってるの」

[ふふ……この子が考えていること、全部言いふらしたいくらい。本当にかわいい]

「あたし羨ましいな……同い年だし」

「あら、2歳年上のわたしだって羨ましい」

「あら、まつも、りょうもあれだけ気持ちよくしてあげて、まだ足りない? 憲政さんに色目使っちゃうの? ふふふ」

「そう言えば……まつ姉さん、屋形船で憲政さんの一番最初に咥えてた。さえちゃんから取っちゃうつもり?」

「え……いや、そんなんじゃなくて……」


 おかつとさえの会話にまつとりょうが絡んで、話が弾む。

 さえもすっかり4人との行為の快楽におぼれてしまった。

 昨日の日中と夜、彼女たちは憲政と信然を代わる代わる“襲った”。疲労と睡眠不足を癒やすために泊まった本庄宿の旅籠で、それこそ乱交と呼ぶにふさわしい行為に耽った。

 さえは信然とは交わらなかったが、憲政とは何度も契った。憑依したさえこの影響もあって、さえの心は憲政の虜だが、体は篭絡された。憲政が自分以外の女と交わることにも抵抗がなくなった。

 さえの憲政への懸想は強いのだが、おかつ、おこうから離れるつもりはなくなっていた。憲政が4人と交わるのも容認している。


「さえちゃんが正室で、わたしたちは側室でいいかしら? 憲政さん」

「あ……いや、それは……」

「あはは……冗談よ。わたしとおこうちゃんは、堀部の殿様と同じく、憲政さんとも盟友ってことでいい?」

「うむ。それでよいのではないかな」

「あたしは信然さんに弟子入りかな。法力って面白そう」


 おこうに言われて、信然は涼しそうな笑顔を浮かべる。

 おこうが彼を生かしておくと決めて良かったと、おかつは思っている。僧や神主、修験者が闇の側に堕ちてしまうのはあり得ることだ。野盗や物の怪と組んで、大沢宿を襲ってくることもある。法力僧の術式を学ぶことや、闇に堕ちた僧の技を知っておくことは無駄ではない。さまざまな術者を大沢宿に集めれば、それは大きな力になる。信然もその一部だ。


「もうすぐ大沢宿……代官のお陰で、狐御殿で殿様は待ってるわね」


 本庄宿は元は津山一門の支配地だった。今は田上城代で忠久の従弟、源之進智幸げんのしんともゆきが代官を置いて支配している。馬を入手するために昨夕、本陣を訪ねたのだが、代官は氷室城と田上城に使いを出してしまった。田上城から護衛をつけると返事があったが、それは断った。宿から一度に7頭の馬を出すのは大変なので、城にはその補充だけ頼んだ。

 氷室城までは距離もあったので、忠久がどう反応するか伝わっては来なかった。

 さえの表情は冴えない。

 憲政も心配顔だ。

 忠久は策謀家だとさえは思い込んでいる。憲政を謀殺するつもりではないのか、心配は尽きない。憲政は、さえが心労でどうにかならないかが心配だ。


「心配しなさんな。わたしたちは心の黒い妖怪だけど、仲間を売ることはしないわよ」

「そうよねえ。関東管領が邪魔だというのなら、あたしたちは御座所で憲政さんを殺しちゃってたわ。殿様はあたしたちも、あなたたちも敵に回すようなことはしない。安心して」

「本当に?」

[あなたの中には、もうわたしがいるから。あなたの無事とあなたの希望は、二人とわたしが約束するわ]


 さえの気分が持ち直し、憲政も少し安心する。


「それより、あなたの修業をどうするか考えないとね」

「例えば、今でも……ちょっと右手を胸の前に。手のひらを上に向けて」

[手のひらの上に、火が灯るって想像して……うん……ほかのことは考えないで。そう……ほら……]

「え……」


 蝋燭の火よりは大きめの炎が、ぼうっという音とともに手のひらに湧き立つ。


「きゃあ……」


 さえは人並みの女の子のような悲鳴をあげる。


「びっくりしちゃった?」

「ますます羨ましい」

「あたしもあれくらい、呪いが使えるようになりたい」

「わたし自身で、憲政様を守れる?」

「まだ修業は必要だけどね。その通りよ」

[後で、何ができてできないか、いろいろ教えてあげる]

「女子に守られてばかりも不甲斐ない。余も何かできんかな?」

「信綱さんも誘ったから、あなたも剣術や兵法を学べばいい。わたしたちも教えてあげるしね」

「わかった。懸命にやろう」


 おかつは忠久が本当はどうしたいのかは測りかねていた。憲政の御座所を狐御殿にしてもよいと言っていた。家宰の就任を言い出したのは、憲政の権威を利用するためだ。そのことを憲政やさえには、まだ伝えてはいない。

 忠久は海のある領地を欲しがっていた。南下して江戸へ出るなら扇谷上杉と北条、東進して下総へ出るなら古河公方が敵になる。ただ、どちらに向かうにしても、北から背後を襲うものが出かねない。上野の情勢が中途半端な騒乱状態だと予断を許さない。

 自分たちの活動を助けるのに十分なだけの密偵が、上野に用意してあった……。

 忠久の依頼を受けるとき、別れ際に隠れ宿を用意するようにと依頼した。突然だったのに、忠久は帰城後すぐに、密偵と落ち合える場所を伝えてきた。それが身を潜めた空き家だった。どうやら密偵とつなぎ役が落ち合う場所だったらしい。そこで会った密偵に船の手配を頼むと、翌日には隠し場所を伝えてきた。予め密偵がいて、上野で活発に働いているということだ。


……これは今回の件より先に、上野で何かやろうと考えていたのかな……


 馬に揺られながら、おかつには忠久の考えていることが何となく見えてきた。


……このままいくと、まつ、りょうはもちろん、さえにも憲政にも戦場を体験させられるかな……


 考えながら、馬に揺られるうちに、狐御殿だ。

 御殿の北門をくぐってすぐに、忠久が待ち受けているではないか。


「あら……お殿様」

「父上……」


 さえの表情が硬くなる。見捨てられたという思いから悪しざまに言い続けてきた相手に、すぐに顔を合わせるとは思わなかった。困惑している。


「掃部介殿か」

「左様にございます。お待ち申しておりました、上様。さえ……さえか、8歳のころの面影があるが、美しゅうなったのぉ……よう帰ってきた」


 まずは憲政を迎えるはずだった。しかし、忠久の関心は、すぐにさえに向かう。おかつたちが忠久の感情を読むと、憲政はそっちのけだ。普通の父親としての親愛の情がすべてだった。情が高ぶって、声を絞り出すような雰囲気さえある。


[さえちゃん……意外ね。殿様の感情の起伏がわかるでしょ?]

(依頼の時に奥方がどうこう言ってたけど。自分こそ親馬鹿じゃない)


 さえことこだまの声にならないやり取りを聞き、おかつも薄ら笑いを浮かべる。

 さえは5年前を思い出していた。元々人質には、世継ぎで当時は10歳の兄が出るはずで、準備をしていた。

 ところが兄は病で急死した。子どもの誰かを人質に送らねばならない。それで兄の葬儀が終わってすぐに、長女のさえが人質に出ることになったのだ。

 それまでの彼女は溺愛されていた。忠久は蝶よ花よの扱いをしていて、むしろ甘いと母(正室)には苦言を呈されているほどだった。兄を失った直後の別離……。出発の際の辛そうな父親の顔を思い出した。

 さえをかわいがる気持ち、人質に出した後悔、時流への恨み……


……なーんだ。この話を持ち掛けてきたときには、韜晦していたのね。関東管領がどうこうって、どうでもいいくらい……


「父上……」


 馬から降りるなり、さえが跳び込むように抱きついてきて、忠久は虚を突かれた。書状の文面で恨まれていると思っていたからだ。

 情に厚いところを、感情を読み取れる九尾の狐には見せたくない。だが、こうなっては言葉もない。自分もさえの背に手を回し、立ち尽くすのみだった。

 おかつとおこうは、にこにこしてその様子をうかがっていた。さえがすっかり憲政と自分たちの虜になっていると知ったら、忠久はどう思うのだろう……。


「ひとまず、大広間に……」


 さえと抱き合い、黙りこくった忠久に代わって声をかけたのは和華だった。

 大広間では、おかつが仕切って席次を決めていく。

 上座には憲政を座らせる。

 さえは憲政の左手側、庭の見える位置に座らせて、まつとりょうを彼女と並べる。

 和華と自分、おこうは憲政の右手側、庭を背にして並ぶ。


「わたしたちは、憲政さんとも、殿様とも盟友。殿様は、憲政さんの臣下になるのよね」


 そうして、忠久は憲政の正面の下座に位置することになった。


「やつがれの領内へ、ようお越しくださいました」


 一番下の席に座らされても、忠久はまったく気にしていない。見事なくらいに気負いがない。平伏して礼をし、会話のためにかすかに顔をあげれば、人の好さそうな笑顔を浮かべている。


「舅殿……御義父上おちちうえ……どう呼べばよろしいかな?」

「やつがれごときを、そんな大層な呼び方をする言われはありませんぞ。さえをお側に置くだけでももったいない」

「ふむ……では、特に婚儀は要らんな。関東管領がそちの娘を所望する。婢女はしために差し出して当然だな」


 憲政の少年らしからぬ居丈高な物言いに、忠久は命ぜられないうちから、顔と上体をあげてしまう。

 笑いは消え、鋭い目つきで睨みつける。さえの父親であることがはっきりわかる細面。目は切れ長で、頬と眦に小さな刀傷がある。体格は大きくないが、戦場をいくつも潜り抜けてきた男らしい迫力がにじみ出る。

 憲政は利口な少年だ。おかつやおこうは、彼が忠久を故意に挑発したと思った。


「物わかりの悪い父親、逆臣として振舞ってもようござるか?」


 さすがに管領の御前には太刀は持ってきていない。だが、小太刀は腰に差している。どんと片膝を立て、それを抜こうとする構えだ……。


「父上、なりません」


 それに反応したのは、さえだった。自分も小太刀に手をかけ、忠久と憲政の間に入り、膝立ちで忠久に向き合う。


「ほう……父に手向かうか?」

「立場はどうでもいい。でも、夫で、主人で、想い人です。命の恩人です」


 睨み合う父娘おやこ……。


「……くくくく……あはははは……ちっ……まだ13だと思っていたが……童ではなく、女になったか……」


 忠久は大笑すると、憎まれ口を叩きながら、小太刀から手を離す。そして、胡坐をかきなおすと、寂しそうな笑顔を浮かべ……泣きそうだった。


「はい……どちらを取れと言われれば、憲政様を取りますから……それに、憲政様を守る力もございます。戦に出ろと言われれば、一緒に出ます」


 手に炎をまとわせてみると、父はすべてを理解した。


「そちらのおこうと同じか」

「はい……」

[よろしくね……お殿様。3匹目の狐のさえこです。安心していいけど、おかつさんやおこうさんみたいに悪い妖怪になってないわよ、さえちゃんは]

「あら、ご挨拶ね。悪い妖怪って……」

「あたしは確かに侍以上に命のやり取りを楽しんでいるかもしれないけどね」


 場をわきまえているのか、狐たちは場をあまり混ぜっ返そうとはしなかった。


「さえ……余のすぐ横に控えてくれ。御義父上……すまない。試すようなことを言った。情のある人なのかどうか、知りたかった許してくれ」


 憲政が手を突き、頭を垂れる。


「乗せられましたな。親としてお願い申し上げます。さえにようしてくだされ……さもないと、下克上いたしまするぞ」


 無理に笑い、物騒なことを口にしながら、忠久も平伏する。


「身一つで、ここに逃がしてもらった。関東管領だと言っても何か役に立つだろうか。戦に出て骨を埋めろと言われれば、それでもいい。御義父上のいいように使うてくれ」

「上様、山内上杉家を……いや、上様ご自身を精いっぱい支えさせてもらいます」

「いっそ関東管領を御義父上に譲ってしまってもいいのだがな」


 笑顔で冗談めかしているが、これは憲政の本音だ。管領も、山内上杉家の名跡も重いだけ。すべて放り出して楽になりたい。先年、堀部家と対戦して討たれた津山義正と同じだ。だが、逃がさない。利口そうな娘婿に楽をさせるわけにはいかない。


「さすがに、それは名分が立ちません。やつがれは2郡を従えるとは言え、一介の国侍。身分不相応の僭称だと騒動になりましょう」

「それもそうか。残念……」

「わが堀部家がそれ相応の実力を持った時に、山内上杉家と一体になれればよいと思います。慌てることはございますまい」

「うむ……わかった」

「上様がここに来られましたから、正直に申しあげます。やつがれが次の一手に考えていたのは、上野への出兵でござった」

「ほう」

「上野に兵を出し、上様をさしはさみ、上杉家の家宰に就任するつもりでございました」

「なるほど。そうすれば、御義父上は関八州で諸将の上に立つ名分が手に入るな」

「その通りでございます」

「やっぱりね……」


 おかつが2人の会話に割り込む。


「出兵の時期はこの夏にするつもりだった? だから、密偵を手回しよく置いていたのね」

「ああ、その通り。半年前から各所に用意し、上野内で隠密に動けるようにしていた。そこへ、さえからの書状が来た。動くのを繰り上げようと思った」

「上手い具合に、隠れ宿も、船も用意できるはずよね」

「それだけではない。上様の不在は、既に上野国内で噂話になっているはずだ」

「なるほど。余が御義父上を家宰に任ずれば、駄目押しになるかな?」

「ご明察で。上野におる今の家宰が黙っておりますまい。10日と待たず、いろいろと持ち上がるでしょう。上様とさえに、初陣を機会を作れますぞ」

「よろしい。では、長尾景房の家宰の任を只今をもって解く。替わって御義父上を家宰に任ずる。解任状と任命状を発する故に、筆と硯を持て」

「ははっ」


 不敵に笑う忠久は、すっかり兵法家としての顔を取り戻していた。

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