09 親の仇、仲間の仇【ダウングレード】
第9話は、まったく違う話に差し替えました。
この章は通俗本では性的描写にほとんど特化している。おかつたち4人が、憲政とさえの本当の意味での初体験を手助けし、その後の4人のレズ行為を描いている。狐御殿の女たちが歴史の表舞台に出ることに合わせ、講談などで持て囃されると同時に、日本の性愛事情も変わった。それまで史料に見られなかった女性同士の同性愛行為が春画や色本の題材として大衆化していく。通俗本のこのパートの情景は創作だとしても、日本の性風俗史に一石を投じるものだった。
しかし、正本の方には、このパートに相当する記述は何もなく、数々の民間伝承をまとめたいくつかの異本に本庄宿に達するまでの逸話が残っている。
そこで18歳未満限定の本書では、通俗本の第9章ではなく、異本に残る一つのエピソードを訳出した。堀部家の旗本衆の記録台帳から裏が取れ、後に新庄為好、鎌鼬、だいだら法師が揃って歴史の表舞台に出ていることから、現実性が高いと考えられている。
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第9章武士の猛り
卯三つ(午前6時)……一行は板鼻の御座所から真東に4里、馬で進んで利根川の河畔へ。そこからは舟で川を下って、南下・東進し、堀部領(旧津山領)の本庄宿へ1里のところで、利根川の南岸に降り立った。
「信然さん、ありがとう。寒かったでしょう」
「いや……役に立てればいい。宿で報いてもらえれば、それで十分」
「体……冷えたわね」
「わたしの毛むくじゃらの体……温まるのにちょうどよいでしょう?」
関八州はこの時期、空気は冷たくとも、日照は良く、日が出ればうららかな日が続く。梅の盛りをすぎ、春めいた日が多くなり、桜の季節が待ち遠しい。
そんな陽光のなか、信念をおかつとおこうが左右から体を寄せる。夜通し黒夜叉を使役して、舟をここまで操ってきた。ほかの6人は舟の屋形のなかで夜風をしのげたが、信念は1人屋形の外で冷気に身をさらしてきた。呪いで、冷気を遮断することはある程度できるし、滝に打たれる荒行などでも冷気には慣れている。まして、今はおかつやおこうに至福の時も見返りとして約束されている。一晩で、完璧な破戒僧になっていた。
信然は黒夜叉の召還を解き、7人で身を寄せ合いながら、河畔から本庄への道へと入ろうとしたときだ。
ピィーーーーーーーーー
呼子の甲高い音がし、南と東西に狼煙が上がった。
「あれ……ちょっとうるさいことが起こりそう」
「あたしが思うに、野盗より面倒なことになりそうね」
「よく考えれば、津山にも、堀部にも、わたしたちに恨みを持つ連中ってたくさんいるのよね」
自分たちが移動していることを知っている……
国境の本庄あたりに絞って網を張れる……
きちんと連絡の方法を講じている……
こういうことができる連中が、自分たちを発見したという行動だ。
武士として戦場で秩序だった探索や待ち伏せを経験している敵だ。並みの野盗ではないし、自分たちを的にしている。おかつたちが利根川沿いに上野へと向かったあたりから、本庄宿で網を張ることを思いついたに違いない。
「呪いができるやつがいるかどうかね」
「あとは、破魔、破邪の呪いを使えるかどうか」
「黒夜叉をまた呼び出しますか? 引っ込めたばかりなので、あまり使えないかもしれませんが……」
「ここではいいわ……傷を負ったら治癒の呪いをお願い。それに専念して」
「さえちゃん、憲政さん。万一の時は、自分の身は守ってね」
7人とも歩を緩めない。おこうが先頭、まつとりょうが続き、その次に憲政とさえ。おかつが声をかけながら信念と一緒に最後尾に下がる。
すると、11人の人影が、道を塞いだ。
真ん中に身長1間半(約270cm)の大男。その左右に5人ずつ。
「へえ、だいだら法師なんて、よく連れて来たわね」
だいだら法師は、関八州のいろいろなところに伝説を残す大男。だいたいは山の精に心身を乗っ取られた修験者が、体を巨大に変貌させている。そういう意味では天狗に似ている。
攻撃的な呪いは使わないが、水関係の呪術を防ぐし、幻術を使って自分たちをより巨大・強大に見せつける。体を大きく見せた際の言い伝えが過剰になって行き着いたのが、富士山を腰掛けに使うだとか、足跡が湖になっただとかの法螺話だ。相模、甲斐、武蔵の山中に何体かいる。
体格に見合った馬鹿力も自慢で、一行に対しているのは、鎖付きの分銅を使うようだ。分銅と言っても、人の頭ほどの大きさがある。剣呑だ。
左右にいるのは、どれも侍。おこうやおかつは、何人かの顔を覚えていた。
「堀部の旗本で見かけた顔がいるわね。国境の合戦の時? 田上城の合戦の時に見たのかしら?」
だいだら法師がいきなり分銅を投げてくるのを牽制するように、おこうが声をかける。
すると、巨体のすぐ右にいる侍が応えてきた。野盗ずれではなく、まともな武士たちだ。
「わしは新庄亮介為好。お察しの通り、堀部家の旗本だった。お主らを仇と狙っていた。一つは、父の仇。田上城下、周防守の屋敷で、密偵を殺した覚えがあるだろう。それは、わしの父親じゃ」
「あら……そういえば、そんなことあったわね」
最後尾にいるおかつがつぶやく。さすがに自分で手を下しただけあって覚えている。
おこうの方は失念しているのか、きょとんとしている。
なるほど、山にこもって修験者に学んだのか。だいだら法師と同じく、呪いに対しての守りができている。火、氷、雷、風の礫をぶつける呪いは効くが、精神に作用する呪いや幻術の類は効果がない。お互いに守り合えば、おこうの呪いでもかなり防げる。
「第二に、仲間の仇。8月30日の合戦でも、9月1日の合戦でも、お主らの妖術で大勢の仲間を失った。しかれども、お主らは堀部家に迎え入れられた。お前らのような悪の化身がだ。その理不尽を正す!」
「戦の事、家と家とで取り決めた事……武士が、それを曲げようとは、片腹痛いわ。子どもなの?」
おこうが嘲笑交じりに挑発する言葉を投げかける。憎悪の感情の念をかきたてる呪いとともに。だが、やはりあまり効いていないようだ。
(おかしい……だいだら法師がいるからって、それと侍だけで仕掛ける? わたしたちの呪いも見てるのに……)
[正面から来すぎよね]
こだまとさえこの注意喚起で、最後尾のおかつは、周囲の気配を注意深く探った。
侍たちは刀を抜く。だいだら法師は、鎖付きの分銅を体の右横で縦に旋回させ始める。ひゅんひゅんと風を切る音がする。
怒気を発し、おこうに意識が集中している。とは言え、激情に任せて打ちかかってこない。
ほかにも激情を抑え込む理由がありそうだ。策があり、決まり事があるとか……。
「あなたは正面に備えて!」
おかつはおこうに叫んで、左の叢林から急速に迫る気配に反応した。太刀を抜き、空気の壁をまとわせて、その気配に向き合う。
おかつの目には、地面から上空へと立ち上る細い竜巻が見える。まるで蛇が天に向けてのたくるようだ。
その竜巻が近づいてくると、自分にめがけて、いくつも空気の刃が飛んでくる。
速い。おかつの視力と素早さをもってしても、弾いたり、避けたりできない。
10? 20? 腕や頬に、傷が走る。だが、痛みは小さい。信然がブツブツと経文を唱え、治癒の呪いを使うと、傷口はたとまち消えた。
「残念ね、速さはあるけど……この距離では浅い……ふんっ」
おかつは上段に太刀を掲げ、10間(18m)四方ほどの不可視の壁ごと地面すれすれまで降り抜く。
「ぎゃぁ……」
竜巻の根元には、巨大な鼬がいた。見えない壁を叩きつけられて竜巻が消え、小さな叫びとともに身体が地面に転げる。
「危ないわねえ……鎌鼬さん。大地の力よ、その獣を縛めよ」
特に呪文めいた言葉にしなくとも、おかつもおこうも仙術(妖術)が使える。ただ、起こることが頭の中で明瞭に想像しやすくなるから、自然と呪文のような文言が口を突いて出る。
鎌鼬は自分の体が重くなったことを感じる。空気の壁で押しつぶされただけでなく、地面に引き込まれるような力が働いている。伏せてそれらの力に耐えるばかりになってしまった。
それに合わせて、正面から鈍い大きな音。
ゴウッ
おこうが太刀をふるうと、扇形に白い塊が11個、侍と巨人に飛んでいく。鎌鼬が横合いから到来するのに合わせて、彼らは一斉にかかろうとした。おこうが放った拳ほどの大きさの氷塊が、その出鼻をくじいた。
「ぐっ」
「ちっ」
「げっ」
「くぅ……」
呪いに対する抵抗力は強くとも、呪いがもたらす物理的な攻撃は普通に効果がある……そう見て取ったおかつは、太刀に氷の塊をまとわせて、それを太刀の振りに合わせて、高速で打ち出した。
侍の何人かは氷塊を叩き落とし、だいだら法師に向かった1つは、放たれた分銅とぶつかって、双方地面に転げ落ちた。
しかし、おこうはすぐに2射目を投じ、今度は避けきれない。侍たちはすべて倒れてしまった。
「案外、あっけなかったわね……ほら……」
だいだら法師の右肩にも氷塊が当たった。巨人は動きが鈍くなったものの、分銅を引き戻し、すぐにおこうに投ずる。金属の塊がうなりをあげて、おかつに飛んでくる。
狙いは精確で顔に当たる……
だが、おこうは顔を傾けただけで、難なく躱す。そして、巨人の目の前に跳躍した。
「殺さないでね」
おかつの鋭い声。
おかつは、足元に鎌鼬を踏みつけにして、太刀を突きつけ、降参に追い込んでいた。
「あら面倒くさい……でもね……そりゃ!」
おこうは太刀を返すと峰で、巨人の右わき腹の上側を強打した。メリッという音がして、刀身が左の横っ腹にめり込み、巨体が崩れ落ちた。
「生きてる?」
おかつは観念した鎌鼬を背中から抱きかかえ、手と尻尾で全身をかわいがりながら、おこうの側へとやってくる。鎌鼬は最初は嫌がったが、段々と心地よくなって暴れることを諦めた。
「3人は当たり所が悪かったかしら。ほかは気を失ってるだけね。だいだら法師と新庄とか名乗った侍も生きてる」
おこうは太刀を鞘におさめ、代わりに小太刀を抜く。そして、為好の右横にかがんで、治癒と気付けの呪いをかける。
為好は意識を取り戻し、すぐに自分たちの敗北を悟った。
「策は悪くないけど、自分たちの実力を過信しちゃったかしら?」
「ちっ……」
為好はゆっくり身を起こす。おこうの右手が太刀の切っ先を喉元に当て、左手を右肩に置く。
「面倒な尋問はなし。拷問もなしにしておきましょう。時間がもったいないし」
為好は思考を隠す呪いも使えたが、そこまで気が回らなかった。おこうは、自分たちが大沢宿に居を定めると同時に、為好たちが出奔したこと。奥秩父や奥多摩、丹沢へと分け入り、修験者に交じって修業したこと。その過程で、だいだら法師や鎌鼬と懇意になったこと。自分たちの能力を過信したのではなく、これ以上伸びないと見限ったこと。この仕掛けまでの経緯明らかになった。
鎌鼬を手なずけたおかつが、そばに寄ってくる。こだまの念話で為好の思考は伝わっている。
「すっかり思い出した。わかるわよね。あなたのお父さんと同じで、別に言葉を交わさなくても、あなたが何でこんなことをしたかはわかるの」
「だったら、さっさと殺せ!」
「ふふふ……どうしようかしら。わたしの目を見て。新しい手駒が欲しいのよ。わたしたちと離れて動ける……」
「何だと?」
「だって、ほかの皆は、わたしたちの側にいないと上手く働かないの。駄目かしら……他国のことを教えてくれたり、そこでわたしたちの都合のいいことをやってくれたり……」
元・周防守配下の足軽五人衆は、自分たちから長く離れて動けるようなものではない。自分たちのもたらす快楽に縛られているし、知能の要る仕事には向いていない。
ここにいるのは、それよりも知勇兼備で行きがかりの関係も薄い男。
自分たちへの恨みさえ忘れれば……できれば、金銭的な条件で動いてくれ、それさえ満たせば裏切らない。わかりやすく使える者にしたい。
それには人らしい感情を一度壊して……冷徹に、どこまでも冷徹に。
おかつが目を覗きこみ、呪いで働きかけはじめると、為好は瞬きもせず、ポカンと見つめるだけになる。
「人間らしい感情を殺して、わたしの望むことをするの。父親や仲間の仇を討とうなんて感情をなくしてあげる」
為好はゆっくり頷く。
「それじゃあ、だいだら法師も……」
ここで、為好と、鎌鼬と、だいだら法師を使役できるようになるなら……。目覚めた巨人も骨抜きにすると、おかつは長い息を一つついた。
「ふぅ~……さすがに、呪いの使い過ぎだわ。生き残りの侍は放っておきましょう」
「それじゃあ、あなたたちは一緒に来て。宿までの道中、何をして欲しいか教えるから」
恐れ知らずの武士、能力の異なる妖怪2体……それを自由に、遠くで使えるのなら悪くない。たとえば、妖怪たちのいた相模で……。おかつは、満足げな表情を浮かべ、一行とともに本庄宿へと向かった。