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七話:死に馬に鍼を刺す

 城の北西にある塔が呪術調査隊の利用する作戦指令になっていると聞いた。

 パトリシアはグレース……そして、盾のヘクトールと共にそこへ向かった。


「あ、あの王子……?」

「どうしましたか?」

 先頭を行く盾のヘクトールの背中へと、パトリシアはおずおずと声をかけた。

 すると、彼はにっこりと笑顔を浮かべ、こちらに振り返った。


「もう一人のヘクトール様のことは、いいのですか……?」

「今は僕のことだけ考えてくれれば良いのですよ」

「う……」

 どう答えて良いか分からないので、思わずうめいたパトリシアに、盾の王子はくすりと笑みを零した。

 盾の王子のその所作は、男性ながらに愛らしさがあった。


「すみません、意地悪なことを言ってしまいましたね」

「い、いえっ……」

「僕らは二人に分裂してしまったことを隠さなくてはならないでしょう? だから僕たちは普段、片方だけが外に出て、片方は執務室で書類と向き合うという分担をしているんです」

「盾のヘクトール様が、外を担当されていらっしゃるのですか?」

「交代制ですよ。今は僕が外、彼は内です。丁度、呪術調査隊に赴く用事もあったので、パトリシアを案内できたのは、僥倖ぎょうこうですね」

 二人の王子はそんな風にして、日頃生活をしているのか。

 なんだか、入れ替わりで政に取り組んでいる王子たちを想像すると、少し面白い。

 呪いによるものだから、楽しんではいられない事柄ではあるのだが、当の本人が楽しそうにしているから、調子が狂いそうになる。


「僕がパトリシアの案内をすると言ったときの、彼の剣幕はなかなかのものでしたね。同じ顔を持っているとは思えませんでした」

「ぷっ……」

 盾の王子が柔和な表情を、指で眉を持ち上げて、剣の王子の顔真似を形作ったので、パトリシアはつい、吹き出してしまった。

 笑ってはいけないと、はっとして、すぐに口元を押さえた。

 そして……恐る恐ると盾の王子の顔を見上げた時、パトリシアは息をのんだ。


「やっと笑った」


 盾の王子はこれまでも、微笑みを携えて、パトリシアに向き合ってくれていた。

 しかし、その時の彼の笑顔は、あまりにも眩かった。

 無邪気な笑顔は、小さな子供のようだ。白い歯を見せ、昼下がりの太陽を浴びてブロンドの髪がキラキラと揺れた。


「……あ、す、すみません……」

 つい、謝ってしまったパトリシアは、笑顔を消して、すぐに頭を下げた。


「謝るのは、クセのようだね」

「……」

「ついた」


 目の前に、高くそびえる塔の入り口があった。大きな両開きの扉は、堅牢な雰囲気があった。

 ヘクトールはその扉を開き、中へと入っていく。

 パトリシアとグレースもその後ろに続いて、調査隊の作戦司令室へと向かった。

 塔の一階には数名の調査員らしい男たちがいた。

 ヘクトールたちが入っていくと、姿勢を正し、敬礼をした。

「レナンジェスはいますか?」

「はい、司令室にいます」

 男の一人が恭しい返事をすると、ヘクトールはそれに頷き、パトリシアへ「行きましょう」と振り返った。

 ヘクトールがそのまま階段を登り、上へと向かうのについて行き、やがて塔の最上階までやってきた。

 最上階まで来ると、部屋が一つあり、そこが司令室になっているらしく、妙な文字が彫られた扉がある。

 呪術に対抗する防御呪文のようなものだろうが、パトリシアの知識ではそれがなんなのかは理解できなかった。


 ともかく、雰囲気は特殊なものがあると感じ取れた。


「レナンジェス、あなたに客人ですよ」

「む、盾の王子……? 客とは……?」


 落ち着いた声は低く、冷静な大人の男性という第一印象を与えた。

 司令室の中には、ヘクトールよりも長身の男性が居た。

 長い髪はさらさらとしていて美しく、身体の線が細いため、声を聞かなければ女性かと見紛う容姿だった。

 ブルーの瞳と、藍色の滑らかな長髪は、その男の印象を演出するようにも見えた。


「もしや、パトリシア姫?」

「は、はい。ファウンティアの姫、パトリシアと申します。お初にお目にかかります」

「これは、失礼を致しました。私はエルムヴァニア呪術調査隊の隊長、レナンジェスと申します」


 レナンジェスは頭を垂れ、気品の良い自己紹介をしてくれた。

 王子の呪いがなければ、もっと大々的にパトリシアが城に来たことを告知し、国民にアピールするためにパレードなどもやっただろうが、状況が特殊なこともあり、パトリシアとの婚姻のことも今は公表できていない。

 普通の姫であれば、そのような無礼な待遇に癇癪を起こしていたかもしれないが、パトリシアの諦めに似た覚悟があったことが、幸いだったのかもしれない。

 パトリシアは特別、自分がエルムヴァニアで持てはやされることは考えていなかったので、現状の待遇に疑問は何もなかった。


 レナンジェスは、若く見えたが、どうやら三十を過ぎていて、呪術戦争で多大な功績を挙げた名将であると説明された。


「パトリシアは、僕らの呪いのことをきちんと知っておきたいらしいんだ。レナンジェス、彼女に呪いのことを教えてやってくれないか」

「そういうことでしたか。……分かりました。私にできることであればなんなりと申しつけください」

「は、はい……ありがとうございます、レナンジェス」

「……それと、レナンジェス。僕のほうから、黒魔術教団の残党の件で話がある」

「海賊と手を結んで、南の孤島に潜んでいるという話なら、剣の王子から伺いましたよ」

「彼は打って出ようと言ったようですが、僕は反対です。あの海賊団は、ガムラン国の息がかかっている可能性が高い」


 ガムラン国……。海の向こうの隣国だ。

 エルムヴァニアとも交易しているが、噂では海賊とつながっていて、エルムヴァニアの資源を狙っている腹黒さが見え隠れしている。

 下手に海賊を刺激して、国交間でもめ事になれば、また戦争が始まってしまうだろう。

 今、エルムヴァニアは他国と争うほど力があるわけでもない。

 迂闊なことは避けるべきだと盾の王子は考えているようだ。

 対して剣の王子は、攻勢に出るべきだと主張している。海賊と黒魔術教団が手を組めばやっかいなことになるし、犯罪者には屈しないという信念も有る様子だ。


「ともかく、もう少し待って欲しい。海賊と教団の繋がりを断つためにこちらも圧力をかけていますから」

「……畏まりました」

 レナンジェスが了承すると、盾のヘクトールは「うん」と頷いて一歩下がった。そして、パトリシアに向き合い、その手をとった。


「すみません、パトリシア。僕はこれから騎士団のほうに行かなくてはならないんだ。ここでお別れですが、またあとでお会いしましょう」

「はい……ここまでご案内くださりありがとうございます」

 ヘクトールは名残惜しそうに、パトリシアの指をそっとなぞり、その手を離すと、司令室から出て行った。

 後に残されたパトリシアとグレースは、その背を見送り、レナンジェスへと向き直る。


「……参りましたねぇ」

 ふう、と一息吐いたレナンジェスに、パトリシアは首をかしげた。

「どうかされたのですか?」

「ご覧になったでしょう。王子の状態を」

 レナンジェスは、司令室の椅子を用意し、パトリシアへ座るように勧める。

 パトリシアは、レナンジェスの言葉に頷きながら、椅子に腰掛けた。


「ヘクトール王子の人格が二人に分かれたことで、その指揮も二等分されてしまっているんですよね」

「あ……、先ほどの?」

「ええ、ヘクトール王子はかつて一人であったときに、聡明な判断を下し、呪術戦争も最小限の被害で終結させたのです」

 後ろに立つ、グレースも言葉は無かったが、こくりと深く頷いた。


「それが今、二人になったことで英断と呼べる判断が失われてしまっている。彼らは極端なのです」

「私も、そのような話を伺っております」

「ええ、なので我ら呪術調査隊は、東奔西走しています。王子の呪いを解く手段を探すために」

 指導者が二人居る。そこに優劣がつけられないのは、確かに問題だ。

 国王は、度重なる疲労もあって、あまりムリをさせられないため、王子がさらに息巻いているが、それも二人分となると、空回りになっている部分もあるのだろう。


「王子の呪いのことを、聞かせて頂いてもよろしいですか?」

 パトリシアは、レナンジェスなら色々と王子の呪いのことを詳しく話してもらえるだろうと改めてお願いした。

 レナンジェスは、パトリシアの態度に興味をもったように、暫しまじまじと顔を見つめてきた。

 レナンジェスもヘクトールとはまた違った色気があった。

 大人の男性の余裕というものだろうか。落ち着き払った立ち居振る舞いは、彼が名将であることの証明なのかもしれない。


「パトリシア様、あなたなら、もしかするとこの国を救えるかもしれませんね」

「え……?」

「おっと、いけない。私の悪い癖だ……」

 おほんと、咳払いをしたレナンジェス。


「では、パトリシア様。ヘクトール王子の呪いに関して分かっていることを、お伝えしましょう」


 そこからはレナンジェスの呪いに関する授業が始まった。

 基礎的な部分を先に書庫で調べていたのが幸いしたのか、レナンジェスの呪いの説明を飲み込みやすかった。


「王子の呪いは、種別としては『消滅の呪い』に該当します」

「消滅……、いつか王子が消えてしまうと聞きました。本当なのですね……?」

「はい。通常の消滅の呪いならば、呪いをかけたものの怨念の強さに比例します。怨念が強ければ強いほど、長い時間をかけて対象者を苦しめ、不幸に落とし、最後は絶望の中で命を落とすのです」

 ぞっとする話に、パトリシアは顔面を蒼白に変えた。

 怨念が強いほど、相手をすぐに消さず、じりじりと苦しめ続けるというのか。

 惨たらしい呪いの実態を知り、パトリシアはヘクトールのあの笑顔がどれほど貴重なものなのか思い知った気がした。


「消滅の呪いの解呪は、かけた者を見つけ出し、呪いを解かせることが一般的ですが、ヘクトール王子に呪いをかけた者は未だ発見できておりません」

「黒魔術教団の一派が呪いをかけたのでしょう?」

「そう考えるのが尤も適当だという状況でしかなく……真実はまだ陰に沈んでおります」

 レナンジェスは言葉を選んだように、熟考してそう述べた。

 黒魔術教団が王子に呪いをかけた証拠がないためだろう。


「そして、何よりヘクトール様の呪いはかなり異常です。分裂する呪いなど、過去に類を見ないのですから」

「……!」


 ヘクトールが受けた消滅の呪いは、対象を苦しめ不幸にし、命の灯火を消すというものだと分かっている。しかし、なぜかヘクトールは更に分裂までしてしまった。

 対象を分裂させる呪いは、どんな文献にもない。全く新しい呪術らしいのだ。

 それが、この解呪の難しさにつながっているという。


「当初は、このような特殊な術であれば、呪いをかけたものがすぐに見つかると思っていたのです。数ある呪いの中のたった一つを見つけ出すのは、そこまで難しくないですから」

「どういう、意味でしょうか?」

「分かりやすく例えるなら、使い古されたレンガの中に、ひとつだけ新品が混ざっていたら、すぐに見分けられるでしょう?」

「……それはそうですね」


 その例えには納得したが、呪いもそんなものなのかはよく分からない。

 ヘクトールにかけられた呪い自体は、使い古された最もポピュラーな『消滅の呪い』であるのは間違いない。

 その沢山ある消滅の呪いの中、特殊な『分裂を付随させる呪い』があれば、それをかけた者を見つけ出すのは難しくないはずだった、とレナンジェスは言った。


「解呪するにも、剣の王子か盾の王子、どちらを解呪すればいいのか、それも分からないのです。どちらかを解呪したら、両方消えてしまうかもしれませんからね」

「……っ」

 レナンジェスの言葉に、パトリシアは二人のどちらかを選択する、という話を思い出した。


(私がもし……、どちらかを選んだら……。両方消えてしまう可能性もあるというの?)


「分裂を……二人と一つに戻す手段はないのですか?」

「目下、調査中です。そのためにも、黒魔術教団の残党を一人残らず逮捕して、呪いに関する調書を取りたいところなのですが……」


 レナンジェスは、王子が出て行ったときと同じように、ひとつため息を吐き出した。

 王子の決断がはっきりしないから、その対応も遅れてしまっているのだろう。


「……パトリシア様。ひとつ、お願いを聞いてもらえませんか」

「えっ?」


 レナンジェスは何やら真剣な顔をして、こちらを見ていた。


「二人の王子の意見をまとめて欲しいんですよ」

「私が……?」

「……私は、あなたにしかできないような気がします」


 至極真面目にレナンジェスはそう言った。

 パトリシアは、自分には荷が重いお願いに思えた。考え込んで、返事ができないパトリシアへ、後ろからも声がかかった。


「私からも……お願い致します」

「グレース……!」


 振り向くと、グレースが深くお辞儀をしていた。


「先ほどの、盾の王子の笑顔……私はあんな風に笑う王子を久しく見ませんでした」

 パトリシアは、盾の王子の眩い笑顔を思い出した。

「な、なぜ……私にしかできないなんて、おっしゃるのですか?」

 自信なんてまるでないし、パトリシアはこれまで誰かを救えた試しもない。人に好かれようとアピールして、無視される毎日だった。

 それは自分に魅力が無いからだと思っていたし、そんな自分が他人の意見をまとめるなんて、できるとは思えない。


「失礼ですが、パトリシア様。あなたは、ご自身を信じていませんね?」

「…………」

 レナンジェスは、きっぱりとそう言い切った。図星だったので、パトリシアは黙って頷く。

「そして……他者をも信じていない」

「そ……そんなことは……」

 見透かされていると思った。

 冷静なブルーの瞳が、パトリシアの胸の奥にある錆び付いた心を、手に取って観察しているかのようだった。


「では、こう言い換えましょう。あなたは、誰にも期待をしないようにしている」

「っ――!」

 きゅう、と胸が痛くなった。

 触れられたくない傷をなぞるように、指で弄くられたような気分だった。


「……私は、あなたに期待しています」

「え……」


 レナンジェスは、穏やかな声でそう言った。

 床を見つめていたパトリシアは、思わず顔を上げた。


 藍色の髪をした男性は、その瞳を揺らしていた。

 その時、パトリシアはレナンジェスの瞳の奥にある何かを見つけた気がした。

 穏やかで聡明な男性の、瞳の奥が揺れている。声とは裏腹に、その瞳の奥は海の底のように暗く、冷たく見えた。

 何かに似ている。

 そう思った。


 誰かの目に似ているが、それが誰のものなのか分からない。

 やはり、パトリシアには、分からない――。

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