四話:パトリシアには分からない
翌日のことだ。
朝食に赴いたパトリシアを待っていたのは、二人の王子だった。
パトリシアが席に着くと、二人は「おはよう」と声を合わせて挨拶した。
「よく眠れたか?」
「はい、波の音が心地よくて……」
「よかった……」
どうやら、王子たちは昨晩のことを少しばかり反省しているらしく、パトリシアが気を悪くしていないか、心配になっていたらしい。
「パトリシア、実はオレとこいつで決めたことがあるんだ」
剣の王子が、盾の王子をこいつと呼んで、それに盾の王子はそっと頷いた。
「なんでしょうか?」
「オレたちは、一人のヘクトールではあったが、今はそれぞれ人格がある。考え方はまるで違って、気持ちや心も別々だ」
「別……」
昨晩、王子は別れ際にも言っていた。
元々、一人のヘクトールではあったものの、今はそれぞれ別人ということなのだろう。
「ですが、僕らの中に共通した想いがあるんです」
「それは、お前が欲しいって気持ちだ」
「っ――」
パトリシアは、昨晩のことを思い出して、頬を染めた。
二人の王子に挟まれて、気持ちを向けられたことを。
人から愛され慣れていないパトリシアには、その王子たちの想いは熱すぎて触れると火傷しそうに思えた。
だから、パトリシアはヘクトールを見つめられなくなった。
「わ、私はヘクトール様の……妻となるため、エルムヴァニアへとやってきましたから……」
それが自分の役割だから、きちんと果たさなくてはならない。
ヘクトールの愛を受け止めるべく、覚悟を決めている――。
「ヘクトール様が、お二人になっていることには、驚きましたが……王子が望むのであれば、私……」
剣と盾の王子、二人の子を授かるために、勇気を出さなくては。
そう伝えようとしたが――。
「違う! そうじゃない」
剣の王子が、声を張り上げてパトリシアの言葉を切った。
パトリシアは突然のことと、剣の王子の声の大きさにびっくりして、びくんと身体を硬直させた。
「大きな声を出さないでよ、ヘクトール。ごめん、パトリシア……驚かせてしまったね」
盾の王子が、剣の王子にじろりと視線を刺してから、パトリシアへ済まなそうに表情を向ける。
「い、いえ……ごめんなさい……私が……」
「パトリシア」
名前を呼んでまた言葉を断ち切られた。パトリシアは、ビクビクしていた。
怖かったのだ。どうしても、王子から嫌われてしまうことが。
もっと正確に言うなら、長年の生活のなかで身についた処世術だろうか。人の無関心が怖くて、パトリシアはすぐに詫びの言葉を使ってしまうことが多い。
「あなたは何も悪くありませんよ」
「……で、でも……」
「悪くねーって言ってんだろ」
「う……」
優しい盾の王子の言葉はともかく、剣の王子の言葉は少しきつくて、パトリシアはうつむいてしまった。
すると、剣の王子が参ったような顔をして、押し黙ってしまう。
やれやれ、とため息を吐き、盾の王子が静かに話を転がしていった。
「僕が話をしますから、ただ耳を傾けていてください。いいですね?」
「……は、はい」
にっこりと微笑む盾の王子は、まるで女性みたいに柔らかい表情をしていた。
ふふっ、と零れるその声が、ぬくもりをもっているみたいで、パトリシアをくすぐる。
「先ほどもお伝えしましたが、僕と彼は別人だと思って頂きたいのです」
彼というのは、剣の王子だろう。
「そして、僕たちはあなたに、一目惚れした――」
「……っ……」
「恋をしたんです」
語る盾の王子は、紅潮した頬で笑顔を向けてくれた。剣の王子も、照れくさそうに、への字口をしながらも、耳たぶを赤らめている。
(恋……)
恋。思いがけない言葉が出てきて、パトリシアは頭が真っ白になる。
「それで、一番最初に言いましたが、僕と彼で決めたことがあるんです。それは……、あなたが僕たちを選ぶまでは、抱かないって」
「え――ッ?!」
「オレと、こいつ……。パトリシアが、愛されてもいいと思ったなら、その時に……お前を抱く」
「選ぶって……」
選ぶ? 選ぶなんてことは、パトリシアの人生の中で一度だってなかった。
用意されているものに、従順に頷くだけしか許されない。それがパトリシアの人生だったからだ。
「でも、私はヘクトール様の跡継ぎを……」
「だぁからぁ! それだよ、違うって!」
剣の王子が、ガシガシと頭をかきながら、苛立たしそうに言った。
パトリシアは、また恐縮して首を引っ込めるが、それを見て、剣の王子も「う……」としどろもどろになった。
「パトリシア、恋をしたことはありますか?」
「え……? ……あ、ありません」
王族の娘には、恋愛など許されない。恋などもってのほかだった。
「僕たちも……あなたに出逢うまでは恋を知らなかった」
「ヘクトール様……」
ヘクトールとて、同じようなものだったのだろう。
国益のために跡取りを作っていくため、結ばれる婚姻。そこには個人の感情は入り込めない。
だから、恋愛というものから切り離されて、夫婦ができあがるのが王族の世界だ。
「でも、オレたちはお前に惚れちまった」
「可愛いなぁと思ったんです」
「……かわ……っ」
むぐ、と言葉が詰まる。
恥ずかしくて、目の前が回り始めていた。
「それで……昨夜……我慢できずにあなたのベッドに上がり込んだ……」
「寝顔見て……また惚れた……」
「うーっ!」
流石のパトリシアも悶絶して顔を塞いでしまう。
このヘクトールという男性は、性格を二分割されても、共通したモノはあるらしい。
この二人は、好意をあまりにも素直に向けすぎる。それがパトリシアの恋愛未経験の心に真っ直ぐ刺さりすぎて堪らないのだ。
「オレはお前が欲しい」
「僕も、あなたを愛したい」
一人分でも火傷しそうなのに、それが二つ襲ってくるから、パトリシアはいよいよ赤面の度合いが露骨になって、汗を吹き出すほどまで追い込まれる。
「でも、お前は……恐れた」
「っ……」
ハッとして二人の王子の顔を見つめたパトリシア。
二人とも、神妙な顔をしていた。
「パトリシア、知っていましたか?」
「な、なにを……?」
「「恋人を傷つけるくらいなら、自分が消えてもいいと思えてしまうことを」」
ヘクトールたちは、熱いまなざしと共に、重なり合う美声で紡ぐ。
そんな目で見つめられたら、変になってしまいそうだ。歌うようなハーモニーは、頭の奥底まで届いて、忘れられそうにない。
パトリシアは、ぽぅっと呆けてしまい、二人の王子の美麗な顔立ちに見とれてしまう。
……自分が消えてもいい……。
――と、ハッとして首を振った。
「だ、だめです!」
「パトリシア?」
「王子が消えてしまってはいけませんっ」
王子の呪い。それは分裂と消滅の呪いだと聞いている。
彼が消えてしまうなんてあってはならない。価値のない自分ならともかく、グレースの話でも、ヘクトールはかなりの優秀な王子だった。
そんなヘクトールが呪いで消えてしまうなんて、あってはならないことだろう。
「わ、私は……必ず王子の呪いが消えると信じております……」
「呪いは、今のところさっぱり解呪方法が見つかってないから……、僕らもそれなりに覚悟をしているんですよ?」
「でも……王子が消えてしまうなんて、それはいけませんよ……」
「オレたちが消える最悪の状況を考えて、子孫を残そうとパトリシアとの縁談を進めたという事実があることは認める」
「でも、それであなたがムリをする必要は無いんですよ」
「パトリシアが……幸せなら、それが一番いい」
二人の王子はそう言った。
パトリシアは、どう答えて良いのか分からなくて、視線を下に落とすしかできなかった。
「さ、話はこのくらいにして食べようぜ」
空気を切り替えようと、一際明るい声で、剣の王子がナイフをとった。
それに頷き、盾の王子もパンを手に取る。
パトリシアは、まだきちんと考えが纏まらないまま、二人の王子と朝食を食べることにした。
(私が、選ぶまで……抱かない……)
選ぶ……? それは剣の王子か、盾の王子のどちらかを選ぶということなのか。
だとしたら……それは自分には絶対にできないことだと思った。
これまで従うことばかりをしてきたから、自分の意思で何かを決めるということをしたことがない。
それに何より、選ばなかったほうはどうなるんだろうという気持ちを考えると、どちらかだけを選ぶなんて、到底できるとは思えないのだ。
(王子たちはああ言っているけれど……やっぱり、呪いを解くことが一番いいような気がする)
何よりも大事なのは、王子が消えないことだと思った。
王子の消滅が回避できれば、慌てて子孫を残す必要もなくなるし、きちんとした相手を探す余裕もできるはずだ。
そうしたら、パトリシアが選ぶのではなく、王子が選んでくれるだろう。
もっと他に良い女性がいるはずだと。
王子が語った『恋』の感情は、パトリシアには分からない。
愛され方も知らないし、愛し方など分かるはずもない。
一つだけ分かったのは、王子は分裂しても心優しい方だということだ。
こんな素敵な方が消えてしまうのは絶対に許されない。だから、パトリシアは胸の奥で決意をした。
(王子を救えるのなら、自分を犠牲にしてもいい)
それは先ほど、王子が語った『恋』の話に似ていた。
二人の王子は、恋人のためなら、自分が消えても良いと思えると言っていた。
それと、今自分が持っている感情は、同じもののように思えた。
パトリシアとて、自分が犠牲になることで王子を救えるなら、それでいいと思えた。
自分はそんなに価値ある人物ではない。より愛される人こそ、この世界に居なくてはならないと思う。
ならば、この気持ちが恋なのか。
パトリシアには分からない。