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三話:剣の王子、盾の王子

 パトリシアは自室に案内され、状況の特殊さに頭を抱えていた。


(確かに、跡継ぎを産むという覚悟はしてきたけれど……旦那様が二人になる覚悟はできてない!)


 色々と倫理的によろしくないのではないかと考えたりもしたが、ヘクトールは元々一人だし、今はそれが分裂しているだけで一人の男性を愛するということでは問題がないのかもしれない。

 とはいえ、二人のヘクトールと初夜を共にするとなると、どうしていいのか分からない。


(どうにかして、心の準備をさせて貰わないと……流石にお二人をお相手に……)


 ぼんっ、と頭から火の手が上がりそうなことを想像し、パトリシアは卒倒しかけた。


(でも……お二人には時間がないとも言われたし……。消えてしまうって本当なのかしら……)


 呪いのことを詳しく知らないので、言われるがままに頷いたが、なんとも奇妙な呪いだ。

 どうして、ヘクトールが分裂してしまうのだろう。呪いはどうやったら解けるのだろう。

 そんなことを考えてしまう。


(そうよ、呪いが解けてしまえば、ヘクトール様は一人に戻る。それだったら、何の問題も無いし、一番素晴らしいことよね)


 どうにかして、ヘクトールの呪いを解く方法はないものだろうか。

 現在調査をしているとは言うが、まだ解決方法が見つかっていないということは状況はよろしくないのだろう。


「はぁ……」


 大きなベッドに腰を下ろし、パトリシアは大きなため息を吐き出した。

 どうやら、新婚生活は波乱に満ちたものになりそうだ。


 と、その時、自室の扉を叩く音がした。

 パトリシアは慌てて立ち上がり、身なりを整える。


「どうぞ」

「はじめまして、パトリシア姫」


 扉を開き部屋に入ってきたのは、スラリとした外見をした女性だった。

 服装からして、女中だろう。

 お辞儀をして、淑女の挨拶をすると、その女性は自己紹介をしてくれた。


「私はこの国に仕えます女中のグレースと申します。今日からパトリシア様のお手伝いをさせて頂きますので、よろしくお願い致します」

「あ、はい。よろしくお願いします、グレース」

 キリリとした目をしたグレースは、生真面目そうな印象を受けるも、礼儀正しく気品を感じさせる。この国に来て初めて女性と会話できたことに、少しほっとしていた。

 歳はパトリシアよりも上だろうが、そこまで大きく離れるような見た目ではない。二十代中頃だろうか。


「あ、あの……少しお話をしてくれませんか?」

「はい、なんなりと」


 ヘクトール王子の呪いのことは、他言無用だと伺っているが、城に仕える一部の者は状況を把握しているらしい。

 グレースもその一人だった。


「王子のこと、色々と伺いたくて」

「何からお話ししましょうか?」

「そうね……、ヘクトール王子ってどういう方なのか、教えいただけますか?」

 グレースは、姿勢の良い背筋を微動だにせず、ヘクトールのことを語り始めた。


「ヘクトール王子は、勇敢ながら理知的で、心の優しい方でした。幼い頃から、責任感も強く、お妃様が亡くなられたときも、毅然としていらっしゃいました」

「ご立派な方なのですね」

「国の期待を一身に受けた方ですからね。並々ならぬプレッシャーを感じてもいらしたでしょう」

「……」


 パトリシアとは真逆だった。期待をかけてもらえることを羨んでいたパトリシアではあったが、大きすぎる期待もまた大変なものになることだろう。

 話を聞く限り、分裂前のヘクトールは非の打ち所がない立派な青年だったようだ。

 剣技の腕は高く、様々な分野の学問を学び、人に優しく自分に厳しい。人の上に立つべき人物だという自覚もあったようだ。


「では……分裂、されてからの王子は……?」

 パトリシアは、念のために声を潜めて訊ねた。

 グレースも、ひとつ咳払いをしてから、声を響かせぬように、口を小さく開いた。


「お二人になったヘクトール王子は、極端な性格がそれぞれ分かれています」

「極端?」

「行動派であるヘクトール王子……私たちは剣の王子と呼んでおります」

「剣の、王子……」

「はい。非常に好戦的で、少々荒っぽさが目立ちますが、雄々しく勇ましい方です」

 謁見の間の、左にいたヘクトールだろう。一人称が『オレ』だったはずだ。

「そして、心優しく慎重派のヘクトール王子。盾の王子と呼んでおります」

「盾、ですか」

 剣と盾。どちらもヘクトールだが、なるほど合点のいく名称だ。

 こちらは一人称が『僕』で、謁見の間で出逢ったとき、右にいた方だろう。

「盾の王子は、思慮深く知性に溢れております。しかし少々大人しいところもあり、保守的ですね」


 なるほど、ヘクトールという個人の人格を、極端に二つに分けたというグレースの評価は妥当だ。


「私は……剣と盾のヘクトール、二人の子を授かる必要があるのでしょうか?」

「……どちらも王子であるので、どちらかだけの子孫を残すとなると、いささか不安もありますよね」

 グレースは言葉を選んだように、少し考えながらそう言った。

 ヘクトールという個人の子孫を残すためには、分かれてしまった二人の子を授かる必要があるという考えは……ロジックとして考えると頷けるが、一人の女性としてその両愛を受け止めろと言われると、どうしても物怖じしてしまう。


「王子が消えてしまうかもしれないという期限はどれほどなのか、知っていますか?」

「いいえ、全く……。一年先かもしれないし、ひょっとすると明日かもしれない。呪いとはそういうものだそうです」

「呪い……ですか」


 パトリシアは呪いに関することを調べたくてたまらなくなった。

 自分でどうにかできるとは思っていないが、知識として、ヘクトールが受けた呪いというものをきちんと理解はしておきたい。

 妻として、今後この国で生きていく王妃として――。


「グレース。頼みがあるのですが……呪いに関することを調べたいので、黒魔術教団の資料などを用意してもらえませんか?」

「それは……。畏まりましたが……、今日は長旅の疲れもあるでしょう。また後ほど、準備をして資料をまとめますので、お休みくださいませ」

 パトリシアの勇み足な様子を窘めたグレースは、冷静な目を向けていた。

 パトリシアは、グレースが女中として能力が高いのだとそれでなんとなく察した。

 確かに彼女のいうとおり、今日は疲れもたまっている。

 とんでもない話を聞いたことだし、おそらくパトリシアが自覚する以上に疲労はたまっているかもしれない。


「分かりました。では、今日は早めに休みますね。グレース、これからよろしくお願いします」

「はい、ごゆっくりお寛ぎください」


 グレースは静かに退室すると、波の音が響くだけの静かな空間がパトリシアを包んだ。


「……」


 パトリシアは改めて自分の部屋を見回した。

 美しい絨毯、調度品の数々。添えられた花。ふかふかのベッド。どれをとっても素晴らしい。

 ファウンティアの自室よりも立派なのは間違いない。

 このような部屋で眠るのは、少し緊張もする。


(早くなれないと……)


 着替えを済ませ、暖かいベッドに入り込む。

 まだ聞き慣れない波の音に耳を傾けていると、なんだか気持ちが落ち着いてくる。

 ざぁん、ざぁんという規則正しいその音色が、いつしか心地良い安眠を連れてきた。


 パトリシアは、意識をふっと手放し、眠りに落ちた――。


 ――ふと、何か違和感を感じ、パトリシアはそっと目を開けた。

 寝室は真っ暗になっていて、真夜中だと分かった。

 ざぁん、ざぁんという潮騒が聞こえるのは変わっていないが、ベッドがなにか暖かい。


「起きたか、パトリシア」

「えっ……」


 思わず慌てて跳ね起きた。

 なんと、パトリシアの眠るベッドに、二人のヘクトールが上がり込んでいるではないか。

 パトリシアを挟み込むように、ヘクトールがパトリシアを見つめていた。


「お、王子!?」

「寝顔が可愛いから、見とれてしまいましたよ」

 この言葉遣いは、盾の王子だろうか。優しい瞳で、パトリシアに微笑みを向けていた。

「オレたちは、お前のこと、気に入ったぜ。パトリシア」

 と、ニっと笑う顔を向けているのは剣の王子だ。


「お前はどうだ、オレたちのこと、気に入ってくれたか?」

 そういうと、右にいる剣のヘクトールが、パトリシアの右手を掴んできた。

 すると、左にいる盾のヘクトールが、そっと指を絡めるようにして、パトリシアの左手を掴まえた。

「あなたが来る今日を、僕たちは待ち望んでいたんです」

「あ、あの、あの、その……」


 ほとんど密着するような距離感で、二人のヘクトールから挟み撃ちにあって、パトリシアは体温が上がっていくのを感じていた。


「今日、初めて会ったその瞬間から、僕たちはあなたの愛らしさに胸が昂ぶりました」

「え、え、でも、その、まだ私……」

 まだ心の準備ができてない! そう言いたいが、口が思うように動いてくれない。

 美貌を孕んだ王子の顔が、すぐそこにあって、愛を囁く声が耳を甘く刺激していく。


「パトリシア、こちらを向け」

「こっちを向いてよ、パトリシア」


 二人の声が、それぞれ右と左から聞こえてくる。

 パトリシアはどちらも向けずに、ギチっと身を強ばらせ、真上の天蓋を凝視していた。


(これじゃ……眠れない……)


「「パトリシア」」

 両の耳元で、そっと名を囁く彼らの声は、吐息混じりに掠れていて、耳たぶをくすぐる。

(~~~~っ)

 もう堪らない。こんな状況では頭がどうにかなってしまいそうだ。


「あ、あのう! ヘクトール様!」

「どうした?」

「わ、私……まだヘクトール様のことを、よく知りません……。ですから、ま、まだお時間をいただけませんかっ……」


 息を切らせて、必死にそれを伝えると、二人のヘクトールは、互いに顔を見合わせた。


「ウブなんだな。可愛いぜ、パトリシア」

「すみません、パトリシア。僕たちはあなたを今すぐにでも欲しくて、慌てていました」

「す、すみま、せん……」

「良いんだよ。落ち着けって」

 そう言いながら、まだ二人のヘクトールはパトリシアの手を離してくれない。


「あ、あの、王子が消えてしまうかもしれないのに、大変なのは王子なのに、それなのに、私……」


 自分の覚悟が決まっていないことが、申し訳なくて、パトリシアは必死に彼らに謝罪をする。


「……パトリシア……? 怯えているの?」

 盾のヘクトールが、覗き込んできた。

 なんと綺麗なかんばせをしているのだろう。

 優しい彼の目は、見ていると気持ちが和らぎそうだ。


「私……本当に、お役に立てず……。こ、怖くて……」

「抱かれることがか?」


 剣の王子は、熱っぽい目でパトリシアを見つめてくる。


「ち、ちがいます……。ご期待をうらぎってしまう、ことが……」


 パトリシアはドギマギしながら、たどたどしくも、それを伝えることができた。舌が回らず、声がうわずるが、なんとか本心を言葉にできた。

 怖いのは、無関心だ。

 ヘクトールにまで、興味がないと言われたら、パトリシアはこの国でも居場所がなくなるように思った。

 それが怖くて、パトリシアは二人が握った手を、冷たくさせていたのだ。


「……」

 ヘクトールは、そっとその握っていた手を離し、そしてベッドから離れた。

 ベッドの両脇に二人は立ち、黙ってパトリシアを見つめていた。


(失望させた……?)


 ヘクトールが自分から離れたことが、怖くなったパトリシアは、視線を自分の胸元に落としたまま、あげられなかった。

 潮騒の音さえ、耳で拾えない。どく、どく、と鼓動の音が聞こえている。


「「パトリシア」」

 二人は同時に名を呼んだ。ぴくりと、パトリシアは肩をふるわせた。


「は、はい……」


「すまなかった。この通りだ」


 そう言って、二人は同時に頭を下げた。


「えっ、え!? お、おやめください! 王子!」

「そんなつもりは……なかったのだ」

「王子……?」


 その時の、二人の目は、同じように見えた。

 分裂したはずの人格が宿る、真逆の二人の目は、それぞれ対照的だったと思ったのに、頭を下げて詫びるヘクトールは、切なそうな目をしていた。

 暗いから、きちんと彼の顔をみれないせいだろうか。


「パトリシア。また明日、話せるだろうか?」

「はい、勿論です。ヘクトール様」

「そうか……、ありがとう。パトリシア」


 二人のヘクトールは、にこりと笑んだ。

 それが緊張していたパトリシアの心の柔らかいところをつっついた。


「王子……」


「夜這いのようなことをしてすみません。元より、今日抱くつもりなんてなかったんです」

「えっ……?」

「お前が想像以上に、可愛かったからよ……舞い上がったんだ」

「へっ!?」


 パトリシアは素っ頓狂な声を出し、右と左をキョロキョロ見回してしまう。

 恥ずかしそうに笑っている王子たちは、二人で同じクセのように頬をかき、あさっての方を見ていた。


「これから、よろしく頼むよ。オレとこいつ」

「僕と彼は、同じヘクトールですが、別々なんです」

 王子たちはベッドから離れ、そして部屋の扉まで歩いて行った。


「また明日、パトリシア」

「おやすみ、パトリシア」

「あ……はい。おやすみなさい、ヘクトール……」


 パタン――。

 そうして、二人の王子は寝室から出て行った。


 胸がドキドキとうるさくなっていた。

 掌が汗をかいている。


 今のはなんだったのだろう。夢なのか?

 パトリシアは、ベッドをそっと撫でた。

 そこには、王子たちの体温が残ったままだった。


「……私……」


 両手で顔を押さえる。熱くて堪らない。

 そして、彼の言葉を脳裏で繰り返してみた――。


(可愛かったから……)


「私……可愛いって、初めて言われた」


 誰もが無関心だったパトリシアの人生の中で、自分のことを可愛がってくれる人は居なかった。

 親でさえも、自分に可愛いと言ってくれたことがない。


「呪いの分裂王子……か……」


 パトリシアは誤解していたのかもしれないと、自分を恥じた。

 自分はもしかすると、ただの跡取りを産むための道具ではないのかもしれない。


 ヘクトールの恥ずかしそうな顔を思い出すと、捨てようとしていた『期待』がほのかに色づいていく。

 期待をすることがいつからか怖くなったパトリシアは、その内側に灯った小さな火に、冷え切った心を温められていくのを感じていた――。

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