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墓よ、永遠に 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 ふう、墓参りの後ってさ、肩が凝る感じがしないか? お墓には時々、お盆の時に送り出されなかった霊たちがさまよっていると聞くけど、実際のところはどうなんだろうな。この肩に乗っかってたりするのか?

 墓っていうのもなかなか不思議な形態だと思わないか。もはやこの世にほとんど影響を及ぼさないであろう死者たちのために、俺たち、生者が扱えるであろうスペースを割いている。そこを荒らすことは、死者の冒涜にあたるとして忌み嫌われることがほとんどだ。

 自分たちが共同で持つリソースを提供することで、去っていった者に敬意を表す。そいつを個人の意思で荒らすのは、共同財産を荒らすに等しい行い。罰しなくては示しがつかないという側面も、あったんじゃなかろうかね。

 生きている側にとって、個人の自慢は鼻につくもの。でも死んでいる側にとって、自分が永遠に刻まれるかどうかの境界。その永遠の誇示のために、墓へ力を入れた者の話を聞いてみないか?

 

 俺の地元に伝わる、とある豪族のケースだ。

 その豪族は、かつては一つのクニしか持たない小領主だった。それが一代で周辺のクニたちを次々に併呑、勢力を伸ばしていったそうだ。

 当時の権力者の支配といったら、血による縛りが重要。攻め取った旧権力者の娘を娶って、自分の子供を産ませる。いったん血をつないでしまえば、旧権力者の権威を保ったまま、自分の血による影響力も持たせられるからな。後に優れた業績を持つ子孫が現れれば、それは祖たる自分の偉大さにも還元される。

 その分、「恥」の概念も強まったんだろう。祖先の顔に泥を塗るような真似は許さず、厳しい罰が与えられるのも珍しくない。祖あってこそ、自分たちがいられるってことを、当時の人は徹底的に教育されてきた。


 ああ、少し話が逸れたな。豪族に戻そうか。

 かれこれ30年の間、戦い続けた豪族の体調にも陰りが見え始めた。当時は今より医療が発達していない時代。40、50ともなれば、どんな拍子にお迎えが来てもおかしくはないだろう。

 死期を悟った豪族は、各地の有力者たちの例にならい、自らが眠ることになる古墳の作成に取り掛かった。採用された形は、今なお日本で多く残っている、円の形を持つ円墳。しかし単純な丸型ではなく、鏡餅のように、大きさの違う円を三段重ね合わせた形態を持っていたそうだ。

 豪族の指示により、円墳はすぐ東方に山を望む位置に構えられた。西日が照らすと、山の一角を円墳の影が覆い隠す。そのような位置取りに。


「ここは死んでも、私のクニだ。死したのち、朝昼は皆の前に立つことができぬ身となろうが、夕晩にはあまねくこの地表にいることができる。火無くしては一寸先すら見えぬ影の闇。形が意味を成さぬその場であれば、皆に触れることも叶うだろうからな。

 我が子らのこと、高みより見物する、などとはいわぬ。この山野、同じ大地の草葉の影から見守らせてもらう」


 ほどなくして、豪族は世を去った。その時、彼の円墳は想定していたものの7割程度の完成度だったらしいが、棺に入れた彼の身体を埋葬したのちも、遺された者たちによって作業は進められたとのこと。


 しかし、ここまでの一致団結した仕事も、豪族本人の統率力があったればこその話。子供が多かった豪族は、先に話したような前権力者と血がつながる子供たちに、クニの統治を任せていたらしい。

 各々、普段は自分が首長を務めて、下の者たちをまとめる立場。かしずくのは自分たちにとって絶対の存在であった、親にのみ。それが無くなったとあれば、誰がその後釜に座って指示を出そうとも、反目の意思は隠しきれない。

 そして、やはりこれも血筋なのか。そろいもそろって勢力を伸ばすのが大好きと来た。また小さいクニたちになってケンカをやらかすものだから、まとまりがない。

 件の古墳が位置する一帯を治める子供の力だけでは、施工は思ったように進まず、完成度8割のところで足踏みを続けてしまった。それでも夕方が来るたびに、山へ墓の影を渡すという当初の目的は、一応は達成された状態だったらしい。


 そして円墳の建造から20年。かつて侵攻の手を伸ばした子供たちのクニの中には、返り討ちにあったり、逆に侵略にあったりして、土地を失うものが現れ始める。結果的に、かつての豪族の土地は半分近くまで目減りしてしまったという。

 かの円墳を守っている子も、親たちの怪我や病気による死亡が重なって、すでに4代目となっている。慌ただしい交代によって、満足に仕事を引き継げなかった現首長は、目の前のことをどうにかするので精いっぱい。円墳の施工はおろか保全のための、人と費用も満足に回すことができなかった。

 円墳は当初の高さこそ保っていたものの、一時期は二重に張っていた水堀が、今では足を濡らす程度の「かさ」しかない。三段重ねの盛り土のうち、一段目にある入り口は大きな石の戸で塞がれていたものの、その石には無数の傷とひびが入っている。

 自然の力だけで、こうなったわけではないのは明らか。すでに盗掘者たちの手がかかり始めていたんだ。クニの態勢はぼろぼろの上、かの大和朝廷が急激に力を伸ばしてきていて、支配下に置かれるのも時間の問題。沈む舟からは、ネズミが逃げ出すって奴かな。


 そしてその晩も、盗掘者たちがやってきた。もはや見張りすらろくに置いていないこの円墳は、近づき放題だったらしい。

 彼らは巨大な樹を切り倒し、こさえた丸太を複数人で持ち、傷んだ石戸へ何度も叩きつける。ちょうど後世における、破城槌を打ち込むのと同じ要領だな。ドン、ドンと石が響く音と手に伝わる振動を頼りに、盗人たちは戸を押し続ける。

 これが初めての挑戦ではなかった。道具をこさえて、月のない夜を狙い、ここへ足を運んだことは数知れない。今晩こそは、今晩こそはと夜明けまで粘り、退散してきた経験があった。痛んでいく石の姿に励まされ、虫の音が絶えて久しい今夜も、数えるのが億劫になるほどに突撃を繰り返していたんだ。

 そして、ついにそれが実る。一丸となって押した丸太に、今までとは違う手ごたえ。一瞬の制止の後、奥へと引っ張り込まれる感覚と共に、丸太を握っていた皆が、前のめりに倒れ込む。目を凝らすと、石の戸が向こう側へ倒れ込み、代わりにぽっかりと黒い穴が広がっている。

 いつか来るとは思っていたが、今日、やって来るとは思っていなかった。予想外の驚きが先立ち、そこからじわじわと達成感が湧いてくる。小躍りしたい気分だったが、まだ早い。中から埋葬されている宝を抜き取り、このクニからおさらばするんだ。

 何度も想定しながら、ここまでついぞ踏み込むことのできなかった円墳の内部。彼らは虎の子の火つけ石を使い、用意しておいた簡素な造りのたいまつに火を点ける。

 あの石の戸はもう元へ戻せない。夜が明けたならば、どんな馬鹿であろうと墓が暴かれたことに気がつくだろう。もたついてはいられなかった。

 盗人たちは明かりが用意できると、我先に開いた口へ迫る。一人ずつしか入れない狭さ。その中へ、集まった者の半数が身を入れた時だった。

 

 ころりと一個、上段から転がってきた砂の塊が、入ろうとした者の頭へ軽くぶつかる。「なんだ?」と足を止めて、頭上を見やるや、円墳全体が激しく鳴動を始めたんだ。

 驚くべきことだった。円墳の一段目は、わずか数拍の地揺れにより、完全に押しつぶされてしまったんだ。砂の塊を受けた者と、先に円墳内に入った者の間は、かろうじて伸ばした腕一本分、あるかどうかというところだったとか。

 そのわずかなすき間への介入を許さず、一段目は地中へ沈むように潰れた。円墳は著しくその背を縮め、先に中へ入った者たちの声はわずかにも響いてこない。

 助け出そうなどという気持ちは、みじんも湧かなかった。眠りし豪族の祟りだと浮足立った盗人たちは、算を乱してその場を逃げ出してしまったらしい。

 

 翌日。円墳が崩れたことは、盗人たちが去った後に、揺れの被害を確かめるために出てきた首長の手の者の報告により、露見する。盗人たちは知らぬ存ぜぬで押し通すことに決め、円墳の一段目を掘り出そうとする仕事にも、何食わぬ顔で従事する。

 しかし、その日の夕方。建造以来、天気の悪い日以外で、東の山に円墳の影が落ちない初めての時。その夕日の残光が消え失せようとしたところで、再び、地鳴りが周囲を襲った。

 すわ一段目の二の舞かと思いきや、違う。今度は東の山たちだった。この円墳から見えるほどに、木々を伴なった大規模な地滑り。人どころか馬をも越える速さで殺到した土たちは、円墳もろとも周囲にいた人々を巻き込んだんだ。

 しかし、犠牲者は少ない。ほとんどの者は下半身がわずかに土の中へ埋もれただけで、ほとんど流されなかった。一方で土の海に沈み、息絶えてしまったのは昨夜の墓暴きに参加した者ばかり。

 この事実は、盗みに加担しながら二度の揺れを生き延びた男の証言によって伝えられた。彼は今回の出来事と、自分のみが生き残ったことの呵責に耐えかねて、すべてを洗いざらい吐いたのだという。

 もはや古墳は今に至るまで土の中へ埋まり、今はその場所にあったらしいという伝承が伝わるだけだ。過去、ひそかに掘り出されたことがあったものの、ほぼ未盗掘であったがために埋めなおされたって話も、一時期は流れたっけなあ。

 

 俺はこの話を聞くに、かの支配欲旺盛な豪族は死後、山の支配を目論んで、影の差す山と夫婦か、それに近しい関係になっていたんじゃないかと思う。夕方から明朝にかけて影同士が交わり合う、その時間だけの逢瀬って具合に。

 だから、その蜜月を壊されるのを怒り、最初の揺れは豪族が起こした。次の揺れはいつも日暮れには来てくれた相手が、初めてやってこなかったことに山自体が怒った。離れていた二人は、結果的に一緒になることができ、地の深くでとこしえの時間を過ごしているんじゃないかと考えているんだ。

 


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― 新着の感想 ―
[一言] おぉ、何気に相思相愛だったんですかね! 自分のお墓が荒らされそうになるは、せっかくの逢瀬も邪魔されるはでは、そりゃ怒るのも無理はないですね。 でもこれが映画みたいにトレジャーハンターとか考古…
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